セ○ハラ料理長?
「……っし。切り替えてちゃんと働こう」
『レイブンヴィル』に着いた俺は、身支度を整えて鏡に映る自分にそう言い聞かせた。
北見の対応は結局まだ何も決まっていないが、うだうだ悩んで仕事に集中出来ないのは論外だ。他人の心配をするなら、先ずは自分のやるべき事にしっかりと向き合わなくては。
「お? 明希じゃん。お疲れさ〜ん。何? 気合い入ってんねぇ〜? シスコン卒業して彼女でも出来たんか?」
「え? 百合子さん?」
唐突に背後から声をかけて来たのは、コック服を纏う長身の女性。料理長の『百合子』さんだ。
何故か苗字は教えてくれないし、料理長と呼ばれるのは好きじゃないそうで、仕方なく下の名前で呼んでいる。
夕焼け色の長い髪は後ろで一つ括りに纏められていて、垂れ目がちな瞼はいつも眠たげだ。
目の下の深いクマさえ無ければ割と綺麗な顔をしていると思うのだが、成人女性にしては珍しく化粧っ気は全くない。
腕を組んで扉に寄りかかる姿からも見て取れるように、気だるい雰囲気を纏った妙齢の女性だ。
「お、お疲れ様です。……あの、ここ一応、“男子更衣室”なんですけど。あと、俺はシスコンじゃありません」
「良いじゃん。別に見られて減るもんじゃなし。キッチンから休憩室に行くのはここ通るのが一番近道なんだよ」
シスコンという言い掛かりについては一切触れず、悪びれるどころか首を傾げる百合子さんに、俺は心底呆れたジト目を向ける。
「コンプラ意識が低い……。最近は男相手でもセクハラで訴えられる事が結構あるんですよ? 仮にも料理長なんですからしっかりして下さい」
「何だよ〜。ちょおっと現役男子高校生の生着替えを覗こうと思っただけなのにぃ」
「目的変わってんじゃねぇか。マジで訴えて金取ってやろうかな……」
わざとらしく拗ねたように唇を尖らせ、余裕で事案な欲望を垂れ流す百合子さんに、俺は思わず素でツッコんだ。
冗談だと分かっているし、別に俺は着替えを見られた所で気にしないが、捕まらない為にも言動にはもう少し気をつけて欲しい。
喋ると残念な彼女だが、作る料理はどれも本当に美味しくて、ご主人様方にも大変好評なのだ。
少数ではあるものの、我々執事のサービスよりも食事を主な目的に『レイヴンヴィル』へ来る中高年のご主人様方が居るくらいに。それ程の腕を持っているのだから、不用意な事で店から居なくなられては困る。
「またまたぁ〜〜、明希はそんな事しないでしょ? ………え? しないよね?」
「マジで焦るくらいなら変な事言わなきゃ良いのに」
ヘラヘラと揶揄うように問い掛けたクセに、途中で自信が無くなってキョドり始めた大人の女性に、俺は真顔でツッコんだ。
「い、いやだってさぁ? 君って基本はお人好しの気ぃ使いでチョロ、優しいけど」
「おいコラ?」
「最愛のお姉ちゃんと妹ちゃん達の為なら、割と手段を選ばず何でもやっちゃいそうじゃん?」
「二重で失礼だなおいっ!?」
大体、“割と手段を選ばず”って何だ。割るも何も、家族の為なら俺に出来る事は“何でもする”。
ただ、セクハラで訴えてせしめた金なんかを家族の為に使おうとは思わないだけだ。よほど切羽詰まった状況じゃない限り、その手の手段に頼るつもりは無い。
「ごめんてぇ〜。気合い入れて賄い大盛りで作るから許してよぉ〜」
「男子高校生なんて飯食わせときゃ何とかなる、とか考えてません?」
「ギクゥッッ!?」
「俺、今初めて女の人殴りたいと思いました」
マジで何なんだこの人……。幾ら俺がガキだからって、舐めてるにも程があるぞ?
「まあせっかくなんで、貰えるもんは貰っときますけど。あ、残ったらタッパーに詰めて持って帰って良いですか? 百合子さんの料理美味いんで、家族にも食わせたかったんですよ」
「絶対わざと残すじゃん……。そして天然で転がして来よる……。この前バトラーに昇格したばっかだってのに、末恐ろしいのぅ」
「何すかそのキモいリアクション」
何故か頬を淡く染めてブルりと身を震わせる百合子さんに、俺は『もうこの人はダメかもしれない……』と言う諦観を滲ませた視線を向ける。そしたら今度は「ビクビクッ!?」と震えた。もうダメかもしれない。
……と、俺が一人の大人を見限ろうとしたその時、彼女が寄りかかっている方とは反対側の、休憩室へ繋がる扉が開いた。
「俺の店でギリギリアウトなコントやってんじゃねぇよ」
「蓮華さん? お、お疲れ様です」
「げっ……何でオッサンが月曜から居んのよ?」
今まで吸っていたのか、タバコの香りを漂わせながら顔を顰めて更衣室に入って来た蓮華さんは、疲れたように溜息を吐いた。
「はぁぁ〜……俺だって休日出勤なんざしたく無かったよ」
「こっちだってタバコ臭いオッサンの面なんか見たく無かったわよ〜」
付き合いが長いのか、フレンドリーを通り越して普通に態度の悪い百合子さんに、蓮華さんは「チッ」と一つ舌打ちを溢す。
『執事喫茶』のオーナーと料理長なのに、二人ともガラ悪いんだよなぁ……。
「言われてみれば、月曜に居るのは珍しいですね。何かあったんですか? もしかして、またVIPの対応とか?」
日曜と月曜日はホストクラブなど経営している夜の店が定休日で、『レイブンヴィル』も日曜の夜は早仕舞い、月曜は比較的落ち着いていると言う事もあり、蓮華さんは店に出ない事が多い。
日曜日は俺が家の方の『喫茶ニシマツ』で店番しているからか、ちょくちょく珈琲を飲みに来る。大体二日酔いで酒臭いから、店に入れる前にファ○リーズをぶっかけるが。
「そういう前向きな仕事ならまだ良かったんだがなぁ、今回は残念ながらトラブルだ」
「何よ? 火遊びした女でも乗り込んで来た? もうやめてよぉ〜」
「ちげぇよっ! 俺だってもう良い歳だぞ!? そんな面倒くせぇ遊び方するか!」
「若い時はしてたのかよ……」
悪い意味で期待を裏切らないオッサンである。
「今日はここの大家に呼び出されたんだよ。上の階で漏水があったとかでな。老朽化で配管に亀裂が入ってたんだと。そんで、他の階も全部点検したいから、日程だの退かさなきゃいけない物だの業者と諸々相談するのに、朝っぱらから今の今まで掛かってたんだ」
「ああ……このビル結構古いですもんね。ウチの店も何年か前に修理しましたけど、結構大変でした」
テーブルとか棚とか退かして床捲ったり、終わった後も壁紙張り替えたりで、何だかんだ一週間くらい店閉めてたっけ。
「でもどうすんの? ウチは定休日無いし、予約のお客さん断る訳にもいかんでしょ?」
「それが幸か不幸か、明日の日中丸々入ってた、ドラマ撮影の貸切予約がキャンセルになってな。ロケの終了時間は目安でしか分からんと言われてたから、夜の営業も予約は取って無かったんだ。だから明日は臨時休業にして、補修も含め一日でやってくれって知り合いの業者に無理言って頼んだ」
蓮華さんは小声で「あ〜あ、勿体ねぇ」と溢し、肩を落とす。
『レイブンヴィル』は店のコンセプトが独特で、内装が非現実的なほど中世ヨーロッパ的な華やかさに溢れていると言う事もあって、割と頻繁にドラマや雑誌の撮影に使いたいと場所貸しの依頼が来る。
作品の中でそのまま『執事喫茶』として使われた事もあり、スタッフからも有志を募ってエキストラとして出演した先輩方も居るくらいだ。……因みに、面白がった蓮華さんが俺を無理やり出演させようとして、桐生さんにガチギレされていた。後にも先にも、あれほど恐い桐生さんを見た事は無い。
当然撮影の間はご主人様方をご案内する訳にもいかないので、必然的に貸切となる。その為、利用料は高額だ。尚且つ、殆ど人件費や原価を掛けず売り上げだけが取れるので、経営者である蓮華さんとしては美味しい話が一つ消えて残念なのだろう。………ん?
「あれ? て事は、明日のシフトは休み、ですか?」
「おう。稼ぎたいアキ坊には悪いが、そう言う事だ。まあ流石にいきなりだからな。一日分満額とはいかないが、ちゃんと臨時手当を給料に乗っけるよう経理には伝えてある」
「ああいえ、それは大丈夫なんですけど……」
………う〜ん。時間、出来ちゃったなぁ。
今話もお読み頂き、ありがとうございます。




