第63話 六人でアワイチ(前編)
朝の港は、まだ夜の名残を少しだけ抱いていた。
空は薄い群青からゆっくりと明るさを取り戻し、
海の表面には細かい光が揺れ始めている。
「……なんか、今日だけ特別な朝やな」
湊が小さく呟くと、
紗季がヘルメットをかぶりながら笑った。
「そらそうやろ!淡路島一周やで?
高校生活でこんなん、今日しかできへん!」
陽斗は自転車のサドルを叩き、
「よっしゃ、行くで!」と声を上げた。
凛はストレッチしながら、
海のほうへ視線を向ける。
「朝の海って、こんなに静かなんだね……」
美咲は少し緊張した声で言った。
「私、途中でバテたらごめん……」
悠真は自転車にまたがり、
静かに言った。
「……大丈夫。
ゆっくり行こ」
その声は、
朝の空気に溶けるように柔らかかった。
6台の自転車が並び、
港の静けさを切り裂くように走り出した。
海沿いの道は、朝の光を受けてきらきらと揺れていた。
潮の香りが風に混ざり、
遠くでカモメが鳴いている。
「うわ……めっちゃ気持ちいい!」
紗季が叫ぶ。
「これぞアワイチやな!」
陽斗が笑う。
凛は後ろから声をかける。
「飛ばしすぎないでよー!」
湊は地図を片手に言った。
「最初は平坦やから楽勝や。
問題は後半やな」
美咲は風を受けながら呟いた。
「なんか……
“島を走ってる”って感じするね」
悠真は前を見たまま、
「……風、ええな」
とだけ言った。
その言葉に、美咲は小さく笑った。
1時間ほど走ると、
海沿いのベンチに座って休憩した。
潮風が髪を揺らし、
波の音が一定のリズムで耳に届く。
「思ってたよりしんどいな……」
紗季が水を飲みながら言う。
「お前、最初飛ばしすぎやねん」
陽斗が笑う。
凛はタオルで汗を拭きながら言った。
「でも、まだまだ行けるよね」
湊は空を見上げた。
「せやな。
ここからが本番や」
美咲は海を見つめながら言った。
「6人で走ってるってだけで、
なんか胸いっぱいになるね」
悠真はカメラを構え、
波の音を録りながら言った。
「……音、綺麗」
その声は、
海のリズムと同じくらい静かだった。
昼前。
ついに最初の坂が現れた。
坂は空に向かって伸びているようで、
陽射しがアスファルトを白く照らしていた。
「うわっ……これ絶対しんどいやつ!」
紗季が叫ぶ。
「行くしかないやろ!」
陽斗が笑うが、
その笑顔も少し引きつっていた。
凛は深呼吸して言った。
「ゆっくりでいいよ。
押してもいいし」
湊は後ろを振り返る。
「美咲、大丈夫か?」
「うん……
ちょっとしんどいけど……
でも、みんなとなら行ける気がする」
悠真が横に並んだ。
「……合わせる。
無理せんでええ」
美咲は頷き、
6人はゆっくりと坂を登り始めた。
ペダルが重く、
息が上がり、
汗が額を伝う。
でも、
誰も置いていかなかった。
誰かが遅れれば、
自然と速度が落ちた。
誰かが苦しそうなら、
誰かが声をかけた。
坂の上に着いたとき、
海が広がっていた。
陽射しを受けて青が深まり、
風が頬を撫で、
水平線がゆっくり揺れていた。
「……来てよかったな」
湊がぽつりと言う。
「うん……ほんまに」
美咲が涙を拭った。
悠真は海を見つめたまま言った。
「……綺麗や」
その声は、
風に溶けるように静かだった。
午後。
海沿いの道を走る6人の影は、
少しずつ長く伸びていった。
「影、めっちゃ長い!」
紗季が笑う。
「俺ら、主役やからな!」
陽斗が叫ぶ。
凛は風に髪を揺らしながら言った。
「夕方の海、綺麗……」
湊はペダルを踏みながら言う。
「この時間帯、ほんま最高やな」
美咲は風を受けながら呟いた。
「……ずっと走ってたいね」
悠真は前を見たまま言った。
「……みんなで、な」
その言葉に、
誰も返事をしなかった。
でも、
胸の奥が少しだけ温かくなった。
夕陽が傾き始めた頃、
六人は後半戦へと向かっていった。
アワイチはまだ続く。
でも、
“六人で走る”という奇跡は、
もう十分すぎるほど始まっていた。




