1日目-2
礼儀正しい謙虚な姿勢も、真摯な懇願もユイを動揺させた。表面上は落ち着きを保っているが、異世界の存在に頼るしかない自分たちの無力を恥じる気持ちが言葉の端々から感じられた。
一周目で耳にした評判や目で見た光景と印象が違いすぎる。冷酷無比傲岸不遜はどこに消えたのか。これではまるで別人だ。
黙り込んだユイを怪訝に思ったのだろう、レヴィンが端正な面を上げた。
「聖女様?」
「……今日は……何月何日?」
極度の混乱に怒りが霧散していても、さすがに敬語で話す気にはなれない。だがレヴィンは気分を害した様子もなく、年を含めて日付を答えてくれた。
やはり今日は一周目で聖女召喚のあった日だった。戦争の一年前だ。本来マリスレイスで行われるはずの儀がこちらの国で行われたのだろうか。
過去に戻り本来の流れとは異なる行動を取ったために未来が変わったのなら分かる。ユイはそれを目指してもいる。だが初っ端から差異があるのはどういうことなのだろう。巻き戻りはしたけど開始地点が違う? なんだそれ。
疑問が口に出ていたらしい。レヴィンが軽く眉根を寄せた。
「聖女様? どういうこと、とはいったい? もしや神により天から遣わされたのではないのですか?」
何か勘違いをしているようだったが、都合がいいので乗ることにした。
「天? 何を言ってるの。私はマリス……いや、こことは違う世界にいたはず。なのに……ここはどこ? 何かの撮影?」
「……なるほど」
レヴィンは軽く目を伏せた。おもむろに立ち上がると大司教に指示を出し、ユイに神聖力があるか確認させる。どうやら召喚の失敗を疑っているようだ。だがユイは自身の内側に馴染みのある力の波動を感じていた。総量こそ処刑時点からはぐんと減っているが、一周目の召喚当時もこのくらいだった。
大司教の方でも感知したらしく、レヴィンにしかと頷いた。
「他の聖女とは比べ物にならない膨大な神聖力をお持ちです。古い文献を手あたり次第に解読し、やっとの思いでお喚びした神の御使いたる聖女様に間違いありません」
「黒髪黒目も文献の通り……なら、多少予定は狂ったがすべきことは変わらないか。――聖女様」
「聖女って呼ばないで」
その呼び名は凍てつく雪夜の嫌な記憶と密接に結びついている。仕方ないとはいえあまり連呼されたくなかった。
「失礼しました。では御名を伺っても?」
「……鳴坂結衣」
「ナルサカユイ様。聞き馴染みはないが不思議と美しい名だ」
ふわりと甘く微笑まれ、ユイの中の不気味目盛りがぐんと上がった。
「ちなみにユイが名だよ。鳴坂が姓……家名みたいなもの」
「そうでしたか。ではナルサカ様、どうぞこちらへ。お疲れでしょう、お部屋をご用意しております。詳しい説明は明日にでも。どうぞ今日はゆっくりお休みください」
「殿下、案内は私が」
「無用だよ」
慌てて役割を代わろうとした大司教をやんわりと押し止め、レヴィンは慣れた手つきでユイの手を取ろうとした。白手袋を嵌めた指が触れる寸前、ユイは咄嗟に手を引っ込めた。この男、油断も隙もない。
拒まれるとは思わなかったのかレヴィンは一瞬動きを止めた。すぐに安心させるように笑みを深くする。
「お手をどうぞ。それともそちらの世界では女性に付き添う作法が異なりますか?」
ユイには馴染みがなかったが元の世界にもそういう文化はあるといえばある。その上こちらの作法と変わらない。だがユイは嘘をついた。
「昔はあったらしいね。でも、今じゃその時代を描いたお芝居くらいでしかしないよ」
「そうでしたか。こちらでは当たり前なのですが、そちらの世界とは常識からして異なるのですね。よろしければそちらの世界のことを色々と教えてください」
「興味があるの?」
「もちろんです。ナルサカ様のいらっしゃった世界ですから」
崇拝する聖女に対するもの以上の興味を感じさせる微笑みを向けられ、ユイは口を閉ざした。
レヴィンは強引に手を取ろうとはせず、ユイを先導するように歩き出した。いつの間にか魔法陣は消えていた。
神官たちの恭しい見送りには意識を向けないようにして廊下に出ると、ひやりとした冷気に包まれた。季節は冬。寒くて当然だ。今の今まで寒さを感じなかったのは魔法で部屋を暖めていたためだろう。
温度差に身体が驚き、小さなくしゃみが出た。
「寒いですか?」
「いや、大丈夫――なにこれ」
「これ以上冷えるといけませんから。私の上着で恐縮ですが、ないよりましでしょう」
ユイは肩にかけられたレヴィンの上着に触れた。最上級の絹で丁寧に織られたそれは思わずほっと息が漏れる暖かさだった。この男の体温の残滓については考えないことにする。
「魔法を使えば……ああ、そちらの世界に魔法はありますか?」
「ない……ね」
「魔法とは体内の魔力を紡いで放つ技のことです。それを使えば手早く周囲の温度を上げられます。実は先ほどの部屋も魔法で室温を上げていたのですが、今はやめておきましょう」
「なんで? いやっ、やってほしいわけじゃないんだけど」
「だって、未知の力は恐ろしいでしょう?」
「……そうだね」
実際のところは一周目の世界で毎日のように見ていたが知らないふりをしておいた。彼がどこまで元の世界について知っているか分からない。不用意な発言は命取りだ。秘めた手札は多ければ多いほどいい。一周目の上級貴族との駆け引きで学んだ処世術だ。
ユイは高い位置にある端正な横顔を盗み見た。王族自ら案内を買って出たことといいこの上着といい、出会い頭からいやに優しい。いずれ救国の聖女になる女性相手だからだとしても、真反対の顔を知っているユイからすれば怪しさ満点だ。警戒するに越したことはない。ユイは心の壁を引き上げた。
異世界の聖女が現れなかったマリスレイスの現状も気になる。どうにかして情報収集できないだろうか。
レヴィンの他愛ない質問に答えたりはぐらかしたりしながら、ユイは思考を巡らせた。




