俺が執事でお兄様?
「っっ………!」
落ち着け、落ち着け、落ち着け!
俺は心中で何度となく同じ言葉を唱え、どうにか息を整える。
「……申し遅れました。本日、お嬢様のお世話をさせて頂きます、明希と申します」
どうにか声を絞り出した後、意を決して顔を上げ、彼女……『九奥 カンナ』に正面から向き合う。
「え……ええっ!?」
くっ!? ……どうやら、気付かれたらしい。
彼女は俺の顔を見るなり息を呑み、一歩後ずさった。
恐らくこの後、俺は彼女に糾弾され、そしてバイトをしている事実は学校に報告されるだろう。彼女が一般の生徒なら、まだ言いくるめられる余地はあるが、生徒会なんて務めている以上、至極真面目な生徒に違い無い。
くそっ、こんな事なら、彼女を認識した瞬間なりふり構わず逃げ出しておけば良かった。
そうすれば、最悪『レイブンヴィル』を辞める事にはなっても、俺がバイトをしていた事実は学校にバレない。
……とは言え、ここ以上に高待遇で先輩に恵まれるバイト先なんて、絶対見つからないだろうけどな。
「おっ、お……!?」
「ん?」
だが俺の予想とは裏腹に、糾弾の言葉は未だ聞こえてこない。
それどころか彼女は徐々にその頬を紅潮させ、一足飛びに俺の目の前まで来たかと思うと、その顔をグッと吐息が掛かるほど寄せて興奮した様子で俺をこう呼んだ。
「お、“お兄様”!?」
「……はい?」
オニイサマ? え、お兄様って言った? 聞き間違い? いやでも今確かに……。
余りにも意味不明過ぎて、彼女の発した言葉を認識するのに時間を要した。
蓮花さんを始め、そこに居た全員が困惑の表情を浮かべる。
「あ、ごめんなさい!? え、えっと、そのぉ……」
九奥カンナはそんな俺たちの反応に気付いたのか、ハッと我に返って勢いよく後ずさる。
先ほどよりも更に顔を紅潮させ、熟したリンゴのようになったその顔を両手で覆いながらオロオロとしている姿は、俺と同い年の女の子とはとても思えないほど幼く見えた。
……どういう事だ? 俺の正体がバレたわけじゃ無い、のか?
「お、お嬢様? あの、お兄様とは?」
思わず素で聞き返してしまう。何とか敬語は維持したが、表情は普段の自分と大差無かっただろう。
しかし幸か不幸か、彼女はそれどころではないようで、早口に良い訳を捲し立てた。
「あ、あああの!? 違うの!」
「え、ええ」
「今のはその、本当に貴方の事をお兄様だと思ったとかじゃなくて、そもそも私に兄はいないんだけど!」
「は、はぁ」
あまりの勢いに圧倒されて、俺はただただ無意味な相槌を吐くだけの木偶の坊と化した。
「む、昔から大好きな映画の、主人公のお兄様役を演じていた俳優さんと貴方がそっくりで、つい! う、うぅ〜っ!? あたし、こんなとこで何言ってんだろぉ……」
吐き出すように言い終えて、彼女はその場にうずくまる。言葉尻は声が震え、今にも泣き出しそうだった。
………ふむ。なるほど。取り敢えず今の状況は理解した。いや、部分的には全く理解できないが、何故こうなったのかということは何となく分かった。
なら俺の、いや、“私”のやることは、ただ一つだ。
「お嬢様、顔をお上げください」
「ふぇ?」
九奥カンナ……いえ、“カンナお嬢様”は潤んだ瞳で私を見上げ、弱々しい声を漏らす。
その打ちひしがれた儚い姿に一瞬気を取られたが、今の私は彼女の執事。
もとい、“お兄様”だ。
「先程は失礼致しました。お席へご案内させて頂きます。カンナお嬢様。さぁ、お手を」
私はそう言うと、彼女に向かって手を差し伸べ、出来得る限りの優しく落ち着いた声音で語りかける。
そして、『レイブンヴィル』の『明希』として作り上げた笑顔を浮かべた。
一度失態を晒しておいて、何を今更と責められても仕方が無い状況だが、それでも、私はこうしない訳にはいかない。
何故なら………………そう。これは、チャーーーーーーンスッッッ!!
一時はどうなることかと思ったが、神は私を見放さなかった! 寧ろ都合の良いアドバンテージさえくれた! ならば、このまま突き進むだけだ!
「お、お兄さ、はっ!?」
カンナお嬢様は素直に私の手を取ると、またも私の事をお兄様と呼びそうになり、慌てて口を閉じる。……この反応、思った通りだ。だとすれば、この状況を利用しない手は無い。
私は誰にも悟られぬよう少しだけほくそ笑み、すぐにいつもの執事スマイルに戻して彼女に向き直る。
「構いませんよ。お嬢様のお好きなようにお呼び下さい。もし宜しければ、その映画に出てくるお兄様がどんな方なのか、私にお教え願えませんか?」
「え!?」
カンナお嬢様はその大きな瞳を更に大きく見開き、私の顔をじっと見つめる。
私たちのやりとりを見て皆唖然としていたが、蓮花さんだけはニヤリと口角を上げ、面白そうに様子を伺っていた。構わない。今この場で気にするべきは、お嬢様の反応だけだ。
他の誰にどう思われようと、彼女さえ“釣れれば”それで良い!
「で、でも、その、自分で言うのもなんだけど、気持ち悪くない? いきなりお兄様なんて呼ばれて、しかも、それがただ憧れているだけの架空の人なんて……」
「まさか。気持ち悪いなどと、そんな事は一切思いません」
「う、嘘よ! 自分でもおかしいって思うものっ!」
「私も、お嬢様と同じですから」
「へ?」
よし、予想通り反応だ。……だが、ここからは慎重にいかなければ。
「同じ、というのは些か言い過ぎかもしれません。ですが、年上の肉親への憧れ、もっと言えば、尊敬のような感情はとても共感が持てます。もっとも、私の憧れは姉に対しての物ですが」
「お姉さん?」
「ええ。私の姉は両親の死後、その身一つで家庭を支えてくれました。その背中に抱いた憧れと尊敬を、私は忘れたことがありません。ですから、カンナお嬢様のお兄様への憧れに近いものがあるのではと、勝手に想像してしまいました」
演じるまでもなく、気恥ずかしげな微苦笑が漏れた。当然だ。話した内容も抱いた感情も事実なのだから。
「そ、そう、なんだ……」
カンナ嬢は瞳を伏せ、何事か思案している様子。
だが、別に同情を買いたかったわけでは無い。あくまで欲しいのは共感。そして、その向こう側にある信頼だ。
であれば、話の方向は暗い方ではなく、明るい方へ導くべき。
「ですから、私はお嬢様がどのようなお兄様に憧れていらっしゃるのか、とても興味があるのです。よろしければ、奥でゆっくりと私にお話を聞かせて頂けませんか?」
私は勤めて自然に微笑んでから深くお辞儀をし、彼女の言葉を待つ。
出来るだけ彼女の言動が恥ずかしい物では無いと思わせるよう努めたが、上手くできたかは正直、微妙なところだ。
何せ、多少の接客はできても、人付き合いというものをろくにしてこなかった私だ。し、仕方がないじゃないですか! まさかこんな場面でそれが裏目に出るとは思ってなかったんですよ!
コホン……と、ともあれ、お嬢様の判定やいかに……。
「…………えっと、うん。じゃあ、案内して、くれる? お、お兄様?」
ゴォォォォォォル!! ヨッシャーーーーーッ! キターーーーーーッ!
……おっと、失礼。
「かしこまりました。お嬢様」
私は緩みそうになる口元を隠すように改めてお辞儀し、うやうやしく彼女を手招く。
「「「………」」」
その様子を、未だ状況が理解できていないのか、先輩方は呆然と眺めていた。大丈夫です。やりたい放題やっておいてなんですが、私もまだこの状況は意味わかりません……。
だが、横を通る間際、椎名さんと姫川さんが声を出さず口だけを動かして「がんばれ」と告げてくれたのを私は見逃さなかった。桐生さんも力強く頷いてくれる。
お嬢様を騙している負い目もあるせいか、何となく罪悪感が湧いたが、それでも、その静かな応援は素直に嬉しかった。
中々ゆっくり新しいお話を書く時間が取れず、軽い気持ちで昔書いたお話をアップロードし始めたのですが、今以上に文章力が無かった頃に書いたので結局あれこれ手直ししてるうちに時間が過ぎて行くと言う悪循環……。
他のお話も続きが書きたいのですが、貧乏暇なしとはよく言ったものですね。まあ、私の場合は単なる無計画と努力不足ですが。
ともあれ、今話もお読み頂きありがとうございました!




