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大革命  作者: ふぁる
15/20

不信

 空が白んで来る頃、気遣いながらもせかせかと出かける準備をする物音が、幸太朗の耳に響く。ここ数日、拓斗は夜明けと共に外出していくのだ。以前は昼過ぎになっても起きず、遅刻をして崇己に烈火のごとく叱られたと笑って話す程に、時間にルーズだったというのに。


 だが、幸太朗は拓斗の行動について特に聞き出す様な事をしなかった。


 施設出身者は比較的時間にルーズな者が多い。また、他人との距離感が理解できない者も多く、『施設出身者あるある』だと言われる程だ。

 幸太朗が今まで他人となるべく深く関わらない様にしているのにも、彼が不幸体質であるという以前にそういった理由があった。

 親に愛される事無く、常に愛情に飢え、求め続けるような生活を幼少期に送っていると、大人になってからの人間関係にも支障を来すのだ。


 入れ替わりの激しい施設の職員を見てきている為、人見知りが無く比較的社交的な大人へと成長するわけだが、信頼関係を築く事が難しい。


『どうせ、すぐに自分の側から離れて行ってしまう』


 諦めの様なその考え方が常に根底にあり、人に執着しなくなる。例え拓斗が出て行く事になろうとも、幸太朗はあっさりと承知する事だろう。自覚が無い以上、直し様のない特徴だと言えるわけだが、拓斗もまた同様だ。

 彼もまた、あっさりとした人間関係しか築く事が出来ずにここまで来た。


 しかし、『崇己』という存在が二人の関係を絆の様に結び止めている。


 無論、本人には全く以て想定外であるわけだが……。



◇◇



 その日、幸太朗はいつもの様にハローワークに出かけていた。収穫もなく、落胆しながら外へと出ると、真夏の真昼間だというのに薄暗い事に気づいた。

 嫌な予感がすると思った矢先、大粒の雨粒が容赦なく降り注ぎ、念の為と持って来ていた傘は跳ね返るしぶきで最早なんの役にも立たない。

 慌ててハローワークの中へと戻ろうとしたものの、革靴が滑り、水浸しの路面に尻餅をついてしまった。こうもびしょ濡れになってしまえば、今更雨宿りをしたところで最早無意味だ。


 諦めてとぼとぼと帰路を歩んでいると、以前崇己と共に立ち寄った喫茶店が見えた。

 テラス席の客達は皆店内へと避難したようで、店内は普段以上にごった返していた。


 崇己と立ち寄ったのが随分と昔の事に感じる。彼は元気だろうか。

 恐らく自分が心配するまでもなく、いつも通りのクールな様子で何一つ変化など無いだろう、などとぼんやりと思いながら店の前を通り過ぎようとして、ふと、窓辺の席に見覚えのあるシルエットが目に入った。


 雨粒が沁みてぼやける瞳を擦り見ると、背もたれにもたれかかりながらもピンと伸ばした首筋、ホットコーヒーのカップを上品に持つ仕草。間違いなく崇己であると認識した。

 崇己の前には誰も座っておらず、飲み終えた空のプラスチック製の容器が置かれていた。


——声を掛けたい、けれど……。


 幸太朗はずぶ濡れ状態の自分を見下ろして、溜息を一つついて再び歩き出した。


——僕はまだ、革命の指輪を使う気にはなれない。だから、僕に崇己さんと会う資格なんか無い。いつも言っていたじゃないか、『私は暇じゃないんだ。キミにばかり時間をかけてなんかいられない』って。


 革靴の中は洪水状態で、歩く度に不快な音を発したが、降り注ぐ雨音で掻き消される。無論、そんな豪雨の中歩いている者など幸太朗以外見当たらない為、気にする必要など無いわけだが。


 急に孤独になった様に感じて、幸太朗は悲しくなった。鼻先から滴り落ちる雨粒を拭いながら歩いていくと、前方からこげ茶色の何かが向かって来る様子が見えた。


「え!? 嘘だろう……?」


 咄嗟にしゃがんだ幸太朗の元に、それはすんなりと近寄ってきて、びしょ濡れの尻尾を嬉しそうに振り回した。


 小型犬だ。犬種はよく分からないが首輪もついていない。


——こんなに人に懐いているんだから野良犬じゃ無さそうだし。そもそも野良犬なんて保健所がすぐに捕まえるだろうから、見た事無いし……。迷い犬かな?


 周囲に飼い主が居ないか見回してみたものの、豪雨の中は視界が悪く遠くまでは見えない。

 雨の中放っておくわけにもいかず、仕方なく一時的に保護しようと決めて、幸太朗は自宅へと向かった。犬はまるで幸太朗が飼い主であるかのように素直についてくると、部屋にもわが物顔で入って行った。


「わ! ちょっと、拭いてからじゃないと……」

「お、幸太朗。帰ったのか。酷い雨……」


 ひょっこりと顔を出した拓斗に、犬がびしょ濡れのまま突進し、飛び掛かった。


「うわ! 冷てぇ!! なんだこいつ!! シャワー浴びたばっかりだってのにっ!!」


 大喜びで尻尾を振り回しながら拓斗の顔中を舐めまわし、しまいには身体を豪快に震わせてそこいらじゅうに水滴を飛び散らした。


 室内は大惨事だ。


「プン! プンプンプン!!」


 どうやら犬の鳴き声らしい。妙な鳴き声ではあるものの、小型犬特有の甲高さは皆無である為、近所迷惑にもならないだろう。

 幸いにしてこのマンションはペットの飼育が可能だ。


 幸太朗は拓斗にどう説明すべきかと迷い、ずぶ濡れのままで苦笑いを浮かべていると、「とりあえず風呂に入ってこい。風邪引いたって病院代がバカにならねぇんだから」と拓斗に促されて、素直に従う事にした。


「で? こいつはどこから拉致してきたんだ?」


 風呂から上がった幸太朗に、拓斗はうんざりしたように言った。犬は拓斗の手により乾かされ、雨でぺしゃんこになっていた毛並みが嘘の様にふっくらと膨らみ、丸まるとしていた。


「……あれ? これ、同じ犬ですか?」

「ああ。流石にこの短時間でどこからか連れて来てすり替える芸当は俺にはねぇな」


 苦笑いを浮かべた拓斗に「ですよね」と言いながら、幸太朗が経緯を説明すると、「迷い犬か……」と言って拓斗はスマホで写真を撮った。


「一旦SNSにアップして飼い主が名乗り出ねぇか様子見しようぜ。警察だの保健所にも連絡しておかねぇとな」


 手際良く進める拓斗を不思議そうに見つめていると、「便利屋で、迷子犬を探してくれって依頼もあったんだ」と得意気に言った。

 そうしている間も、犬は落ち着かない様で家中をあっちへ行ったりこっちへ行ったりとうろついている。


 少し前までは自分一人しか居なかったマンションに、拓斗と犬が居るという光景は妙に新鮮に映る。なんだか寂しさが消えた気がして、幸太朗は嬉しくなって手を伸ばした。


「犬、おいで」

「プン!!」


 それを聞いた拓斗が噴き出して、「その呼び方はどうなんだ!?」と突っ込みを入れた。


「でも、一時的に保護しただけですし……」

「それにしたってよぉ。いいじゃねぇか、一時的にでもとりあえずの名前つけて呼んでおけば」

「とりあえずの名前ですか」


 必死に頭を捻ってみたものの、一向に思い浮かばず、拓斗が業を煮やして助言した。


「茶色いし、小型犬だし、『モカ』だの『ココア』だの、茶色い洒落た飲み物の名前なんかどうだ?」


——茶色……。


「……みそ?」

「飲み物じゃねぇだろ!」


 幸太朗は唸りながら考えて、顔を顰めた。脳裏に『う〇こ』が浮かんだわけだが、そんな言葉を口に出そうものなら絶対に拓斗に叱られるだろうと思い、自重した。


「思い浮かばねぇなら、茶色い洒落た食いモンとかどうだ?」

「……からあげ?」


ふわふわの毛がまん丸シルエットを創り出している茶色い犬を見て、拓斗は渋い顔をした。


「なんつーか、非常食感強くねーか? 洒落てもいねぇし」

「じゃあ、『チャイロ』で良く無いですか? ここはシンプルに」

「シンプルっつーか、まんまっつーか……。ま、いいか」


拓斗は早速「チャイロ、雨が上がったらお前の飯を買いに行ってやるからな!」と言って、頭を撫でてやっていた。動物の名を初めて付けた幸太朗はなんだか嬉しくなって、微笑んだ。


「拓斗さん、ところで毎朝早起きしてどこへ出かけてるんですか?」

「唐突だな、お前!?」


 チャイロが尻尾を振り回しながら幸太朗の膝の上に登って来て、ペロペロと顔を舐めまわした。その様子を見つめながら、拓斗は困った様に片眉を下げてため息をついた。


「ちょっとばかし厄介事でな」


 そう言った後、少し間を開けて拓斗は言葉をサラリと吐いた。


「幸太朗、明日手伝ってくれねぇか?」


 何故だか気まずそうな、あまり突っ込んだ質問をして欲しく無さそうな雰囲気が拓斗から感じ取られる。


「また崇己さんからの依頼ですか?」


 率直な幸太朗の問いかけに「ああ」と答えると、拓斗は視線を逸らした。


「分かりました。手伝います」


 了承した幸太朗に安堵しながら、拓斗は立ち上がった。

 窓の外は先ほどの豪雨がすっかりと上がり、雲の合間から日差しが射し込んで見えた。


『幸太朗がもし、キミの行動に対して質問してきたら、依頼を手伝う様に言うんだよ。いいね?』


 それが、崇己が拓斗へと伝えた依頼内容だった。


——崇己の野郎、一体どういうつもりなんだ……?


 拓斗は段々と崇己に対して疑問を抱く様になっていた。

 幸太朗に対しやたらと執着する崇己に対して、だ。


 チャイロの件も、もしや崇己が——と考えて、まさかと考えを打ち消した。少なくとも幸太朗が嬉しそうに犬と戯れる姿は、嘘偽りのないことだ。


 それまでをも、あの得体の知れない男の思惑通りだとは信じたく無かった。

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