年上の夫
「旦那さん50才?!『母さん』って呼ばれてる!?」
販売のお茶休憩中の話だ。
今日、ラストまでのシフトが入っている大学生アルバイトの青年は、珠稀の言葉に大袈裟に仰け反った。
「変かな?私も子どもたちの前では『お父さん』って呼んでるよ?」
「変って言うか…完全に子どもの母親としか見てないじゃん。結城さんは二人の時は名前呼びなんでしょ?」
「うん…まあ……」
子どもが二人、しかも一人は成人済みである。
逆に名前呼びの方が恥ずかしいのではないかと思えば、大学生アルバイトの考えは違うらしい。
「笑える~おっさんと結婚するからそうなんじゃん」
『おっさん』
今日も今日とて三十代前半にしか見えない夫に、全く似合わない名称に首を傾げる。
大学生アルバイトがまさか、珠稀を自分と同じ年だと勘違いしていて、年上過ぎる相手と結婚した珠稀を笑っていることに気付かなかったのであった。
「あっ、おっさん…おっさん!?はぁっ!?」
定時になり、ロッカーで着替えていると何やら騒がしい。
大学生アルバイトの青年はまだ、入りたてで慣れないから仕方ないのかもと思った珠稀は、鞄を持ってロッカールームから出る。
「……?あっ、母さん。お疲れ様」
ロッカールームから出れば、いつも通りに迎えに来てくれた直がいた。
いつも通り、にこやかで隙がない。
そして、やはり三十代前半にしか見えなかった。
「直さんもお疲れ様。…どうしたの?」
ケーキのショーケースの向こう側、驚愕の表情で固まる大学生アルバイトの青年を見ながら、珠稀は夫に問い掛ける。
問い掛けられた方も、困惑顔だ。
「いや、普通に結城の夫だと名乗っただけなんだが…」
初対面なので普通のことだ。
何がおかしいのかわからない。
珠稀は首を傾げた。
一方、実年齢五十才、見た目はどう見ても三十代前半の化物を見てしまった大学生アルバイト。
それでも彼は、気丈にも初対面の年上を鼻で嗤った。
「結城さんのこと『母さん』って呼ぶって聞きましたよ!つまり、女として見てないってことじゃないですかぁ~こんな若い奥さんもらっておいて、それはないんじゃないですか?」
強心臓である。
本日は卯月店長不在なため、気の弱い副店長が店の角で震えていた。
とんだとばっちりである。
「ふむ…」
よく理解出来ていない珠稀は兎も角、初対面の青年に暴言を吐かれた直は、少し考える素振りを見せた。
しばし考え、それから何かを思い付いたのか。
口を開いた彼はただ、妻の名前を呼んだ。
「珠稀」
ただ、一言だけ。
名前を呼んだだけだ。
先程、『結城の夫です』と名乗ったときとは違う、低く甘い声。
大学生アルバイトは、そこに滴る色気に当てられて動けない。
目を見てはダメだ、落とされる。…どこに?
「直さん!!」
鋭い声と共に、小柄な身体が大学生アルバイトを守る盾のように立ち塞がる。
その瞬間、淫靡な空気が霧散した。
大学生アルバイトが恐る恐る顔を上げると、いつも通りの無表情…で顔真っ赤な珠稀の姿がっ!!
しかも、ぷるぷると羞恥に震えていた。
その姿に大学生アルバイトは思った。
「えっ、可愛すぎなんですけど!?」
思ったついでに、口から出ていた。
「母さん」
「なぁに?」
家路に着く二人。
さっきの騒ぎは何だったのか。
いきなり色気を出す夫に焦った珠稀だったが、未だに意味がわからない。
しかも、何故か副店長が半泣きで大学生アルバイトに頭を下げさせていた。
明日、卯月店長に聞いてみようと考えていた珠稀は、立ち止まった夫に釣られて立ち止まる。
「直さん…?」
「珠稀」
ぶわりと鳥肌が立った。
嫌悪ではなく…なんなのか。
甘ったるい声で妻の名前をただ呼んだだけの直は、珠稀の頬を撫でた指先で唇をなぞる。
「珠稀」
珠稀の顔に影が落ちる。
指先の代わりに当たる柔らかさと、吐息と共に囁かれる自分の名前に真っ赤になる妻を見下ろし、直は普段と違う笑みを浮かべるのだった。
大学生アルバイト「やべぇよ、結城さんの旦那さん!エロいというか何て言えばいいのか…」
別のバイト「どうしたの?」
大学生アルバイト「変な扉開けそうなんだよ…っ!!」
別のバイト「開けちゃえば?」
大学生アルバイト「開けたら戻れねーよ!!」




