31話 通告
当主の執務室は、冷えていた。
窓は開いていない。
だが空気が重い。
机上に置かれた封書。
王家の紋章。
赤い蝋はすでに割られている。
「来たか」
当主は短く言う。
ビアンカは半歩前に立つ。
私はその後ろ。
無意識に、視線を封書へ落とす。
「王家より正式な通告」
当主は淡々と告げた。
「ヴァルディエリ家の娘を所望する」
名はない。
あえて、だ。
「第二王子の名で」
私が確認する。
「形式上は」
当主の声音は揺れない。
「だが意志は王家全体だ」
沈黙。
ビアンカの指先がわずかに握られる。
だが感情は表に出さない。
「第一王子の件で、王家は傷を負った」
当主が続ける。
「三家との関係を明示的に修復したいのだろう」
象徴としての婚姻。
均衡の誇示。
私は思い出す。
あの舞踏会。
第一王子が、私の腕を掴んだ夜。
「養女が当主になる可能性もございます」
当主は、あの場でそう告げていた。
静かに。
公の場で。
第一王子は笑った。
軽く。
侮るように。
——養子が当主になれるはずがない。
その表情を、私ははっきり覚えている。
だが。
当主は冗談を言わない。
「王家は、あの言葉を思い出している」
当主の視線が、私へ向く。
理解する。
これは偶然ではない。
第一王子は侮った。
だが王家は、侮らなかった。
「当主になれば、婚姻は不可能」
当主は淡々と続ける。
「三家の均衡条項だ」
当主同士の婚姻は禁じられている。
王家の認可も不要。
現当主と次期当主の契約のみで成立する。
「……つまり」
ビアンカが静かに問う。
「王家は、それを封じるために先手を打った」
「正しい」
当主は頷く。
「当主になる前に縁を結びたい」
私は息を吸う。
「父上」
ビアンカの声は低い。
「出すおつもりは」
「ない」
即答。
空気がわずかに動く。
「ヴァルディエリ家は王家の盾である」
当主の声は明確だ。
「鎖ではない」
私は初めて、腹の底から理解する。
王家が望んでいるのは娘ではない。
均衡の象徴。
支配の証。
「だが」
当主は続ける。
「拒絶はしない」
ビアンカの瞳がわずかに細まる。
「均衡を守る形で、返す」
王家は焦っている。
第二王子は婚姻に否定的。
だが周囲が動く。
「三日後、王家へ返答する」
当主は言う。
「もし王家がなお圧をかけるなら」
視線が、静かに私へ落ちる。
「当主契約を結ぶ」
言葉は重い。
だが揺れはない。
第一王子は侮った。
養女が当主になど、と。
だが。
当主は最初から、その可能性を公に示していた。
王家は今、それを真剣に受け止めている。
甘い時間は終わった。
次に動くのは王家か。
それとも。
ヴァルディエリ家か。




