お嬢様はお姉様?
「えーっと……」
放課後。池袋に向かう電車に揺られながら、俺はチャットアプリと睨めっこしていた。
そこに映っているのは、今日以前の北見のイメージ通り、無味乾燥な初期設定のアイコン。目の前でギャン泣きされた今となっては、灰色のシルエットが微妙に切ない。いや俺も弄って無いから同じなんですけどね?
時間を作るとは言ったものの、あの様子だと小一時間で解決するとは思えんし、予習を前倒しにして昼休みを丸々空けても意味が無いだろう。
かと言って、あれだけ切羽詰まった姿を見せられては、休日まで持ち越すのも忍びない。今日は月曜日だし、最低でもあと四日は放置することになってしまう。
「……取り敢えず、触りだけでもチャットで聞いてみるか?」
初対面(だったら良かったのに……)の相手の前でいきなりギャン泣きするくらい追い込まれているのだ。よほど深刻な問題だろうし、やっぱり直接聞いた方が良いだろうか?
「う〜ん……」
「あれ? ……あの、もしかして、“明希さん”、ですか?」
「はい?」
と、俺が無意識にスマホへ向かって唸っていると、途中の駅で乗車してきた若い女性が遠慮がちに顔を覗き込んで来る。……ん? いや、いやいやいやいやちょっと待て。
え? 今この人、俺の事を“明希”って呼ばなかったか???
「あ、いきなり話しかけてごめんなさい! “お店の外”なのに私ったら……」
「っっ! い、いえ! ……コホンッ。間違っていたら申し訳ありません。貴女は……先日、椎名さんのお席へご案内したお嬢様、ですよね?」
その決定的なワードを聞いて確信した俺が改めて女性の顔を良く見ると、ほんの十日ほど前に『レイブンヴィル』でお会いしたお嬢様だった。
いかんいかん。考え事をしていたせいで油断した。今の俺は燕尾服こそ纏っていないが、学校にバレないために『明希』の姿で電車に乗っているのだ。しかも池袋行きの。同級生にはバレなくても、お嬢様方の目に入る可能性は十分にある。
「わっ!? 凄いっ! 一回会っただけなのに覚えててくれたんだ!」
「え、ええ……あの、差し出がましいようですが、少しお声を……」
「はっ!? ご、ごめんさいっ」
お嬢様は慌てて声を落とし、何事かとこちらを見る他の乗客にペコペコと頭を下げる。だが無理もない事だ。
まさか、『レイブンヴィル』の外で執事に会うとは思いもしなかったのだろう。
先輩方は通勤中は比較的ラフな格好だし、店でメイクやヘアセットをするから、お嬢様も気付かない可能性が高い。
だが、俺は変装も兼ねて電車に乗る前にバッチリ仕上げてしまう上に、年齢を偽装する為のスーツも燕尾服に見た目が近いから、顔を覚えられていれば気付かれるのは当然だ。
担当に付いたのは九奥……カンナお嬢様が初めてだから、今までこんな事は無かったが、お陰様でバトラーに昇格した事だし、今後は外でも気を抜かないようにしないとな。
「えっと、明希さんはこれからレイ……お店に?」
お嬢様は気を遣ってくれたのか、店の名前を伏せて小声で俺に問いかける。
おお……仕事中は業務に集中しているから感想を抱く余裕も無かったが、こうして正面から顔を見ると、かなりの美人だな。
大きめの瞼にスッと通った鼻筋。薄めに化粧をしているようだが、絹のように白い肌に桃色のチークがよく映えていた。
染めているのか、ハーフアップにしたセミロングの髪は明るい栗色で、控えめにフリルがあしらわれた白いワンピースに薄手のカーディガンと言う私服姿から見ても、大学生くらいの年齢だと思われる。……顔立ちは全く違うが、どことなく雰囲気が九奥に似てるな。
「あの、明希さん?」
「っ! え、ええ。丁度今から向かう所です。おじょ……失礼。お客様も池袋に向かわれるのですか?」
本来なら執事の『明希』として会話している以上『お嬢様』と呼ぶべきだろうが、せっかく気を遣ってくれたのに、こちらが台無しにするのは申し訳ない。
「うんう。私は大学帰りで、池袋は通学路の途中なの。丁度良い時間に終わったから、本当は妹を誘ってショッピングとかお茶でも行こうかと思ったんだけど……忙しいって振られちゃった」
苦笑するお嬢様に、俺は深く頷く。
「それはお辛いですね……。私だったら三日は寝込んでしまいます」
「そうそう。特に最近は全然構ってくれなくて……って、ん?」
「ああ、申し訳ありません。私にも妹が居るので、つい共感してしまって」
「へ、へぇ〜……」
いけない。『レイブンヴィル』の外とは言え、今は『明希』として振る舞っているのだ。お嬢様との会話に私情を持ち込むなど言語道断。話を聞く時はしっかりと聞き役に徹しなければ。
「妹さんとは、お幾つ違いなんですか?」
「三つだよ。私が大学二年生で、妹は高校二年生」
ふむ。妹は俺と同い年か。それなら反抗期と言う可能性もあるが、正直、そっちには全く共感できない。
美冬姉さんに買い物やお茶に誘われたら、表面的な態度や言葉はともかく、俺は散歩に大はしゃぎする犬のように尻尾を振って付いていくだろう。
とは言え、家庭の事情は人それぞれだ。余計な口出しをしないよう注意しなければ。
「高校二年生なら、大学受験を意識して勉強に必死なのかもしれませんね」
お嬢様の妹がどうかは分からないが、実際俺はかなり必死だ。
『特待生』の待遇を維持すると言うのは大前提だが、出来るだけ早く受験を終わらせるためにも、確実に推薦枠を確保したい。三年生の自由登校期間でバイトに専念すれば、少しは学費の足しになるからな。
「そうなのかなぁ? 確かに、妹は私と違って真面目で頭良いから進学先の選択肢も多いし、色々考えてるのかもしれないけど……でも、最近はそういうのとは別の事で悩んでる気がするのよね」
「と言うと?」
「う〜ん、具体的にどう言うことかは分からないんだけど、よくスマホと睨めっこして唸ってたり、ベットの上で枕に顔を埋めて叫んでたり? 昨日なんてお風呂でのぼせるまで考え事してたみたいで、上がった後もフラフラしてたから、私が着替えさせて部屋まで運んであげたんだよ?」
「確かに、それは勉強と関係無さそうですね……」
同学年だからだろうか。理由は分からないものの、妹さんの行動に妙な親近感があるな。
特に、枕に顔を埋めて叫ぶというのは、ごく最近俺もやった事だ。全校生徒の前で全力執事ムーブと言う漆黒の歴史を刻んだあの日は、正気でいられなかった。うっ!? 発作がっ!?
「明希さん!? 大丈夫!?」
「い、いえ、お気になさらず。命に別状の無い不治の病ですから」
「それ大丈夫じゃなくない!?」
仰る通り大丈夫ではないが、やってしまった事はどうしようもない。そもそも同級生《九奥》相手に毎週執事&お兄様ムーブしてる時点で今更だ。てか冷静に考えたらこっちのが色んな意味でヤバい。でももう逃げられないんだよなぁ……。
「もしかして、明希さんも何か悩んでる? そう言えば、話しかけた時も何だか難しい顔してたし」
「え? ああ、いえ……私の場合は、悩みというより無力感と言うか……。ここ最近、何故か関わる人が増えているのですが、それこそ相手が悩んでいる時に力になりたくても、上手く動けない事が多くて。要領が悪いのでしょうね」
言いながら、自然と自嘲の卑屈な笑みが浮かんだ。
九奥の時も行きあたりバッタリで結局力技だったし、北見に至ってはまだろくに話も聞けていない。……ああそれに、色々あって後回しになってるけど、花邑の部活の事もあったな。
安請け合いしているつもりなんて無いのに、どうしてこうも次から次へとタスクが増えていくのか。元々俺のキャパシティは自分の事で精一杯だと言うのに……。
「……ねぇ、明希さんてもしかして」
と、お嬢様が何事か言いかけた所で、「池袋〜、池袋です」と、車内アナウンスが響いた。
「あ、話の途中で申し訳ありませんが、私はここで……」
「ああうん! 全然! えっと、お仕事頑張ってね!」
「ありがとうございます。おじょ、お客様も、お気を付けてお帰り下さい」
気にしなくて良いと手を振ってくれるお嬢様に、俺は不自然じゃ無い程度に深く腰を折り、そそくさと電車を降りる。
具体的な相談をした訳じゃ無いけど、『レイブンヴィル』のお嬢様とは言え身近な相手では無いからか、素直に弱音を吐いたお陰で少し気が楽になったな。……いや接客業が客に弱音吐いちゃダメだろ。おもっくそ私情挟みまくってるじゃん。何やってんだ俺。
あ、そう言えば名前聞き忘れたな……。まあ初来店の時に椎名さんが担当に着いたんだし、ガッチリお嬢様の心も掴んでいるだろうから、また店で会うかな。もしかしたら、次来る時は妹さんも一緒かもしれない。
ーーーーーーなんて、呑気な想像をしていた自分を、少し先の未来で呪う事になるとは、この時は想像もしていなかった。
今話もお読み頂き、ありがとうございます。




