お嬢様は〇〇○?
「さて。それでは皆、準備は良いか? これからお帰りになるお嬢様は、この『レイブンヴィル』に限らず、私の取り仕切る全ての館に多大なる貢献をして下さったマダムのご令嬢だ。くれぐれも粗相の無いように」
燕尾服に着替え伊達眼鏡をかけた蓮花さんは、エントランスに手の空いている執事を集め、いつも以上に低い声で一喝した。
普段のチャラい……コホン、失礼。気ままな風貌とは打って変わり、まさに『執事長』といった風格を漂わせている。
……ただ、プレッシャーとも取れる言葉の後に、ちらりと私を見て笑った気がしたのは気のせいでしょうか。
「明希。前へ」
気のせいじゃなかった。気のせいであって欲しかった……。
「はい」
一瞬、そこに集まっていた先輩方がざわつく。
まあ、予想通りの展開だ。先輩方を差し置いて私がVIPのテーブルに着く以上、説明はあって然るべきだろう。
「ご令嬢のお相手はお前に任せる。分かっているとは思うが、失敗は許されない。必ずやお嬢様にご満足頂き、次のお帰りをお約束されるよう、誠心誠意ご奉仕しろ」
……ん? んん〜? あれ〜? いや、もちろん昇格もかかっているわけですし、誠心誠意やらせて頂くのは当然なんですけど……というか次のお帰りをお約束ってなに?
「皆には、明希がご令嬢のお相手に集中できるよう配慮を頼みたい。尚、此の度のご奉仕で明希がご令嬢のご指名を得た暁には、正式にバトラーへと昇格させる。異論のある者は?」
「「「………」」」
先ほど以上に先輩方の顔に困惑が滲む。というか誰よりも私が困惑していた。
いや、あの、仰ってることは全くその通りなんですが……というかご指名ってなに?
いくらなんでもハードルぶち上げ過ぎじゃない?
だが先輩方の手前、もう後には引けない。素に戻ってツッコミたい衝動を理性という名の重しで半ば叩き潰すように抑え込み、困惑が顔に出ないよう全力で表情筋を固める。
すると、桐生さんが静かに前に出て、鋭い視線を蓮花さんに向けた。
「何だ? 桐生」
「明希くんをバトラーへ昇格させること自体に異論はありません。そもそも、私の進言したことですから。ですが、どうしてご令嬢のお相手を彼に? 試験のつもりで仰っているのなら、わざわざこのような大事にしなくても」
「そこまでだ。桐生」
桐生さんの言葉を、厳しさを増した蓮花さんの声が遮る。
「私がこの場で皆に問うたのは、明希の昇格についてのみ。今回、明希がご令嬢のお相手をする事はすでに決定事項だ。そこに異論を差し挟む余地は無い」
あくまで冷静に淡々とした語調。しかし、反論を許さぬ迫力がそこにはあった。
だが、尚も桐生さんは納得がいかないのか、苦虫を噛み潰したように表情を歪め、私に問いかけた。
「良いのですか? 明希くん。確かにこれは君にとってチャンスかもしれませんが、事と次第によっては、本来君が背負わなくても良いはずの重荷がのしかかることもあります」
ヴァレットであり正社員の桐生さんは、私たちよりも蓮花さんに近い位置にいる故に、こうした発言ができる。だが同時に、その言葉には大きな責任が伴う。
極端な言い方をすれば、蓮花さんの気分次第で職を失う可能性だってあるのだ。
そのことを承知の上で、こうして私を心配し、矢面に立ってくれている。
ならば、その気持ちに、期待に応えない訳にはいかない。
「はい、承知しております」
桐生さんの目を見て、自分に出来る限りの真摯な声で答える。そして、先ほど固めた表情筋をゆっくりとほどくように緩め、笑って見せた。
もしかすると、普段よりもぎこちない笑顔になっていたかもしれない。それでも、桐生さんは一瞬目を丸くしただけで、最後はいつもの優しい笑顔で頷いてくれた。
「分かりました。では、任せましたよ」
桐生さんはそうとだけ言うと、蓮花さんに一礼し、もとの位置へと下がった。
「他に、異論のある者は?」
蓮花さんは一通り先輩方の顔を見渡し、満足げに頷くと、最後に私の方を振り返り、ニヤリ、と、とびきりイヤラシイ笑みを浮かべた。
蓮花さんの肩越しに、桐生さんが小さく溜息を吐くのが見える。
さてはこのオッサ…執事長、過去にも似たようなことやってやがるな……。
「それでは各自持ち場につき、ご令嬢のお帰りを待て。解散!」
最後にそう締めくくると、蓮花さんはツカツカとどこかへ行ってしまう。というか、このタイミングで俺を一人にするとか、どう考えても確信犯だろあのオッサン。
いつものように気持ちまでは執事モードを保てていないが、どうにか表情には出すまいと歯を食い縛る。落ち着け、俺。いや、私。
ここで指名を取れれば、給料も上がって、今よりもっと美冬姉さんを助けられる。
春香だって来年高校生になるんだ。新しい服とか、参考書も買ってやりたい。
夏鈴だってワガママを言わないだけで、本当はオモチャが欲しかったり遊園地に遊びに行ったりしたいはずなんだ。他の子みたいに習い事だあってさせてやりたい。……私が、私が頑張らなくて、誰が!
トン、と、肩を叩かれた。
「明希、大丈夫か?」
振り返ると、椎名さんと姫川さんが神妙な顔で私を見ていた。
「顔色、あんまり良くなさそうだけどぉ〜?」
「い、いえ、少し緊張しているだけなので。……その、ありがとうございます」
二人とも、私を心配する言葉をかけてくれる。
先ほどの桐生さんにしてもそうだが、『レイブンヴィル』の先輩方は私より年上だからか、弟分のように思ってくれている節がある。
部活動などの経験が無く、先輩後輩という関係性に慣れていないせいか、こうして家族以外の人に心配されるというのは、なんだかむず痒い。
だが、今の自分の環境が恵まれているという事くらいは、人付き合いの苦手な私でも分かる。
「正直、椎名さんや姫川さんのように上手くやれる自信はありませんが、今の私にできる精一杯のご奉仕で、ご令嬢にご指名を頂けるよう、頑張ってみます」
少しだけ弱音が漏れてしまったが、それでも、これ以上この人たちに心配をかけまいと、できるだけ明るい声を絞り出した。
++++++
ご令嬢がお帰りになる時間が迫り、エントランスでは出迎えの整列が始まる。
蓮花さんは振り返り、整列した面々の顔を見渡しながら口を開いた。
「間も無く、ご令嬢、『九奥 カンナ』様がいらっしゃる。皆、多少の緊張はあるだろうが、いつも通り、誠心誠意のご奉仕を心がけてさえいれば、必ずやご満足頂ける。少なくとも、この『レイブンヴィル』にそれが出来ない者はいない。そうだな?」
「「「はい」」」
皆の返事を聞き、蓮花さんは満足そうに頷くと、扉に向き直り無言で姿勢を正す。
私達も同じように姿勢を正し、扉を見つめて暫く待っていると、予定の時間を少し過ぎた頃になってようやく、パタパタと階段を降りてくる足音が聞こえてきた。
ヒールにしては柔らかく、しかしスニーカーにしてはやや大きめな足音。
ドアを開け、遠慮がちに踏み込まれた足は、焦げ茶色のローファーと黒いニーハイソックスに包まれて……ん? 何だ? この既視感。
「ごめんなさい! 少し遅れてしまいました!」
そう言いながら入って来たお嬢様の姿を認めた瞬間、私は………いや、“俺”は思わず息を飲み、絶句した。
「とんでもございません。お帰りなさいませ、お嬢様」
「「「お帰りなさいませ、お嬢様」」」
蓮花さんに続き、桐生さん達他の執事もお出迎えのご挨拶をしたのだが、俺は声を発することすら出来ず、皆に合わせてお辞儀をするだけで精一杯だった。
心臓は痛いほどに脈打ち、寒気がするほどの冷や汗が流れる。
「(明希くん?)」
桐生さんが小声で問い掛けてくれたようだが、俺は返事をすることが出来ない。
それどころか、顔を上げることすら躊躇っていた。
「わぁー! 本当に執事さんが沢山いるんですね! うちはママ、じゃなくて、母と二人だけだから、お手伝いさんも女性しか居ないので新鮮です!」
その、鈴の音のように凛とした声には、聞き覚えがあった。
「初めまして、カンナお嬢様。お喜び頂けて何よりです。私は当館の支配人であり、スチュワードの蓮花と申します。お母様には大変お世話に……」
「あ、ああ〜、そういう堅苦しいのは大丈夫です! 蓮花さんのことは母からよく聞いてますから。父が亡くなって落ち込んでいた母を、いっぱい元気付けてくれた人だって! だから、お礼を言いたいのは寧ろ私の方です!」
蓮花さんの言葉を苦笑で遮り、彼女は捲し立てるように言葉を紡いだ。
身振り手振りを交えながら話しているのか、シャンデリアの明かりを反射して光沢を帯びた栗色の毛先が視界に入るたび、心臓の鼓動が加速する。
「勿体無いお言葉。私はただ、お母様を誠心誠意おもてなしさせて頂いただけです。カンナお嬢様も、どうぞ本日はごゆるりとおくつろぎ下さい。今この時より、ここにいる執事は皆、貴女の僕。……ですから、ここではお母様やお父様のことも、ママ、パパで結構ですよ?」
蓮花さんが秘密めかすように言うと、途端に彼女は頬を膨らませ、透き通るような白い肌を桃色に染めて抗議する。
「も、もう! 蓮花さんて、意地悪な人だったんですか!?」
「おや、これは早々に株が落ちてしまいましたかな?」
蓮花さんは肩を竦めて受け流す。
少女の方も本気で怒っているわけでは無いらしく、クスクスと笑った。
「でも、ママが貴方のことを気に入っている理由が、少し分かったかも」
「それはそれは。ですが、私がお相手ではまたカンナお嬢様に失礼なことを申し上げてしまうかもしれません。歳は取りたくないものですな。うら若いお嬢様を見ると、どうにも悪戯心が芽生えてしまう」
ニヤリと少し人の悪い笑みを浮かべた蓮花さんは一歩下がると、改めてお辞儀をする。
「ですので、本日は私ではなく、ここに居ります明希が、お嬢様のお相手を務めさせて頂きます」
蓮花さんは顔を上げると、俺の方を手で指し示した。
……だが。
「…………」
本来は挨拶をしなければならない場面で、俺は口を開かない。
いや、開けない。
蓮花さんを始め、そこにいた執事の殆どが、俺に訝しむような視線を向けた。
気遣わしげに「大丈夫か?」と、問うような表情で俺を見てくれている先輩方もいるが、正直全然大丈夫ではない。
何故なら、このご令嬢は、いや、“この女”はっ……
「こんにちは。ん? こんばんはかな? 私は九奥カンナ。よろしくね!」
いっそ目を瞑ってしまいたくなるほど眩しい、太陽のような笑顔で俺に微笑みかけた少女は、紛れも無く絶世の美少女。その美貌は、一度目にすれば生涯忘れる事は無いだろう。
それがほんの半日前なら、尚更。
「っっ………」
……そう。彼女は、今朝突然、俺に声を掛けて来た生徒会の女生徒だった。
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