相沢凜々花の不幸④
凜々花の家の側で待機していると、白いスポーツカーで颯爽と崇己が現れ、幸太朗の前を素通りし、近所を一周した後、駐車場に車を停め、何食わぬ顔で歩いて来た。
「閑静な住宅地だね。こんなところにキミや私が立っていたら、目立って仕方がないな」
「良い隠れ場所があります」
と、幸太朗が指さした先の自販機を見て、崇己は顔をピシリと凍り付かせた。
「絶対に嫌だね!!」
「この際贅沢言わないでくださいよ。この辺りには崇己さんが好みそうなお洒落なお店なんか無いんですから」
「別に洒落てなくても構わないけれど、自販機の影なんて嫌に決まってるじゃないか! それなら車の中で待機していた方がずっとマシだね!」
「あの車は目立ちすぎますよ。それに、僕が乗れませんし……」
「キミの事なんかどうだっていいよ!」
「親友に酷い事言わないでくださいよ」
「だから、私はキミの親友なんかじゃ……」
崇己はピタリと言葉を止めると、遠くを凝視した。幸太朗も振り返って見ると、陰鬱そうな様子の拓斗らしき姿が見え、慌てて崇己の腕を引き、強引に自販機の影へと押し込んだ。
必死に抵抗しようとする崇己の口を塞ぎ、どう見ても犯罪色の強い絵面である。
——まずい! 拓斗さんが来ちゃったぞ。一体どうしたら……。
突如、顎に強烈な攻撃を食らい、幸太朗は脳が揺さぶられた。崇己にアッパーカットを美しく決められたのである。
悶絶して蹲る幸太朗を鼻で笑うと、「私に適うだなんて二度と思わないことだね!」と言葉を吐き捨てて、崇己は乱れたジャケットを整えた。
「ほら、もう後がないんだから覚悟を決めなよ」
崇己から革命の指輪を差し出されて、幸太朗は一瞬視線を外した。どんどん近づいてくる拓斗の姿に焦りが生じ、奪い取る様に指輪を受け取って、左手の親指へと嵌めた。
吐き気がするほどに心臓が強く鼓動する。息が上がり、脳がぐらぐらする感覚に陥った。
「……崇己さん、僕がこの力を使うことで、誰かが死んだりなんかしないですよね?」
崇己は溜息を吐くと、灰色の瞳で幸太朗を見つめた。
「キミが何をどう願おうとしているのかは知らないけれど、もしもの時は私が責任を取ろうじゃないか」
更に言葉を続けながら、崇己は革命の指輪を嵌めている幸太朗の左手の親指に触れた。
「キミが底なしのお人好しだってことを、私は知っているからね」
幸太朗の瞳が熱くなった。自分はお人好しなんかじゃない。それは解っている。それでも崇己は、見放さないと言ってくれているのだ。
全ては幸太朗の良心にかかっている。
幸太朗にとって『幸福』とならない願いを、指輪は叶えてなどくれないのだから。
「それじゃあ、いきます……」
指輪が一瞬眩い光りを放った。
幸太朗は念じる様に閉じていた瞳を開き、顔を上げた。
————崇己の姿が忽然と消えている。
怪訝に思いつつ、凜々花の家の方向へと視線を走らせると、拓斗が玄関前の門扉を開ける様子目に入った。
「拓斗さん!!」
叫んだ幸太朗に気づいて拓斗は一瞬視線を向けたが、それはドキリとする程に殺意の籠った目で、直ぐに前方の玄関ドアへと戻された。腕にぶら下げているホームセンターのビニール袋から、ギラリと光る刃物を取り出す様子が幸太朗の瞳に映る。
「待ってください!! 拓斗さんっ!!」
幸太朗は戦々恐々としながら駆けた。凜々花の家までの距離が嫌に遠く、脚が鉛の様に重く感じ、思う様に走る事ができない。
——一体どうして!! 革命の指輪の力が使えなかったのか!?
もつれる脚が邪魔をして転び、無理やりに動かして立ち上がる間に、凜々花の家の中から悲鳴が轟き、閑静な住宅街へと響き渡った。
——諦めたらダメだ。拓斗さんを止めないと!!
戦慄に包まれながらもなんとか門扉へとたどり着いた幸太朗を、凄まじい衝撃が襲った。身体が吹き飛び、道路へと叩きつけられる。
「ハイ、残念無念だったねぇ。革命の指輪の使い手クぅン」
幸太朗を蹴り上げた脚を戻し、金髪の男がニコリと笑みを向けた。そして崇己と同じ灰色の瞳でゆっくりと覗き込む様に見つめる。幸太朗は激しく痛む鼻から血を垂れ流し、喉の奥に流れ込んだ血液に咽て咳き込んだ。
「叶無多ぁ――!!」
崇己の叫び声に振り向くと、幸太朗と瓜二つの顔をした男が崇己を取り押さえている光景が目に映った。殴られたのか崇己の頬が晴れ上がり、折角の美形を台無しにしながらも、必死に抵抗をしている。
——あれはまさか……。
「久しぶりです。兄さんらしきヒト。貴方の記憶なんて微塵もありませんけれど」
崇己を押さえつけながら、無感情の様に彼が言った。
「まさか、福二朗……?」
ポツリと言った幸太朗の言葉に、彼は僅かに頷いた。
凜々花の家の中からチャイロが元気に飛び出して来ると、まるで待ち焦がれていた相手と再会したかの如く、金髪の男の周囲を嬉しそうに駆け回った。
「クソ犬だけど、わりと役に立ったねぇ」
「……チャイロ?」
鼻血を垂れ流しながら道路に転がる幸太朗には見向きもせず、チャイロは尻尾を振り回し、金髪の男の周りを回っている。
「コイツの体内には盗聴器が取り付けられてるんだぁ。勿論、バッテリー毎埋め込んである。凄いだろぉ? 吠え声が騒がしいと盗聴に支障を来すから抑えているんだ。頭イイだろぉ?」
赤色灯を回したパトカーが近づいてくる様子が見える。恐らく近所の住人が不審に思って呼んだのだろう。閑静な住宅地で男が言い合っている上に、凜々花の家から轟く悲鳴や犬の吠え声、ガラスの割れる音が聞こえてくれば、誰でも尋常ではないと思うはずだ。
「おっと。捕まるワケにはいかないかなぁ。福二朗、撤収しよう」
金髪の男に促されて、福二朗が頷いた。
「叶無多さん、『幸福』は手に入りましたか?」
「ああ。たっぷり頂いた。流石崇己だ、いつもながら良い使い手をみつけるなぁ。でも、俺もやるだろう? そいつの双子の弟を手に入れたんだからさぁ」
スマートフォンを覗き込みながら、叶無多と呼ばれた男がニコリと人の良さそうな笑みを浮かべた。
崇己が福二朗に拘束されたまま怒鳴りつける。
「一体どういうつもりなんだ!? 赦さないよ、叶無多!! 私にはキミの居所を直ぐに検知……」
「煩いですよ」
福二朗は取り押さえていた崇己の腹部を思いきり殴りつけると、幸太朗へと視線を向けた。
「それじゃあ、またどこかでお会いしましょう。兄さんらしきヒト」
「革命の指輪の使い手クン。『幸福』をたっぷり分けてくれてありがとねぇ」
そう言い残すと、二人は素早くその場から立ち去ってしまった。
◇◇
警察からの事情聴取を終えた幸太朗は、崇己の事務所を訪れていた。
崇己は殴られた頬に湿布を貼り、無言のままシガーを吸っている。部屋の照明が心なしか暗く感じ、幸太朗はソファに腰かけたまま絶望に打ちひしがれていた。
拓斗は伯父を殺害した、容疑者として連行されてしまった。動機については黙秘しているらしい。恐らく凜々花を思っての事だろう。話せば情状酌量の余地もあるだろうが、拓斗のことだ、一生口を噤む気でいるに違いない。
「崇己さん……」
幸太朗が消え入りそうな声を発した。崇己はシガーを吸っていた手を止めて、灰色の瞳を幸太朗へと向けた。
「一体誰なんですか? あの、叶無多って金髪の人。崇己さんと同じ瞳の色をしていました。貴方達は一体、何なんですか?」
崇己は小さく何度か頷くと、シガーを吸い、灰皿の上に置いた。細い煙がすぅっと立ち上る。
「キミに訊かれたら話すつもりだった。予定よりも遅くなってしまってすまなかったけれど、話そうじゃないか。私達が何者なのかを」
崇己はそう言うと席を立ち、幸太朗の前のソファへと移動して腰を下ろした。




