第三章 不調の訳
ファルシスさんが式典中に暴れた翌日――昼の日差しが照りつける中で、鉄筋コンクリート造りで建てられている古い洋館の中は静寂が支配していた。元々僕しかいない上に、同居人である彼女が寝込んでいるからだ。
「ファルシスさん……大丈夫かな?」
ファルシスさんの過去――生い立ちを知った僕は、今日から二階の寝室で寝込んでいる彼女が就寝している部屋のドアを見詰めながら、二階の廊下を掃除していた。調度品は置いていないし、絵画も掛けていない。金を貯めないといけないので、贅沢品は置いていないのだ。
バーリーさんの調べた書物では、惑星ヘルの一国であるミレニアム聖帝国という、このロンベルト聖皇国のような宗教国家にファルシスさんは所属していたようだ。そして彼女の実家――コーウェル家は、政治、軍に於いて優秀な人材を輩出していた名家らしい。その名家の中でもファルシスさんは特別だった。何と彼女は天使達を使役する事が出来たのだ。
通常は天使一体なのだが、彼女の場合は上級天使も使役できるし、果ては天使の軍団を形成する事が可能という事。
天使は聖なる象徴。
だからこそファルシスさんは、幻の魔王となったらしい。天使を率いるファルシスさんの存在は、教会上層部や各国の指導者にとって都合が悪すぎたのだ。勝てば官軍――負ければ賊軍。バーリーさんは、勝利者は真実を捻じ曲げ、闇に葬る事が出来る。そう言っていた。それはそうだろう。
そしてその事を知った。昨日の会談中に、である。
あれは……不味かったな……。
ファルシスさんの記憶から伝わったシャリス=ラバリ。確かに僕と驚くほど、瓜二つだった。
だが似ているのは、容姿と声色だけだ。記憶の残滓から伝わった『彼』の大きさには到底敵わない。僕はシャリス=ラバリではないのだ。格が違いすぎる。僕は正直そう感じていた。
僕は何て事を……! 彼女は枢機卿だぞ……!
「はあ……」
僕は溜息を吐いて左の掌を見る。自分が昨日、ファルシスさんにした行為を思い出したのだ。
解かりやすくいえば、大臣に手を上げたようなものである。
彼女はシャリス=ラバリと同格の人物。必要だったとはいえ、そんな立派な御仁に僕は……。
暫らく掃除をしていると、玄関にある呼び鈴が鳴った。誰だろう?
僕は急いで一階に降り、玄関に行ってドアを開けた。
「はーい!」
「おはよう。リオ君?」
殺気立ち、どす黒い闘気を纏ったサキエさんが買い物袋を両手に持ちながら、そこに立っていた。
「サキエ……さん?」
この人は本当にサキエさんだろうか? 偽者?
本気でそう思った。何時も涼やかな感じのサキエさんではない。僕も余り知っている訳ではないが、戦闘中でもこんなに殺気を放ったりしないだろう。だが、闘気の質は間違いなく本物だ。
「リオ君? 上がっても良いかしら?」
「あ……どうぞ。上がってください」
サキエさんは僕の了解を得ると、すたすたと台所に向かう。台所にも不要な物は置いていない為、最低限の物しか置いていない。調理器具とかまな板等である。
ドスン! と、手荷物がキッチンの台に置かれる。
「彼女、元気が無いのでしょ? だからそんな時は精を付けてよく眠らないと、ね?」
キッチンから調理器具を用意したサキエさんは、凄まじい速度で調理していく。
速い……! 僕の調理速度の三倍はある……!
サキエさんの調理速度に驚嘆しながらも、僕は疑問をサキエさんに訊く事にした。
「あの、サキエさん。ファルシスさんが元気が無いのを、何故知っていたのですか? 僕はまだ誰にも話していないのに……」
そこでサキエさんは、調理の手を休める。
「彼女、気落ちしていたでしょ? だからそう思ったの♪」
なるほど。それは納得。しかし、僕はそれと同時に疑問に思う。
――サキエさんの笑顔が引き攣っている事にだ。
僕は密かに買い物袋を覗く。そこには代表的な精のつくものがあった。マムシ、スッポン等々。
へえ~。一応、ファルシスさんが不調なのを見抜いただけあって、良い食材を買って来てくれたな~。これなら……ん?
何か小瓶のようなものが、入っている。僕は買い物袋に手を突っ込むと、それは紫色の怪しい液体であった。
先程のサキエさんの言葉を、脳内に反芻する。
まさか……!
先程の「良く眠らないとね」の言葉が引っかかったのだ。
「サキエさん! 毒殺して永眠させたら駄目ですよ!」
「よく見てリオ君! 毒薬じゃあないわ!」
よく見ると毒薬じゃあなかった。睡眠薬だった。
現在は午後十二時二十五分。昼食をファルシスさんの部屋に運んだ。ここも簡素でベッドと――大気中のマナを動力とする――【時計】しかない部屋だ。
ファルシスさんは現在水色基調のパジャマ姿。サキエさんのお古だが、よく似合っている。
はっきり言おう。パジャマを着た事で妖精の様に可愛らしく、元が元だけに美しい。この相反する二つが重なり合って、ファルシスさんの魅力を最大限に引き出していると言っても過言ではない。
「調子はどうですか?」
僕はだるそうなファルシスさんに敢えて訊いてみる。
「調子は良くない……だるいのだ……」
本当に辛そうに言うファルシスさん。
だから、現在のファルシスさんは、
「このままでは……! 私を護ってくれたシャリスに顔向けできぬ……!」
気力は戻ったものの、体力が衰えていくばかりに見えた。僕は彼女をちらりと盗み見る。彼女の右頬には昨日僕が叩いた痕が目に入った。少し腫れている。
だがそんな自分に気付かされた。ファルシスさんを見下ろしていた僕は、彼女に見惚れていた事に……。特に胸が気になる。サイズが合わないのか、胸がはち切れんばかりにぎゅうぎゅうになっており、僕の視線はいつの間にかその谷間に釘付けだった。
ファルシスさんが襟首に指先で摘まんで震わせると、彼女のたわわな胸元がたゆゆんと揺れる。それを見た僕は彼女の胸をついつい凝視してしまう。
お、大きい……。
「お主どうした? そんな真っ赤な顔をして……」
僕を見上げるファルシスさんに、サキエさんは、
「リ~オ~君?」
先程よりどす黒いオーラを発しながら、僕に顔を近づけて来た。心なしか額に青筋を立てているかのようにも見える。
あわわ……。いけない。
僕は顔を赤いのを誤魔化す様に、ファルシスさんに向き直り、
「済みません。少し遅くなってしまいましたが、昼食です。良かったらどうぞ」
昼食のスープを彼女に手渡す。
「うむ。何から何まで済まんな……」
スープを受け取ったファルシスさんは、スープを手に取り、上品に口に運んでいく。
「ふむ。美味いな。リオ殿が作ったのか?」
心なしかファルシスさんの顔が緩む。
ほっ。口にあったか。僕が作ったわけではない。しかし気になっていた。何故かサキエさんは怒っていたし。ワザと口に合わない料理を作る場合も考えていたのだ。それはもうはたから見て気が気ではなかった。
「いいえ。サキエさんです」
僕からそれを聴いてファルシスさんは苦い顔をする。
「…………まあ良い。食べ物に間違いないのだからな。毒は入っていないのだろう?」
ファルシスさんの質問に、サキエさんは冷や汗を掻く。
「…………ええ。勿論よ?」
勿論毒は入っていない。睡眠薬もだ。
それはともかく、サキエさんの態度に不審を抱いたのか、
「何故微妙に疑問形なのか聞き質したいが、まあ良い。リオ殿。食事も済んだ事だし、少し出ていってくれぬか?」
ファルシスさんのその言葉に、サキエさんはいち早く反応した。
「ちょっと酷いじゃない⁉ 幾らVIPだからって! リオ君はここの家主なのよ! 家を出ていけとは何様のつもり⁉」
「誰が家を出ていけと言った! 私は着替えたいから部屋を出て欲しいと言ったまでだ!」
サキエさんの勘違いにファルシスさんは反論する。
「着替えたいって、ファルシスさん、どちらに行かれるのですか?」
「それは分からぬ。行く当てがないからな」
それを訊いて僕ははっきりと言う。
「それでは認められませんよ。ファルシスさん」
「何故だ? リオ殿」
「ファルシスさんが心配だからです。行く当てがないのに、貴女はどうやってこの星で暮らしていくつもりですか?」
「それは……」
ファルシスさんが俯いた。それを見た僕は決意する。
「シャリスさん」
「え?」
僕の出した名前に、ファルシスさんは顔を上げた。
「シャリスさんは貴女を護る為……故郷に帰す為に『時間凍結』の術を掛けたのでしょう? 家族がいない孤児院の生まれだった彼は、温かい家族がいるファルシスさんに生きて貰いたかった! 僕はそう思います!」
真摯な目で訴える僕に対し、
「お主、何故その事を……⁉」
ファルシスさんは驚愕の表情をする。それはそうだろう。普通の人は過去を『見通す』事は出来ないものだ。
「僕は『見通し』たんです。貴女の過去を。その……ごめんなさい! 昨日の事を含めて済みませんでした!」
僕は頭を下げる。
だが、ファルシスさんはそれどころではなかったようだ。
「『法眼』⁉ 貴様、〈資格者〉だったのか⁉」
ファルシスさんは修羅の如き殺気を放ち、僕に襲い掛かってくる。
刃!
右手に魔力刃が生まれる。聖霊と契約しているヘルの民は、呪式無しで通常魔法を扱えるのだ。呪式を唱える必要のない程の魔力を聖霊から与えられるからである。
とにかく、病人とは思えない動きで僕の首に狙いを定めてきた。
聖刃!
【メルキゼデグ】を展開。応戦する。
だがここは寝室。室内だ。
寝室の為にある程度広いが、それでも室内に変わりはない。ハルバードは室内戦闘向きでは無いのだ。
「ファルシスさん、どうしたのですか⁉」
「うるさい! 〈資格者〉が! 信頼した私が馬鹿だった!」
「どういう意味ですか⁉ とにかく止めてください!」
一体病人である彼女の体に、こんな体力が残っていたのだろう? ファルシスさんの攻撃に僕は次第に押されていく。
「貴様ら〈資格者〉は信用出来ぬ!」
何故〈資格者〉は信用できないのか――と、一瞬思ったが、考えている場合じゃない!
閃光のような攻撃に僕は捌き切れなくなり、魔力刃が僕の首に迫る!
死ぬ⁉ 僕はこんな処で死ぬのか⁉
妹の顔が過ぎったその時――。
「生み出し風、集いて我が剣に宿りて、兇刃と化せ!」
風の良刃!
サキエさんの野太刀に緑色の呪式陣が纏わり付き、刃が緑色に煌めく。
サキエさんが野太刀でファルシスさんの攻撃を防いでくれた。
「ちょっと、リオ君は貴女の恩人でしょう⁉ なのに何⁉ 今の言い草は!」
サキエさんは『鬼眼』を発動させ、一気に押し返す。
「そう言えば、貴様も〈資格者〉だったな。邪魔立てするなら貴様も殺す!」
脅されたサキエさんは、ファルシスさんから僕を庇うように、
「するわよ! わたくしのリオ君が殺されそうになって、何もしない訳がないでしょう⁉」
それを聴いたファルシスさんは呪式を唱える。
「ならば容赦はせぬ! 雷と原子核の権化に、美徳の権化、宇宙を司る双天使よ、我が呼びかけに応えよ!」
能天使! 力天使!
しまった! と思ってももう遅い。呪式は完成した。
…………………………。
しかし、何も起きない。あの二体の天使は姿を現さない。その代わり、
「ぐっ……⁉」
ドスン! と、ファルシスさんが僕に向かって倒れ込んだ。
そしてまたもやディープキスをしてきた。
「ん……んあ……ん……んん……んあ……むぐ……」
またしても腰砕けになる僕。ファルシスさんを抱え込んだまま床に倒れ込むかのように、へたり込む。
どうしちゃったの? 僕の体は? 力が抜ける……。
そう思った時、僕とファルシスさんは、サキエさんによって引き離される。
「何をしているのよ! 貴女は!」
サキエさんは殺意を持って、ファルシスさんの首筋を圧迫した。
「サキエさん! 止めてください!」
僕はサキエさんをファルシスさんから引き離そうと、羽交い絞めする。
「ごほっ……! ごほっ……! 貴様、何をするか!」
どうやらファルシスさんの意識が戻った様だ。良かった。
「止めないでリオ君! こいつをお花畑に送って、川を渡らせるのよ!」
そう言ってサキエさんは暴れる。その彼女を羽交い絞めしながら僕は言った。
「だからそれは止めてくださいって! サキエさん!」
「嫌ですわ! 三途の川に渡らせるの!」
東亜国の伝承にある川だ。その川を渡ればあの世にいけるという。
「サキエさん! それじゃあ、本当に死ぬでしょう!」
僕の言葉に、ピキッ――と、固まって彫像と化すファルシスさん。
後で聞いたのだが、本当に三途の川にいたらしい。
現在、室内の【時計】は午後の一時五十分。
その後ファルシスさんはこちらを警戒しながらも、僕を攻撃するのを止めた。
止めてくれたのだけども……。
「ぶはははははははははははは!」
テーブルと椅子――そして【時計】しかない簡素なダイニングで、あの後やって来たバーリーさんが大爆笑している。
ダイニングでは僕とサキエさんにテーブルを挟んで、ファルシスさんとバーリーさんだ。
「バーリーさん。そんなに笑わなくても……」
僕は呆れ声で呟く。
「そうよ! リオ君の言う通りだわ!」
「こやつと同意なのは超越的に不快だが、同意見だ……」
サキエさんとファルシスさんは憮然とする。
「腹よじれる〰〰〰〰〰〰〰〰〰!」
「ちょっとバーリーさん! 不謹慎じゃない⁉ 人が死にそうになったのに、それを笑うなんて!」
「実行者がそれを言うのはどうかと思うが? まあ、またしても貴様と同意見なのは超越的に不快だが同意見だ。自分が死にそうだったのを笑われるのは、不快極まりないからな……」
まだ笑っているバーリーさんに対し、氷より冷たい視線を送るサキエさんとファルシスさん。
しかしバーリーさんは動じた様子もない。
「いや、でもさあ~。ぷっ。嘗て恐れられた伝説の三魔王に比肩する力を持つ幻の魔王であるファルシスさんが、嫉妬に狂った女性に殺されそうになるなんて。二〇〇年前の人達が聞いたらどんな顔をするかと思うと……――っ、ぶははははは!」
この人も良い度胸しているよなあ。当事者を前にして言っているのだから……。
「はあ。バーリーさん。笑いに僕の家に来たのですか?」
僕が皮肉をいうとバーリーさんは手を膝にぽんと叩く。
「はは……っと。二つの用事があって来たのだった」
「あ。僕、買い物にいかなくちゃ……」
ワザとらしく、ぽんと手を打って立ち上がる。
バーリーさんの用事は碌な事が無い。
実際、この人の用事で碌でもない事が起こったのだ。
しかしバーリーさんはそんな事を忘れているのか――バーリーさんは待ったを掛ける。
「まあ、オレっちの話を聴けや。リオっち」
「オレっち?」
ファルシスさんが訝しむ。
そこでバーリーさんは顔に片手を置く。
そういえばファルシスさんは、バーリーさんの言葉使いを知らない。笑い過ぎて彼女が何者かを失念して化けの皮が剥がれたようだ。
「それが地か?」
「ええ。まあ、そうっス」
ファルシスさんの問いに、バーリーさんは肯定する。
「ふむ。我々の周りには、いないタイプの言い回しだな。だがまあ解からんでもない。我々神官には、その様な言い回しを嫌う者もいる。だが、私の前では遠慮は無用だ。素でいいぞ。硬い言い回しはストレスが溜まる。何事も自然体が一番だからな」
さすがファルシスさん。枢機卿の肩書は伊達ではない。実際偉いのに、一つも偉そうにしない。
「本当っスか? ファルシスさん」
「うむ。バーリーとやら。二言は無い」
「では!」
バーリーさんはファルシスさんに近付き、
「ファルちゃ~ん❤」
彼女の臀部を撫で回す。
「ひっ⁉」
不意打ちを喰らったファルシスさんは、短い悲鳴の後に呪式を唱えた。
「このっ――痴れ者が! 神国を護る三体の天使達よ、ここに顕現せよ!」
権天使達!
「うぎゃあああああああああああああああああ!」
バーリーさんはファルシスさんに召喚された権天使三体に私刑にされた挙句、簀巻きにされて窓から放り出された。
一体、何を考えて生きているのだろう? この人。
「ねえ。この【縄】を解いてくれないっスか?」
日中、外でぐるぐる巻きにされて草木が生えていない大地で転がっているバーリーさんが、処遇改善を要求。
窓側にいる僕達三人を上目遣いで見ている。瞳には涙を溜めていた。
「「「却下!」」」
だが被告人の要求は却下される。
「全く! 言葉使いを許しただけだというのに、あの様な破廉恥極まりない行為を……! 超越的に不快極まりないわ!」
ファルシスさんの怒りの視線。
「本当に最低ですわね」
サキエさんは冷淡な視線を。
「バーリーさん。何を考えているのですか?」
僕の呆れた視線。
「うう。ちょっとしたスキンシップじゃないっスか……」
三つの視線にさらされても猶、バーリーさんは毒つく。行為自体に悪気は皆無。それが問題だ。自分は悪いと思っていないのが、一番タチが悪い部類である。
それはともかく、
「家に入れてくれよ! ファルちゃんに関する一番重要な事なんスから! ね⁉」
ファルシスさんは、バーリーさんの言葉に興味を抱いたようだ。【縄】を解かずに家に入れる事にした。
「――で、重要な事とは何だ?」
先程の事を根に持っているのか――高圧的な言い回しで、真昼の日差しが照らすダイニングで権天使に運ばれたバーリーさんに訊く。
「その前にファルちゃ――」
刃!
たら~とバーリーさんの頬から血が滴る。掌から魔力刃を生み出し、それがバーリーさんの頬を掠めたのだ。
「その言い回しで言うな……! 貴様に愛称で言われるのは、超越的に不快で不愉快だ!」
どうやら察するに、「愛称で言ったら殺す」の意らしい。
それにしても懲りないな~。バーリーさん。
「済みません。了解っス。では……ファルシスさんでいいっスか?」
「まあ、それで良かろう。それで?」
ファルシスさんは、バーリーさんに話を促す。
「ファルシスさん。目覚めてからここの処、調子がおかしくなかったっスか?」
「うむ」
「やっぱりそうじゃないかと思ったっス」
え?
「どういう事ですか? バーリーさん」
「リオっち。ファルシスさん達ヘルの民は、生命維持にマナが必要不可欠なのだよ。ヘルの民が聖霊と契約を結び、使役するのは君も知っているだろう?」
「はい」
そんな事は巷の子供でも知っている。
「その契約によってヘルの民は聖霊の力を授かり、行使できるのだが、諸刃の剣でもあるのさ」
「と、言うと?」
サキエさんに促されて、バーリーさんは口を開く。
「聖霊の強さにもよるが、一定以上マナを体内に取り込まなければ、聖霊と共にあるヘルの民は命を落とス。まあ、マナが無くとも持ち前の生命力である程度、生命維持出来るけどね。ともかく、ファルシスさんがどの位強力な天使と契約しているのか分からないけど、枢機卿だったのだから、かなり強力な天使と契約しているのは推察できる。だから、現在のマナ濃度では、ファルシスさんにとっては酷な環境だという事なのだよ」
更にバーリーさんは言葉を紡ぐ。
「ヘルの欲した【星種】。南の大陸にあると言われている世界樹から生まれる種で、新たな世界樹を生み出すモノだ。死に掛けた惑星を蘇(よみがえ)らす為に必要だったと、あちらから同盟締結時に情報公開されている。二〇〇年前に【星種】を精製した事により。この惑星にあるマナは大きく減衰。大戦終結当初は、それによって異常気象が起こっているっス」
そこでサキエさんが引き継ぐ。
「約二〇〇年経った今では、ようやくマナが戻りつつあるわ。異常気象の方は約一〇〇年前に沈静化しているのだけどね。同盟締結時ではヘルの民が住むのが困難だったこの惑星でも、今はそれなりに住める星となっているのよ……」
御二人の説明を受けたファルシスさんは自嘲の笑みを浮かべつつ、
「なるほど。自業自得という訳だ。済まなかった」
ファルシスさんは頭を下げる。
「頭を上げてくださいっス、ファルシスさん。貴女を糾弾しに来たのではないっスよ」
「しかし……」
「そうですよ。バーリーさんの言う通りです。それでバーリーさん。原因は解かりました。それで対策はあるのですか?」
僕の言葉に、バーリーさんはあさっての方向――サキエさんの方を向いて、
「うむ。それでだ……。サキエちゃん。君は真実を受け止める勇気はあるかね? 辛(つら)い真実を……」
いきなり妙な事を口走るバーリーさん。
おお。バーリーさんが神妙な顔になるのは初めてだ。
「はい?」
「いきなりこんな事を言われて、サキエちゃんが戸惑うのは解かる。それに、真実を受け受け止めなくてもいい。ぶっちゃけ、そこにある【拘束具】を嵌めてくれっス」
バーリーさんの目線――その先には、一つのバッグがある。その中身は黒をベースとした両手両足を拘束出来る【拘束具】があった。それは第一級囚人拘束具に似ており、恐らくバーリーさんが、アレンジを加えたものだと思われる。それはつまり、サキエさんが怒りやすい話だという事だ。
「リオ君が関係するって事ですか?」
「まあその通りっスよ、サキエちゃん。因みにそれを付けない場合は話すのを拒否させてもらい、帰らせて貰うっス」
バーリーさんの宣言にサキエさんは拒否。
「嫌ですわ。何故わたくしが【拘束具】を付けなければいけないのですか? わたくしはどんな話でも大丈夫です。バーリーさん」
「ふうん。ではオレっちは帰るっスよ? 良いのかな?」
「サキエさん……」
僕は見上げてサキエさんの瞳を凝視する。するとサキエさんはバツの悪い表情になる。
「ゔゔ……………………承知しましたわ」
サキエさん自ら【拘束具】を嵌めていく。そしてバーリーさんは【拘束具】をちゃんと着用したか確認しつつ、
「さて、先程の通り、リオっちに纏わる話なのだが……よし! OKっス! ファルシスさん」
「なんだ? バーリーよ」
「オレっちの仮説が正しいのならば、封印が解かれた時から貴女は、最初から危険な兆候があったはずっスよ」
「うむ。今程ではないが確かに兆候はあった。お主の仮説は正しい」
バーリーさんの立てた仮説に、ファルシスさんは頷く。
そしてバーリーさんは、
「ならば何故、あの騒動でファルシスさんが天使を複数召喚出来たのか? しかも騒ぎの後半では能天使と力天使の二体の中級天使を召喚しているっス。何故だと思いまスか?」
ファルシスさんは少しの間、考え込むように一時目を閉じて、
「確かあの時……途中から体が軽くなって、力が湧いてきたのだ。大気中にマナが無かったとすると、別の要因でマナの補給がなったという事か?」
ファルシスさんの言葉にバーリーさんは、「我が意を得た」と言わんばかりに満足げな笑みを浮かべる。
「ええ。そうでス。貴女はマナの代替……もしくはマナそのものを手に入れ、吸収した事になりまスね。基本的に食物から摂取したエネルギーを体内で精製し、純質化したマナを作りだす事も出来まスが、それでは三十人前の食物を摂取せねばならないので、理論上不可能でスし、それに何より貴女は起きたばかりで、何も口にしていないのでスから」
うえ。三十人前。胸焼けしそう。
サキエさんの方を一瞥すると僕と同じ考えだったのか、胸焼けを起こしそうな表情になっていた。するとファルシスさんは、
「何だ、その表情は? 私はそんな大食いではないぞ⁉ 超越的に不快だ!」
さも「心外だ」という表情になるファルシスさん。
「まあまあ。落ち着いて。冷静になりましょうっス」
バーリーさんがファルシスさんを窘める。
「そうだな。お前を見ていると落ち着いてきたぞ」
蓑虫状態のバーリーさんを観察して、ファルシスさんは深海より深く落ち着いたご様子だ。
そのバーリーさんは、
「それは何より。とにかくシンプルに考えると、貴女は外部からマナを摂取した事になるっス」
「ちょっと待ってください。大気中にマナがファルシスさん程の使い手にとっては、酷な環境だと先程から言っているじゃありませんか?」
僕の疑問にバーリーさんは「ちっちっち」と言ってから、
「外部=(イコール)大気中ではないのだよ。リオっち? ファルシスさんがマナに変わるものを摂取……もしくはそのものを摂取スる機会は一度だけあったのだよ。ある特定の人物からね」
にんまりと人の悪い笑みを浮かべて、バーリーさんは僕を見据える。
「「「まさか……⁉」」」
それで思い至ったのだろう。僕、ファルシスさん、サキエさんの三人が唱和した。
「僕……ですか?」
「そうだよ。リオっち。君はファルシスさんと接吻しただろう? しかもかなりのディープなやつを」
そのバーリーさんの言葉に僕とファルシスさんは顔を赤らめた。
「「…………」」
僕とファルシスさんは、口に手を当てて無言。そして見詰め合う。
そういえばファルシスさんの唇……柔らかかったな……。
ファルシスさんに、僕のファーストキスを奪われた事を思い出した。実に気持ち良かった事を――近くにサキエさんがいる事を忘れて。
「リ~オ~君?」
北風より寒い空気に晒されて、僕は急いでバーリーさんに話の続きを急かす。
「そ、それで! それが一体何の関係があるのですか⁉」
「魔力容量とマナの相対理論走っているだろう? 魔力は精神力を――マナは魔力を媒介に行使するから容量は同じってのを」
「はい。バーリーさん」
「そして君が攻式魔法を使えない事だ。リオっちの魔力量は超一級の容量を持っている。しかし制御するのが未熟なため、比較的制御が簡単な守式と補助式――そして癒式しか使えない。攻式魔法を使おうとすれば、魔装武具の核である華石が破裂する」
そう、バーリーさんが指摘したように、それが僕のコンプレックス。攻式魔法さえ使えれば戦術の幅がもっと広がるのだが……。
「それが……どうかしましたか?」
僕はぶすっとした表情で、バーリーさんに訊く。
「その原因を究明するために以前、身体検査の時にリオっちの血液を調べた時があっただろ? その時に、君の血液の中にマナと思しきモノが検出されたっスよ」
「…………知りませんでした」
大丈夫だろうか? そんなものが見つかって……。
不安になった僕に対し、バーリーさんは言う。
「大丈夫。心配ないっス。悪い事なら知らせているよ。別に害は無いから知らせなかっただけっス」
「そうですか……」
僕は胸を撫で下ろす。
「じゃあ……」
「ああ。君の唾液――体液にはマナが含んでいると思われる。だから君の唾液を摂取したファルシスさんは、マナを補充出来たと思われるっス」
バーリーさんのその言葉にファルシスさんは眉を顰める。
「ある程度?」
眉を顰めるファルシスさんに、バーリーさんは説明を続けた。
「唾液では完全に回復しませんので。もっとマナを含むモノで補充しないと。つまり、栄養を多く含む体液が一番っス」
「じゃあ、血液を摂取すれば……」
僕の提案をアッサリと否定するジェスチャーをするバーリーさんは、
「ちっちっち。確かに血液は濃厚なマナを含んでいる体液だけど、摂取は無理。大気に触れれば、マナは失われるっス。だから直接摂取する必要性がある。接吻のように、ね?」
どうも雲行きが怪しい。
「では、バーリーよ。一番の方法とは何なのだ?」
ファルシスさんの問いに、バーリーさんはにたりと嗤う。
「ふっふっふ。オレっちの理論的推理が正しいのなら、リオっちから一番良い形で摂取するには唾液なんぞより遥かに濃厚に満ち溢れた生命力を持っている体液っス。それは遺伝子を次世代に残す重要な体液で、正式名称……其の名は精液! 新しい生命を生み出すために、毎夜彼の雄性生殖器で作られている体液だ。恐らく血液よりも濃厚なマナがあると思われるっス!」
僕は口を開けたまま硬直。ファルシスさんを一瞥すると、彼女は顔を真っ赤にしている。サキエさんは……わなわなと振るえていた。
僕達三人を無視するかのように、バーリーさんは淫猥な言葉を続ける。
「摂取方法は行内でもいいが、やっぱり膣内が一番! さあ善は急ぐっス! オレっちが持ってきた鞄の中にはアイテムも入っている! リオっちにファルシスさん! 両者存分に励むが良いっス!」
バキン!
【縄】から抜け出した片腕で親指をバーリーさんが、グッとおったてた瞬間――鎖だったものが散らばった。
「そんな馬鹿な……! ドラゴンでも破壊出来ない程、強化していたのに……! 侮りがたし……! 恋する乙女心!」
そんなに強化していたんかい!
僕が心の中でツッコミを入れている間、バーリーさんは蓑虫状態から抜け出そうと必死になっていたが、蠢くだけだ。
「覚悟は……良いですか?」
サキエさんは鬼夜叉の様に表情は怖く、双眸は赤く光っている。
僕は戦慄する。今からバーリーさんがこの部屋で、血祭に上げられると思ったからだ。
しかし、バーリーさんは不敵な笑みを浮かべ、
「ふっふっふ。サキエちゃん。オレっちを血祭りに上げるのはまだ早いぜ?」
その言葉にサキエさんは激昂を抑えた。
「…………どういう意味ですか?」
「用事は二つあるって言っただろ? 局長から伝言を預かっているのさ」
バーリーさんから局長の伝言と聴いたサキエさんの瞳は、黒瞳に戻る。
理性を取り戻したようだ。良かった。これで|この部屋が汚れないで済む《・・・・・・・・・・・・》。
バーリーさんはサキエさんに言伝を言う。
「局長命令だそうだ。リオっちとサキエちゃんは、惑星ヘルの大使である、メイケル=ランサー氏に会い、ファルシスさんの事を伝えてこいってさ。勿論今日中に、だ」
部屋の【時計】は現在、午後二時過ぎ。馬車で飛ばして行けば二時間掛かる――十分間に合う時間帯だ。
「そうですか。でも、お仕置きしてからでも遅くはないですねー♪」
やっぱり、そう思いますかー?
僕がそう思って涙を流した時、再びサキエさんの瞳が血色に染まる。
「辞世の句は出来ましたか?」
「うぎゃああああああああああああ!」
結局サキエさんの怒りが爆発した十分後、ダイニングは鮮血で汚れた。とほほ……。
「いつ見ても広いな~。聖武局本部以上じゃないか?」
夕刻、馬車から降りた僕は感想を漏らす。
外見はさほどごてごてしていないが、二重の防壁に囲まれている巨大都市並みの大使館に到着した。何かの建物も多数ある。軍事施設な為に中は見られそうもない。
「噂では約六千の将兵が駐屯し、〈デーモン〉を含む戦術級兵器を多数持ち込まれているらしいですわ。さすがに大使館という建前上、戦略兵器は持ち込まれていないらしいですけど、それだけでもこの北大陸に存在する国家――五分の一に対して、十分な戦力と言えるでしょうね」
サキエさんの説明に頷いて僕は、バーリーさんの話を思い出した。
「バーリーさんの話では確か、メイケル大使は統合軍には十七歳から入隊して、二十五歳の若さで三級将官に任じられたエリートらしいですね。その将官となった彼の任務はこの惑星の監視らしいです」
「そう。でも何で?」
サキエさんの問いに僕が答える。
「メイケル大使をやっかんでいる者は少なくないらしいのです。何せランサー家は、二〇〇年前までは、国の中枢を担う一族であったそうですよ。最も二〇〇年前に優秀な者はここの惑星に派遣され、死に絶えたらしいです。それからケチが付いた様にランサー家は、平凡な者しか生まれなかったらしいですよ。だからこそ、彼が国の中枢を担う者として他の者からやっかまれているらしいです。因みにランサー家は侯爵家の分家だそうですよ。今は名ばかりで、国政に口を出せない没落貴族らしいですが……」
「ふ~ん。そうですの……。とどのつまり、厄介払いされたのね? ここの惑星にある国際連合政府から要望があれば、メイケル大使は先陣をきって戦わなければならないもの。どうやらメイケル大使をやっかんでいる連中は、彼の戦死がお好みらしいわね? 前任者も戦死しているし……」
サキエさんが何かを考え込むので僕は彼女に訊く。
「どうしたのですか? サキエさん」
「いえ。メイケル大使は本当にそんな連中の思惑通りにいくタマかなって思ったのですわ。メイケル大使は〈デーモン〉討伐によって着々と戦功を上げているから……。でも、どうやら、惑星ヘルの国は腐敗しきっているようね」
サキエさんの考えに僕は頷いた。
「その様ですね。バーリーさんも言っていました。賄賂と政治力で出世する輩が多いと。大した能力を持たない者が成り上がり、能力があっても生まれと金が無いため、出世出来ない者が多いと……。だからこそ、メイケル大使は出世する事を目指しているそうですよ。生まれと金で出世する輩を追い抜いて、現在間違った常識を覆す為に」
好感が持てそうな人だ。
喋るのが苦手な僕でも、こんな人なら話も弾むだろう。
「それにしても、バーリーさん。そんな人と懇意にしているなんて。顔の広い人ね。さあ、行きましょう。リオ君」
僕達は門番の兵士に近付く。一人は低く肥っている男で、もう一人はひょろ長く痩せ過ぎな男だ。何か凸凹コンビだな。
「そこの二人、そこで止まれ! 何者、であるか⁉」
まず、ひょろ長い方が言い。
「答えろ、であ~る!」
小太りの男が言って、門番の二人は手に持つ槍で身構える。
「武器を収めてください。聖武局から来たサキエ=ホムラ師聖ですわ」
サキエさんは頭を少し下げた。
「同じく、リオ=マルクス師聖です」
僕もサキエさんに習い、頭を下げる。そこでひょろ長い門兵が、
「話は聞いている。が、身分証明を提示してもらおうか、であるぞ」
僕とサキエさんは【指輪】に魔力を籠める。すると、僕達の顔と身分証明の映像が、虚空に映し出される。それを肥って背の低い門番が確認し、
「よし、通っても良い、であ~る」
二人の門兵は構えを解いたのだ。
「お待たせしました。あたしはミスティル=バーシュ。副司令官を務めている者です」
折り目正しい礼をして現れたのは、蒼い軍服に身を包んだ女性高級将校だった。階級章から察するに一級佐官だろう。国連軍の階級で言えば、大佐に相当する。年齢は二十代前半だろうと推察。ショートカットにした髪型で中性的な美貌をしており、スリムな肢体で長身の立ち姿は凛としていた。髪と瞳は勿論蒼い。美人だが冷徹な印象を受ける女性である。
あの後――門を通された僕達は丁重に迎えられ、食事の用意が整うまでと、嫌味が無い程度に豪奢な調度品や絵画が掛けられた控室に通された。その後、何のトラブルもなくここに通されたのだ。
待つことしばし。そして今は午後の六時三十分。
「食事が整いました。既に司令もお待ちです」
ミスティルさんの言葉に僕達は無言で顔を見合わせ、頷く。
いよいよこれからである。
う~。緊張してきた。何せ相手は貴族でありながら将官である。それに噂で聞いただけだが、相当な腕前らしい。
「「分かりました」」
答えて席を立つ僕とサキエさん。
扉を潜り、ミスティルさんの案内するままに程なくしてから、僕は彼女に訊く事にした。
「何故、あれだけ時間が掛かったのですか? メイケル=ランサー氏は、多忙という事でしょうか?」
「いいえ。別段、司令は多忙という訳ではありません。リオ殿」
「はい?」
予想外の返答に、僕は間抜けな返事をする。それを聴いてからミスティルさんは、
「人を待たせるのは、司令の趣味です」
ミスティルさんは無表情で足を止め、此方に振り向く。
「こちらです」
ミスティルさんが足を止めたのは、扉の前だった。
「…………どうぞ――」
ミスティルさんは、一礼と共に扉を開ける。
部屋の中にはテーブル・クロスが掛かった長テーブルに壁の燭台には灯火。テーブルには、銀の燭台が灯るキャンドル。
向かいにはまだ若い男性が一人。一見、実業家に見える。
年の頃は二十歳過ぎ。長身で眼鏡を掛けた長髪の優男という風貌に加え、タレ目。その上スーツの様な、将官用の黒の軍服がそれを助長させていた。
「貴方がメイケル大使ですか?」
喉をごくりと鳴らせながら、僕は目の前の青年に問いかける。
一見大した腕は持ってはなさそうだ。しかし、外見で判断してはいけない。見掛けでは判らない事もある。それは内なる心。
――願い。
それを野心と言ってもいいかもしれない。
それらを彼の瞳から垣間見えた様な気がしたのだった。




