お兄様(仮)の珈琲で安らぎを?
「ん〜!? 美味しい! はぁ〜……せっかくハーフで作ってもらったのに、お替りしたくなってきちゃった!」
カンナお嬢様はサンドイッチをあっという間に完食すると、緩み切った頬に手を当て、幸せそうな吐息も漏らした。
こうして見ると、やはり学校で会った時とは真逆の印象だ。
『レイブンヴィル』の非日常的な雰囲気が背中を押しているのかもしれないが、彼女が此処に来てから見せている表情はどれも素直で柔らかい。
学校での気丈な態度は、やはり虚勢なのだろうか?
ともあれ、此処での私は彼女の執事でありお兄様。せいぜい奉仕に励むとしよう。
「お嬢様、ご希望とあらばもちろんお替りもお持ちしますが、折角なので、此処はケーキやスコーンなど、スイーツと共にお茶を、もしくは……“珈琲”を召し上がるのは如何ですか?」
「コーヒー?」
お嬢様は少し驚いたような顔で私の言葉を反芻する。だが、それも仕方の無いことだ。
『レイブンヴィル』はご来館頂いたご主人様に、“執事が仕えている”という非日常をよりリアルに体感して貰えるよう、英国貴族をイメージした品物を提供している。
そして、貴族の優雅な一時と言えば、やはり想像するのはティータイム。要するに紅茶を嗜む光景だ。
勿論、中には紅茶よりも珈琲を好むご主人様もいらっしゃる為、以前は申し訳程度にブレンドコーヒーだけを用意していたが、注文される事は滅多に無かった。
カンナお嬢様もそれを知った上でご来館している以上、やはり期待していたのは上質なダージリンやアールグレイ、もしくはオリジナルブレンドのスペシャルティーなどだろう。
だが、彼女の反応は想定の範囲内。寧ろ、期待通りだ。
「はい。ただし、このレイブンヴィルで私だけが淹れることができる、少しだけ『特別な珈琲』です」
「お兄様だけが?」
「ええ。特技、と言うと些か大げさですが、私の生家は喫茶店を営んでおりまして、特に珈琲には拘りがあるのです」
本当の事を言うと、面白半分でうちの店へ来た蓮花さんが私の淹れた珈琲を飲んで、「おお! なかなか美味いじゃねーか! おいアキ坊、小遣いやるから俺が店にいる時はいつでも淹れれるように用意しといてくれよ」と、思いつきで言い出したのが発端。
存外に桐生さん達先輩方にも好評で、ご主人様が珈琲をご要望された時は、提供するようになった。
「へぇー!? それはちょっと飲んでみたいかも! あ、でも……私、普段あんまりコーヒーって飲まないから、味の違いとか分からないかも?」
お嬢様は恐る恐る伺うように、こちらを見上げる。
だが、勿論この反応も想定通り。というか、私のような特殊な環境で育たない限り、珈琲の違いが分かる高校生など早々居ないだろう。
「お気になさらないで下さい。お口に合うか合わないか、それだけお聞かせ頂ければ十分です。もしお口に合わなければ、すぐに紅茶とお取り替えしますので、ご安心を」
「ほんと? じゃあ、お願いしようかな」
「ありがとうございます。では、ご一緒に召し上がるスイーツは如何なさいますか?」
「スコーン! ママに、ここのスコーンはすっごく美味しいって教えてもらったの!」
「かしこまりました」
私は慇懃に一礼して、スコーンと珈琲を淹れる用意をするため、再びその場を離れようと一歩踏み出す。
その背中に、又してもお嬢様の声が掛けられた。
「あ、お兄様、その、今度は……」
「すぐ、戻って参ります」
間髪入れずに返事をして微笑むと、お嬢様もまた、照れながら嬉しそうな笑顔を私に向けてくれる。
「うん。約束ね」
「はい」
++++++
私はカンナお嬢様との約束通り、あらかじめ用意しておいた器具とコーヒー豆を手にテーブルへとすぐ戻った。
お嬢様の表情は明るく、どうやら今回はご機嫌を損ねずに済んだようだ。
「お待たせ致しました。それでは早速、こちらで珈琲を淹れさせて頂いても宜しいでしょうか?」
「うん! でも、コーヒー淹れるのって意外と大変そうだね?」
お嬢様は私が持ってきた器具を興味深げに眺め、小首を傾げる。
「もちろん、美味しく淹れる為にはそれなりに数をこなさなければいけませんが、基本的な行程は大きく分けて二つだけなので、そんなに難しくはないですよ」
私はお嬢様にそう言って微笑みかけ、豆を挽く準備を始める。
「まずは、この『ミル』という器具で、珈琲豆を挽き潰して粉にしていきます」
言いながら、私は砂時計を上半分だけを切り取ったような円錐状の容器の蓋を開け、コーヒー豆を入れる。取っ手を回すと、豊かな香りと共にガリッ、ガリッ、と小気味の良い音が聞こえてきた。
因みに、今日の豆はコロンビアの物をチョイス。少し高級な豆だが、甘い香りとコクがあり、仄かに感じるフルーティーな酸味が珈琲の苦味に不慣れな人にも優しい、人気のある豆だ。
「ん〜っ! 良い香り! それに、この音もなんだかクセになる感じで好きかも」
カンナお嬢様は嬉しそう顔を綻ばせ、胸いっぱいにコーヒー豆の香りを吸い込んだ。
その幸せそうな顔を間近で見てしまったせいか、私の口もついつい緩んでしまう。
「本番はこれからですよ、お嬢様。この粉を、こちらのドリッパーという器具に入れて、お湯で濾します。豆を挽く時も勿論素晴らしい香りがしますが、やはりこの作業をしている時に広がる芳醇な香りには敵いません。うちの妹なんかは、私や姉がお湯をこのドリッパーに注いでいる時の珈琲の香りで目を覚ますこともあるくらいで……あ」
し、しまった!? 今はカンナお嬢様の「お兄様」という設定なのに、リアル妹のことを引き合いに出すとか、我ながらなんという凡ミス!
私は心中でのたうち回りながらも、少しだけ冷ました熱湯をドリッパーに円を描くように注ぎながら、手元が狂わないよう恐る恐るお嬢様の表情を伺う。
「あ、あの、お嬢様、今のはっ」
「やっぱり妹も居るのね! どうりでなんか慣れてる感じだなって思った!」
だが私の心配を他所に、お嬢様は笑顔のまま私を見返している。……これは、気にしていない、のか?
なら、中途半端に隠すより話のネタにしてしまったほうが得策かもしれない。
「え、ええ。実は二人居ます。特に下の妹には普段から『兄さま』と呼ばれているので、お嬢様に『お兄様』と呼ばれても、あまり違和感を感じないのかもしれません」
本音を言えば初対面に等しい女の子に「お兄様」などと呼ばれて違和感を覚えないわけが無いが、リアル兄である故に年下の女の子が苦手じゃないのも事実だ。まあ、実際は同級生なんだけど。
と、そこでお嬢様は拗ねたような声を漏らした。
「いいなぁ〜。私も毎朝お兄様が淹れるコーヒーの香りで起こされたいなぁ?」
だが、本気で拗ねているわけではなく、その声にはどこか私を揶揄うような響きが含まれている。
なら、お嬢様のお戯れに付き合うのもまた執事、そしてお兄様である私の勤めだろう。
「良いのですか? お嬢様。そうなると、私は毎朝お嬢様の可愛らしい寝顔を拝見できるわけですが」
「へ?」
「嗚呼……ですが、お嬢様の可愛らしさに私は心奪われ、珈琲を淹れることすら忘れて見入ってしまうかもしれません」
私は芝居がかった大仰な仕草でお嬢様に向き直り、目一杯甘い声で囁きかける。
「お許しください。全てはお嬢様のそのあまりの可愛らしさがもたらす……」
「も、もういいからっ!? 降参! 降参するからもう許してぇ〜!」
カンナお嬢様は「うぅ〜」と声を漏らしながら、トマトのように真っ赤になった顔を手で覆い隠し身悶える。
「左様ですか? おや、丁度よくスコーンも焼き上がったようですね」
私は何事も無かったかのように後ろを振り返り、運ばれて来たスコーンの皿を受け取る。
因みに運んで来てくれたのは椎名さんだ。
受け取る間際、一瞬だけ目が合ったが、何故か椎名さんはすぐに私から顔を背けた。
スコーンを渡す時の手がプルプルと小刻みに震えていたのは気のせいだろうか。
だが、今は余計な事に気を取られている場合じゃ無い。……折角、厨房にワガママも言ったことだし。
「お嬢様。実はこちらのスコーンも珈琲に合わせて、少しだけアレンジしてもらったのです」
「普通のスコーンに見えるけどぉ?」
カンナお嬢様はまだ拗ねているのか、少しだけ棘のある声音で問い返してくる。自覚は無いだろうが、こういう仕草には煽られている気しかしない。
もし私が彼女の本当の兄であれば、本格的にイジめて楽しんでしまうことだろう。もちろん、そんな想像に意味は無いし、現実にはありえない話だが。
勝手に独りごちながらも、私の口は今は亡き両親から教わり、そして実行してきた知識をお嬢様に話していく。
「実は、焼き上げる前に数種類の“ナッツ”を練りこんでもらったんです」
「ナッツ? チョコが入ってるスコーンは食べた事あるけど」
「本日選んだコーヒー豆は、コロンビアのエメラルドマウンテンと言う品種なのですが、ナッツとの相性が非常に良いので、せっかくならと思いまして」
得意げにならないよう注意はしているが、やはり自分の好きなものについて語れる嬉しさが表情に出てしまったのか、お嬢様は「ほぇ〜」と興味があるのか無いのかよく分からない声を漏らしながら私の顔をまじまじと見つめてくる。いかんいかん。本題はこっちだ。
「で、では、珈琲も落ち切ったようなので、是非お試し下さい」
私はしどろもどろになりながらも、出来上がった珈琲をカップに移し、お嬢様の前に置く。 いつも通り丁寧に淹れたので味は大丈夫だと思うが、問題はお嬢様の口に合うかどうか。 こればかりは、飲んでもらわなければ何とも言えない。
「ん……」
お嬢様は暫く香りを楽しんだ後、意を決したように一口含み、固まってしまう。
やっぱり不味いって言われたらどうしよう。珈琲の香りは大丈夫でも、味は苦手っていう人結構いるし……。出来るだけ苦味がマイルドになるよう淹れたつもりだけど、それでも紅茶に比べて苦い事には変わらないしなぁ。
と、一瞬のうちにグルグルと私の頭の中を不安が駆けずり回る。
そうこうしていると、お嬢様がゆっくりとその口を開いた。
「……美味しい。家や他のお店で飲んだコーヒーと全然違う。なんだか、すごく優しくて、ホッとする味」
お嬢様は目を細め、もう一口、二口と続けてカップを傾ける。……ふぅ〜! 良かったぁ!
私は気持ちと一緒に頬が緩みそうになるのをぐっと堪え、出来るだけ自然な笑みで一礼する。
「ありがとうございます。是非、スコーンとの相性もお試し下さい」
「うん!」
どうやらお嬢様のご機嫌は完全に持ち直したらしく、素直に私の言葉に頷いてくれた。
嬉しそうにスコーンを口に運ぶあどけない横顔は、やはり同級生というより年下の女の子、それこそ妹の春香を見ているような気分に……おっと、いかんいかん。今は仕事中だ。
私は気を引き締め直して、カンナお嬢様に向き直る。
「いかがですか? お嬢様」
「う〜んっ! 美味しい! 何ていうか、引き立て合ってる? って言うのかな、こういうの。とにかくすごく美味しい! スコーンて、コーヒーとも相性良いんだねぇ〜」
お嬢様は満足そうな吐息を漏らし、コーヒーカップをソーサーに戻す。
「喜んで頂けて何よりです。お替りを注がせて頂いても?」
「うん。お願い!」
私はカンナお嬢様が差し出したカップを受け取り、残りの珈琲をゆっくりと注ぐ。
すると、彼女は私の手元を見ながら、おもむろに口を開いた。
「お兄様は、飲まないの?」
「え?」
突然のことに私は思わず手を止めてまじまじとお嬢様を見つめてしまう。
すると彼女も我に返ったように「あっ」と口を押さえて、そっぽを向いてしまった。
「だ、だって、さっきは一緒に乾杯したし、だから、そのぉ……」
なるほど。確かに言われてみれば彼女は私に執事であること以前に「お兄様」たることを求めているわけだし、給仕されるよりも、二人でカップを傾けながら他愛もない話に興じるようなティータイムの方が望ましいのかもしれない。
まあ、ティーじゃなくてコーヒーなんだけど。
ともあれ、お嬢様がそういった時間を過ごしたいというなら、是非も無い。
「では、お許し頂けるのでしたら私もご一緒させて頂きます」
「う、うん! えへへ」
カンナお嬢様は一瞬目を丸くしたが、すぐに花も綻ぶような笑顔で頷いてくれた。




