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悪役令息ですが、闇市を整備して薬と食料を届けていたら勇者に焼かれました  作者:


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9/14

第8話:情報戦という名の対話

 書簡が届いた。


 差出人は勇者セリウス・ライトフォード。宛先はルートヴィヒ・フォン・ハルツ。


 公式な書簡だった。封蝋(ふうろう)にセリウス個人の紋章が押されている。教会の紋章ではない。つまりこれは、教会の命令ではなく、セリウス個人の意思による接触だ。


『ハルツ家嫡男ルートヴィヒ殿。貴殿の関わる流通について、確認したき事項がございます。つきましては面会の機会を賜りたく――』


 堅苦しい文面の中に、刃がある。「確認したき事項」。つまり、証拠がある、と言っている。


「ウルスラ」


「はい」


「セリウスが何を(つか)んでいるか、分かるか」


「断定はできませんが、おそらくグリーンフィールドの薬の件でしょう。匿名で届けたとはいえ、経路を辿(たど)れば闇市に行き着きます。村人の証言もある」


「エリン経由か」


「可能性は高いです。エリンがセリウスに情報を伝えたかは不明ですが、勇者一行が東部を巡回した際に直接耳にした可能性もあります」


 私は書簡を机に置いた。


 会うか、会わないか。


 会わなければ、セリウスの疑念は疑念のまま残る。疑念は膨張する。膨張した疑念は、やがて確信に変わる。確信を持った勇者は、もう止まらない。


 会えば、情報の一部を渡すことになる。だが、渡し方を制御できる。


「会う」


「場所の指定は」


「こちらから指定する。レーゲンブルクの中央市場。昼間。人目のある場所だ」


「……人目のある場所? 普通、密談は人目を避けるのでは」


「密談ではない。対話だ。人前で行えば、セリウスは剣を抜けない。光の勇者が市場で闇市の令息を斬った、となれば世論が持たない。こちらの安全を保証する最も確実な方法は、人の目だ」


「なるほど。勇者の力を、勇者の名声で封じるわけですね」


「そうだ」


―――


 三日後。レーゲンブルク中央市場。


 昼時の市場は(にぎ)わっていた。野菜を並べる露店、肉を焼く煙、子供の笑い声。日常の音と匂いが(あふ)れている。


 私は市場の一角にある食堂に入った。屋外の席を選んだ。通りに面した、誰からも見える場所だ。


 セリウスが来た。


 白銀の(よろい)は脱いでいた。代わりに簡素な旅装。だが、腰に光の剣を()いている。それだけで、彼が何者かは周囲に伝わる。市場の人々(ひとびと)が「勇者様だ」と(ささや)き合っている。


 セリウスは私の向かいに座った。


 随行はいない。一人で来た。


 私もカインを下がらせてある。ウルスラは市場のどこかにいるはずだが、姿は見えない。


「来てくれたか」


 セリウスが言った。真っ直ぐな目。裏がない。前回の集会で見た、あの曇りのない目。


「断る理由がなかった」


「……率直だな」


「回りくどい話が好きなら、教会に行け。私は帳簿の人間だ。数字と同じように話す」


 セリウスの眉がわずかに動いた。挑発と受け取ったか、あるいは単純な驚きか。


「では率直に聞く。ハルツ家は闇市を運営しているか」


「している」


 セリウスが目を見開いた。


 否定しなかったことに驚いている。当然だろう。普通、犯罪の首謀者は犯罪を否定する。


 だが、私は(うそ)をつかない。聞かれたことには答える。


「……認めるのか」


「事実だ。否定しても仕方がない」


「闇市は違法だ。王国の法を犯している」


「その通りだ」


「搾取的な取引だ。正規の流通を乱し、民衆を欺いている」


「搾取的かどうかは、数字で判断しろ」


 私は懐から一枚の紙を取り出した。


 クルンプ峠の第三倉庫の在庫リストだ。焼失前の。


「これは」


「お前が焼いた倉庫の中身だ。解熱剤百二十。干し肉四百。経口補水塩八十。毛布二十枚。お前はこの倉庫を『闇の拠点』と呼んだ。では聞く。この在庫のどこに、搾取の痕跡がある」


 セリウスは紙を見つめた。


「……薬?」


「解熱剤だ。三つの村に配送する予定だった。お前が焼いた後、その三つの村で薬が不足した。子供が発熱した。一週間、薬なしで耐えなければならなかった。その後の死亡者数を知りたいか」


「…………」


「ゼロだ。別の経路から補充した。だが、間に合わなかった場合の話をしているのではない。お前が焼いたものの中身の話をしている」


 セリウスの顔色が変わった。白くなった。


「教会に言われたのだろう。『闇の流通拠点を浄化せよ』と。お前はその指令に従った。正しいと信じて。だが、お前を指名した人間の動機を調べたことはあるか」


「……動機?」


「フリードリヒ大司教が闇市の排除を命じる理由は何だ。正義か。民衆の保護か。それとも、教会以外の流通経路を潰して、経済の独占を完成させることか」


 沈黙が落ちた。


 市場の喧騒(けんそう)が、二人の間を流れていく。肉の焼ける音。子供の笑い声。値切りの声。


 セリウスが口を開いた。


「……教会は、光に仕える組織だ」


「そうだ。だが、光に仕える組織が、光のために動いているとは限らない。お前は光の剣士だ。剣を振るう腕は確かだろう。だが、その剣を振るわせた者が、光のために動いているかどうか――それを検証したことはあるか」


 セリウスが拳を握った。テーブルの下で、手が震えていた。


 怒りか。動揺か。おそらく両方だ。


「……お前の言葉を信じろと言うのか。闇市を仕切る人間の言葉を」


「信じなくていい。検証しろ。私の言葉ではなく、数字を。焼かれた倉庫の中身を。その後に何が起きたかを。そして、お前に指令を出した人間が、なぜその倉庫を標的に選んだかを」


 セリウスは答えなかった。


 私は立ち上がった。


「お前の正義を否定するつもりはない。お前は善人だ。本気で人を救いたいと思っている。それは分かる」


「……なぜ」


「お前の目を見れば分かる。あれは嘘をつけない目だ。私にはない種類の目だ」


 セリウスが、かすかに息を吸った。


「だが、善意は免罪符ではない。お前が焼いたものの中身は、善意では元に戻らない。数えろ。何が焼けたか。何人が困ったか。それが、検証の第一歩だ」


 私は食堂を去った。


 背後で、セリウスが座ったまま動かない気配がした。


―――


 市場を抜けると、カインが待っていた。


「どうでした?」


「種を植えた。芽が出るかは分からない」


「あの勇者、聞く耳ありそうでしたか」


「聞く耳はある。だが、聞いたことを受け入れるかどうかは別の問題だ。人は、自分が正しいと信じてきたことを疑うのに、想像以上の時間がかかる」


「坊っちゃんは、あの勇者に分かってほしいんですか」


「分かってほしいわけではない。検証してほしいだけだ。検証すれば、事実に辿り着く。事実に辿り着けば、行動が変わる。行動が変われば、焼かれる倉庫が減る。結果として、薬が届く人が増える」


「……やっぱり回りくどいですね、坊っちゃんは」


「効率的だと言え」


 カインが笑った。


―――


 その夜、セリウスは宿に戻った。


 一人だった。


 部屋の椅子に座り、テーブルの上に広げた紙を見つめていた。ルートヴィヒが渡した、倉庫の在庫リスト。


 解熱剤、百二十。


 干し肉、四百。


 経口補水塩、八十。


 自分がこれを焼いた。


 正義のために。


「……セリウス」


 隣室から、マグナスが顔を出した。


「どうした。顔色が悪いぞ」


「マグナス。お前、前に言っていたな。北部の村を通過した時、何かが変わっていたと」


「……ああ」


「あれは、俺たちのせいだったのかもしれない」


 マグナスは黙った。


 否定しなかった。


「マグナス。教会の指令書の写しは、お前のところにあるか」


「ある。なぜだ」


「見たい。全部」


 マグナスは少し驚いた顔をした。だが、すぐに(うなず)いた。


「……分かった。持ってくる」


 マグナスが出ていった。


 セリウスは紙を見つめた。


 数字が並んでいる。


 冷たい、正確な数字が。


 あの男――ルートヴィヒ・フォン・ハルツ。鋼色の目をした、表情のない十七歳。


 あの男の目には、何が映っていたのだろう。


 怒りではなかった。憎しみでもなかった。


 ただ、数字だけが映っていた。


 そして、その数字の一つひとつに、人の命が(ひも)づいていた。


 セリウスは在庫リストを畳んだ。


 畳んで、懐にしまった。


 捨てられなかった。


 数字が、重かった。


―――


 翌日。


 ウルスラが報告してきた。


「セリウスが教会の指令書の写しを入手したようです。マグナスから受け取った模様」


「動き出したか」


「ただし、すぐに教会に疑念をぶつけることはないでしょう。彼は慎重です。善人だからこそ、自分の信念を覆すには時間がかかる」


「時間はある。急ぐ必要はない」


 私は帳簿を開いた。


 セリウスの件は種を植えた段階だ。水をやる必要はない。事実という日光が、勝手に芽を出す。


 今やるべきことは別にある。


 コストの回収。カインの村単位取引の拡大。ギュンターとの次の納品調整。


 日常の数字を、日常のように書き込む。


 帳簿に変わりはない。


 だが、この帳簿の意味が、少しずつ変わってきている。


 守りから、攻めへ。


 耐えるための数字から、動かすための数字へ。


 蝋燭(ろうそく)の炎が揺れた。


 今夜は、風が弱い。

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