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42話 予感(茜視点)

支給された防具は、まだ体に馴染んでいなかった。

肩が重い。肘を曲げるたびに固い布が引っかかる。

腰のポーチも歩くたびにわずかに揺れた。けれど、それが逆に現実味をくれた。


「似合ってねーな」

横から聞こえた声に、私は前を向いたまま答える。

「これが似合うなら有名モデルにでもなってるわ」

「だよな」

剣も軽口をたたいているが、声のトーンは少し低く感じた。


前回より一段深い管理区域。

最初の訓練とは危険度が違うと何度も言われた。でも、それでも来た。

新が、あの新宿ダンジョンで頑張っているのだ、足踏みなどしていられない。


それに、前回の初潜行で分かってしまったのだ。怖いけれど、何もできないわけではないと。それなら、少しでも先へ進みたい。


「候補者二名、装備確認」


職員の声で私は顔を上げた。

黒い門の前には、前回より厚い陣形が敷かれていた。候補者の私たち二人、誘導役の冒険者が二人、政府職員が二人、さらに後方支援が一人。それだけ今回の訓練が危険だという証拠だった。


「本日の目的は、第二訓練区域までの移動と、安全行動の確認。無理な戦闘は禁止。指示外の単独行動も禁止。魔物を見つけても、深追いしないこと」


分かっている。何度も言われた。でも、言われるたびに喉が干からびる。

剣が隣で小さく息を吐いた。

「行こうぜ」

私は強く頷いた。


冷たい膜を抜けた瞬間、空気が変わる。

湿った石の匂い。音を吸い込むみたいな通路。地上の明るさと切り離された、じっとりした暗さ。ダンジョンだ。


先導の探索者が手で合図する。

――静かに。間隔を空けず。壁際を進め。

私たちはそれに従って、慎重に足を進めた。


途中で遭遇したゴブリンの処理も、前回ほど取り乱さなかった。

剣が前に出て注意を引き、私は後ろから水の塊をぶつけて足元を乱す。そこを探索者が一気に仕留める。まだ自分たちだけでできるわけじゃない。でも、少しだけ戦えている実感はあった。


しかし、剣だけ表情が引き締まっていた。

「前よりはやれてるよな」

「油断しないで」

「してねえよ。むしろその逆だよ…上手くいきすぎて悪い予感がすんだよ」

足取りは、前回より速い。

いや、剣だけではない。

この班全体がだ。


この作戦に参加している人は、理由は人それぞれあるだろうが、共通している部分がある。それは、早く強くなりたいということだ。


その気持ちは私も同じだった。


通路を何本か抜けた先で、先導役の冒険者が足を止めた。

「ここから先が第二訓練区域だ。魔物の密度が上がる。足元も悪い。探索は何回かされてるとはいえ、絶対に安全とは限らない」


その忠告に気を引き締め直す。


先頭の探索者、その後ろに剣、少し離れて私、さらに後ろに職員。

曲がり角を抜けた先は、少し広くなっていた。


今度は、剣が唐突に鋭い声をあげる。

「……待て!」

思わず驚いて、私は剣の方を振り返る。

「どうした?」

「なんか、ここ――」


言い切る前だった。

――カチリ。

乾いた音が、静寂に響いた。私の足元だった。


一瞬、床のひびの隙間が青白く発光する。

「茜!」

剣が叫んだ時にはもう遅かった。魔法陣みたいな模様が一瞬で床一面へ広がる。先導の探索者が振り返って何か叫んだが、その声は最後まで聞き取れなかった。


次の瞬間、視界が真っ白に染まった。


「――っ!」

落ちるんじゃない。光に呑み込まれる。

身体がどこにも触れていないのに、内側だけを引き裂かれるような感覚。上下も前後も分からなくなる。耳鳴りと激しい吐き気の中、手を伸ばしても何も掴めない。

ただ、その白さの中で一瞬だけ、近くにいる剣の輪郭が見えた。


直後、光が弾けた。


「っ、は……!」

私は地面に膝をついていた。今度は石床じゃない。柔らかい土だ。手のひらに、湿った土と草の感触がまとわりつく。少し離れた場所に、剣も転がっていた。

「ぐ……っ」

「剣!」

「……いる! クソ、何が起きた……っ」


返事を聞いて、こんな状況なのに少しだけ胸が軽くなった。荒い息を整えながら立ち上がり、周囲を見上げる。

「……なに、これ」


そこは、うっそうとした森だった。

異様なほど巨大な木々が立ち並んでいる。幹は城壁のように太く、うっそうと茂る枝葉が太陽の光を完全に遮る天井となって空間を支配していた。


ダンジョンの中とは思えない光景。

ダンジョンの中に森があるなんて聞いたことも、見たこともなかった。


「……とんでもないところに来ちまったかもしれない」

剣が低く言った。私も同じことを考えていた。

見たことも、聞いたこともないということは、探索が行き届いていない、深層に来てしまった可能性がある。


護衛はいない。職員もいない。私と、剣だけ。帰り道も分からない。


その時だった。

――ギ、ギギ、ジ……。

地鳴りのような、重苦しい摩擦音が響いた。


私は反射的に音の方を見る。少し離れた場所にある巨木。地中深くへ食い込んでいたはずの、大蛇のような根が、泥を跳ね上げて持ち上がった。枝だと思った無数の触手が蠢き、幹の裂け目がぎらりと「眼」のように開く。


しかも、一体じゃない。

奥。さらに奥。闇の向こうで、巨木たちの影が、次々と不自然に身震いを始めている。


剣が、支給されたばかりの警棒を握り直した。その手が、目を目に見えてガタガタと震えている。

「……おい、嘘だろ。あんなの、どうしろってんだよ……!」


ゴブリンを相手にするのとは訳が違う。あんな巨体に、こんな護身用のおもちゃが通用するはずがない。一撃でも掠れば、私たちの身体なんて簡単に消し飛ぶ。


最初の一体が、重低音を響かせて一歩を踏み出した。ドスン、と地面が大きく揺れる。

逃げる? どこへ? ダンジョン内に安全な場所なんてない。


この絶望的な状況を打開するために、私は必死に思考を動かし続ける。


トレントが、丸太のような太さの枝腕を持ち上げた。


「――舐めるなッ!」


悲鳴を噛み殺した私を背に、剣が叫んだ。恐怖をなぎ払うような怒号とともに、剣が真横へ跳ぶ。私の身体を巻き込んで、泥だらけになりながら地面を転がった。


直後、轟音。

さっきまで私たちがいた地面に枝が叩きつけられ、土塊が爆発したように弾け飛ぶ。


「茜、足元を狙え! 泥にしろ!」

「っ、あ、ああああっ!」


がたがたと震える両手をがむしゃらに突き出す。出せる限りの魔力を絞り出し、最初の一体の足元へ水を放った。土が瞬時にぬかるみ、底なしの泥濘と化す。巨体がわずかに傾き、トレントの追いかけるスピードが遅くなる。


「おおおっ!」


その隙に剣が踏み込み、警棒をトレントの関節へ叩きつける。

――バキン! と嫌な音が響いた。

火花が散る。けれど、樹皮にわずかな傷をつけただけで、衝撃で剣の警棒が真ん中からへし折れた。


「嘘、だろ……」

剣の顔から血の気が引く。


トレントの幹の裂け目が、怒りのように歪んだ。泥濘を迂回した二体目、三体目の巨木が、信じられない速さで距離を詰めてくる。無数の鋭い枝が、槍のように私たちへ向けられた。


新に、追いつきたかった。

あいつが死んで、何もできなかった自分が悔しくて、もう誰も失いたくなくて、死に物狂いでここまで来たのに。こんなところで、終わるわけにはいかない。


「茜、走れ……っ! 俺が少しでも目を引く!」

「嫌よ! 置いていくわけないでしょ!」


剣が折れた武器の柄を握り締め、ボロボロの身体で再び前に出ようとする。私はその服の裾を強く掴み、必死で次の魔法のイメージを頭の中に描こうと、すくむ足を踏ん張った。


勝てない。それは分かっている。

けれど、一秒でもいい。一瞬でも長く、泥を啜ってでも生き延びてやる。


生きて、新と3人でまた会うために。


迫り来る無数の木の槍を睨み据えながら、私たちは、死線の中で最後の足掻きを始めた。



ここまで読んでいただきありがとうございます。

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