39話 帰還後の地上
地上だ。
視界が戻る。
俺と海が立っていたのは、新宿ダンジョンの入口前だった。
規制線。
何重にも組まれたバリケード。
警察車両の赤色灯。
黒い門を囲む警備員たち。
「――異常事態発生!」
誰かの叫び声が響いた瞬間、空気が一気に張り詰めた。
警備員たちが一斉にこちらを向く。
次の瞬間には、俺だけじゃなく海の方にも数人が駆け寄ってきていた。
「動くな!」
「魔物個体を確認!」
海が目を見開く。
「待ちなさい!」
だが、そんな言葉で止まるはずがなかった。
警備員の一人が海の腕を取ろうとする。
別の警備員は俺へ警棒を向けたまま、半歩ずつ距離を詰めてくる。
当然だ。
封鎖中のダンジョンから、人間と魔物が一緒に急に現れたのだから。
「離して!」
海が鋭く言い返す。
俺も動きを止めたまま、周囲の様子を窺った。
ここで俺が変に動けば、本当に終わる。
その時だった。
「何の騒ぎだ!」
規制線の内側、仮設テントの方から男の声が飛んだ。
白衣の上に簡易ベストを羽織った男が、人をかき分けるようにして走ってくる。
四十代後半くらい。
痩せ型で、寝不足そうな顔をしているのに、目だけは妙に鋭い。
そして、その男は海の顔を見た瞬間、足を止めた。
「……海?」
海も相手を見て、少しだけ眉を上げる。
「志村さん」
次の瞬間、志村の表情が怒りに変わった。
「お前、何やってる!」
周囲の警備員たちが一瞬きょとんとするくらい、はっきりした怒声だった。
「研究所のみんながどれだけ探したと思ってる!勝手な行動をするなって何度言えば分かる!しかも新宿に入って、そのまま十日行方不明って、お前――!」
海が顔をしかめる。
「説教は後で聞くわ」
「後でで済むか!
いや、生きて帰ってきたから今は後ででいいが……!」
そこまで言って、志村はようやく俺の方を見た。
「で、なんで魔物まで連れて帰ってきてるんだ」
海は疲れた顔のまま、しかしはっきり言った。
「その個体は敵対しない。……分かりやすく言えば、テイムしたみたいなものと思って」
実際には全くテイムなんてされていないが、周りの人達を納得させるには、嘘も必要だろう。
志村は俺をじっと見た。
警戒はしている。だが、海の言葉を頭ごなしには否定しない。
「……本当なんだな?」
「ええ…私が保証するんだから根拠は十分でしょ」
「お前な……」
呆れたように言ってから、志村は小さく息を吐く。
怒っているのに、その声の奥に安堵が混じっているのが分かった。
海がそこで、わざと静かに付け足す。
「命も救われた
少なくとも、そこらの人間よりも信用できるわ」
その言葉を聞き、ようやく警戒を解いた。
そして、今度は額を押さえた。
「帰ってきたと思ったら、厄介ごとばっかりもってきおって……」
それでも判断は早かった。
彼は警備員たちへ向き直る。
「この件は研究班で引き取る
その魔物個体への制圧行動は一旦止めろ」
「その魔物が、事件を起こしたら責任問題になりますよ」
「責任は俺が持つ」
短いが、強い言い方だった。
警備員たちは不満げだったが、一歩だけ引いた。
完全に安心したわけじゃない。
それでも、今すぐ殴りかかられそうな空気ではなくなった。
志村は海へ視線を戻す。
「詳しい話は所を移してからだ。
歩けるな?」
「ええ」
「なら来い」
俺たちは警戒の視線に囲まれたまま、規制線の内側へ移動した。
歩きながら、俺は周囲を見た。
十日前とは、景色がまるで違っていた。
仮設テント。
資材コンテナ。
発電機。
監視カメラ。
簡易照明。
警察だけじゃない。消防、自衛隊らしき人間までいる。
ダンジョンはもう、ただの異常事態じゃない。
無理やりにでも、社会の中へ組み込まれ始めていた。
通されたのは、規制線の内側に作られた簡易会議室だった。
折りたたみ机とパイプ椅子が並ぶだけの、簡素な部屋。
それでも、外よりはずっと落ち着ける。
中に入ると、志村はすぐに扉を閉めた。
「さて、今度こそ詳しく説明してもらうぞ
お前、どこまで潜ったんだ……」
「5階層よ。そこでボスを倒したら地上へ転移できる仕組みがあったのよ」
志村はしばらく黙り込んだ。
それから、観念したみたいに息を吐く。
「順番に話せ
どうやってそこまで行った」
海はかなり端折って説明した。
ダンジョン発生直後に潜ったこと。
スキルを得て、素材を集めながら進んだこと。
三階層で強敵に怪我を負いピンチになったところを助けてもらったこと。治療に五階層の素材が必要になったこと。
そして、俺と協力して五階層へ到達し、ボスを倒して戻ってきたこと。
話を聞いて、志村は真剣な顔で俺の方を向く。
「まだ全部は信じられんが、海を助けてくれたことには、感謝する」
素直に感謝を言われびっくりしていると、海に体の向きを変えた。
「そして、海お前はもう少し考えて行動をしろ!死んだらどうするつもりだったんだ!」
「現に死んでないじゃない!」
「こいつが居なかったら死んでたじゃないか!」
そういって俺を指さす。思春期の親子のような口喧嘩の中に入れられて、気まずさを感じる。
「けど、そのおかげで研究に役立ちそうな物をたくさん採ってきたし、情報も集めてきたわ!」
そういって海は収集した素材が入ったケースを取り出した。
志村は中の素材を一つずつ見ていく。
月下草。
巨大な魔石。
その他にも、様々な魔物の素材などがあった。
その表情が、少しずつ真剣なものへ変わっていった。
「これ、全部ダンジョンの……?」
「しかもこの魔石、通常個体のものじゃないな……サイズが大きすぎる」
「ボスの魔石よ」
志村は息を呑んだ。
「……とんでもないな」
海はそこで、ようやく本題を切り出した。
「で、外はどうなったの?」
志村は壁際のモニターをつけた。
ニュース画面が映る。
『第一次探索者認定制度、本格運用へ』
『管理下ダンジョンでの訓練潜行を拡大』
『魔石・素材の暫定管理指針を発表』
さらに別の画面へ切り替わる。
都内近郊ダンジョンの一覧。
危険度。
訓練区画。
潜行人数。
海が小さく息を吐いた。
「……進んでるわね」
「十日だ…お前が潜った日から、もう十日経ってる」
十日。
思っていたより長い。
ダンジョンの中では時間の感覚が曖昧だった。
何十日もいた気もしたし、逆に数日しか経っていない気もしていた。
十日。
世界が変わるには十分すぎる時間だ。
志村は淡々と説明を続けた。
「最初の数日は封鎖一辺倒だった。だが、勝手に潜る連中が多すぎた。取り締まりにも限界があった。だから、探索者制度を前倒しで回し始めた」
「管理して、使う方に切り替えたのね」
「そういうことだ」
映像には訓練風景まで映っていた。
支給装備を着た候補者たち。
職員に囲まれて、一階層へ入っていく人間たち。
海が腕を組む。
「新宿は?」
「見ての通り封鎖区域のままだ。このダンジョンだけ、他のダンジョンと比べて色々異質だからな。
ただし、研究班と上層の一部探索者だけは限定的に入ってる門の周辺も、最初の頃とは比べものにならないくらい厳重だ」
俺は黙って、その映像を見つめた。
十日前、ただの異常だったものが、今は管理対象になっている。
社会が無理やり順応し始めているのが分かった。
海は少しだけ目を細める。
「思ったより早いわね」
「遅いくらいだ。
現場は人手も制度も、まだ全く足りてない」
その声には疲れが滲んでいた。
たぶん、本当にそうなのだろう。
部屋の中に、少しだけ沈黙が落ちる。
俺は窓もない白い壁を見た。
地上に戻った。
本当に戻ったのだ。
けれど、戻ってきた世界は、俺が知っていた十日前の地上とはもう少し違っていた。
海が椅子の背にもたれ、小さく息を吐く。
「……話したいことはまだ山ほどあるけど、とりあえず状況は分かったわ」
志村は頷く。
「こっちも聞きたいことは山ほどある」
海は少しだけ笑った。
「でしょうね。それを伝えるために戻ってきたんだもの」
その横で、俺は静かに立ち尽くしたまま、ようやく地上の空気を実感していた。
ダンジョンが出来てから十日。
たった十日で、世界はここまで変わっていた。
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そしたら、私が少し小躍りします。
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