11話 逃亡
憑依したゴブリンの体で洞窟を進みながら、霊山は何度も周囲へ視線を走らせていた。
次の獲物を探すためだ。
だが、思ったより見つからない。
通路は曲がりくねり、ところどころ枝分かれしている。耳を澄ませば水滴の音と、自分が動かしているゴブリンの荒い息遣いだけがやけに響いた。時折、遠くで小石が跳ねる音がしても、近づいてみれば何もいない。
焦るな、と自分へ言い聞かせる。
MPが満ちて、レベルも上がった。
新しいスキルも覚えた。
だからといって、急に何でもできるようになったわけじゃない。
そう思っていた矢先だった。
視界の端に、青白い板が割り込んできた。
【憑りつく維持コストが発生しました】
【MP:21/21 → 20/21】
霊山の意識が止まる。
ほんの一瞬、意味が分からなかった。
だが、MPが減ったのを見てすぐに理解する。
前回黒狼に憑りついたときには消費していなかったが、それは憑りついていた時間が。短かったからだろう。
1度憑りついたら、ずっと憑りつき続けられるわけじゃない。
最初にゴブリンへ憑りついた時に1使った。
そして今、時間経過で同じだけまた減った。
つまり、憑りついている状態を続ける限り、定期的にMPを食われる。
まずい。
獲物がいない時間まで維持コストを払い続けるのは無駄が大きい。
憑りつきを解除することも視野に入れないと――そう考えた時、通路の先から低い唸り声が聞こえた。
今度こそ、いた。
霊山は憑依したゴブリンの体を壁際へ寄せ、そっと先を覗く。
そこにいたのは3体だった。
最初に目に入ったのは、黒狼。
煤けたような黒い毛並みと、赤い目。地上で戦った連中と同じ種だ。
それが2体、通路の左右にいる。
そして、その中央。
小柄な人型。
灰褐色の毛に覆われた細い体。犬に似た頭部。腰には粗末な短剣。片手には節くれだった杖のようなものを持っている。
コボルト。
霊山は直感でそう判断した。
しかも、ただの付き添いじゃない。
2体の黒狼が、そのコボルトを守るような位置にいる。
強い。
その認識は、霊山自身の判断より先に、憑依しているゴブリンの体から伝わってきた。足がすくみ、喉が引きつり、逃げたがる。使っている体そのものが、あのコボルトを恐れている。
このゴブリンじゃ無理だ。
そう結論した次の瞬間、黒狼の1体が地を蹴った。
速い。
避けさせようとした。
だが、ゴブリンの体では反応が遅れる。
黒い影が横からぶつかり、鋭い牙が憑依したゴブリンの肩口へ深々と食い込んだ。
ぎゃあっ、とゴブリンの喉が潰れたような悲鳴を上げる。
同時に、その痛みの一部が霊山にも返ってきた。
「――ッ!」
声は出ない。
それでも、霊体の芯を抉られるみたいな激痛で意識が揺れた。
【HP:14/14 → 12/14】
重い。
黒狼の攻撃そのものは地上で受けた時より浅い。
だが、今使っているのはゴブリンの体だ。耐久が低い。
まずい。
霊山は食いつかれたゴブリンの腕を無理やり振り回し、黒狼を引きはがそうとした。だが、もう1体の黒狼が回り込み、次の一撃を狙って身を低くする。
駄目だ。
間に合わない。
霊山はとっさに憑りつきを解除した。
体がふっと軽くなる。
ゴブリンの内側から、自分の意識だけが引き剥がされる。
その直後だった。
黒狼の爪が、さっきまで霊山が使っていたゴブリンの胸を横薙ぎに裂いた。
肉が裂け、骨が砕け、ゴブリンの体が軽く宙へ浮く。
次いで、コボルトの杖の先から放たれた暗い火球が腹部へ直撃し、ゴブリンは床へ叩きつけられた。
もう動かない。
間一髪だった。
ほんの少し解除が遅れていたら、あの衝撃をまともに食らっていた。
だが、安心する暇はない。
コボルトがぴくりと顔を上げた。
黄色がかった瞳が、今度は霊山自身をまっすぐ射抜く。
コボルトの口が短く何かを唱えた。
次の瞬間、杖の先から暗い火の玉のようなものが撃ち出され、霊山の胸をかすめた。
「……ッ!」
【HP:12/14 → 9/14】
魔法。
物理攻撃無効なんて関係ない。
魔法ならダメージが普通に通る。
黒狼2体が一斉に身を低くした。
コボルトの後ろから、獲物を囲うように動き出す。
ゴーストになってから、初めての憑りついている状態でのダメージに、2度目の死を予感させる。
まずい。
だったら――。
霊山は、コボルトへ憑りつこうとした。
黒狼と比べても比べ物にならないほどの抵抗を感じた。
意識の沈み込みが鈍い。
体の奥に入ったはずなのに、膜を何枚も隔てた向こうにいるみたいに遠い。
青白い板が浮かぶ。
【スキル『憑りつくLv1』】
【対象:コボルト】
【干渉率:低】
【MP:20/21→ 18/21】
低。
霊山は歯噛みする。
ゴブリンには最初から中だった。
だがコボルトは違う。
消費MPもゴブリンや黒狼よりも高い。
魔法を扱うからか。
少なくとも、ゴブリンみたいにはいかない。
――いや、知能の高さが原因かもしれない。
霊山はそう考えた。
けれど、あくまで推測だ。
確信できる材料なんて何もない。
ただ、目の前の事実として、こいつは強く、意識の抵抗が重い。
それでも霊山は諦めなかった。
闇魔法を流し込む。
黒狼の時みたいに、抵抗を鈍らせるために。
【闇魔法を発動しました】
【MP:17/20 → 13/20】
黒い靄のような感覚が、コボルトの意識の奥へ染みていく。
だが。
【干渉率:低】
変わらない。
霊山は息を呑んだ。
もう一押し、とはならなかった。
コボルトの意識はぐらついた。杖を握る手も、一瞬だけ揺れた。けれどそれだけだ。黒狼にも通じた闇魔法が通じないことに焦りを覚えた。
このままじゃ、使えない。
せいぜい視線をぶらす。
足を半歩ずらす。
その程度の干渉しかできない。
霊山は即座に判断した。
勝てない。
少なくとも、今の自分じゃ無理だ。
ここで意地を張っていれば、憑りつきを解かれるか、MPが尽きてやられてしまう。
そんな確信があった。
霊山はコボルトの杖を持つ腕を無理やり跳ね上げた。
放たれかけた魔法が天井近くの岩へ逸れ、火花を散らす。
その一瞬の隙に、霊山はコボルトへの憑りつきを解除して後ろへ引いた。
黒狼の牙が空を噛む。
コボルトが短く唸る。
追ってくる。
霊山は一気に通路を引き返した。
まっすぐ逃げるんじゃない。枝道へ滑り込み、さらに曲がる。もう一度曲がる。黒狼の唸り声とコボルトの怒鳴るような声が背後で反響し、何度も心臓のない胸を叩いた。
逃げろ。
今は逃げろ。
敗北感が焼けるように痛い。
だが、それ以上に、生き延びないと次がない。
霊山はようやく敵の気配が遠のいたところで、岩壁の陰へ身を寄せた。
【ステータス】
名前:霊山 新 Lv03/20
種族:ゴースト
HP:9/14
MP:13/20
攻撃力:0
防御力:2
俊敏:19
魔力:16
スキル:霊体/憑りつくLv1/闇魔法Lv1/物理攻撃無効/進化ガイド/霊子吸収
称号:ファーストデッド
数字を見て、霊山はゆっくりと息を吐くように意識を落ち着けた。
足りない。
ゴブリン相手なら勝てる。
でも、コボルトと黒狼2体の組み合わせには通じない。
憑りつくも万能じゃない。
干渉率は相手によって変わる。
闇魔法を使っても、いつも都合よく押し上げられるわけじゃない。
それが、ようやく骨身にしみて分かった。
霊山は壁に背を預けるようにして、暗い通路の先を見つめた。
勝てない相手がいる。
だったら、今の自分に勝てる相手を狩るしかない。
悔しさはある。
けれど、それ以上に一つだけ、はっきりしたことがあった。
進むなら、もっと強くならなきゃいけない。
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