第八章:始まりの場所、受付嬢エルゼ
物語の舞台は、腐敗の臭いをまとった廃礼拝堂から、いつもの見慣れた冒険者ギルドへ
祈りと死者と、ひとつの再会の種を抱えて、彼らは無事に帰還を果たした。
エルンヒルデは外套を深く被り、その白い肌や裂けた頬、残る死の気配を隠していた。街の人々を怯えさせないため。そして何より、彼女自身が、残してきた妹に拒絶されることを恐れていたからだ。
「……本当に、いるのだな」
外套の下からの震える問いに、カティアが優しく応じる。
「いるよ。机の上の書類をきっちり揃えて、たまに心配そうな顔をする受付嬢さんがね」
ギルドの重い木製扉が開く。
酒場の賑やかな喧騒、依頼掲示板の前に群がる冒険者たちの元気な怒号、インクと紙、そして美味そうな焼き肉の匂い。その喧騒の中心、受付カウンターの奥に、彼女はいつもと変わらず佇んでいた。背筋を伸ばし、実直に書類を捌くエルゼ・ヴァイスランツェ。
「はい、こちらの依頼は明日の朝までに再確認を……あら」
冒険者たちの帰還に気づいたエルゼが、ふっと表情を和らげる。
「お帰りなさいませ。皆様、ご無事で――」
だが、彼女の言葉が突如として途切れた。
冒険者たちの背後、最後にギルドへ足を踏み入れた、外套姿の背の高い女性。その凛とした立ち姿、隙間から覗く白銀の髪と横顔。それは、エルゼがかつて心の底から慕い、そして永遠に失われたと絶望していた、あの最愛の姉の面影そのものだった。
「……」
エルゼの手から指に挟まれていた羽根ペンが零れ落ち、受付台の上で乾いた音を立てた。
「うそ……」
それは、普段の有能で冷静な受付嬢の声ではなかった。ただ、何年間もずっと姉の帰りを待ち続けていた、一人の小さな妹の声だった。
「……お姉、さま?」
エルンヒルデの肩が、びくりと大きく震える。
「エルゼ」
その名を呼んだ瞬間、エルゼの顔が見る影もなく歪んだ。彼女は受付の椅子を激しく蹴飛ばすようにして立ち上がる。書類が宙に舞い、インク壺が大きく揺れる。普段の彼女なら絶対にあり得ない乱暴さでカウンターを飛び越え、一直線に姉へと駆け出した。
「お姉さまっ!!」
エルゼはそのまま、エルンヒルデの胸へと飛び込んだ。
衝撃で外套が滑り落ちる。露わになる屍の白い肌、裂けた頬、死の臭い。だが、エルゼはそんなものを一切恐れなかった。問いただすよりも先に、ただ狂おしいほどの愛おしさで、姉の身体を強く強く抱きしめた。
「お姉さまっ、お姉さま、お姉さま……っ! 帰って……帰ってきて、くださった……っ!」
百戦錬磨の不屈の戦乙女が、完全に固まっていた。どうすればいいのか分からず、不器用に両腕を浮かせたままでいる。
「エルゼ、私は……」
「言わないでください!」
エルゼは姉の胸に顔をうずめたまま、泣き叫んだ。
「今は、何も言わないでください……! 違うものになったとか、そんなこと、今は聞きたくありません……! 私、ずっと……扉が開くたびに見てしまって……もう泣かないって決めたのに……お姉さま……っ!」
ギルド全体が、水を打ったように静まり返った。荒くれ者の冒険者たちも、他の職員も、誰もがその胸を打つ美しくも切ない再会に息を呑み、言葉を失っていた。
「帰還報告としては、過去一番に騒がしいねぇ」
カティアが床に散らばった書類を一枚拾い上げ、少しだけ喉を詰まらせながら目を細めて微笑んだ。
エルンヒルデの腕が、ゆっくりと、世界で一番の壊れ物に触れるようにエルゼの背中へと回る。
「エルゼ……すまない。遅くなった」
「遅すぎます……! 遅すぎますよ、お姉さま……っ!」
妹の弱い拳が、姉の強固な鎧を何度も叩く。そこには何年分もの孤独と祈りが込められていた。
「ああ。本当に、遅くなった。ただいま、エルゼ」
姉の腕が力強く妹を抱きしめる。死者の身体であろうとも、そこには間違いなく、家族の確かな温もりが通い合っていた。




