40話 自己紹介
海は真剣なを顔して話し始めた。
「でも、本当に重要なのはそこじゃないわ。
ボスを倒したことそのものじゃなくて、持ち帰った素材と、そこで確認したスキルの方よ」
志村さんの視線が上がる。
海は月下草を摘み上げた。
「五階層の素材があれば、重傷でも一気に治せる回復薬が作れる。
医療そのものの前提が変わるわ」
部屋の空気が少しだけ変わった。
研究者としての声だった。
さっきまでの疲れも、苛立ちも、その瞬間だけは引っ込んでいる。
海はさらに続ける。
「そしてこれはこのスキルだけじゃない。色々なスキルが発見されて、そのたびに今までの常識が通用しなくなるわ」
そして、はっきり言い切った。
「これで、世界は大きく変わるわ」
志村さんはしばらく黙っていた。
「……だからこそ俺たちは研究を続けなきゃならねえ」
月下草の横に置かれた小瓶を見ながら、志村さんは腕を組んだ。
研究に命を懸ける決意をした顔をしていた。
その時、扉の向こうで慌ただしい足音が止まる。
次の瞬間、ノックもそこそこに扉が開いた。
「志村さん! 海さんが戻ったって――」
飛び込んできたのは、小柄な女性だった。
白衣。
タブレット。
肩までの髪。
どう見ても学生にしか見えないくらい童顔だ。
彼女は海を見た瞬間、目を丸くする。
「……海さん?」
海も、その顔を見てぱっと立ち上がった。
「槙野!」
次の瞬間、海はそのまま槙野を抱きかかえるみたいに引き寄せた。
「よかった、無事だったのね!」
「ちょ、ちょっと海さん、近いです、近いです!というか私の足、浮いてません!?」
「浮いてるわね」
「冷静に言わないでください!」
珍しく、海が本気で嬉しそうだった。
だが、抱きかかえられた槙野の方は真っ赤になって抗議していた。
「なんで私の方が年上なのに、毎回こういう扱いなんですか……私、一応三十代なんですけど……」
槙野といわれる女性は宙に浮きながら、いじけている。
30代と言っているがどう考えても、学生にしか見えなくて、驚いてしまう。
海はようやく床へ下ろし、少しだけ笑う。
「だって可愛いだもの」
「ひどいです……もうそろそろ大人の色気が出てくるころなんですからね」
志村さんが額を押さえる。
「再会を喜ぶのはいいが、まず話を進めろ」
「はい……」
槙野は姿勢を正したが、まだ少し頬が赤いままだった。
そのまま机の上の素材に目を向け、次に俺を見る。
「……あの」
「その子、さっきから気になってたんですけど」
その子って言うな。
海は平然と答える。
「協力個体よ」
「説明が雑すぎます!」
槙野は一歩下がった。
怖がっている。
でも、それ以上に困っている顔だった。
「いや、えっと、敵じゃないのは分かりましたけど……
その、ちゃんと紹介してもらえませんか?」
その一言で、海がぴたりと止まる。
紹介。
海が机の上の紙とペンに目を向けた。
数秒だけ考え込んで、それから小さく目を見開いた。
「……そうか」
海が俺を見る。
「私に憑りつけば、文字が書けるかもしれない」
俺は一瞬だけ固まったあと、すぐにその言葉の意図を理解した。
槙野が瞬きを繰り返す。
「えっ?まったくついていけないんですけど…」
海は紙を机の中央へ寄せ、ペンを手に取った。
「少しだけペンと紙借りるわよ」
次の瞬間、俺は海へ憑りついた。
ぬるり、と意識が沈む。
人間の体温。
脈。
呼吸。
指先の感覚。
やっぱり、魔物の体とは全然違う。
海の手でペンを握る。
久しぶりすぎる感触に、少しだけ指先が震えた。
それでも、ゆっくりと紙の上へ線を引く。
霊山 新
その名前を見た瞬間、槙野の顔色が変わる。
「……え」
志村も、わずかに眉をひそめた。
「どうした」
槙野はタブレットを慌てて操作する。
指先が少し震えていた。
「これ……
新宿ダンジョン発生直後の、最初の死亡者名簿……」
画面を見た志村の目つきが変わる。
そこに表示されていた名前は、紙の上の文字と同じだった。
霊山 新
部屋の空気が、また一段重くなる。
槙野がゆっくりと俺を見る。
「嘘……じゃあ、この子……いえ、この個体って……」
志村は俺の顔を、今度は観察するように見た。
知人が見れば本人だと分かる程度の面影。
記録写真に残っていた、最初の犠牲者の顔立ち。
そして、低く呟く。
「……まさか死んだ人間が、魔物になることがあるのか」
槙野が息を呑む。
「そんなの、報告にないです……前例も……少なくとも、公表されている範囲では……」
海は二人を見ながら、静かに言った。
「でも、目の前にいる」
その言葉で、部屋の沈黙が決定的なものになる。
志村はしばらく何も言わなかった。
やがて、紙の上の名前を見たまま、低く吐き出す。
「……研究の前提が、また一つひっくり返ったな」
そして、少し深呼吸して情緒を落ち着かせて、話を再開する。
「霊山さん、ですね。えっと……私は槙野です。
海さんの研究補佐をしてます」
海が横から口を挟む。
「補佐っていうか、私の尻拭い係ね」
「違います。研究補佐です!霊山さんが間違えて覚えたらどうするんですか!」
少しだけ、部屋の空気が和らぐ。
だが、今はそれよりも、地上で初めて自分の名前を伝えられたことの方が大きかった。
霊山新。
ただの魔物じゃない。
そうやって、ようやくここで示せた気がした。
槙野は、まだ少し緊張しながらも俺を見る。
「……これからよろしくお願いします、霊山さん」
俺は小さく頷いた。
会議室の中で、魔物になってから、初めて人間としての俺が地上繋がった気がした。
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