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シード  作者: 谷川ヒロシ
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第二章 覚醒

 聖武局本部に帰って来た翌日の朝十一時に中央区画――試験会場である多目的ホールでペーパーテストが終わり、昼食後に認定式典が始まった。

 未だ誰も自分の〈ネフィリム〉に否定されていない。中央区画の中央傍に建てられた広々とした神殿のような建物――儀式祭殿で式典は行われている。内部は薄暗く、灯りは二〇〇本の蝋《ろう》燭《そく》のみであり、蝋を焼く臭いが部屋中に充満していた。そして前列のずらっと並ぶ椅子には新人聖武官が座っており、そしてさらに奥の壇には、新たな棺が置かれている。最奥側には蝋燭が無いため文様は見えないが、棺が見える程度の灯りはあるのだ。

 う~。緊張する~。

 僕は周囲を見て気持ちを紛らわせていた。が、次は僕の番なのだ。

「リオ=マルクス習士。前へ!」

「は、はい!」

 僕は緊張しながらも壇の傍にいる、実行委員長を務めるバーリーさんの下へ行く。

 僕がバーリーさんの目の前に立つと、彼は今までの新人と変わらない文章を読み上げる。

「君の優秀な成績と模範的な人格を認め――」

 さあ、次だ。これで階級が決まるのだ。

 心臓の鼓動が高鳴る。何せお金を貯めなければならない身だ。基本給は高い事に越した事はない。

「――この時より、君に師聖の階級を与える!」

 なっ……⁉

 僕だけではなく、他の新人聖武官が目を見開き、驚きを隠せないでいた。一斉に騒がしくなる。それもそのはず。

 聖武局は局長を頂点とし、その他に六つの階級が存在し――その中でも最上級の階級を新人である僕が授かったのだ。驚くのも無理もない。僕自身も驚いている。

「これがその証だ。受け取りたまえ」

 バーリーさんが証書と紫色の華石が付いた【指輪】を、僕に手渡す。【指輪】は色で階級を現しており、また華石には特殊な加工を施している。これは正式な身分証明としての役割を果たすのだ。

 因みに階級とそれの【指輪】に付いている華石の色は、下から順にこうなっている。

 習士の色は黄。

 特士の色は白。

 特尉の色は赤。

 特佐の色は蒼。

 特将の色は翡翠。

 師聖の色は紫。

 そして階級が軍と似通っているのは訳があり、有事の際には指揮系統を混乱させない為である。

 特士は下士官の一番上――曹長と同格。特尉は尉官の一番上――大尉と同格となる。特佐は佐官の一番上――大佐と同格。特将は将官の一番上――大将と同格である。そして師聖は元帥と同格という極めて特別な地位を与えられ、次期局長候補でもあるのだ。

 この階級は全世界共通――国連加盟国の軍なら通用し、その権限を行使させる事は国際的に認められている。国際法に基づかれた場合のみ、その権限を行使出来るのだ。

 ――師聖は元帥と同格者。つまり将軍を統率する者。

 そんな地位に行き成り新人の僕が就いたのだ。幾ら実力主義とはいえ、これは変である。

「バーリーさん……」

 意見しようとした矢先、バーリーさんが僕に一言。

「理由は後で言うっスよ」

 取り敢えず首を小さく縦に振り、黙認する意思表示をして紫色の【指輪】を受け取る。

 そして黄色の【指輪】はバーリーさんに手渡す。

 それを受け取ったバーリーさんは、

「では儀式を」

「はい!」

 僕は元気よく壇上に上がり、棺の傍まで来て、棺に触れて儀式を始める。僕は全神経を棺に集中させて魔力を放つ。

 放たれた魔力は棺を覆う。

「ぐっ――!」

 儀式を成功させるには、魔力を使って『繭』を崩壊させ、内部にいる〈ネフィリム〉の意識に触れるしかない。それも限られた時間内で。

 〈ネフィリム〉の自閉モードは、意識が覚醒していない為、極めて防衛本能が高い。そのため失敗したら最初に目につく者を攻撃し、再び眠りにつくそうだ。因みに制限時間は十分程度との事。

「ぐぐ!」

 反対に意識を覚醒させた〈ネフィリム〉は最初に見た者を〈マスター〉と認め、主に尽くす存在となる。要するに刷り込みだ。一旦刷り込まれた〈ネフィリム〉は、〈マスター〉に対し、絶対服従となる。〈ネフィリム〉に認められたもののみに一人前の聖武官として認められるのだ。そのために『繭』を撤去しなければならないのだが……。

「あんれ~? おかしいっスね?」

「ちょっと、どういう事⁉」

 開始から五分経ち、訝しむバーリーさんに今まで隅にいたサキエさんが食って掛かる。

「いや、昨日指摘されて『繭』を破れる魔力量をシュミレートしてみたのだけど、明らかにオーバーしているんスよね」

 なっ⁉ 何だって~⁉

 バーリーさんとサキエさんのやりとりを耳にして、本日二回目の驚愕の面持ちで棺を見据えた。

 体内時計で約七分過ぎている。その時、

「加勢しますわ!」

 サキエさんが近付いて来るが僕後ろを振り向いて言い放つ。

「待ってください! 僕が一人でやります! やらせてください!」

「でも――!」

 サキエさんが言葉を飲み込む。僕の瞳が今頃、蒼色から鳶色に変化している筈だから。

「あれは『法眼』……⁉」

 驚き、そのセリフを言ったのは誰だか分からない。だがその言葉には畏敬の念が込められている。

 当然だろう。『法眼』とは森羅万象――大気中に存在するマナを見通し、あらゆるもの――記憶等を『見通す』事が出来る『眼』を持つ者の事だ。

 魔法とは異なり、呪式を必要としない力を持ち、発動時に瞳の色が変化する者の事を――英雄たる資質を秘める眼を持つ――〈資格者(シード)〉という。

「はああああああああああああああああああああああ!」

『法眼』を発動させた僕は、大気中にあるマナを見通し、体内に取り込んで精製する。

 大気に満ちる生命元素――マナを素早く精製するには大気中のマナの純度を見極め、取り込む事が肝心だ。しかし、純度の低いマナを取り込んだ場合、やり直さなければならない。

 ここだ……!

 だが、僕にはそれが完璧に出来る。『法眼』の力によって。

 大気中の高純度のマナ」を見付けた僕は捕らえたマナを取り込み、魔力と融合させ、白光を解き放つ。

 魔力と融合したマナは、掌から水鉄砲の様に放たれる。

「おお! 『繭』が溶けていくぞ!」

 観衆の一人が言った通り、『繭』は溶けて無くなって棺の中央にある華石が、上空に向かって灰色の粒子を解き放つ。それらは暫らくすると呪式陣を形成し、一人の女性が現れる。

 翼が交差した文様を金で描かれ、華石が付いたペンダントを首に下げた、紫色の長衣を着用した長身の女性が顕現したのだ。

 年齢は判らない。少女の様でもあるし、二十代の女性にも見える。だが少女というには年齢にそぐわない大人びた雰囲気があった。少女のものとは思えない――威厳。そんな雰囲気が。だが女性はそれだけではなく、美しかった。思わず見惚れる程に。

 蒼色の瞳と長髪をした美の女神。そういっても過言でもないほどに、その長身の女性は美麗で神々しい。

 肌は少々青白くあるが、ボリュームある胸が不健康さを否定しており、整った顔は気品を漂わせている。着用している紫主体の神官服の様な長衣がそれを更に際立たせていた。

 しかしそれは直ぐに消え失せ、涙を流しながら僕に抱き付き、ディープキスをしてきたのだ。

「ん~⁉ んん~⁉」

 口内には何か温かいものが絡みついてくる。柔らかな感触。甘美とも言えるキスは甘い味がした。その行為は狐につつまれた様に、僕を呆然とさせた。

 ――甘い一時。

「……ん……んあ……んっ……!」

 そして力を吸い取られるように、腰砕けになる。

 キスって……気持ちいいな……。

 ファーストキスに酔いしれる僕は、自分からも相手の女性の舌に絡める。

 ぼーとする視界の中では、皆が余りの事で呆気に取られている。否、一名を除いて、だ。

「彼から離れなさい!」

 サキエさんは怒りを込めて言い放つが女性は片目で視線を向けただけで、再びキスを再開する。

「ん……んん……んあ……」

「この……! 無視しないで! 彼はわたくしのものなのよ! 退きなさい!」

 サキエさんは怒り心頭で、顔を赤黒くさせながら女性に近付いていく。

 これには女性も無視できず、キスを中断する。

「『彼』は渡さない!」

 自分のものだと主張せんばかりに、僕を引き寄せた。

「何を……!」

 サキエさんも負けじと、僕の腕を掴んで引き寄せようとする。

「うううううう……!」

 女性は更に僕の腕を引っ張り、

「んぐぐぐぐぐ……!」

 サキエさんも更に僕の腕を引っ張る。

 これには僕も我慢できずに、

「イタイイタイイタイイタイイタイ……!」

 裏声で泣き叫ぶ。

 男のくせに情けないというなかれ。痛いものは我慢できないのだ。

 とにかく綱引きをしていた二人は、僕の裏声を聴いて手をぱっと放し、示し合わせたかのように戦闘態勢に移行する。

 睨み合う両者。

 彼女達はお互いの力を感じ取ったのか、直ぐには相手に向かわず、じりじりと間合いを詰めていく。

「彼はわたくしのよ!」

「『彼』は渡さない!」

 サキエさんと女性は互いの主張を皮切りに、戦闘に入る。どちらもかなりの力量。

 刀の様な鋭く、繊細な動きをするサキエさんに対し、女性の動きは舞踏の様に実に優美。その体術の応酬が傍観者達に披露される。常に先手はサキエさん――女性はカウンターを狙う。

 両者拮抗状態が続く。が、

「負けないわ……!」

 眉尻を吊り上げている黒い双眸が、血の様に赤く染まっていく。

「『鬼眼』……⁉ サキエさんも〈資格者〉だったのか……!」

 サキエさんが、肉厚のある野太刀を抜く。

 そして野太刀を片手で軽々と振り回す。

 何て膂力だ……! あんな巨大な野太刀を軽々と振り回すなんて……⁉ それにあの動き、あれだけの重量のある野太刀を持っているのに、普段と動きがまるで別人だ……!)

 サキエさんの野太刀。斬る事に特化された殺人道具なのだが、相変わらずその刀身は陶磁器の様に美しい。

「生み出す風、集いてわが剣に宿りて、兇刃と化せ!」


 (ふう)の|良刃《りょうじん》!


 呪式を唱え終わってから、汎用型の華石から緑色の呪式陣が出現――刀に纏わりつき、そして刃は緑色に煌めく。

 武器の威力を上げる補助式の魔法である。補助式は幾つか持っており、この魔法は最上位。どうやらサキエさんは本気で怒っているようだ。

 そしてもう一人の女性の方は、サキエさんの攻撃を躱しながら、

「光の住人、翼を持ちし、聖なる子らよ、我が呼びかけに応えよ!」


 天使達(エンジェルズ)


 金色に発光する九つの呪式陣の中から、九体の天使が現れた。

 天使の中でも最下級の天使だが、一個小隊並みの戦闘能力を有している。

 大体、天使は数ある聖霊の中でも上位種にあたるのだ。それを九体も召喚したのである。どうやらこの女性は、超一流の召喚士のようだ。

 もっとも、

「しっ……!」

 サキエさんは天使が覚醒する前に、野太刀で斬っていく。

 幾ら天使といえども、覚醒前ではどうしようもない。あれよあれよと斬られていった。

 だが女性は慌てず次の呪式を唱え、

「雷と原子核の権化に、美徳の権化、宇宙を司る双天使よ、我が呼びかけに応えよ!」


 能天使(パワ-)! 力天使(ヴァ―チャ-)


 巨漢で筋肉質の天使――能天使と、美しい少女の天使――力天使。二体の天使が現れる。

 僕はそれを【スコープ】で確認した。

「能天使と力天使だ……!」

 九つある階級の内、第六位の能天使と第五位の力天使だ。共に小国ならば一国を滅ぼせる戦力である。はっきり言って白蟻を殺すために、戦略級攻式魔法で街を吹き飛ばす行為に等しい。

 僕の驚愕の声が周囲に聴こえたのか……。

「うわあああああああああああああああああ!」

 これには祭殿内部にいた聖武官達が、恐慌状態となった。係員の――サキエさん以外の――室内の隅にいた上級聖武官達も、だ。

 常人では敵わない〈デーモン〉を狩る者達が、我先に逃げ惑う。

 残ったのは僕を含む当事者の三人と、バーリーさんだけである。

 聖武官ともあろうものが情けないというなかれ。危険を察知できなければ――自分の力量を知らなければ生きてはいけないのだ。

「くっ…………! ホムラ流抜刀術壱の型、《参連牙》!」

 全ての天使を屠り、虹色の光を撒き散らせて消滅させたサキエさんも、さすがに野太刀を収めて立ち止まる。サキエさんは二体の新たな天使が行動を起こす前に、女性に――瞬時にトップスピードを出す――縮地で接近して抜刀術の要領で、

 フッ――!

 壱の太刀の右切り上げは避けられ、

「せい!」

 弐の太刀である袈裟切りも空振り。

「しっ!」

 参の太刀である突きは、女性が懐から出した短剣によって防がれる。参の太刀まで見切られるとは思っていなかったのだろう。動きが鈍くなってしまい、女性に距離を離されてしまった。

{るおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!}

{はあああああああああああああああああああああああ!}

 サキエさんが女性に離されたのを見た天使達は、攻撃を開始。

「何で今までサキエさんに攻撃しなかったのに、今更攻撃をするのだろう?」

 僕の疑問に答えたのは、いつの間にか傍に来ていたバーリーさん。

「二体の天使達は、あの女性に召喚されたものだからさ。サキエちゃんは二体の天使はあの女性に召喚されたものだから、女性を制圧すればあの天使達は消えると思ったんだろうねい。だから天使の攻撃を受けずに、女性を制圧するのは接近している今までが一番だったのだよ」

「バーリーさん、じゃあ今は……!」

「天使達はサキエちゃんに攻撃し放題だ」

「サキエさん……!」

 天使達は吼え、幾度も衝撃波がサキエさんを襲っている。しかし、サキエさんも衝撃波を躱し続けていた。

「バーリーさん、あれは一体……! 天使達は何故呪式を唱えていないし、呪言も言っていないのに、衝撃波が生まれるのですか⁉」

「天使は神霊力――魔力みたいなものを振るうのに、人間とは違って呪式を唱える必要は全くない。天使にとっては、手足を動かす自然現象なようなもの。故に吼えるだけで衝撃波が起こるんだよねい。だから呪言も言う必要はない」

 ドゴンッ――! と、サキエさんが衝撃波を避けた際に、後方の壁は粉々になる。

 舞い上がる粉塵。崩れる壁。

 何て威力だ!

「助けないと……!」

「待て、リオっち! 君の為にあの二人は戦っているんスよ⁉ 君はどちらかにつくべきじゃない!」

「でもバーリーさん、このままだとサキエさんが……!」

 僕はミンチ状態になったサキエさんを想像してしまい、顔を蒼くする。

 相手は中級天使とはいえ、力天使と能天使だ。その力は侮れない。現に吼えるだけで、ここの――魔法に対しても――頑強な壁を破壊出来るのだ。

 そしてターゲットのサキエさんは崩れた煉瓦に足を取られ、バランスを崩す。

「サキエさん⁉」

 僕は考えるよりも先に、サキエさんに向かってダイブし、衝撃波からサキエさんを救った。

 そのサキエさんは僕の手を取り、立ち上がって、

「逃げるわよ!」

 戦略的撤退を敢行。

「待たぬか!」

 女性は短剣を仕舞い込み、二体の天使を引き連れて僕達の後を追った。


 引っ張られながらとにかく走りながら、僕とサキエさんは逃亡し、中央区画にある中央公園に来ていた。ここは憩いの場として設置されており、まあありていに言えば、大きな公園だ。大きな池もあるし、観賞用の樹木がこれでもかと植えられている。また木製の長椅子が所々配置してあるのだ。近くには図書館もある。

 その中央公園の――大和国製の大時計を視認すると、午後二時二分。

 大時計を見た直後。

《緊急事態発生! 最新鋭の〈ネフィリム〉が暴走! 至急準待機者は戦闘態勢に移行してください! 繰り返します――》

 何処からか、放送に呼応するかのように、木々の間からわらわらと聖武官達が現れた。

 その聖武官達は、僕達を護るように展開。

「サキエさん。この人達は?」

「彼等は最新鋭の〈ネフィリム〉が暴走した時の為に、特別に編成された鎮圧部隊の人達よ。特佐以上の者で編成されているから、安心して。遅れは取らないはず」

 しかし、その彼等はゴーグル型の【スコープ】を通し、天使達を見て驚愕に変わった。

「神霊力値……十万二千と十五万以上……⁉」

「おい! それじゃあ……!」

「能天使と力天使かよ……!」

 動揺は瞬く間に伝染。如何に歴戦の兵(つわもの)でも相手が悪すぎる。だが……。

「全員落ち着け! あれは召喚されたものだ! 召還主の〈ネフィリム〉を倒せば無力化出来る! 手筈通り例のモノでいくぞ!」

 部隊指揮官だろう。特将の証である翡翠色の【指輪】をし、ちょび髭をした中年聖武官が号令を発し、聖武官達は一斉に大地に魔力を放出。それに反応してか、聖武官達の前面にいた女性の地面が灰色に輝き――呪式陣が現れる。

 僕はその呪式陣に見覚えがあった。

「あれは『生命簒奪』の呪式陣……! この魔法はその名の通り、対象者の生命力を奪っていき、主に対象者を弱らせ、捕獲させる為のモノだったはず……! サキエさん。ただ逃げていたのではなく、この中央広場に仕掛けていたのを知っていて逃走したのですね?」

「そうよ」

「『彼』を……返せ……!」

 女性はそう言ってゆっくりと僕に近付いてくるが、彼女は腰が抜けたように膝を付く。

「ぐっ……!」

 未だ僕に近付く女性に、畏怖を感じた。

 『生命簒奪』の魔法は捕縛用とはいえ、対ドラゴン用に開発されたもの。それを女性の身でありながら、耐えているなんてすごい生命力である。

 女性は苦悶の表情を見せながらも、

「何を……した……のだ……⁉」

 女性に膝を付けさせている呪式陣は、かなり広範囲に展開している。

「くっくっく! まんまと引っかかったな⁉ 我々が予め仕掛けておいたのだよ!」

 指揮官の言葉に、女性は苦悶の表情を浮かべた。

「ぐっ⁉」

 女性は呪式陣からすぐさま離れる。そこで僕はある事に気付く。

「あれ? あの二体の天使は?」

 その問いには、サキエさんが答えてくれた。

「天使――それも力天使や能天使の高等霊質体は、憑代を必要とするが、かなりの量の媒体を必要とするの。恐らくあの女性型〈ネフィリム〉の場合は、魔力を仮の媒体にしていたのね。『器』の依り代ではなく」

「『器』の依り代と魔力での媒体との違いはあるのですか?」

 僕は素直にサキエさんに訊いてみた。

「『器』の依り代の方は、魔力は使うけど『器』が出来るまで。魔力媒体はそのままずっと魔力を使い続けるの」

「え? それじゃあ、あの女性型〈ネフィリム〉は、何故魔力媒体で天使を召喚したのですか?」

「依り代の方が良い――という訳ではないのよ、リオ君。どちらにも一長一短あるわ。『器』の依り代の場合は、『肉』の制限を受ける。けど、先程も言ったけど魔力消費は最低限で終わる。魔力媒体は魔力をずっと使い続けるが、制限を受けない。要するに性能を十分に発揮出来るのよ」

「へえ~。勉強になります、サキエさん」

「ふふ。どういたしまして」

 そうこうしている内に、指揮官の男が、

「くっくっく。我々を甘く見るなよ⁉ 特にこのオリバー=ジャクソンが指揮する限りはな!」

 指揮官の男――オリバーは、

「ぐははははははは! さあ、大人しくしてもらおうか? んん?」

 まるっきり、悪役のセリフを言う。そして魔力強化された拘束用の【縄】をビッと引っ張る。

 うわあ~。あのオリバーとかいう指揮官の男性。ノリがいいなあ~。

「やれるものなら……やってみろ!」

 女性は強気なものの、疲労感は隠せていない。

「かかれ!」

 十五本の【縄】が、一斉に女性に向かって襲い掛かる。女性は必死に躱すが、七本目にして捕らえられてしまう。手足を拘束されて身動きが取れない状態なのだが……その姿がどことなくエロい。それと同時に

『生命簒奪』の呪式陣が消失。

「さあ~て。どうしてくれようか?」

 下卑た笑みを浮かべ、オリバーは女性に近付いていく。それを見た僕は、

「やめてください!」

 僕の背にある主武装である、汎用型が一つと常駐型の華石が二個取り付けられた棒状の魔装武具を掴み、中央のボタンを押す。

 シュッと音がし、中剣サイズから長柄サイズになる。


 聖刃(せいば)


 常駐型の華石が金色に輝き、ガラス色の巨大な刃を生み出した。

 魔杖戦斧(ハルバード)型魔装武具――【メルキゼデグ】。バーリーさんの作品にして、最凶最悪の魔装武具。凶悪な威力を追求するあまり、大量の魔力を刃の形成時に消費する為、上級神官でも使用不可能となってしまった魔装武具である。

 僕は女性の下へと突っ走った。

 音もなく切り裂かれる全ての【縄】。魔力強化された拘束具は本来魔力刃では斬れはしないが、常識を超える魔力量で形成された魔力刃では斬る事が可能だ。

 庇うように彼女の前に、僕は立つ。

「何を……⁉ ん? 馬鹿な⁉ 新人が師聖だと⁉」

 【縄】を斬られた動揺と、僕の【指輪】を見て、オリバーは何故か歯軋りをする。

「幾ら何でもやり過ぎです! 彼女は言葉を理解出来ない獣ではないのですよ⁉ 最低限武器や魔法を扱える知能を持っているし、S級ならば人より賢いはずだ!」

 それを理解しているのか、鎮圧部隊の人達は「うっ」と、怯む。が、

「よく見なさい! 周囲のこの惨状を!」

 サキエさんに言われて、僕は周囲を見渡す。あちらこちらに火の手が上がっており、祭殿の建物は半壊。他の建物も半壊しているものもある。美しく咲き乱れていた桜の木が焼け爛れていた。所々で黒煙が上がっており、木々の焦げた臭いが辺りに充満している。

「…………」

「解かった? 彼女の力でこんなにも被害が出たのよ? 拘束するなというのは無理があるの! 分かって!」

 サキエさんは真《しん》摯《し》の瞳で、僕に理解を求めてきた。しかし、

「あの……半分以上は、サキエさんがやった――」

「先任師聖として命じます! そこを退きなさい!」

 ツッコミに覆い被せる様に、サキエさんは素早く警告。だが僕はサキエさんの首筋に、一筋の脂汗が流れているのを発見。

 どうやらサキエさんは、自分はやっていない事にするようだ。ずるい。

「さあ、その罪人をこちらに引き渡しなさい? 悪いようにはしないから♪」

 サキエさんが猫なで声になった時は、含みがあるという事。ここは……譲れない!

「出来ません! 第一説得力がありません! それでは……!」

 サキエさんの握りしめている野太刀を観察。それは友好的な態度には見えない魔力と闘気が上乗せされている。

「そこを退いて下され――退かぬとあらば、実力で排除させて頂く!」

 オリバーの発言で、一斉に他の鎮圧部隊の聖武官達がそれぞれ臨戦態勢を取る。

 それに対し僕は、【メルキゼデグ】の柄の部分を握りしめる。そこにサキエさんは呪式を唱え始めた。それはただの魔法ではなかった。

 通常の魔法じゃない……⁉ マナが上乗せされている……⁉

 僕は内心警戒する。

「我が召喚に応えし、炎の化身よ、大蛇となりて敵を滅ぼせ、命を賭して敵を滅ぼせ、敵を討つ事を至上とせよ!」


 烙炎蛇(らくえんじゃ)


 サキエさんが唱え――赤い呪式陣から出たそれは大蛇の形をなし、女性に向かっていく。

「でやああああああああああああああああ!」

 僕はその炎の大蛇を吹き散らす!

「何をするの⁉ リオ君!」

「戦術級魔法を使うなんて、何を考えているのです! サキエさん、言った筈ですよ! 彼女は言葉を理解出来ない獣ではないと!」

「ケダモノよ! とにかくそいつだけは許せない……!」

 僕の説得にも耳を傾けずに、サキエさんは再び呪式を唱える。

「我が召喚に応えし、炎の化身よ、三つの大蛇となりて敵を滅ぼせ、命を賭してわが友を護れ、敵を討つ事を至上とせよ!」


 烙炎蛇!


 先程と同じ炎の大蛇が三匹――サキエさんの前方にある赤い呪式陣から出現する。

 だが今度生み出された炎の大蛇は、射線上にいる僕を迂回。女性に襲い掛かった。

 それはまるで意志を持っているかのような動きだ。

 戦術級魔法では呪式を改変する事により、反自律的な知性を持たせる事が可能。

 そしてその結果、三つの大蛇は彼女に命中。大炎上する。

「サキエさん、何て事を……⁉」

 僕の〈ネフィリム〉なのに……!

「リオ君に群がる害獣は、全てわたくしが排除します!」

 しかし炎が収まった時、彼女は生きていた。そして前方に甲羅型の楯を展開している。

 どうやら彼女は、守式型戦術魔法――『聖楯』を唱えていたみたいだ。

 一部の――戦略級守式魔法を除き、戦術級魔法は同じ魔法でしか防げない。

「なら、これで終わりにして差し上げますわ!」

 サキエさんが野太刀で彼女に向かって突っ込む――その時だ。


 (じん)


 彼女は魔法を唱えて応戦するが、一度切り結んだ処で疲労がピークに達したのか、女性は膝を付いた。

「覚悟……!」

 サキエさんが野太刀を彼女の首を斬り落とさんと、振り上げたその時、

「ちょっと、待った!」

 後方から割り込む声。

 ほっ。

 僕は安堵した。この事件を引き起こした黒幕(原因)をひっ捕らえたバーリーさんがやって来たからだ。


 現在の時間は午後四時丁度。

 バーリーさんの出現によって事件は一段落し、僕とサキエさん――そして女性は〈要塞〉にある客間に通された。ソファーとテーブルしかない簡素な部屋である。僕の座っている隣には女性が。対面のソファーにはバーリーさんとサキエさんが座っており、その後ろにはユキラさんが立って控えている。

 話は今回の事件の発端と彼女に纏わる事柄である。

 今回の事件の発端は、ユキラさんが棺を間違えてしまったという事だった。もっとも、しょぼくれた表情に、馬鹿の文字が書かれた御札を顔に付けられていたので想像はしていたが……。

「どうかね? ユキラが淹れてくれた紅茶は美味しいだろう?」

 バーリーさんの発言に対し、紅茶を(すす)っていた僕は先を促す事にした。

「ええ、まあ。でもそんな事より、何かお話しがあるのではないのですか?」

「そうだな。そろそろ話すとしよう」

 バーリーさんは語り出す。僕の隣にいる女性の話を。

「君の隣にいる女性は、ファルシス=コーウェル。この世界の住人ではない。異界の地である惑星ヘルの住人。嘗てこの地では世界の南に位置する大陸――ブレスト大陸で戦争があった。この女性は神託によって〈魔族〉と呼ばれた者達の一人なのだよ」

「ブレスト戦役ですか……」

 当時、数多の国々が国境を越え、一丸となって彼等――〈魔族〉と戦った。

「おお。知っていたか? まあ、当然だな。そう、当時国連軍は辛くも勝利したものの、壊滅的な打撃を受けたのだ。そして彼等――〈魔族〉と呼ばれていたヘルの者達は、目的を達成し、戦いの中散って逝った。例外は彼女だ……そうですよね? ファルさん」

「バーリーとやらよ。気安く愛称で呼ばれるのは、超越的に不快だ……!」

 女性――ファルシスさんは椅子から立ち上がり、テーブルをドンと叩いて叫ぶ。先程からファルシスさんは僕から離れず、サキエさんを異常なまでに警戒し、睨んでいた。

「失礼しました……」

 バーリーさんは何かを思い出すかのように目を閉じ、再び目を開けて深く詫びる。

「彼が持ち帰った……『彼』の書き残した書物には、そう書いてあったもので……」

「何を言っている?」

 ファルシスさんの問いに、バーリーさんは僕達にも見せない神妙な顔付になり、

「落ち着いて聴いてください。彼は貴女が知っている『彼』ではありません。彼の名はリオ=マルクス。『彼』ではありません」

「馬鹿な⁉ 嘘だ! 彼の瞳と髪は蒼いではないか⁉ これは我等ヘルの民しかありえん! この地の民にはありえんのだ!」

 ファルシスさんは必死に叫ぶ。だが、バーリーさんは、

「知っています。彼の髪と瞳が蒼いのは、私の実験。つまり頭髪と瞳の色を変化させる実験に付き合って貰った結果なのですよ」

 そう。僕の瞳は、本当は翡翠色で、髪は金色なのだ。だがそんな事を知るべくもないファルシスさんは、

「なっ……⁉ だが、バーリーとやら! 顔や髪形は全く同じではないか!」

「それは……自分が思うに、顔の造形が同じだけなのでは?」

 ここで今まで無言だったサキエさんが、僕に、

「自分だって! あのバーリーさんが! おかしくない?」

「まあ、あの人が敬語を使っている処なんて、僕も見た事ありませんが……」

 僕は苦笑する。軍の上層部の人間や上級神官とも会っている処を目撃したが、一切敬語を使う処を聴いた事が無い。それに言葉使いがいつもと違う。傍若無人にして唯我独尊的な御方。それがバーリーさんの真骨頂なのに。

「そんな馬鹿な事が……!」

 そんな言葉が耳に入り、振り返るとファルシスさんが縋《すが》る様な瞳で僕に迫り、肩を強く揺さぶる。その姿は雨に打たれた子猫のようだ。いや、違う。(わら)にも縋る気持ちでいるのか――この少(ひ)女(と)は。

「言ってくれ! あいつらにお前の名前を教えてやるのだ! 私にお前の名がシャリス=ラバリだと教えてくれ……!」

 シャリス=ラバリ。子供でも知っている名だ。

 かつてこの地にやってきた惑星ヘルの統合軍――〈魔王軍〉の三魔王の一人である。

 白き炎獣を従えて幾千幾万の軍勢を――幾十幾百の英雄豪傑を退け、当時ロンベルト聖皇国の聖皇である、カレン=ロンベルト聖下に討たれた魔王。

 神託で〈魔族〉と断じられるまでは、このロンベルト聖皇国を代表した英雄。だが、僕は違う。だから目の前のファルシスさんに真実を伝える。彼女の為にも残酷な真実を。

「僕はリオ=マルクスです。シャリス=ラバリは約二〇〇年前に戦死しています」

 僕が真実を伝えると、ファルシスさんは力無くソファーに座って、大粒の涙を流す。

「そんな……ではやはり、シャリスは私に『時間凍結』の魔法を掛けたのか……。私は……私は死ぬ事は怖くなかった……。むしろ私はシャリスと共に……!」

 ファルシスさんは顔を手で覆う。

 ファルシスさん……。

 ファルシスさんは今、何を思っているのだろう?

 僕は興味本位でファルシスさんを『見る』。

 『法眼』の能力の内の一つ――他人の記憶を覗く能力だ。それを僕はファルシスさんに使用した。


   ***


 城内にいる蒼色の長髪をした長身の少女――ファルシスの瞳に映る情景は、血や炎に彩られ、暗闇の時間帯でも空は赤く紅く染まっている。

 戦争――これはその情景だ。

 親友にして恋敵である彼女――カレン=ロンベルトもこの戦争に加わっている事だろう。

(彼女は……もう、敵なのか……)

 なぜ、何故戦友である彼女らが我々に刃を向けるのか?

 だが理由は分かっている。

 今でも思い出せる――正気を失った彼女達の瞳と言動。

 許せなかった。ここで初めて気の許せる友人達を操る存在――神を。

 また、神は一部の〈デーモン〉を操った為に、当初の作戦は完全に破綻してしまっている。どうやら神は、この地で生まれた生物――〈資格者〉を操れるようだ。

 そしてこの地で生まれた者は、自由に〈資格者〉に出来る。カレンもそうだ。

 城内にある一室にファルシスはいた。豪奢な調度品が置かれているが、それは今のファルシスにはどうでもいい事だ。その一室の窓から、城門付近を凝視する。

 金色の長い髪をした、やや小柄で金色の瞳をした美少女が戦っているのを目に映る。間違いない――カレンだ。

 カレンは現在、自国の軍隊を率いて城壁の護りを突破しようと奮戦している。その姿は正に修羅。あの天真爛漫(てんしんらんまん)で、温厚だった彼女が、だ。

(カレン……)

 ファルシスは悲しみの余り、涙を流す。瞳からではなく心の中で。

 ……気配が近付いてくる。

「ファル……泣いているのですか?」

 声のした方を向くと、吃驚仰天(びっくりぎょうてん)。ファルシスと同じく紫色の長衣を着ている蒼色の瞳と長い髪を結った、女性的な美しい顔立ちをした、中肉中背の美少年が長剣を携えて廊下に立っていた。

 ファルシスは努めて冷静に、

「シャリスか。私は泣いてなぞいない……」

 この男こそ、ファルシスの想い人にして、カレンの婚約者だった(・・・)男だ。

「そうですか……」

 涙こそ流していないが、シャリスも同じく……いや、それ以上に心を痛め、心中では泣いているだろう。 あんな神託がなければ、シャリスとカレンは結婚出来たのだから。

 だがシャリスは何の感慨も持っていないかのように、すぐさま踵(きびす)を返した。

「付いて来てください」

(ん?)

 ファルシスは小首を傾げる。

(シャリスの言動から、焦りのようなものが感じたが木の所為か?)

 だが、ファルシスは顔を振って、

(あのシャリスが? あり得ないか……)

 直ぐに考えを改める。彼女は気を取り直し、シャリスに従って部屋を出て廊下を歩く。

(やはりシャリスには勝てないな……)

 ファルシスは廊下を歩く『彼』を見詰める。同じ枢機卿でも人柄や能力。そして人望。全てが負けていた。シャリスに負けまいと思った時期があり努力したが、シャリスを見続けている内に、いつの間にか『彼』の事が好きになってしまい、結局勝てないと思い知らされた。

 ファルシスは名家の出であり、シャリスは孤児院の出。その事を知ったのがライバル視した切っ掛けである。

 家の名に懸けてシャリスに負けまいと努力したが、今思えば滑稽な事だった。能力や人格に、家の差など意味をなさないのに……。

 だがそれで人は測るもの。シャリスと恋仲であったカレンは、一国の姫君。それに対しシャリスは救国の英雄とはいえ、流れ者。周囲の人達は両者を比較し、そのため相思相愛である両者の婚姻は遅れてしまったのだ。

 そして結婚を控えた前日の神託。

 神託が下った時、ファルシスは僅かながら喜んだ。

 そんな自分を恥じて、己を軽蔑した。

 だから今までシャリスに告白しなかった。まあ、ファルシスが強情だった事も一因しているのだが……。

 ――愛おしい! お前の事がどんなに好きだった事か! シャリス以外の男なんて考えられない! お前が好きだ!

 この言葉が言えれば……叫ぶ事が出来ればどんなにいい事か……。

 ファルシスはこの想いをひたすら隠した。理性を保つ技術を持つ自分に嫌気がさしている。どんな名家の出で、どれほど神童と謳われても、中身はこんなチキンな自分に嫌悪しているのだ。臆病で軟弱な自分を。

 当のシャリスはそんな彼女の苦悩に、全く気付かずに言う。

「先程、『船』が出立しました」

 それはファルシスも知っていた。自分の目で確認したのだから。この惑星にくる理由であった【(スター・)(シード)】は護り通した。最早ここにいる理由はない。

(ん?)

 ふと気付く。この先は行き止まりだ。

(何処へ行くつもりだ?)

 そう思った時にシャリスは立ち止り、目の前にある竜の石像。『彼』はその口に手を突っ込む。すると、

 ズゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ……!

 目前の壁が開き、地下に通じる階段が現れる。

 蝋燭を灯している為、中は明るい。

 そしてシャリスは無言で其処を潜り、ファルシスもそれに習って降りる。

「ならば――」

 ファルシスは脱出を提言しようとしたが、聡いシャリスはすぐさま首を横に振る。

「無理です。『船』が出立した後すぐに、この帝都を覆う様に強力な結界が張られました。最早我々は袋のネズミです……」

 目的地であろう地下室に到着。シャリスの背後から覗いて見廻して見ると、かなりの広さを持つ地下室だ。天井もかなり高い。二個中隊は十分入りそうな地下室である。

 もっとも長く使われなかったのかカビ臭く、よく観察すると所々に苔が生えており、じめじめした感じがある。手で触ってみるとざらざらしていた。

 ファルシスは手で口を押えながら。

(ゔっ⁉ カビ臭い……!)

 だがそんな広い部屋にあるのは、一つの棺。天使の文様が描かれているのが特徴的だ。

 触ってみると、ツルツルしており新品のようである。

 ファルシスはそれを一瞥する。

「それは私も知っている。この地下室に脱出用の通路があるのではないか?」

 通常――城には脱出路がある。

 ファルシスはだからこそ、地下室に来たのだと思った。棺は如何にもそれらしい。

 だが、その考えはアッサリとシャリスに否定された。

「いえ。敵軍がそれらを使って侵入をしようとしたので、全て使用不能にしました」

 それは同時に、母星である惑星ヘルに帰れないという事。

 だがファルシスは、それでも構わないと思った。シャリスと一緒ならばそれでもいいと思ったのだ。

 『彼』と共に戦い――愛する者であるシャリスと背中を合わせ――最期を看取って貰うのだ。それこそ本懐と言える。

(私は幸せ者だ……)

 ファルシスは幸せを噛み締めていたが、ふと思う。

(では、なぜ私をここに連れてきたのだ?)

「しかし貴女だけでも生き延びてください」

 シャリスのその残酷な言葉と共に、ファルシスの周囲には金色の呪式陣が現れ、


 聖魔結界(せいまけっかい)


 強力な結界が彼女を覆う。そして、


 時間凍結(じかんとうけつ)


 その後、足元に『線』が現れて呪式陣を完成しようと床を走っていく。

 これは時間凍結の魔法――対象者を中心とした、呪式陣内の時間を完全停止させるのだ。そして対象者は歳を取る事は――無い。

「っ――⁉ 何をするのだ⁉」

「ファル。貴女には孤児院出のわたしと違い、家族がいます。温かい家族が……」

 シャリスはファルシスの家に招かれたのを思い出したのか、悲しい笑みから一変――優しい笑みを浮かべた。

「この戦争が終結し、時が過ぎれば貴女が帰るチャンスが巡ってくる。そう信じています」

「こら、ここから出せ! シャリス!」

 ファルシスはシャリスの考えを察し、抵抗を試みる。彼女から出された手には、灰色の呪式陣が出現。


 破砕呪!


 だが同じ枢機卿でも力の差は歴然。シャリスの張った結界は強力で、ファルシスの結界破りの術では、ビクともしなかった。

「これ以上、貴女の術は使えさせません。貴女の召喚術は強力ですからね……眠って頂きます!」


 夢魔(むま)


 シャリスが手を(かざ)すと同時に、ファルシスの頭上に灰色の呪式陣が現れ、彼女は睡魔に襲われて意識を持っていかれそうになる。

「っ――⁉ やめろ! やめてくれ!」

 ファルシスは体内にため込んだマナを活性化させ、必死に抵抗を試みた。

 抵抗は功を奏し、睡魔の術は跳ね除けた。しかしそれは、現状を維持しているだけだ。

(そんな! 嫌だ! 私だけが!)

「お願い……お願いだよ……私を一人にしないで……!」

 ファルシスは涙を流し、嗚咽(おえつ)を漏らしながら必死に訴える。

 枢機卿の威厳もへったくれもない。

 『彼』――シャリスは一人で逝くつもりなのだ。だからファルシスは、愛しき者を夢に見る少女の顔を始めて曝(さら)け出す。

「お願いだよ……一緒に……一緒にいさせてよ」

 ファルシスはついに懇願(こんがん)して泣き崩れた。しかし、

「済みません……」

 シャリスが謝罪すると同時に呪式陣が完成する。それは『彼』がしようとした事を、実行に移す事を意味していた。その証拠に視界が揺らいでいる。

 だからファルシスは戒めを解く。もう機会はないから。チャンスは今しかない。これを逃せば目覚めた時、彼女が愛する目の前の少年は、故人となっているかもしれないのだから。そしてその可能性は非常に高い。

 シャリスは死ぬ気だ――自分の命と引き換えに、婚約者であったカレンの『束縛』を断ち切るつもりだ。そんな事は『彼』の瞳から十分に読み取れる。

 だからファルシスは己の気持ちを伝える事にした。

「私は今まで貴方の事が――」

 完成した呪式陣から『鎖』が解き放たれ、ファルシスを拘束していく。

(早く言わなくては……!)

 涙はとめどめなく溢れ、頬を伝って雫となって床に落ちる。

 肺に限界まで空気を吸い込み、命をを燃やすかのような気力を持って、

「――好きだった!」

 最後の叫びは意識を失う直前の告白だった。


   ***


 これは……いけないものを『見て』しまった!

 軽い気持ちでファルシスさんの記憶を視聴した事を、僕は激しく後悔した。

 この行為はプライバシーの侵害だ。

 空気を読み、この事は黙っておく事にした。

 僕は客間の時計をちらりと盗み見る。時間は午後の四時三十五分。

 どうやら三十分程度、彼女の記憶を探っていたようだ。

 閑話休題。

 暫らく嗚咽を漏らしていたファルシスさんだが、急に顔を上げた。瞳は赤くなり、顔は涙でくしゃくしゃになっているものの、態度からは毅然(きぜん)としたものが感じられ、発せられた言葉からは凛とした声色が響いた。

「彼女はどうなった?」

「彼女?」

 彼女――恐らく、カレン様の事だろう。

 だが、バーリーさんは分からずに、首を傾げる。

「カレン=ロンベルトの事だ。彼女はどうなった?」

「どうなったとは、どういう意味ですか? カレン様は四十二歳でお亡くなりになりましたが……」

 バーリーさんの言葉にファルシスさんは溜息を一つ吐き。

「そうか……」

「はあ……?」

 バーリーさんは気のない返事を返す。

ファルシスさんは神官衣にあるポケットから出したハンカチで、涙を拭ってバーリーさんを見据える。

「そなたに私の疑問に答えて欲しい。そなた達はなぜそうと知っていて、私を殺そうとせぬのだ?」

 そこでファルシスさんはサキエさんを一瞥し、

「確かに最初はあの者に攻撃を受け、殺されそうになった。だが、それは私の素性を知るそなたが来る前だ」

 バーリーさんは肩をカクンと落とす。

「自分もあの場に居たのですが……」

「しかしそなたは私に攻撃を仕掛けなかった」

「自分は魔導科学者ですから、戦いはちょっと……」

「そうか? まあよい。とにかくそなたは私に敵意を持っていない。何故だ?」

 バーリーさんはそこで、コホンとワザとらしく咳をしてから言う。

「確かに貴女にとって、不思議でならないでしょう。ですが現在、惑星ヘルの統合政府とは条約を結び、今や盟友です。ですから貴女は敵ではなくVIPです。失礼なき様に扱うのは当然の事……。まあ、あ《・》の《・》事《・》はご愛嬌と思って頂ければ幸いです」

 その言葉にファルシスさんは微苦笑する。

 まあ式典は無茶苦茶になったものの、惑星ヘルのお偉いさんであるファルシスさんを、あの様な目に合わせた方が問題視される。国際問題に発展しかねない。いつの世もいちゃもん付ける輩はいるものなのだ。

 だが直ぐにファルシスさんは訝しみながら、

「同盟……だと?」

 ファルシスさんの問いにバーリーさんは、

「はい。惑星ヘルと同盟を結んで屋久一五〇年になります」

 ファルシスさんは、バーリーさんの説明を訊いてもまだ信じられないようだ。

「同盟を結んで、エデンに旨味はあるのか? バーリーよ」

「武器以外の技術供与を受けています。現在は無線式【魔導電話】や【魔導重機】等で、我々の生活水準は劇的に跳ね上がっていますよ」

 へえ~。

 バーリーさんの言葉は、僕にとって初耳だった。無線式【魔導電話】の部分が。

 しかし、ファルシスさんはそんな事はどうでも良いように、バーリーさんに問う。

「で、その見返りに統合政府は何を貰っているのだ?」

「資源や食糧を」

「なるほど、な……」

 ファルシスさんは一呼吸分目を閉じ――開く。

「ふむ。まあ確かに此方にも非はある。そう思う事にしよう。お主達の大事な式典を、台無しにしたようだからな」

 ほっ。事なきを得たようだ。ファルシスさんが許してくれた様であれば、例え他の者が騒いでも大した問題にならないだろう。

 ファルシスさんの言葉に満足したのか、バーリーさんはいつもの人懐っこい笑みを浮かべつつ、

「ありがとうございました……。正直安心しましたよ。貴女に掛かれば我々等赤子同前ですから……。そうですよね? 今や伝えられていない幻の四人目の魔王……ファルシス=コーウェル枢機卿殿?」

 バーリーさんは驚愕の事実を述べたのだった。


 夕刻、僕は居住区にある宛がわれた家に着き、ドアを開けた。

「はい。着きましたよ。ファルシスさん」

 あの後、ファルシスさんが何処に泊まるのか紛糾した。彼女の力を恐れて誰も泊めたがらなかった。だから結局僕の家に泊まる事になったのだ。サキエさんは最後まで猛反対していたが……。

 その当事者であるファルシスさんは、俯(うつむ)いて僕に言った。

「…………ろしてくれぬか?」

「は?」

 いきなり僕の両肩を握りしめて、顔を上げる。

「私を殺してくれ……!」

「なっ……⁉ 何を言っているのですか⁉ ファルシスさん!」

「私にはもう戻る場所などない! そうだ! それがいい! そうすればシャリスの下へ――」

 ファルシスさんはそれ以上言えなかった。

 パーン! と、僕がファルシスさんの右頬を平手打ちしたからだ。

「ファルシスさん……貴女には生きる義務がある……!」

「何を……言っている? 私はもう死ぬしかないのだ! 私だけが生きていても意味はない! シャリスのいない世界で生きるつもりはないし、そもそも生きる義務はなどないはずだ……!」

 パーン! と、再度平手打ちをファルシスさんの右頬にしてから抑揚のない声で僕は言う。

「生きる義務はあります。シャリスさんはファルシスさんを生かすために、わざわざ『時間凍結』の魔法を掛けたのでしょう? それは恐らく、貴女に何が何でも生きて欲しかったからではないでしょうか? 自分の分まで生きて、幸せになって欲しかったのではなかったからではありませんかね?」

 僕の説得にファルシスさんは、右頬を押え、

「そう……であろうか?」

「はい。僕はそう思います」

「しかし……シャリスはもういない……生きる意味が無いのだ……!」

 瞳から一滴、涙が零れ落ちる。それを見た僕は直ちに必死に頭を巡らせ、ファルシスさんの説得に掛かった。

「シャリスさんのお蔭でこの時代にこうして生きている! それは何か意味のある事のはずです! さあ、今日からここが貴女の帰る場所です! お帰りなさい!」

 僕の差し出した手をファルシスさんは、

「た、ただいま」

 おずおずと手を軽く握った。

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