第14話 母なる海、ティアマト
光の中に現れた少女は、ゆっくりとこちらへ近づいてきた。
彼女は、湖面の上をまるで普通の地面のように歩いてくる。
「なんだ、あれは……?」
「女の子……だよね?」
レーヴァの声はなぜか震えていた。
目がないレーヴァは、対象の内包する魔力の模様で個人を感じ取る。
近づいてくる少女の魔力は、その小さな体には見合わないほど巨大なものだった。
そして、同じくナイアも息を呑む。
レーヴァのただならぬ様子に、思わず身を引き締めた。
「んん?なんか、変わった格好してるなぁ」
リックは額に手を当て、目を凝らす。
綺麗な水色の長い髪をなびかせる少女は、確かにこの辺りでは見かけない変わった格好をしていた。
金の刺繍が映える漆黒の布を胸元で斜めに重ね、腰には煌びやかな黄金色の帯。
スカートに似ているが、短めに切られた裾。
翼のように大きな袖を揺らし、足元には綺麗な艶を放つ厚底の草履らしきものを履いている。
「ね、ねえ……!逃げなくて大丈夫かな?」
「女の子だし、大丈夫じゃないか?」
ナイアは不安を口にするが、リックは呆気らかんとしていた。
だが、どう考えてもただの少女ではない。
ナイアは念のためにレーヴァを構え、再び魔力を込め始めた。
すると突然──
可愛らしい、澄んだ声が響き渡る。
「やめよ。それ以上魔力を込めれば、今度はうぬらを吹き飛ばすのじゃ」
その声は可愛らしさとは裏腹に、重々しい威圧感を孕んでいた。
それを聞いたナイアはびくりと体を震わせ、レーヴァに込めていた魔力を止める。
「ぜ、絶対ただの女の子じゃないよ!」
「小僧!あれは人ではないぞ!さっきまでそこに立っていた巨竜だ!!」
冷や汗を滲ませるナイア。
レーヴァから告げられる衝撃の事実。
しかしそうこうしているうちに、少女はリックの目と鼻の先まで迫っていた。
「ええ!?あの小さい子がさっきのドラゴン……?
いや、細かいことは後にするか。えっと……今度は人型でやりあうのか?」
リックは低く身構え、拳を固めた。
そして、いつでも反撃できるように力を込める。
だが──
「おぬし、名はなんと言う?」
少女は何食わぬ顔でリックの前まで近づき、彼の顔を見上げた。
名前を尋ねるだけの少女には、どうやらすでに、先ほどまでの敵意はないらしい。
「ん?俺……?俺はリックだ」
「そうか、リックと申すか」
少女は金色に輝く瞳でリックを見つめた。
縦長の瞳孔は、確かに竜種の瞳だ。
食い入るようにリックを見つめていた少女は、やがて突拍子もないことを告げた。
「おぬしは、今日からわっちの夫じゃ」
「んん!?」
「ええ!?」
「はあ!?」
リックたちは同時に驚きの声を上げた。
少女の口から放たれたまさかの一言に、全員が言葉を失ってしまう。
「なんじゃ?古竜であるわっちを、生身で殴り倒したんじゃぞ。
強いオスが倒したメスをめとるのは当然じゃろ?わっちの夫になれたことを誇るがよいぞ!わははははは!」
あまりに現実味のない話に、ナイアとレーヴァは空いた口が塞がらない。
だが、当のリックは険しい顔で少女を見回し、いぶかしむように尋ねた。
「こんなちっちゃい子がさっきのドラゴン……?というか、古竜ってなに?」
「なんじゃ。今の人類どもは古竜を知らんのか?なんとも嘆かわしいことじゃなぁ」
リックの反応に少女は眉を寄せる。
そして溜め息をつくと、古竜について語り始めた。
「わっちは母なる海の化身、ティアマト。ティアと呼んで構わんぞ。
古竜とは神々よりも古くから存在するこの世界の根源じゃ。まあ……自我を保つのは、今ではわっちくらいのもんじゃがのぉ」
「ええ!?神様より偉いってこと!?」
「母なる海……だから湖水が塩水だったのか……」
信じられない事実を前に、ナイアとレーヴァは度重なる驚きに疲れ果てていた。
そんな中、リックは驚きつつも、まったく恐れる様子もなくティアの頭をポンと撫でる。
「すごいドラゴンなのは分かったよ。
でもさ、夫って言われても俺たちは薬草とったら帰るよ?」
それを聞いたティアは微笑んだ。
というより、悪巧みをしている笑みだった。
「ふふふ……構わんぞ?わっちもついて行くのじゃからな」
「うそでしょ……」
「我は嫌な予感がしていたぞ……」
ティアの申し出に、ナイアはうなだれた。
レーヴァも、呆れた様子で声を震わせる。
当人であるリックは目を丸くしていたが、特に拒絶する気はないようだった。
「そっかー。じゃあ今から山を降りるけど、ティアも街まで来るのか?」
「ふむ。久方ぶりに人間どもの街を見て回るのも一興じゃのお!わはははは!」
こうして、あれよあれよという間に三人に同行することとなったティア。
まさかの同行者の登場に、ナイアは頭を抱え、レーヴァは返す言葉をなくしていた。
◆◆◆
ティアを加えたリックたちは山を降り、早速冒険者ギルドへと向かった。
ギルドに到着すると、心配していたレリアが受付から慌ててリックたちの元へ走り込んできた。
「リック!ナイア!」
焦った様子のレリアは、二人の体をグルグルと見回す。
ナイアの肩に手を添えたレリアは、冷や汗を浮かべながら声を震わせた。
「怪我はない!?体は大丈夫なの!?」
そんな彼女にリックは微笑んだ。
その横で、ナイアは苦笑いを浮かべる。
「ははは。見ての通り、何ともないよ」
「うん、とりあえずは……無事かな」
それを聞いたレリアは、ホッと胸を撫で下ろした。
そしてすぐに二人の前に立ち、彼女は深々と頭を下げる。
「ごめんなさい!慌ててたとはいえ、よく確認もせず……
二人を危険な依頼に行かせてしまったわ!ほんっとうにごめんなさい!!」
ナイアは慌てて手を横に振った。
リックも、謝るレリアに笑顔を返す。
「そ、そんな!私たちがよく見ずに渡しちゃったから!」
「そうそう。レリアさんのせいじゃないって」
二人の気遣いに、レリアは涙を滲ませた。
その時ふと、彼女は二人の横にいる一人の少女に気がついた。
「えっと……その可愛らしい女の子は?」
「あー、こいつはこりゅ──」
「あああああ!」
リックの言葉をナイアが遮る。
首を傾げるレリアに彼女は言った。
「奥の部屋で……お話が……」
ナイアの様子は明らかにおかしかった。
それを見て何かを察したレリアは、額を押さえて天を仰いだ。
「また何かやらかしたのね……いいわ、こっちに来て……」
そう言ってレリアはうなだれる。
レリアに連れられ、リックたちは初めて来た時に通された別室へと向かった。




