第15話 王弟殿下とのデート
勉強や社交に追われる慌ただしい日々が続いていた、ある日のこと。ルミリオ殿下から手紙が届いた。マクシム様経由じゃなかったことに疑問を抱きながら封を開けると、仕事が落ち着いたので演劇を見に行こうというデートのお誘いが綴られていた。
「演劇……」
前世でミュージカルがあまり好きではなかった自分が、果たして楽しむことができるのか。不安を抱きながらも断る理由はなかったので、承諾の返事を返した。
デート当日、約束の場所へ行くと、カフェテラスでルミリオ殿下がすでに待っていた。女性たちが歩きながらチラチラと横目で見て、頬を染めている姿が目に入る。
私もつられてルミリオ殿下を見る。改めて見ると、やはり目を引く人だなと思った。
「お待たせして申し訳ございません」
「いや、今来たところだから大丈夫だよ」
「……」
デートの定型文のようなやり取りに、むず痒い気持ちになった。
「ひとまず、開演時間まで時間があるから、何か食べようか。……君の好きな物を教えてくれる約束だしね」
そう言って、ルミリオ殿下は椅子を引いてくれた。
ルミリオ殿下の向かいに座ると、道行く人たちの視線がこちらに向けられているのが分かった。
少し居心地の悪さを感じながらも、メニュー表を広げる。視線は気になるが、せっかくのデートなのだから、できるだけこの時間を楽しみたかった。
「……ルミリオ殿下も何が好きか教えてくださいよ」
「うん、もちろん」
私たちは好きな食べ物と嫌いな食べ物の話をした。
私は甘ったるいケーキも好きだが、香辛料が入ったクセのある料理も好きだった。一方のルミリオ殿下は、甘いものも香辛料も苦手らしい。
「でも、レモンケーキタルトは好きだよ」
「さっぱりしてるからですか?」
「それもあるけど……、子供の頃、お母様が休憩時間によく持ってきてくれたケーキなんだ」
私は王太合陛下のことを思い浮かべた。
現在は自分の宮殿に引きこもっているらしく、表に出てくることはほとんどなかった。
どんな人なのか少しだけ気になったが、今聞くことじゃないだろうと、頭の隅に追いやった。
「思い出の品なんですね」
「うん」
ちょうど、注文した品が届いた。
ルミリオ殿下は嬉しそうにレモンケーキを食べている。その姿を見ていると、私までなんだか幸せな気持ちになった。
簡単な食事を済ませて、私たちは店を出た。
「じゃあ、行こうか」
そう言って、ルミリオ殿下は腕を組みやすいように、少しだけ脇を開けた。
なんだか気恥ずかしくなりながらも、その腕にそっと手を添える。
こうして腕を組んで歩くのは、いかにもデートらしかった。そう思うと、なんだか落ち着かない気持ちになった。
「そういえば、君の案が役に立ったよ」
一瞬、何のことか分からなかったが、「炊き出しの」とヒントを出されて思い出すことができた。
「お役に立てたのなら良かったです」
「君の視点は斬新でおもしろいね」
「そうですか?」
そういえば、この世界では、炊き出しをするという発想自体がなかった。
ルミリオ殿下はそっと私の顔に近づいた。問題が片付いたからか、いつもより穏やかな表情をしている。
「いつか君が生きていた世界のことを教えてくれる?」
「え?」
「どんな世界で生きていたら、君みたいな子が育つのか気になるから」
「……」
ルミリオ殿下から前世について聞かれたのは、打ち明けた時以外では初めてだった。
まさか、そんなことを聞かれるとは思わなかった。
私は少しだけ考えた末、頷いた。
話したところで特に困ることはないだろう。車や飛行機などは詳しい技術も知らないし、この世界で実現させる能力もない。ただ、この国よりも少し発達した世界の、おとぎ話をするようなものだ。
「いいですよ。いつか時間が取れたときにでも」
「うん」
ルミリオ殿下は嬉しそうに頷いた。
ルミリオ殿下が用意してくれたチケットで劇場の中へ入った。
今日観劇するのは、この国に伝わる神話を題材にしたもので、一番人気の演目だった。
魔獣が溢れた世界。人々は命を懸けて戦ったものの、力及ばず、苦しみに喘いでいた。崩れゆく世界を前に、神が立ち上がった。
人間を愛していた神は禁忌を犯し、自らの力をもって世界を救った。
その代償として、神は人々にその声を届けることができなくなった。
幼い頃に受けた神学の授業で習った内容と同じ物語が、壮大な音楽と俳優たちの迫真の演技によって再現されていた。客席からはすすり泣く声が聞こえ、神を讃える歌が劇場いっぱいに響き渡っている。
「すぅ……」
ただ、ルミリオ殿下は頬に手をついて、眠ってしまっていた。きっと私よりも忙しく、大変な日々を送っているのだろう。それなのに、私とのデートのために時間を作ってくれたのだ。
会うたびに感じるルミリオ殿下の優しさを、私はどういう感情で受け止めていいのか分からなかった。
劇の終盤、神が人々を救い、その後も遠くから見守る場面が描かれた。
神の姿を仰ぎ、涙を流しながら祈りを捧げる人々。その表情には、救ってくれた神への感謝と、もうその声を聞くことができない寂しさが滲んでいた。
私は、その光景をただ見ていた。
「ルミリオ殿下、起きてください」
体を揺すって起こすと、ルミリオ殿下はパチパチと何度か眠そうに目を瞬いた。
「もうそろそろ出ないと」
パチッと目を覚ましたルミリオ殿下から、みるみるうちに血の気が引いていった。これが青褪めるということなのか、と呑気なことを思う。
「大丈夫ですか?」
「すまない……」
頭を抱えると、絞り出すような声で、ルミリオ殿下は呟いた。
「お疲れだったんですから、仕方がないですよ」
私は慰めるが、ルミリオ殿下は悲しそうな顔をした。
「折角のデートだったのに……」
あまりにも落ち込むものだから、怒ってあげたほうが良かったのかもしれないと思った。でも、別に私は腹を立てていないし、ショックも受けていない。
働いていたらこういうこともあると、実体験として知っているからだ。
「ルミリオ殿下、デートはまだ終わっていませんよ」
「え?」
「ほら、行きましょう」
腕を組めるように脇を開けて待っていると、ルミリオ殿下は顔を綻ばせて手を置いてくれた。頑張っているパートナーのために、たまには女性がエスコートしてもいいだろう。
「どこに行くの?」
とはいっても、何か予定があるわけではない。完全に行き当たりばったりだ。
「うーん、そうですね。食事ができる場所に行きましょうか」
お忍び用の格好をしていたら平民街に行くのもありだが、こんなドレス姿では目立ってしょうがない。かといって、格式ばったレストランで食事という気分ではない。それなら、間を取るのが一番だろう。
「ここはどうです?」
そこは平民街と貴族街のちょうど間にあるレストランだった。程よく清潔感があり、程よく騒がしさもある。
「うん。いいね」
パートナーのお許しが出たので、店内へと入った。
予約はしていなかったが、運よく二階のテラス席が空いていた。空が薄暗くなる中、街の明かりが灯る様子は、なかなか幻想的で美しかった。
このレストランは流石というべきか、安いものから高いものまで、幅広いメニューが揃っていた。私は店員を呼び止め、さっそく注文した。
「とりあえず、ビールを一つ」
すると、ルミリオ殿下は目を丸くした。
「ビールが好きなの?」
「はい。ワインより断然ビール派です」
貴族は基本ワインを飲む。ビールは平民の飲み物だと思っている節があった。けれども、私はワインの渋さがどうも好きになれず、前世から愛飲しているビールをこっそり飲んでいた。
「でん……、いえ、ルミリオ様もいかがですか?」
流石にこれだけ人が多い場所で、不用意に殿下と言ってはいけないと首を振る。
「ああ、そうだな。折角だし、同じものを頂こうか」
そう言ってくれたので、私はビールの注文を2に変えた。
あとは店員からおすすめされたものや、手軽に食べられるサラダなんかを注文した。これから食事だと意識すると現金なもので、本当にお腹が空いてきた。
届いた食事を食べると、どれも自分の口に合って美味しかった。今度一人でも来ようと、自然と笑顔になる。
顔を上げると、ルミリオ殿下の表情がどこか硬い気がした。ああ、この人はまた一人で無理をしているのだなと思った。
「ルミリオ様」
私は手袋を脱いで手を差し出した。けれども、ルミリオ殿下は握ってはくれない。
私は、これみよがしに「はぁ」とため息を吐いた。
「私は一生婚約者と肌を触れ合わせることができないんですね……」
「なっ!」
ルミリオ殿下の頬がみるみる赤く染まった。他の人の前ではツンと澄ました表情をしているのに、私の前では少年のように翻弄されている。そんな姿を、可愛いなと思った。
そういえば、以前アニエスがしたり顔で言っていた。『好きでもない男性を可愛いなんて思わない。男性を可愛いと思ったら、もうアウトだよ』って。
「……」
まさか。
おずおずと差し出されたルミリオ殿下の手を握りしめながら、私は内心固まっていた。自然と自分の中で沸き上がった感情に戸惑う。いつの間にルミリオ殿下に対して、ここまで気持ちが育っていたのか……。心臓の痛みなんて、もう全く気にならなかった。




