第九章:新たなる賽、怖くない食卓へ
しばらくの間、エルゼは固く抱きしめたまま姉から離れようとはしなかった。エルンヒルデは不器用な手つきで妹の背を優しく撫で続け、それからサツキたち冒険者一党へと真っ直ぐな顔を向けた。
「サツキ。お前の言葉を、私は忘れん。お前たちが私を討つべき怪物としてではなく、話すべき相手として見てくれたから、私はここへ来ることができた。ならば私は、これから学ばねば慢らん。怖がられるからと隠れるのではなく、知ってもらうための立ち方を。この時代を、この街を、この一党を、知っていく」
エルンヒルデは、一人の少女へ深く頭を下げた。
「お前の目は、戦場の勝敗を見る目ではない。道を見る目だ。私がまた迷い、己を怪物としか思えぬ日が来たなら。その時は、どうか言ってくれ。まだ道はある、と」
エルゼが涙を拭いながら、冒険者たちへ深く一礼する。
「皆様が、お姉さまを……連れてきてくださったのですね。本当に……ありがとうございます……」
続いて、エルンヒルデの鋭い視線がマールを捉えた。その瞳には、かつての戦場の苛烈な火ではなく、共に歩む熱い信頼の火が灯っていた。
「マール。お前は本当に騒がしい。だが、その騒がしさに救われた。私は、まだ隣に並べる。この不器用な足で、誇りを抱えて、隣に立てるのだと、今この子が教えてくれた」
彼女はマールへ向けて、力強く片手を差し出した。
「未来への約束は、お前の胸に預けた。お前が私を背負うに足る大神官となるその日まで、私はお前の背には宿らん。その代わり――お前の隣で、お前を鍛える。戦女神の戦乙女として、その大剣の振り方も、勝ち目の薄い戦でなお笑う胆力も、余さず叩き込んでやろう。覚悟しろ、マール」
「おやおや、これは師匠が増えたねぇ」とカティアが楽しそうに笑い、ネージュも「マール、修行」と静かに発破をかける。
「お前たちは、私に新しい武器をくれた。剣でも槍でもない。恐れられても、知ろうとする道を探すこと。敗れても、死しても、前を向いて立ち上がること。誠に、帰ってよい場所へ、帰る勇気を持つこと。この武器を、私は手放さん。私は、もう駒には戻らん」
エルンヒルデはギルドの全員へ向けて、堂々とその名を名乗り上げた。
「我が名は、エルンヒルデ・ヴァイスランツェ! 白槍を掲げし戦女神の信徒! 死してなお己が意思を貫く者! この身は朽ち、喉には飢えが宿る。陽の下を歩けば怪物と呼ばれるだろう。だが構わん! 私は天へ逃げぬ。地に縛られぬ。誰かの盤上に戻らぬ! この足で立ち、この手で掴み、我が隣に立つ者たちと共に、世界の不条理へ挑み続ける。不条理よ、来るがいい! この戦乙女は、まだ折れていない!」
その圧倒的な宣言の後、彼女の赤い瞳がネージュを捉える。
「ネージュ。歩くなら仲間、堕ちたなら止めると言ったな。もし私が飢えに敗れ、民へ牙を向けたなら、その時は迷わずお前の鞭で私を止めろ。だが、それまでは――お前の仲間として歩こう」
ネージュは、静かに、しかし深く頷いた。
「リリエル」
エルンヒルデが小さな使徒を見つめる。「人を食べちゃだめ」と真っ直ぐに返してきた妖精の勇気を、彼女は心から称えた。
「私が無理をしている時、皆の食卓を乱すことを恐れて黙ろうとした時、お前は小さな光で私の足元を照らし、叱ってくれ」
「うんっ! リリエル、照らす! ネージュも、エルンヒルデも、みんなも!」
最後に、エルンヒルデはアルシエルの前へと進み、ゆっくりと片膝をついた。それは降伏ではなく、心からの敬意の表明であった。
「アルシエル。お前の祈りは、私に『己の名で歩け』と告げる、逃げ道のないものだった。物として扱われた過去の鎖を抱えながら、それでも誰かへ手を伸ばし、名で呼ばれる存在へと変えてみせたお前は、私よりも強い。地母神の使徒よ、私が資格なき怪物だと迷う時、どうか言ってくれ。私はまだ歩いてよいのだと」
アルシエルは涙を流しながら、エルンヒルデの冷たい両手を優しく包み込んだ。生者の確かな温もりが、死者の指先へと染み渡っていく。
「何度でも、言います。あなたは、あなたの名で歩けます。あなたが怪物にならないように見張るのではなく、あなたがあなたでいられるように、私も祈ります。……そして、いつか皆さんで、温かい食事をしましょう。怖くない食卓を、一緒に探しましょう」
怖くない食卓。誰かと囲む、温かな時間。
それは、盤上の駒として戦うことしか知らなかった戦乙女にとって、何よりも新しく、美しい未来のビジョンだった。
「……ああ。その祈り、確かに受け取った。私に、祈りの中で立つ術を教えてくれ。その代わり、戦場で膝を折らぬ術は、私が教える」
「はい……。よろしくお願いします、エルンヒルデさん」
戦乙女と天使。戦女神の火と、地母神の水。異なる二つの祈りが、その日、同じ場所にしっかりと立ち上がった。
散らばった書類の真ん中、もう誰の盤上でもない、彼ら自身の選択した地平の上で。いつか皆で囲む、温かく、怖くない食卓の未来へ向けて、彼らは新たな歩みを、その足で力強く踏み出すのだった。




