7日目-2
ユイとレヴィンを乗せた馬車は順調に轍を刻んだ。
王都を出立して半日。しばらく道なりに進んだ先に、城壁に囲まれた大きな街が目に入った。傾いた夕日を受けて油絵のような鮮明な明暗を描く街並みに、ユイはほうと息を呑んだ。
「きれい……」
「場所柄、旅の中継点に選ばれやすいんだ。白壁の建物が多いんだが、ここから分かるかな。この街は観光業に力を入れていてね、白壁は景観統一に関する取り組みの一環なんだ」
「よく知ってるね。なんか意外」
「私が王子だと忘れてもらっては困るよ。都市の特徴を把握するのは当然だ。為政者は権力に甘んじて贅を尽くすためにいるんじゃない。民の生活を豊かにするために存在するのだからね」
「…………」
ユイの中で彼の人物像がまた一段変化した。心の壁が少しずつ低まっていく。
「今夜はあの街で宿を取るよ――」
レヴィンの語尾がふつりと途切れた。同行する騎士の一人が緊迫した面持ちで馬車に馬を寄せてきたからだ。
ユイを下がらせ、入れ替わりに扉に近づいたレヴィンが応対する。騎士は細かな装飾の施された懐中鏡を差し出した。
「王城の第一王子殿下からです」
「兄上から?」
柔らかな瞳に鋭い光が宿る。懐中鏡を受け取ったレヴィンはユイに断りを入れ、鏡面を覗き込んだ。
「緊急ですか、ラルバ兄上」
『そこに聖女はいるか?』
「……これは王族とごく一部の限られた高官しか使用が許されない非常回線ですよ」
『俺は正統な王の息子だから何も問題はねえな』
「火急の用でないならわざわざ連絡してこないでくださいと言っているのです」
レヴィンが苦言を呈する。不測の事態が起きたわけではないと判明したにもかかわらず、纏う空気から険しさは消えない。
ユイは座席に戻り、第一王子に関する知識と記憶を呼び起こした。
ラルバ・フォン・トゥバキア。王と正室の間に生まれた第一子であり、王位に最も近い男である。正確な年齢は覚えていないが、確か二十代半ばだったはずだ。
我が強く不遜で大胆。生まれて間もない頃から帝王学を叩き込まれたため執政の腕は確かだが、多少の不都合は暴力で解決しようとする気性の荒さが目立つ。
一周目の世界でフェルティスから又聞きした限りでは頻繁にマリスレイスにちょっかいを出しており、レヴィンとは別の意味で要注意人物だった。
『聖女の顔を見せろよ。そこにいるんだろ』
「用があるならまず私を通してください。尤も結界に何かあったなら兄上でなく大聖堂から連絡があるはずですが」
『聖女の騎士気取りか? 随分偉くなったモンだな、混じりもの風情が。オレに指図するなど百年早いわ』
どうやら兄弟仲はよろしくないようだ。互いの言葉の端々から棘を感じる。だが何よりユイが気になったのは、ラルバが吐き捨てた『混じりもの』という呼び方だった。
王族の家系図を遡れば、魔法を神から授かった一人の男が迷える隣人を救い、やがて一国を治める王となった神話に行き着くからか、魔力保持者は王侯貴族に多い。それはマリスレイスもトゥバキアも同じだ。
由緒正しき侯爵家の母を持つラルバは生粋の魔力保持者、貴族の中の貴族だった。
とそこで、そういえばレヴィンの母親について全く知らないな、とユイは思った。気にしたこともなかった。
もしかするとラルバはレヴィンの魔力量の少なさ、ひいては母親の爵位の低さ『混じりもの』と揶揄したのかもしれない。
機会があればレヴィンに母親について尋ねてみようかな、と心に留めながら懐中鏡に視線を落とす彼を何気なく見上げる。その瞬間ユイは呼吸を止めた。
思わず背筋を凍り付かせるほど冷え切った瞳だった。
自分に向けられたものではないのに鳥肌が止まらない。と同時に裏切られたような気持ちになり、ユイは戸惑いを覚えた。
射殺さんばかりの視線を受けてなお、ラルバの傲然とした態度は崩れなかった。
『<エーデの裂け目>に向かってるんだって? あんな危険な場所に聖女サマを連れて行くなんてどういうつもりだ?』
「実際の土地を自分の目で見たいという本人たっての希望です。彼女の気持ちは尊重すべきでしょう」
『こっちの世界に来て日の浅い異世界人にまともな……常識的な判断ができるかよ』
途中言葉を言い換えたラルバが強い口調で続ける。
『そこを補助して導くのがてめえの役目だろ。そんなことも分からねえヤツに聖女サマは任せられねえな』
「もちろん安全には十分に配慮しています。兄上のご心配には及びませんよ」
『そもそもだ。<エーデの裂け目>はともかくマリスレイスに繋がる大橋を見せて何になる。あの国は魔法石の鉱山くらいしか価値のねえ、取るに足らない弱小国だろうが』
ユイは自分の中で何かが切れる音を聞いた。次の瞬間、レヴィンから懐中鏡を奪っていた。
「ユイ?」
レヴィンの素っ頓狂な声が耳を素通りする。
初めて見た第一王子は想像通りのいけ好かない顔をしていた。
内心の気性を表わすように逆立った赤髪に、吊り上がった獣の瞳。まるでこの世の全てが我が手中にあると言わんばかりだ。
『お、やっぱいるじゃねえか。初めてお目にかかる、聖女サマ。本当はもっと早く挨拶したかったんだがそこの腹黒に巧妙に拒否られ続けてな。何人かの貴族は王城ですれ違ったらしいがうちの派閥の者はなぜか誰一人会えねえし、アンタが怒ってねえか気がかりだったんだ。礼を欠いたことを謝る――』
「マリスレイスに価値がないってどういうこと⁉」
謝意の感じられない態度で謝るラルバを遮ってきつく睨み付ける。挨拶などどうでもいい。琴線に触れたのはそこではない。
『なに怒ってんだ? どういうことも何もねえよ。聖女サマはまだ知らねえかもしれないがな、あの国よりオレたちの方が魔法の技術も軍事力も上なんだよ。一発戦争でもすりゃ分かってもらえるだろうさ。今は謎に手を取り合おうとしてるが、オレが王になったら世界を手に入れる手始めにマリスレイスを潰すな。まぁオレが直接手を下すより先に大瘴気に呑まれて滅亡するかもしれねえが』
「…………」
ユイは緩慢な動作で顔を俯けた。腹の底からふつふつと怒りが湧き上がる。手の中の懐中鏡がみしりと不気味な音を立てた。
『そんなことより王城に帰ってきたらオレの元に来いよ。レヴィンのところじゃ手に入らねえ珍しい果物を食わせてやる』
「っ、マリスレイスのこと何にも知らないくせに! 生憎果物は大っ嫌いなの。私に構わないで!」
叩きつけるように懐中鏡を閉じる。弾みで手の中から飛び出したそれが何度か床の上を跳ね、対面の座席の下部に当たって止まった。
馬車内に冷たい沈黙が落ちた。
ややあってレヴィンが口を開く。
「……果物嫌いなのかい? 白桃もテコの実もすりおろし林檎をかけた豚肉も、どれも美味しいと食べていたはずだが」
揶揄いを含んだ声が癪で、ユイはそっぽを向いた。
「じゃあ好きなんじゃない?」
「素直じゃないね」
「君ほどじゃないよ」
「……ふっ」
ははっ、と笑い声が弾けた。虚を突かれて見遣れば、冷酷で恐ろしいはずの第三王子が口元に綺麗な弧を描いて笑っていた。
「…………」
「強面で王太子でもある兄上に啖呵を切った女の子は初めてだよ」
「それ褒めてる?」
あまりの驚きで警戒心のない返しをしてしまった。もちろん褒めているよ、と笑いの尾を引いた顔で肯定される。ユイは憮然とした。絶ッ対馬鹿にしている。
「ふふ。ああ、本当に……君は訳が分からないな」
どこか特別な色を含んだ口調だったが、頬を膨らませて憤るユイはその微細な変化に気付かなかった。
「バンッてすごい音したけど大丈夫ッスか……って、殿下が笑ってる⁉ え、魔族でも来るッスか⁉」
懐中鏡を乱暴に閉じた音を聞き留めたのだろう、薄く開いた扉から逆さまに顔を覗かせたアイラックがぎょっと目を丸くした。




