相沢凜々花の不幸①
朝日が眩い早朝。幸太朗と拓斗の二人は、チャイロを連れて丘の上にある公園を訪れていた。
『男二人で公園』という絵面はどうにも目立つわけだが、犬の散歩をしている人がチラホラと居る為、チャイロのお陰で上手い事不審な要素が薄らいだ様に思える。
「それで、ここへは何をしに来たんですか? そろそろ教えてください」
幸太朗の質問に拓斗は渋い顔をした。
実のところ、拓斗も崇己から早朝にこの公園に来る様指示されただけで、一体ここに何があるのか全く以て把握していないのだ。
てっきり崇己が待っているものと思っていたが、彼の姿も見当たらない。
毎朝早朝に出かけていたのは、いざこの日が来た時に絶対に寝坊しない様にという、用意周到な崇己から命じられた訓練の様なものだった。
幸太朗にどう説明すべきかと困っていると、遠くで犬の散歩をする少女に目を留め、拓斗はとっさに幸太朗の肩を掴んで木陰に隠れた。
「突然どうしたんです!?」
「しっ!」
拓斗は幸太朗を強引に黙らせて、木陰に隠れたまま犬の散歩をする少女を見つめた。
長い髪を高く結い上げて、犬の散歩には少々不釣り合いな可愛らしい服装ながら、きりっとした意思の強そうな目元が印象的な少女だ。
チャイロとは異なり、凛々しい純白の大型犬を連れている。
「可愛い女の子ですね。まさか拓斗さんの子じゃないですよね?」
小声で質問する幸太朗に、拓斗は「んなわけあるか! 一体俺がいくつの子だよ!?」と小声ながらも凄みを利かせて言った。
少女が遠ざかって行ったのを確認すると、二人は木陰から出、押し黙ったままでいる拓斗を幸太朗が質問したげにまじまじと見るので、その視線に耐えかねて拓斗は「分かった! 言うからそう見るんじゃねぇ!」と悲鳴の様に言った。
「あいつは、『相沢凜々花』。俺の妹だ。勿論、血も繋がっている。母親が病で死んだ時、あいつだけ伯母の元に引き取られたんだ。裕福な家らしくてな、不自由なく暮らしてるって話だ。つっても、年に一回メールが来る程度で、頻繁に連絡を取り合ってるわけじゃねぇが」
拓斗の話を聞き幸太朗は素直に驚いた。だが、言われてみれば彼女のきりっとした目元は、真面目モードの拓斗に似ている気がする。
普段は優男風の気の抜けた顔をしている為、似ていないのだが。
「拓斗さんにあんな可愛らしい妹さんがいたなんて、意外です」
「……なんか失礼だな、お前」
なんとなく面白く無い気分になって言った拓斗にはお構いなしに、幸太朗は話を続けた。
「僕にも双子の弟が居るんです。二歳の頃に養子に出されたらしいので、全然記憶にも無いんですけど。崇己さんに依頼して居場所を探して貰っているんです」
拓斗は幸太朗の言った言葉が妙にひっかかった。凜々花が早朝にここを訪れるということを、崇己は知っていて二人を呼び出したのは明らかだ。
そう考えると、チャイロを一時的に預かる事になったのも崇己の差し金であると見て良さそうだ。
拓斗の中で増々崇己に対する不信感が強まる。
「……なあ、そいつを崇己の野郎に依頼したのはいつの話だ?」
「拓斗さんに会った日だと思うので、ひと月程前でしょうか。何やら厄介な事になってるとか言っていましたけど、その後福二朗の話題に触れようとしなかったので、僕も聞き出せず仕舞いで」
崇己の事だ。大方、幸太朗の弟がどこに居るのか目星がついていることだろう。それだというのにまるで焦らすかのように確信をついた答えを言わないというのは、どう考えてもおかしい。
「胡散臭いにも程があるじゃねぇか……」
小さく独り言のように言って、拓斗は溜息をついた。
「それにしても拓斗さん、ちょっと怪しくないですか?」
幸太朗の質問に、拓斗は視線を向けて「お前もそう思うか?」と聞き、幸太朗は力強く頷いた。
「いくら妹さんが心配だとしても、早朝にこんなところで隠れて毎日見張るなんて、怪しいですよ」
「……は!?」
「ストーカーと思われて通報される可能性もあるので、止めた方がいいですよ?」
「いや……そうじゃなくてだなぁ!? これは崇己の野郎が嵌めやがっただけで……」
「崇己さんのせいにするなんて、良く無いですよ」
「……」
——駄目だ、こいつ完全に崇己の野郎を妄信してやがる。
拓斗は幸太朗に説明をするのを諦めて、家に帰ろうと促した。
日が昇るにつれて気温が上がり、暑さが身に纏わりつく様だ。
途中、ふわふわの毛でまん丸になっているチャイロに水を飲ませてやり、自分達も水分補給の為に自販機で飲み物を購入した。
冷えた飲料をぐびぐびと喉に流し込みながら、幸太朗はふと所在無さげに佇んでいる少女の姿に目を留めた。
拓斗の妹、凜々花だ。
彼女は純白の犬のリードを握り締めたまま、クリーム色の壁の大きな家の前で、まるで入る事を躊躇しているような素振りで俯き、心配そうに見上げる犬の頭を時折撫でてやったりしていた。
拓斗もそれに気づいたようで、慌てて自販機の横に身を隠したが、凜々花は決心した様に顔を上げ、玄関前の門扉を開いて入って行った。
幸太朗は彼女のその様子が嫌に気になった。
拓斗が子供の頃、『家に帰りたくない』と言っていた姿と重なったのだ。
——拓斗さんは、父親に虐待されていた。だから家に帰りたくないと言ったんだ。けれど、凜々花さんは一体どうして……? 裕福そうな大きな家で、拓斗さんにも年に一回の頻度だとはいえ、何不自由なく生活していると連絡していた。
……不自由無い人が、家に帰る事を躊躇するだろうか……?
「幸太朗、帰ろうぜ? 暑いし、チャイロがバテちまう」
「すみません、拓斗さん。僕、誤解していました」
唐突な幸太朗の言葉に、拓斗は訳が分からず小首を傾げた。だが、ようやく崇己の怪しさに気づいたのかと思い、ニッカリと笑った。
「良かったぜ。解ってくれたか!」
「はい。拓斗さんは、凜々花さんが虐待されているんじゃないかって、心配で見守ってあげていたんですね。妹思いで優しい人だったなんて、見なおしました」
拓斗は一瞬、幸太朗が一体何を言っているのだろうかと眉を寄せたが、ハッとして凜々花が入って行った家へと視線を向けた。
——あいつが、虐待を受けてるだって……?
拓斗の脳裏に、父親からの暴力に怯えていた記憶が蘇り、吐き気が襲い掛かった。
何故疑問に思わなかったのだろうか。凜々花は拓斗の三歳下。十八歳の女性だ。それだというのに、何処から見ても少女であるとしか言いようのない服装をし、そのくせ顔立ちは何処か大人びているのだ。
——まさか、少女趣味の服装を強いられている……? 理由はもしかして……?
拓斗はゾッとし、直ぐにでも凜々花を助けにあの家に飛び込みたい衝動に駆られ、怒りを込めて一歩踏み出た。
「プン!! プンプンプン!!」
チャイロが間抜けな鳴き声で吠え、拓斗はハッとして脚を止めた。
家庭の事情というものは、冷静にならなければ最悪な結果を招いてしまうデリケートな内容であると、自分が痛い程によく分かっている。
「凜々花さんがどんな状況にあるのか聞き出しましょう。その為に僕に手伝って欲しかったんですよね? 自分だと凜々花さんが気を使って話さないだろうから。大丈夫です、任せてください!」
幸太朗の申し出が染みる程に有難かった。
拓斗は唇を噛みしめながら頷くと、幸太朗に頭を下げた。
「頼む。俺一人じゃどうにもならねぇんだ」
「勿論ですよ!」
こんな時、底なしのお人好しである幸太朗は心強い。見返りを求めるわけでもなく、純粋に拓斗の為だけを思ってのことでしか彼には無いのだから。
崇己は一体どこまで計算をしてそうしているのかと考えて、拓斗は増々ゾッとした。




