二人の出会いに。
キッチンにオーダーを通した私は、スパークリングウォーターのボトルを用意し、グラスを選ぼうと食器棚の扉に手を掛けた。炭酸水で良いじゃん、というツッコミはオシャレなお店でしてはいけない。
「明希くん。カンナお嬢様のお相手はどうですか?」
と、そこへ同じようにドリンクを用意しに来たらしい桐生さんが声を掛けてくれる。
「そうですね、まあ、今の所はなんとかなっている……と、思いたいです」
私の語尾が自信なさげになってしまったせいか、桐生さんは心配気に眉尻を下げ、再度問い返してくる。
「……明希くんの様子を見て、少しおかしいとは思っていたのですが。もしかして、カンナお嬢様は明希くんの学校の?」
流石と言うべきか、桐生さんは俺の様子から大体の事情を察してくれたらしい。
しかし、それなら尚更、これ以上余計な心配をかける訳にはいかない。
「実は、同級生、みたいです。もっとも、今日初めて知り合ったばかりで、自己紹介すらまともにした事も無いような間柄なので、向こうはまったく気づいて無いみたいですけどね。それにほら、よく考えたら学校にいる時はボサボサの茶髪でメガネも掛けてるんで、『明希』の姿じゃ分かりっこ無いですよ」
努めて明るい声でそう言うと、桐生さんも幾らか表情を柔らかい物に戻してくれる。
「なるほど。まあ、お兄様、なんて呼ばれるくらいですし、同級生どころか高校生とすら思われていないかもしれませんね」
桐生さんは私の姿を改めて眺めると、からかうように含み笑いを漏らす。
「ま、まあ、その方が都合が良いんで、別に構わないんですけど」
もともと老けてるんでね。ええ。
「冗談ですよ。拗ねないでください。引き止めてしまってすいません。それでは、私は持ち場に戻りますので、カンナお嬢様のこと、よろしくお願いしますね」
「はい。あの、ありがとうございます」
「いいえ。では」
桐生さんの背中が見えなくなると、私は小さくため息を吐き、改めてグラスを選ぶ。
一人前になるための試験なのに、結局、開始からずっと先輩方に心配ばかりかけている気がする。
いかんいかん。切り替えなければ。お嬢様がまさかの同級生というイレギュラーはともかく、今の所は順調なんだ。お兄様アドバンテージもあるんだし、ミスさえしなければ無事終われ………いや、ちょっと待て。本当に、このままでいいのか?
「あ、言い忘れてました。明希くん、スパークリングウォーターをお注ぎするなら……」
「………」
蓮花さんは『次のお帰り』、そして『ご指名』を取り付けることも条件に加えていた。
カンナお嬢様の様子を見る限り、俺は例のお兄様とやらに似ているみたいだし、それだけでも指名を貰える可能性は高い、と思うが……もし、そのせいで逆にハードルが上がっているとすれば?
彼女が求めているのは無難な応対では無く、私が少しでも理想のお兄様に近づくこと。いや、越えることなんじゃないのか? だとすれば、今のままでは……。
「明希くん?」
「え? あ、桐生さん。どうしました? 忘れ物ですか?」
気が付くと、桐生さんが目の前に戻って来て、不思議そうな顔をしていた。
どうやら考え事に意識を取られて気付けなかったらしい。
「……いえ。忘れ物ではなく、言い忘れです。お嬢様にスパークリングウォーターをお注ぎするなら、せっかくですし、シャンパングラスを使ってみてはどうですか?」
桐生さんは私が考え事をしていた事を察してくれたのか、改めて丁寧にアドバイスしてくれる。いや、もうほんと気を遣わせてばかりですいません……。
「シャンパングラス、ですか?」
「ええ。大人のカップルがレストランに行った際には、シャンパンで乾杯することが多いのですよ。記念日などお祝いの日は特にね。もちろんお酒が飲めない人も居るので、代わりにノンアルカクテルなどを注文する事もありますが」
「なるほど。それじゃあ、シャンパングラスを……っ!」
桐生さんのアドバイスに従って、棚の中にあるシャンパングラスを取り出そうとした瞬間、とあるアイデアを閃いた。
彼女が私に求めているのはただの執事ではなく、お兄様。
つまり、従者よりももっと近しい関係性を求めているんじゃないか?
だとしたら、このアイデアは使えるかもしれない。
「あの、桐生さん。お願いがあるんですが」
「ん? 何ですか?」
「後で私がお金を払うので、カクテル用のソーダを持って行っても良いですか?」
「ソーダを? 構いませんが、どうするのですか?」
うっ……勢いで頼んでみたものの、ちょっと言い出し辛いな。今までこんな事してる先輩を見たこと無いし。
けど、ここで怖気付くわけにはいかない。
「カンナお嬢様と、その、乾杯を、しようかと」
「お嬢様と乾杯?」
桐生さんの顔が尚も不思議そうに、ともすれば訝しむような少し険しいものに変わる。
私の言葉の意味を推し量っているようだ。いや、まあそのまんまの意味なんですけど。
とはいえ、理由はきちんと補足するべきだろう。
「カンナお嬢様は、私のことをお兄様と呼ばれる映画の登場人物と重ねていらっしゃる様なので、少しでもその世界観に近づけないか、と……。憧れとまで仰っていましたし、そのお兄様と現実の世界で出会えた記念とまでは言いませんが、私と乾杯することでお嬢様に気分だけでも味わって頂ければ、喜んで頂ける、かもしれない、かなぁ、と」
我ながら酷く抽象的でたどたどしい説明になってしまったが、言いたいことは伝わった、と思いたい。
だが、伝わったとしても、許可が下りるかは別問題だろう。
桐生さんはしばし思案顔になったかと思うと、うん、と一つ頷き、こちらに向き直る。
「分かりました。許可します。本来はご注文頂いた品以外をテーブルに持ち込むのはあまり感心できませんが、カンナお嬢様はVIPのご息女ですし、何より、明希くんのそのアイデアはとても素晴らしい」
桐生さんは頼り甲斐のある笑顔で快く許してくれた。はぁ、良かったぁ〜。
「ありがとうございます。それじゃあ、お嬢様の所へ戻ります」
「ええ。頑張って下さい」
「はい!」
普段ならもう少し落ち着いて返事をする所だが、つい勢い込んでしまった。
誰かに自分の考えを認めてもらえるというのが嬉しい、なんて、子供じみていて気恥ずかしいが、改めて思い返してみると、なんだかとても久しぶりな感覚だ。……まあ、悪くはない、かな。
……ん? あ、やべ。お嬢様にすぐ戻るって言ったの忘れてた。
++++++
「むぅ。遅い」
「も、申し訳ありません。グラス選びに少し手間取ってしまって……」
予想通り、と言うべきか、案の定お嬢様はご立腹だった。ですよねー!
「すぐ戻るって言ったのに」
カンナお嬢様は私と目も合わせずそっぽを向いてしまった。
くっ!? ミスを犯さないのは大前提だったのに、こんな初歩的な事でっ!?
だが、ここは取り敢えず謝り倒して乗り切るしかない。その上で餌をチラつかせ……コホン、失礼。お嬢様の喜ばれることをして、意識を逸らそう。
「面目次第もございません。お嬢様の期待にお応えする事が出来なかった私に、貴女の執事を名乗る資格など、もう無いでしょう」
「へ? い、いや、ちょっと待って!? 別に、私はそこまで……」
お嬢様は私のあまりにも仰々しい謝り方に罪悪感を覚えたのか、慌ててこちらに振り返る。 今朝の印象は正直最悪だったが、流石にここまでくれば私でも彼女が善人なのだという事は分かる。
そもそも声をかけられたのだって、私の……いや、俺の背を丸めて歩く暗そうな姿が、いかにも悩みを抱えてそうに見えたからだろう。そう思うと、これから俺が彼女にしようとしていることは、とても罪深いことのように思える。
……けどれ、誰かを騙してでも、俺には守りたいモノがある。
だから、せめて彼女がここにいる間は『お兄様』を精一杯演じよう。
彼女が少しでも、良い夢を見られるように。私に出来ることは初めからそれだけだ。
「……なので、せめて貴女の『お兄様』で居られるよう、私なりに考えさせて頂きました」
「へ?」
お嬢様が虚を突かれたように言葉を失ったタイミングで、すかさずテーブルに二脚のグラスを並べる。
「お嬢様さえよろしければ、初めてのご来館と、お会い出来たことを祝して、私と乾杯して頂けませんか?」
私はお嬢様の目を真っ直ぐ見て、出来るだけ真剣な声音で告げる。歯の浮くようなセリフな分、決してふざけた調子にならないよう注意して。……というかこれで断られたら恥ずかし過ぎてもう顔を合わせれられないんだが。
と、私がこっそり冷や汗を流していると、お嬢様は俯いて、ぽそりと呟いた。
「やっぱり、お兄様ってイジワルだわ。……けど、嬉しい」
顔を上げたお嬢様は頬を桃色に染め、はにかみ笑いを私に向けてくれた。……やっぱり、このお嬢様は反則だ。
だが、この笑顔に応えなければ執事だのお兄様だの以前に、男が廃る。
「ありがとうございます。では」
私は手短に返事をし、まずお嬢様のグラスにスパークリングミネラルウォーターを注ぐ。
次いで、自分のグラスにソーダを注いで、お嬢様に向き直る。
「お嬢様との出会いを祝して」
そう言うと、やはりお嬢様もまだ照れ臭いのか、ピクッと一瞬体を硬直させ、控えめにグラスを掲げる。私はその様子が微笑ましくて、逆にリラックスした状態で自分のグラスをお嬢様のグラスに合わせることができた。
そして、特に合図をしたわけでも無いが、二人の声も合わさった。
「「乾杯」」
お嬢様はどうか分からないが、私にとって乾杯というものは、これが人生で初めてだった。
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