メルル心霊ちゃんねる(前編)
ナギ > 最近マンション内で起きた怖いエピソードは?
『んーなんだろねー。最近毎晩2時になると部屋を歩く足音が聴こえてくるんだよね。スタスタスタッって。おんなじ所を行ったり来たりしてるの。幸い玄関からリビングまでを往復してるだけだから私の寝室に侵入してくることは今のところないんだけど、いつ来るんじゃないかってビクビクしてる』
ぷんぷん丸 > 事故物件系ユーチューバーならちゃんと現場を抑えてリポートしろよ。
『でもでも、メルルが悪霊に襲われちゃうかもしれないじゃん?おじさんの悪霊だったら余計何されるか怖いしぃ…………』
紅芋 > 三十路手前のアラサー女子を襲いたいおっさんなんて早々いねぇよ。
養分のくせに偉そうなこと言ってんじゃねーよ。
配信用マイクに向けて怒鳴りつけたい衝動を抑えながら、自虐的な笑みを顔に張り付ける。
『私みたいな28歳のおばさんに需要なんてないですよね~トホホ。結婚なんてさっさと諦めて陰キャは陰キャらしくネットの隅っこの世界でコソコソ生きていきますかねぇ』
ナギ > メルルさんは可愛いから大丈夫だよ。
〈ナギさんから1000YELLポイントが送られました。〉
そのメッセージに少しだけ心が綻び自然と笑みがこぼれた。
『ナギさんいつも投げ銭ありがとーー!!これからも優先してコメント見ていくから今後もご視聴よろしくお願いしまする!』
ナギさんはいつも配信のたびに少額ながら投げ銭をしてくれる常連のリスナーさんだ。
彼のような優しいリスナーさん達がいるからこそ配信活動のモチベが保たれていると言っても過言ではない。
ゲスナーのクソコメやら変態おじのSNSでの変態DMやら、動画配信者というのは憂鬱になること山の如しだが、メルル心霊ちゃんねるは今年で3周年を無事迎えることができた。
ありがたやありがたや。
動画配信界隈は個人で簡単に始めることができるため、参入障壁が低く競争が激しい。
リスナーに飽きられないように面白い企画やコラボなど常に考えていかないと、あっという間に視聴者は離れていってしまうのだ。
私の配信ことメルル心霊ちゃんねるは、ホラー関連、主に心霊スポット探索に軸足を以前は置いていたが、1年ほど経つとマンネリ化してきたのか再生数が伸び悩んだ。
悩みに悩んだ私は、かつて多くの飛降り自殺者が出たと有名な幽霊マンション、天野国レジデンスに実際に住みながら事故物件での生活として新たな配信のネタにすることにしたのだが…………意外にも快適だった。
格安の家賃で都内の築浅マンションなので外観も設備も真新しさが残っていて、マンション玄関前、歩道へと繋がる通路脇に設置された植栽は綺麗に手入れが行き届いている。
本業の事務職として勤めている会社も都心にあるため、以前埼玉に住んでいた時に比べて通勤はかなり楽になった。
心霊現象を除けば良い暮らしだが、その心霊現象というのも今のところ大したものではない。
少なくとも命の危険が及ぶほどのものでは。
毎日決まって深夜2時に部屋の中を歩き回る足音が聴こえてくるというレベルのものだ。
壁に掛けた時計を見ると、すでに深夜1時半をまわっている。
『今日はリビングにカメラを設置することにするね~。私は怖いので寝室に引き篭もるぜっ。幽霊となんて戦闘したくないしー。それじゃあ、今日の放送はこのへんで!次回の放送でまたお会いしまーーーー』
突如、放送終わりの挨拶は外から漏れ聞こえてきた男性の悲痛な叫び声に遮られる。
『俺の土日がーーーーー!!!!またいつの間に過ぎちゃったーー!!これで通算90連勤達成ぇえええ!!もうやだぁああああああああ!!!!』
ぷんぷん丸 > 突然の社畜痴呆おじさんの登場ワロタwwww
ピカキン > 大草原不可避w無職ワイ高みの見物。
毎週金曜日の夜と月曜日の朝に叫び声を上げる男。
自分の部屋に入れないだの土日が消えちゃっただの病的に叫ぶ続ける社畜おじさんが現れたのはおおよそ3か月ほど前。
私のチャンネル内では、社畜痴呆おじさんと命名され、金曜日夜の配信では彼が登場するたびに配信が盛り上がっている。
配信の雰囲気を盛り上げる舞台装置としては非常に良いが、会社に縛られている彼のような存在を、私は内心冷めた目で見ている。
仕事以外に自分の世界を持っていないつまらない人間だと。
そんなに会社が嫌ならさっさと辞めればいいのにそうしようしないのは、彼のような人間は会社にしかアイデンティティがないか、辞めると決断する勇気がないのか。
月曜日の朝は、もはやマンション住民全員の目覚まし時計の役割を果たしていると言っても過言ではない。
彼の叫び声を聞くたびに憐憫と愉悦が複雑に混じり合った感情が込み上げてきてしまう。
『社畜痴呆おじさんに放送を阻まれたので改めて。次回の放送でまたお会いしましょう。メルル心霊ちゃんねるでした~。またね~』
パソコンを閉じて早速リビングと玄関にそれぞれカメラを設置、タイマーで2時から動画撮影開始と設定した。
寝室に戻り、ベッドに横になりながらSNSの世界をだらりと巡る。
部屋の照明はつけたままにしておいた。
別に怖いわけではない。
視力が年々悪くなっていっているので、暗い部屋でスマホを触ることは止めたのだ。
あと、毎日目薬を差すようにしている。
会社での事務仕事、チャンネルの動画編集、趣味のゲームなどあらゆる場面で目を酷使しているのでケアを心掛けるようにしているのだ。
そういえば今日はまだ目薬を差していなかったことを思い出し、カラーボックスに置いた救急箱へ手を伸ばそうとして、
――――ペタッ。
フローリングを踏む微かな足音。
――――ペタペタペタ、ペタペタペタ。
リビングから玄関へ、そして再びリビングへ戻ってくる規則的な歩行音。
それは小さな子供か、はたまた小柄な女性といったところか。
床を踏み鳴らす足音は小さく、歩行の間隔も短いことから、幽霊のおおよその人物像を想像する。
――――ペタペタペタ、ペタペタペタ。
歩行速度は一定で乱れがない。
まるでこの部屋を徘徊することが1つの役割であるかのような機械的な動作音。
この足音はおおよそ1~2時間程度続くが、私に直接的な危害は今のところなし。
部屋の四隅に盛り塩を置くことで簡易的な結界を作れると、他の心霊ちゃんねる界隈の配信者から聞いて見よう見まねでやってみたのだが、これが功を奏しているのかもしれない。
簡易結界の実用性が証明できれば、心霊現象対策として深みのある内容にもなるだろう。
それにどこか科学の実験のようにも思えて、ホラーとはまた違った切り口の楽しみがある。
あと、オカルトの玄人っぽくてかっこいいしね。
結界の実用性を証明するためにはこの結界を一度除去して、幽霊の反応を見てみよう。
危険を伴うだろうが、ここで身体を張ることができなければエンタメを追求し続ける配信者としての名が廃るってもの。
盛り塩の山を1つ足で払って崩してみると――――――――
――――ペタペタペタッ、ペタペタペタッ…………………ペタ。
…………………え
徘徊者の歩行が唐突に止まった。
私がここに引っ越してから毎日欠かすことなく現れる深夜の徘徊者。
これまで一度として歩みを止めたことがない徘徊者の足が、今日初めてぴたりと止まった。
部屋一体が不気味な静けさに包まれる。
だんだんと聴覚に神経が集中し、リビングから何者かの息遣いが聞こえてくる恐怖が耳をざわつかせる。
いや、何も聞こえない、物音一つしない。
バクバクと激しく鼓動する心臓音が扉の向こうまで漏れ聞こえてしまうのではないか。
両手で胸の中心部をぐっと抑えた。
それで心臓音が収まるわけないのに。
寝室とリビングを隔てる頼りなげな扉に出入りを制限する鍵などなく、ほんのひと捻りすれば開いてしまう。
向こうの匙加減一つで、あっさりと。
身体は硬直して動かないのに、視線は縫い付けられたように扉へ固定される。
ガチャリと、ゆっくり開かれていく扉。
――――――――そこには、もう一人の私が立っていた。




