43話 絶望(茜視点)
迫り来る無数の木の槍を睨み据えながら、私たちは、死線の中で最後の足掻きを始めた。
最初の一撃は、紙一重で避けた。
だが、避けただけだ。
丸太みたいな枝腕が地面を叩いた衝撃で、私と剣の体はまとめて吹き飛ばされた。湿った土の上を転がり、落ち葉と泥が服の中まで入り込む。
「っ、あ……!」
息が詰まる。肺の中の空気が一気に押し出され、喉の奥でひゅっと嫌な音が鳴った。
「茜!」
剣の声で、なんとか意識を繋ぐ。視界の端では、別のトレントが根を放ちながらこちらへ回り込もうとしていた。
囲まれる。そうなったらもうゲームオーバーだ。それだけは避けなきゃいけない。
私は無理やり起き上がり、両手を前に突き出した。
「止まれ……!」
足元へ水を叩きつける。びしゃりと水が広がり、土がぬかるむ。最前列の一体が足を取られ、巨体がわずかに傾いた。遅い。けれど、その一瞬が欲しかった。
「走るわよ!」
「どっちに!」
「知らない! でも止まるよりまし!」
半ば叫ぶように言って、私は剣を引っ張った。後ろから重い地響きが追いかけてくる。
私は走りながら、片手で後ろへ水を撒いた。地面をぬかるませる。動きを遅くするだけだ。それでもいい。一秒でも、一瞬でも長く時間を稼ぐ。
――どれだけの時間が経っただろう。
5分か、10分か、あるいはそれ以上か。
じっとりとした暗闇の森の中では、時間の感覚さえ狂いそうになる。
「はっ、あ、くそ……っ!」
剣の荒い呼吸が耳に刺さる。
途中で横の木立から不意打ち気味に放たれた枝を、剣は避けきれなかった。枝先が脚を掠め、膝の外側を強く打った彼は、それからずっと片脚を引きずっている。
私も無傷ではいられなかった。
背後を泥濘にするために何度も魔法を放ち、とうにMPは尽きていた。頭が割れるように痛い。おまけに、爆ぜた土塊の破片が頬を切り裂き、生温かい血が顎へと伝っていた。それでも、何とか立っていたのは私たちの意地なのかもしれない。
肺が焼けるみたいに苦しい。
体感ではもう何時間も逃げ回っている気分だった。けれど、周囲を取り囲むトレントの群れは、一切の疲労を見せずにじわじわと私たちの逃げ道を塞いでいく。
完全に、袋小路に追い詰められていた。
「茜、前……!」
剣の掠れた声に顔を上げる。
少し開けた場所に出た。隠れる場所すら残されていない、最悪の広場。そこへ、私たちの退路を断つようにして、さらに巨大なトレントが三体、ぬうっと影を落とした。
前後左右、どこを向いても、うごめく木々の壁。
「ここまで、かよ……」
剣が折れた警棒の柄を握りしめたまま、がくりと膝をついた。肩が激しく上下している。もう、立つ気力さえすり潰されるような絶望だった。
走馬灯のように昔を思い出す。
小学校低学年のころ、上級生に遊び場を奪われそうになって喧嘩した時も、新が剣と一緒に遊ぶために買った爆竹を持ってきて、上級生をビビらせて助けてくれたりしたな。そのあと、先生に信じられないぐらい怒られてたけど。
新なら。
ダンジョンが現れる前みたいに、いつも通りふらっと現れて、助けに来てくれるかもしれない。
心のどこかで、そんな子供みたいな奇跡をずっと信じている自分がいた。
でも、ここは探索も届かない深層だ。地上に連絡が届くだけでも時間がかかる。そこから新がこの深部まで降りてくるなんて、どれだけ早くても間に合うはずがなかった。
会いに来なきゃはったおすって私が言ったのに。
「茜」
剣が血の混じった唾を吐き捨て、私の前に這い出ようとする。
「次が来たら、今度こそ俺が前に出る。お前は、少しでも……」
「嫌だって、言ってるでしょ……!」
声が震えていた。涙と血が混ざって、視界がにじむ。
置いていけるわけがない。ここで誰かが欠けたら、何のためにここまで足掻いたのか分からない。
私たちの限界を悟ったように、周囲の巨木たちが一斉に太い幹を振りかぶる。
上空を埋め尽くす質量。
一撃でも掠れば、私たちの生身の身体なんて簡単に消し飛ぶ、今までも、時間稼ぎなどまるで意味ないと告げているかのような、圧倒的な暴力。
迫りくる幹に死を悟り、心の中で新たに謝る。
約束守れなくて、ごめんね…
私は、絶望に目を瞑った。
――その時だった。
大気が、爆発したように震えた。
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