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3話 試行錯誤とひらめき


人間だった頃には絶対に持ち得なかった感覚が、流れ込んでくる。目の前では、腰を抜かした男が後ずさりしながら逃げ道を探していた。黒狼はその喉笛へ噛みつこうとしている。


止めろ。


霊山は必死に意志をねじ込んだ。


黒狼の首がわずかにぶれる。

だが、それだけだった。


噛みつく勢いが少し逸れただけで、黒狼はすぐに体勢を立て直す。まだ主導権の大半は向こうにある。今のままでは、せいぜい狙いを少しずらすのが限界だ。


【スキル『憑りつく』】

【対象:黒狼】

【干渉率:低】


この干渉率さえ上がれば、もしかしたら黒い獣をもっと動かせて同士討ちを狙えるかもしれない。

このままじゃ足りない。


霊山は黒狼の右前脚へ意識を集中した。

さっきは全身を止めようとして失敗した。なら、一部だけならどうだ。


上げるな。

踏み込むな。

そこで止まれ。


黒狼の脚が一瞬だけもつれる。爪先がアスファルトを引っ掻き、体がわずかに傾く。だが、その程度だ。止めきれない。獣は苛立ったように喉を鳴らし、さらに強く獲物へ意識を向ける。


霊山は焦りで、今の体ではかけるはずの冷や汗が流れだしたような感覚に陥る。


脚だけでも駄目。

じゃあ次は視線だ。


視線を逸らせ。

あの男を見るな。

別の魔物を向け。


黒狼の赤い目が一瞬だけ揺れる。だが、すぐに男へ戻る。


駄目だ。


脚も駄目。視線も駄目。

なら牙はどうだ。噛みつく瞬間だけ顎を閉じさせなければ――


試す。

失敗する。

また試す。


そのたびに黒狼の内側から噴き上がってくる本能が、霊山の意志を押し潰していく。飢え、殺意、興奮。理屈じゃない。獣そのものの衝動が強すぎる。


完全に操るなんて無理だ。


焦りが強くなる。


視界の端では、別の黒狼が人の群れを追っていた。もう一匹は倒れた街路樹の陰から、新しい獲物を探している。ここにいるのは三匹。たった三匹なのに、駅前の混乱は十分すぎるほど広がっていた。何とか、男性達が固まり、持っていたカバンなどを使って牽制はしているが、その時間稼ぎがいつまでもつか分からない。


一匹を止めるだけでも手一杯なのに、残り二匹もいる。


まずい。

本当にまずい。


そのとき、黒狼の視界の奥で、逃げ遅れた人に噛みつこうとしている他の黒狼の影が見えた。


間に合え。


強く念じた瞬間、黒狼の体へ黒い靄みたいなものが滲み出す感覚があった。


闇魔法だ。


考えるより先に発動したそれは、襲おうとした黒狼の周りを黒い霧で多った。景色が揺らぎ、混乱した黒狼は狙う対象を見失った。


だが、やはりそれだけだ。


対象の視界を奪う、時間稼ぎにはなる。しかし、決定打にはならない。


【闇魔法を発動しました】

【MP:7/12 → 4/12】


減った数字が、霊山を酷く焦らせる。

もうあと1回しか魔法が使えない。


今のはとっさに使ってしまった。

たださっきと同じことをして一時しのぎしただけだ。


黒狼の目を潰そうとしても、根本は変わらない。このままじゃじり貧だ

この獣も今は突如、黒い霧に覆われて、多少狙いが今はぶれていても、臭いで、気配で獲物を追う。


じゃあ、どこに闇を差し込めばいい?


霊山は必死に考えた。


脚を止めようとした。駄目だった。

視線を逸らそうとした。駄目だった。

牙を封じようとした。駄目だった。


でも、本当に邪魔したいのはそこじゃない。


こいつが俺を弾こうとする力。

こいつが自分の体を自分のものだと思っている、その抵抗。


その抵抗を弱らせられたら。


霊山の中で、考えが一本につながった。


試してみるしかない。


黒狼が再び男へ飛びかかろうとする。

その瞬間、闇魔法で黒い霧を出すのではなく、黒狼の意識そのものへ闇魔法を流し込んだ。


見えなくしろ、じゃない。

鈍らせろ、でもない。


もっと曖昧に。

もっと深く。


抵抗するな。

暴れるな。

少しだけ、この体を俺に預けろ。


黒い泥を流し込むみたいな感覚だった。


ぞわり、と。

黒狼の内側で何かが沈む。


剥き出しだった殺意が、ほんの一瞬だけ濁った。自分の体を奪われまいとする抵抗が、泥に足を取られたみたいに鈍る。


【闇魔法を発動しました】

【MP:4/12 → 0/12】


同時に、憑りつくの感覚が変わった。


重かった黒狼の体が、さっきよりわずかにだけ軽い。


【スキル『憑りつく』】

【対象:黒狼】

【干渉率:低 → 中】


上がった。


霊山は息を呑む。息はできないはずなのに、確かにそう感じた。


いける。


だが、ここで欲を出して完全に操ろうとしたら、たぶん失敗する。

全部を動かそうとするな。使え。黒狼の勢いを、そのまま別に向けろ。


ちょうど横から、別の黒狼が人へ飛びかかろうとしていた。


霊山は憑りついた黒狼の首と前脚へ意識を集中する。


あっちだ。

人間じゃない。

隣の黒狼を噛め。


黒狼の体が大きくぶれた。

本能のまま前へ出る勢いは止めない。ただ、その向きだけを横へねじ曲げる。


次の瞬間、憑りつかれた黒狼が、隣を走り抜けようとした別の黒狼へ牙を突き立てた。


ぐしゃっ、と嫌な音がした。


噛みつかれた黒狼が甲高い悲鳴を上げ、肩口から黒い血を撒き散らしながら地面へ転がる。攻撃は通った。人間相手だけじゃない。黒狼同士でも、牙も爪もきっちり効く。


いけた――


そう思った直後、反撃が来た。


噛まれた黒狼が怒り狂って跳ね起き、憑りついている黒狼の首元へ爪を叩きつける。肉が裂ける感触。獣の体がよろめく。


同時に、霊山の霊体にも鋭い痛みが走った。


「っ……!」


声は出ない。

それでも意識が白く飛びそうになる。


【HP:9/10 → 7/10】


減った。


やっぱりだ。

憑りついている相手が傷つけば、その一部がこっちにも返ってくる。


でも、今ので確信した。


闇魔法はただ感覚を狂わせるだけじゃない。

少なくとも今の自分には、相手の抵抗を鈍らせて、憑りつくの効きを少しだけ良くする使い方もある。


そして、干渉率が上がれば、全部は無理でも“攻撃の向き”くらいは変えられる。


戦える。



憑りついた黒狼が唸る。

傷を負った別の黒狼も、牙を剥いて睨み返している。


敵同士が初めて互いを敵として認識したみたいに、殺気の向きがずれた。


霊山はそのわずかな変化を逃さなかった。


人を襲うな。

喰うならそっちを喰え。


もちろん言葉は届かない。

けれど、黒狼の攻撃衝動を少しずらすことなら、今の霊山にもできる。


まだ一匹。

残り二匹。


状況は全然よくない。

MPはもうない。HPだって危ない。


それでも、さっきまでとは違った。


どうすれば干渉が通るのか。

どこに闇を差し込めばいいのか。

ほんの少しだけ、その答えに手が届いた。


霊山は黒狼の荒い呼吸と、周囲の悲鳴と、近づいてくるもう一匹の殺意をまとめて呑み込みながら、さらに意識を深く沈めていく。


まだ終わらせない。


ここからが正念場だ、と霊山は気合を入れ直した。

ここまで読んでいただきありがとうございます。

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