【9】地産勇者は聖女を守る
――――少女は微笑んでいる。
いつも優しく微笑む女神の神子。
『私は召喚勇者トーリさまの聖女で……将来はお嫁さんになるんです』
その時の少女はどうしてか泣きそうな笑みをしていた。
※※※
――――思い出すのは苦い記憶ばかりだ。
彼女はどうして泣きそうな顔をしていたのか。その答えがこの先にありそうな気がしてならない。
「さぁ、そのような地産勇者の側にいてはなりません!帰りましょう!」
「い、嫌……っ」
神官たちの手に、サナは脅えたようにリディアの後ろに隠れる。
「やめなさいよ!嫌がってるでしょ!?」
「このハーフエルフ……」
神官が毒づく。ゾクリと背筋を伝うものは何なのか。
「エルフは毒だ。その血を引いたハーフエルフもだ」
「ど……どう言うことよ」
リディアはそれでも守るべきもののために揺るがない。だけど……どうしてか胸騒ぎがやまない。
「先代召喚勇者を先代聖女から奪い取り寝取ったのはエルフだからだ!」
その言葉にリディアが硬直し瞳が揺れる。
コイツら……。
「違う!」
「違わぬぞ!貴様は共に旅をしていたのだろう!?それゆえにエルフの蛮行もその目で見たはずだ!それともエルフに味方するのならそれこそ……お前に聖女サナさまは……二度と聖女さまは渡せない」
「……っ」
瞼の裏に浮かぶのはいつも微笑んでいた彼女だ。
「分かったようなことを言うなよ」
「何……っ」
「何も知らないくせに。お前らがアンジェに押し付けたもののせいであの子が……アンジェがどんだけ苦しんだか!」
「それも修行の旅のうちである!」
「そんな酷なことがあるか?」
震える拳を握りしめる。
「そんなもの、必要ない。聖女だからとお前らの思想や都合を押し付けていいわけじゃない」
「いいから……聖女サナさまを大神殿に返すのだ!サナさまは未だ修行の途中。そして召喚勇者レンリさまの聖女になるべきである」
「知らん」
「何と……やはり地産勇者は野蛮だ!そもそも先代召喚勇者さまにお前のような地産勇者をつけたのが誤りだった!」
「……国命だった」
まだ今の陛下になる前の、思い出したくもない時代。
「そしてサナがここにいるのも国命だ」
今の陛下は……アーサー陛下は弟殿下を通じそれを可とした。
「これは我ら大神殿の問題!国が手出しする問題ではない!」
それゆえに聖女は守られる。どんな国家権力からも。
「だからって……聖女の意思くらいあったっていいだろ!」
「女神に仕える聖女さまにそんなものは必要ない。ただ敬虔に、女神の神子として召喚勇者さまを支える。それこそが務め!今度は役に立たない地産勇者と簒奪者のエルフの元になど渡さぬように!」
「いい加減にしてよ!」
その時リディアの声が震えながら風を裂く。
「お父さんとお母さんは愛し合ってた。先代聖女さまとのことは知らない。でも愛し合って……私が生まれたの。そうだよね……先生っ」
祈るような叫びが耳朶を穿つ。
「……リディア」
その先を、告げることが出来ない。
分かっているのに。かけてやる言葉なんて決まっているのに。
「お前……そう言えばその目も。まさかあのエルフと先代召喚勇者の……っ」
西国では珍しい黒い瞳にやつらはようやく悟ったようだ。
こんな話、大切な忘れ形見に聞かせたくなかった。
「それならばなおさら聖女サナさまをこちらに置いてはいけない!」
「関係ないわ!サナちゃんはうちの門下生よ!師範代として門下生を守るのは当然の義務よ!」
それでも彼女はそっくりだ。
「帰って……もう帰ってよ!」
だがリディアももう限界なんだ。
「帰ってくれ」
「我らは帰らぬぞ!」
「帰れ!ここの師範は俺だ!」
「ならばなおのこと!」
神官たちも引き下がらない……か。
「なら、不法侵入で冒険者ギルドに引き渡す」
「ギルドが我らにそんな蛮行が許されると!?そのようなことになれば我らはギルドにポーションを卸すのをやめよう!」
「出来るもんならやってみろ。資金繰りに困るのはお前らだ」
もうそんな脅し文句に怯む若さじゃない。神殿がギルドにポーションを卸さねばその行為に非難が集中し寄付する貴族も王家もいなくなる。
彼らもまた、ポーションや冒険者を必要とする平民たちの上に立っているのだから。
「く……っ」
「とにかく今日は帰ってくれ。今日は虫の居所が悪いんだ」
「だが必ず聖女さまは取り戻してみせる!」
神官たちはそう吐き捨てる。
「……後悔しても知らんぞ」
知るか。後悔なんて散々してきたんだ。
「そんなの、今更だ」
音もなく降りてくる寂寞の陽を背にする。
「入るぞ。夜は冷える」
「……はい、先生」
サナの手を引くリディアの表情は暗いままだ。
「先生」
ぽすんとソファーに腰掛ければ、リディアは膝の上でぎゅっと拳を握った。そのリディアに優しく寄り添うサナに誰かの面影を覚える。
「お母さんは、何をしたの」
「……」
「お母さんとお父さんは愛し合って……結婚……ううん、事実婚だったって。それが関係しているの」
「正確には違う」
向かいのソファーに腰掛ける。
「トーリとシンディアの結婚を王国が認めなかったのはトーリの国籍をこの国に引き止めるためだ」
「お母さんが王国籍になれば良かった!それでも出来なかったんでしょ!?」
「それは……」
涙に揺れる瞳に胸が苦しくなる。
「先生……本当のことを教えてよ。お父さんは先代聖女さまと……」
「国が命じた婚約者同士だった」
「……やっぱり、そうだったんだ……」
リディアが俯く。
「お母さんは先代聖女さまからお父さんを奪ったんだ」
「それは違う!」
「違わないよ!」
ハッとして顔を上げた彼女は夕陽に反射した涙が頬を濡らしている。
「違う、それだけは違う!これはアンジェの……先代聖女の名誉を守るためにも言わなきゃいけない!」
「でも先代聖女さまは……アンジェさまはお父さんを怨んでた。違う……?」
「どこでそんな話を……」
「エルフの森で聞いたもん」
長老夫婦は間違いなく守ってくれたのだろう。娘が命懸けで生んだ孫娘を。
しかし彼女を多くの憎悪や嫉妬が襲ったのは俺だって知ってる。だからこそ連れ帰ったというのに。
「お父さんを殺したのは……アンジェさまでしょ?」
「それは」
絶対にリディアに知られてくはなかった。だけどリディアは既に知っていて……いつもあんな明るく振る舞っていたのか。
「先生。本当のこと、教えてよ」
「……アンジェは、優しい子だった。神殿の言う通りトーリの供の座を受け入れ、旅が終わればトーリと籍を入れることを信じて疑わなかった」
そうして、いつも微笑んでいた。
「だけどな、これだけは本当だ。アンジェにとってシンディアは一番の親友だった。シンディアがエルフだからといわれのない中傷で責められた時も、トーリがシンディアと結婚したいと申し出、国に却下された時も。最初に怒ったのはいつも優しかったアンジェだった」
あの子が怒るのは大切な親友のためだった。
「え……アンジェさまが、怒ったの?」
「そうだ。あの子はシンディアとトーリが愛し合い結ばれることを誰よりも望んでいた。だから自ら身を引いたんだ。破門を覚悟で、これを俺に預けて……」
胸元から取り出した十字架をカタンとテーブルに下ろす。
「私のと、同じだ」
サナが身につけていた十字架もまた、聖女や位の高い聖人が持つことを許される特別なものだ。
「ああ。アンジェは女神に背いてまで2人のために」
「……っ」
リディアの目からは大粒の涙が溢れる。
「私も、私も分かる」
「……サナ」
「私も、リディアさんや先生のためならこの十字架を捨てるかもしれない」
「サナちゃん……?」
リディアが息を飲む。
「私は孤児だったから神殿で育ちました。12歳で聖女に選ばれて大神殿に引き取られました。与えられたのは召喚されるであろう勇者さまの供として修行の旅に出、そして勇者さまと結ばれる役目でした」
同じじゃないか。何から何まで。……アンジェと。
「でもレンリさまはそんなこと望んでいません」
「そうだろうな」
むしろそんなの不可能だろ。
「育った神殿の神官さまが教えてくださったのは……大切なひとを守り支える心の強さです」
この子は14歳だと言うのに。いや……違うか。
「ああ、そうだ。境界も国内も変わりはしない」
欲にまみれた大神殿はともかく。
「それが神殿の教えだよ。俺も、アンジェもサナもそうして育ってきた」
「先生……も?」
「そうだな、サナ。俺も孤児だったから。境界の神官さまに育てられた。だから分かるよ。アンジェが何を守りたかったか」
だから俺も守らないといけないんだよな。
アンジェの形見を胸元に抱き締める。
「リディア」
「……先生」
「女神への信仰に背いたアンジェは姿を消した。しかし再び彼女とまみえたのは境界の先だ」
「境界って国境の町のことですよね……?その外って……旧魔王国領?」
「そうだ、俺が次に会った彼女は魔人化し、大切だったものの記憶もない、手に負えない状況だった」
「そんな……っ」
「ただの人間が魔のものに魅入られて耐えられるものじゃない」
境界の混ざりものならともかく、あそこは敬虔だった聖女には呪いにも等しい地だ。
「それでもアンジェは境界の外に向かった」
答えを求めるかのように。




