26話 仮説
途切れがちな血痕を追っていた霊山は、低い通路の先で足を止める。
女性がいた。
しかし、他にも邪魔ものがいた。
オークだ。
太い腕。厚い胸板。削り出した岩塊みたいな棍棒。
ただ立っているだけで、周囲の空気まで重くなるようだった。
その少し後ろには、ワイルドウルフが1体。
低く唸りながら獲物を回り込むように位置を変えている。
そして、その2体に追い詰められるようにして、1人の女性が岩壁を背にしていた。
年は20代後半か、それより少し上か。
黒髪を後ろで雑に束ね、眼鏡をかけている。動きやすそうな薄手のジャケットの袖を肘まで捲っている。右腕には応急処置の布が巻かれ、その上からまた血が滲んでいた。足元には金属製の小さなケースが開いていて、工具とも計測器ともつかない細かな道具が散らばっている。
ただ怯えているだけではなかった。
女は息を荒げながらも、オークとワイルドウルフの位置を目で追い、足元の道具にまで意識を配っていた。追い詰められてなお、頭が止まっていない顔だった。
オークが先に踏み込む。
それに合わせてワイルドウルフも横から間合いを詰める。
まずい。
霊山は迷わなかった。
ワイルドウルフへ憑りつき、闇魔法を使い干渉率を高にする。
ステータスも上がり、スキルも使えるようになる。
ワイルドウルフの視界がぐっと開ける。
血の匂い。湿った苔。女性の汗。オークの獣臭。
情報が一度に入ってくる。
霊山は地を蹴った。
オークの横合いへ飛び込み、その脚へ噛みつく。
分厚い筋肉に牙が浅く食い込むだけだったが、それで十分だった。
オークの重心がぶれる。
「――っ!」
女性がその隙を見逃さない。
左手で足元の筒状の小物を拾い、オークの胸元へ投げつけた。
直撃。
次の瞬間、小さく爆ぜた。
轟音ではない。
だが、岩を砕くような乾いた破裂音と一緒に火花と煙が散る。
即席の爆発物らしかった。
オークが顔をしかめ、半歩よろめく。
何故、そんな物を持っているか分からないかったが、今が好機だ。
霊山は内心で舌を巻きながら、さらに回り込んだ。
オークが苛立ったように棍棒を振るう。
振り下ろされる直前、霊山は影へ闇を突き立てた。
【影縫いを発動しました】
オークの影が揺らぐ。
踏み込みがほんの一瞬だけ止まる。
その一瞬を使って、霊山は身を低く滑らせた。
棍棒が頭上を通り、石床を砕く。
破片が散る。
その痛みの一部がかすかに返る。
だが、まだ浅い。
霊山はそのままオークの背後へ抜けた。
ワイルドウルフの体は速く、身軽だ。
ゴブリンのような器用さはなくても、この速度と身軽さは明確な武器だった。
敵がもう1体いたなら女性を守りながら戦うのは面倒だっただろう。
だが今は違う。
敵が1体であれば、誰よりも速く動けるのは、自分だ。
霊山はオークの膝裏へ体当たりし、さらに噛みつく。
大きな損傷は与えられない。
それでも鈍い巨体の動きを乱すには十分だった。
オークが怒鳴る。
拳が飛ぶ。
霊山は飛び退いた。
風圧が鼻先をかすめる。
その先で、女が更に瓶を投げた。
二つ目の小瓶がオークの肩口で割れ、白い煙が広がった。
オークが咳き込んだ。
好機だ。
霊山はもう一度飛びかかる。
オークの背中側だ。
オークは背中に乗った俺を叩き落そうと躍起になる。
その大きな棍棒では、ステータスが上がったワイルドウルフには当てることもままならない。
オークが苛立って暴れる。
その隙を的確に爪で攻撃していく。
そして、その攻撃の結果は徐々に結果として、現れていく。
軸足が止まる。
体勢が崩れる。
オークは片膝をついた。
そこへ、霊山は爪を突き立て、全力で引き倒した。
巨体が横倒しになる。
洞窟が揺れたように感じる。
女が息を呑む音がした。
オークはまだ立ち上がろうとした。
霊山はワイルドウルフの体を使って喉元へ牙を深くねじ込み、そのまま石床へ押しつけた。
巨体が震える。
数度、痙攣する。
やがて、動かなくなった。
静かになった。
ワイルドウルフの胸が上下する。
女は壁に肩を預けたまま、荒い息をついている。
右腕の傷はまだ痛むはずなのに、その目はもうこちらを見ていた。
少しの怯えと強い好奇心そんな目だった。
霊山はその場で、敵ではないということを伝えるために、一度くるりと回り、お手のポーズをした。
女の眉が、ぴくりと動いた。
「……今の、何?」
かすれた声だった。
けれど、先ほどとは違い、恐怖より好奇心が勝ったようだ。
「魔物が、そんな動きする?」
霊山は動かない。
座ったまま、ただ見返す。
女は痛む腕を押さえながらも、新しいおもちゃを見つけた、子供のような目でこちらを観察していた。
「もしかして、助けてくれたの?」
聞きながらも、確認に近い声だった。
霊山もワイルドウルフの体で頷いた。
女はその反応を見て、さらに目を細める。
「言葉の意味が分かるの?」
「面白い……じゃない、違う。いや、面白いけど」
「えっと、今はそこじゃなくて」
「ちょっと情報を整理させて」
少しの時間考えこむ。
そして、仮説がたったようだ。
「ワイルドウルフが、私から標的をオークに切り替える直前に、何かが体に入っていくのが見えたわ。」
「早すぎて、何が入ったかまでは、しっかり見えなかったけど、つまりあなたは、人間側の魔物か、特殊なスキルを持った人間だと予想するわ」
素直に感心してしまった。これだけの情報でこれだけ、言い当ててくるなんて。
しかし、この女性も俺が人間側の魔物かつ特殊なスキルを持った人間だとは思わないだろう。
霊山は答えられない代わりに、ワイルドウルフの体で鳴いておいた。
この仮説を聞いただけでも、目の前の女性が只者ではないことが分かった。
何故、こんなところにいて、何が目的なのか聞きたいことは山ほどあった。




