結城家の騒がしい朝③
Side N
真っ赤になって千鳥足になる妻の背を押して、直は小さく笑う。
何がほうれん線か。
そんなもの、張りのある瑞々しい頬には1つもない。
つり上がり気味の大きな目は潤み、頬は薔薇色に染まっている。
輪郭が小さいせいか、顔のパーツがバランスよく収まると実年齢よりも若く見える。
いや、むしろ幼く見えた。
彼女が中学生の頃、当時大学生だった兄・志良の姉だと勘違いされた経験があるらしいのだが、その当時からほぼ顔立ちに変化が見られない。
所謂老け顔だった珠稀の実年齢が外見にやっと追い付き…そして外見の年齢を追い越して行った。
どう見ても、未だに女子大生にしか見えない妻である。
よく、妻の口から「バイトの子たちが気を遣って、おばさんの私に話を振ってくれるの」と喜んでいるが、何のことない。
同世代だと勘違いされているだけだ。
「直さん!!」
「はいはい」
「『はい』は一回!」
何を思い出して、何を恥じらっているのやら。
「お母さん、見てみて!お父さんに髪の毛は結んで…どうしたの、顔真っ赤!」
自慢しに来た娘の顔すら、まともに見られないらしい。
可愛らしいものだ。
妻の顔から視線を上げれば、珠稀によく似た黒猫のような印象を持つ顔を歪めた息子がいた。
腹を擦っているが、食事が足りなかったのだろうか?
少し心配して声を掛けたが、力なく首を振られるだけであった。
「実家に帰ればこんなんばっか!一体、結婚して何年だよ!!」
「二十三年目だよ」
「知ってるよ!!」
何を怒っているのやら。
「時間に遅れる」
誰が言い出したのか、その言葉にのんびり顔を洗って歯磨きをする娘を急かしながら、家族で玄関に向かう。
「お弁当は!?」
「持ったよ~」
「八倖、宿題はもちろん?」
「やったって!!」
靴を履きながら、ぷりぷり怒り兄の言葉に返した八倖に続いて鈴も玄関を出た。
「あっ、田口のおばさん、おはようございます!」
「おはようございます。お豆腐、ありがとうございました」
「ありがとうございました!美味しかったよ!」
さっきまで怒っていたのに、もう笑っている。
誰に似たのか、八倖はにこにこ笑ってお隣のご婦人に挨拶とお礼を伝えている。
鈴はいつも通りのポーカーフェイスで、丁寧にお辞儀をして感謝を伝えていた。
「あら、おはよう。お兄ちゃん、今日は帰ってきてたのね。お豆腐、足りたかしら?」
「足りたよ!あのね、今日の味噌汁の中に入ってたの。美味しかったよ!あとね、今日の夕飯はお豆腐を使った麻婆豆腐と、ピーマンたっぷりな青椒肉絲でね!」
「八倖、待って。母さん、そんなこと言ってない」
鈴の的確なツッコミが入るが、まあ、冷蔵庫の中身的には問題ないだろう。
直と同じように考えていたらしい珠稀は、赤らんだ頬をぺちぺち叩いてから、お隣さんに挨拶をした。
「おはようございます、田口さん。お豆腐、とても美味しかったです」
「珠稀ちゃん、おはよう。とてもうれしいわ」
「こちらこそ!いつもお気遣い頂いて、ありがとうございます。…八倖、今日は田口さんから頂いたお豆腐の麻婆豆腐と、上のおばあちゃんから頂いたピーマンで青椒肉絲で良い?」
「わーい!いいよ!!」
先程、自分が二つに結った髪が上機嫌に跳ねるのを鍵を掛けながら直は見ていた。
「田口さん、いつも、ありがとうございます」
「いいのよ~私も喜んでもらえたら嬉しいもの」
お礼を伝えれば、にこやかにそう返ってきた。
上の老婦人もそうだが、今時珍しい親切なご近所さんたちである。
「鈴、今日の夜ごはんは麻婆豆腐と青椒肉絲の予定だけど、どうする?食べに来る?」
「…うん、食べに行くよ」
「待ってるね。あっ、冷凍の餃子も食べようか」
やっと赤みの引いた顔で、息子に微笑む妻。
素直に頷く息子。
二人とも、その間無表情なのが笑えた。
「ところで」
「はい?」
「いつも仲が良いわねぇ」
「?」
妻は不思議そうな顔をするが、視線で意味を察した直は、にこやかな笑みだけを向けた。
繋いだ手に、いつ気付くか。
それが楽しみだった。




