第26話
シアは、朝から憂い顔で机に向かっていた。目の前には、書きかけの便箋が広げられて、乱雑に散らかっていた。
ことはアンジュまでも巻き込んで大きくなりすぎた。いい加減終わらせなければと考え、そのためにはライオネルと話をする必要があった。部屋から出られないシアは、ライオネルに会うためにまずは書面で連絡を取らなければいけない。
久しぶりに手紙を書き始めたはいいが、どうにも上手くいかない。ある程度書いては、送り主のことを思い浮かべる。これを読んでどう思うか。
用件だけの手紙は、可愛げがないと思われてしまうだろう。では、女らしい可愛げのある手紙とはどういうものだろう。長々しく書くのは、相手の多忙の身の上を考えれば不適切だ。
そうして、手紙を読んだライオネルの反応を考える度に、失敗の烙印を押された手紙が増えていった。
だが、その苦労は徒労に終わることとなった。
わざわざ手紙を送るまでもなく、今、シアの前にはライオネルが座っている。
シアの手紙が書き上がるよりも先に、ライオネルからの使者がシアを尋ねた。彼は、ライオネルがシアを呼んでいることを伝えると、できるだけ早く準備をするよう求めた。シアは二つ返事で了承すると、心配そうな侍女をおいて1人で夫のもとへ向かった。
案内されたそこは、応接室として使われているのだろうか。品の良い調度品がさり気なく置かれ、控え目で落ち着いた空間が作られていた。
しかし、現在の雰囲気は落ち着きとは程遠い。重く、ピリリとした緊張感が部屋を覆っていた。その雰囲気を出しているのは、既に部屋にいた3人の男であることは間違えがない。
3人の視線が注がれても、怯むことなくシアは優雅に腰を折った。
「お久しぶりにございます。夫婦で以心伝心だなんて嬉しいです。私も陛下にお会いしたかったですわ」
嬉しそうに、シアはライオネルに笑いかけた。
にこにこと満面の笑みのシアに対して、ライオネルの表情は硬いものだった。感情の読めない瞳で、シアをじっと見つめている。
ややあって、ライオネルが重く口を開く。
「なぜ、自分が呼ばれたかはわかっているな?」
「ええ、もちろん。私もお会いしたかったと申しましたでしょう」
「そうか。――知っての通り、暗殺未遂において王妃が犯人だという話が出ている。そして、その声は無視できないほど大きくなっている」
反応を見逃すまいと、先程より力強い視線がシアに注がれた。それでもシアは、驚いたように軽く目を見開いただけであった。
むしろ、顕著に反応したのはレイフォードだった。「父上!」と声を上げて、非難めいた視線を向ける。
「噂は噂でしょう。証拠もありません。それに、話しを聞くだけだと言うことだったではありませんか!」
「その通りだが?」
ライオネルは悪びれなく返す。
なおも言い募ろうとするレイフォードに、残る1人もライオネルを援護する。
「殿下、落ち着いてください」
「だけど……!」
「罪を暴くにしても、疑いを晴らすにしても、どのみち王妃様にお話しを聞く必要があります」
その男は、綺麗に髪を後ろに撫でつけた生真面目そうな人だった。恐らくはライオネルの側近か何かなのだろう、何度かライオネルの側にいるのを見かけたことがあった。
男はシアに向き直って、冷静そのものな視線を向けた。
「立ち話というわけにはいきませんから、どうぞお座りになってください」
「ご親切にありがとうございます」
シアが席に着くのを確認してから男が話を始める。
「ご存じの通り、件の事件の実行犯は未だに捕まっておらず、主犯も判明しておりません。容疑者の1人でもあるあなた様にいくつかお尋ねしたいことがございます」
「まあ、私も被害者なのではなくて?」
「自分から疑いを逸らすために、わざと自らを襲わせるという手は良くあることです」
「確かにそうですわね。使い古された、古典的な手でもありますね。
では、好きなだけお調べになって。気になることを聞いてくださって結構ですよ」
さあ聞いて下さいと言わんばかりに笑うと、ふむと考え込むように黙った。
「では、遠慮は致しません。――事件前後に、あなた様はなにをしていらしてましたか?」
始めはごく単純な質問から始まった。いつどこで何をしていたか。誰かと会った時に何を話したか。他には誰がいたか。
徐々に徐々に深く、核心的な話しへと入っていく。
「グスタフという男が、事件後に陛下の名を騙って押し入ったと聞き及んでおります。なぜ、そのことをご報告しませんでしたか?」
「あら、侍女や護衛兵から話が行っていると思っていましたわ。そもそも、その後すぐに外出を禁じたのはそちらですのに、どうやって報告しろとおっしゃるの?」
「直接でなくとも、方法は色々あったでしょう」
「直接でないのなら、他の方からの報告で十分だと思いましたわ。申し訳ありません」
続いて噂について、侍女のことについて次々と聞かれるが、シアはのらりくらりと答えていく。男は、それに声を荒げることなく、どこまでも静かに進めていく。
「では、前王妃様についてはいかがですか?」
「かの方についてですか……」
あまりに大雑把な質問に、シアは思わず言葉に詰まった。
噂も知らぬわけではないし、人から話も聞いている。後ろめたい気持ちがあるわけではない。知っていることを明かすのに抵抗はないが、何から話すべきか。
「ご病気だったとは聞いていますが、色々と噂があることも知っていますわ」
「その中に、夫に殺されたというものも?」
「ええ、もちろん知っています」
「それを、王女殿下にお話ししたことは?」
「私からしたことはありませんわ」
3方から注がれる視線を受け流しながら、シアはライオネルに向き直った。
「差し出がましいことかもしれませんが、その件については、陛下がきちんとお話しされるべきですわ。もうユリウス様だって小さな子どもではありません。話せばわかるでしょうし、揺らぐこともなくなるでしょう」
睨むように、ライオネルから向けられる目が厳しいものに変わる。シアも今度は笑って受け流すのではなく、真っ向から強かに見返した。
ライオネルの両脇に控えた2人がの視線が、戸惑うように夫婦の間を行き来する。
張りつめた糸のように絡む視線を先に逸らしたのは、ライオネルの方だった。
「わかった。落ち着いたら、しっかり話し合うことにする。――話は以上だ」
終わりを宣言すると、男たちは早々に帰り支度を始めた。ライオネルも政務に戻るために腰を上げ、座るシアの横を通り抜けようとする。
呼び止めるように、シアが裾を引いた。
「酷いですわ。私も、お話しがございますと申したではありませんか」
両手を重ね合わせて、おねだりするようにライオネルを見上げる。
「お時間いただけませんか?」
様子を窺っている2人に先に戻っているように伝える。レイフォードはあっさり帰ったが、側近の男はやや渋る様子を見せた。同じ言葉を繰り返せば、眉間にしわを寄せて去っていった。
ライオネルはさっきまで座っていた席に再び腰をおろした。
大変お久しぶりになってしまって申し訳ないです。
先ほど書きあげて、あまり見直しもできていないので明日の帰宅後に少し手直しするかもしれません。