【10】地産勇者は聖女を想う
アンジェが境界の外に消えた。
王国騎士であれど境界の混ざりものたちの手引きがなければ踏み入れることすら厭う、その地に。
その地に残った魔族の力の残滓が強力な魔物や、魔人が生むとされるからだ。
「魔人や旧魔王国の魔物は人間の限界値……レベル99を超え、魔族のレベル限界に至るほど強力だ」
だからこそ人間は魔人を恐れ、境界の混ざりものを生かす。来たるもしもが来た時のために。
「それはトーリのチートを持っても太刀打ち出来なかった。平和になった世界では召喚勇者がどんなにチート能力を持っていても命を懸けていた時代には劣る」
「だからお父さんは……負けてしまった」
「そうだ。アンジェはシンディアが愛していたトーリを殺してしまったことでさらに壊れた。アンジェはトーリを殺したかったんじゃない。シンディアと幸せになって欲しかったんだ」
「それなのに……魅入られてしまったから」
「ああ。彼女は利用されてしまったんだ」
「それで先生は……駆け付けた、んだよね」
「ああ」
未だに覚えてる。
「あの子に剣を突き付けるしかなかった。トーリの聖剣はボロボロに破壊されて、それでも暴れる魔人の彼女にトドメを刺した」
「……ごめんなさい」
「謝るのは俺の方だ、リディア」
「違う……一番辛いのは先生だよ」
「……」
「ひとりでそんな大事なことを背負って、隠して、バカなんだから」
「俺は、リディアが笑っていてくれれば良かった。それがせめてもの手向けだと思ったんだ」
「本当にバカ」
「……面目ねえな」
「お父さんとお母さんと……アンジェさまのことはよく分かったわ」
リディアがすっくと立ち上がる。
「先生のこと、どれだけ見てきたと思ってるの?」
「えと……」
「先生は本当のことを教えてくれた。アンジェさまがお母さんを大切に思ってくれていたこと……嬉しかった」
「……リディア」
「だからね、もう大神殿の好きにはさせたくない。サナちゃんは私たちが守るの」
「リディアさん……!」
サナがリディアを見上げる。
「そうだな。俺は俺の大切なもんを守れればそれでいい」
だから今度こそ、守るんだ。
「でも大神殿相手にどうしたら……」
リディアが思案した時、唐突に道場の門を叩く音がする。
すっかり陽は落ち、訪ね人はよほどのことがなければ現れないだろうに。
「何だ……?」
急いで向かえばそこには。
松明に照らされながら夕闇を裂いて来たのだろう。
「随分と大事になっている」
シーザーが真剣な表情を崩さない。
そしていつもとは違い引き連れてきた近衛騎士たちが異彩を放ってる。
「すまん、そっちまで行っていたか」
「そうだね、先生。大神殿は聖王を呼び寄せた。明日の昼、王国側と会談を申し込んできた。一応ホーリーナイト公爵家も間に入ってくれてはいるけど揉めてる」
「……コーデリアのやつに借りができちまったな」
つまりこの近衛騎士たちはコーデリアの実家が管理している部隊だ。
「それで明日、先生たちにも立ち会ってもらうことになるけれど」
「そうなるか」
「聖王の決定によってはサナちゃんは……」
「させねえよ。そんなことには絶対にならない。信じておけ」
シーザーは俺の胸元の十字架を意外そうに見ると、何かを悟ったかのように頷く。
「では時間になったら迎えをよこそう」
「ああ、助かるよ」
さて、決戦は明日。絶対に負けられない。
※※※
翌朝、王城からの迎えの馬車に乗り込めば、リディアとサナが不安そうにそわそわしている。
「大丈夫、任せておけ」
「でも、先生」
リディアはこれから待ち受ける人物を思い浮かべたのか戸惑いがちに見上げてくる。
「聖王さまが……お会いしたのは12歳の時でしたけど」
サナが告げる。聖女が生まれれば聖王も王都を訪問する。普段はホーリーナイト公爵領に独立領を持ちどこの国にも干渉されない特権を得る。どんな国の国王でさえも敬意を払う。そんな相手が待っているのだ。彼女たちの不安が分からぬわけではない。
王城に着けば、シーザーが出迎え来賓室に連れて行く。
「この先で待っておられる」
「ああ、シーザー」
扉をくぐれば、そこには大神殿の神官のやつらに、コーデリア。そしてその奥には。
「聖王陛下」
俺とサナの礼にリディアが慌てて続く。
「お元気そうで何よりですね、聖女サナ。そして……ロシュ・ベイジ」
好々爺とした聖王は変わらず冷静な笑みを絶やさない。
しかし聖王が俺の名を呼んだことに神官たちがどよめく。
「はい、聖王陛下」
「思うに、そちらがシンディアとトーリの娘御ですか」
聖王の言葉にリディアが緊張の糸を張り詰める。
「よく成長したようで何よりですよ」
「……えっ」
リディアは意外そうに聖王を見る。
「本当ならば、アンジェの願い通りシンディアとトーリを結ばせてやるのが救いでしたでしょう。とは言え私の立場で無理矢理王国に強いることはかなわず」
「聖王さまは私のお母さんとお父さんが結婚することに賛成だったのですか……?」
「もちろん、愛し合った2人です。女神の娘が祝福するのならそれは世界に祝福される婚姻でなくてはなりません」
本来の聖女とは聖王の言う立場であるのが正しい。その言葉に神官たちがピタリと固まるのが分かる。
「そして聖女サナも同じく女神の娘」
「は、はい!」
サナが名を呼ばれピンと背筋を伸ばす。
「あなたの思うように生きなさい」
その言葉に神官たちが立ち上がる。
「聖王さま、なりません!せっかく授かった聖女さまをこのような地産勇者にまた……っ」
「静粛に。聖王陛下の御前だぞ」
コーデリアの鋭い言葉に神官たちが再び腰を下ろす。
「ロシュ・ベイジ」
「はい」
聖王が手招きする。
「先代の勇者、聖女たちの一件。神殿はひとつの間違いを犯しました」
「それは……」
「聖女アンジェは勇者トーリの聖女であったのか」
「……」
「歴代聖女の数は必ずしも勇者の数に等しくない。どちらかが欠けている時もあり、召喚勇者により勇者が多くなることもある」
先代の時代も今代も同じだ。
「しかし今の時代、人類が立ち向かった宿敵は存在しない」
「ええ」
魔王は倒され、魔王国は滅亡してしまった。残されたのは境界のみ。
「ならば聖女や勇者は何のためにあるのか」
「そんなの魔物や魔人に対する……っ」
神官が立ち上がるが、コーデリアに再び睨まれ引き下がる。
「世界が彼ら彼女らに苦難を強いてきた分、幸せになるためではないかと私は思います」
「聖王陛下」
「ロシュ・ベイジ」
「はい」
「聖女サナを善く導いてください」
その言葉に神官たちが顔を青くする。
「そんな!」
「聖女さまにはまだまだ教えが必要で」
「神殿が所有すべきだ!」
「ならばなおのこと、ロシュ・ベイジ。あなたが適任です」
「何故ですか、聖王陛下!この男は怠惰の勇者と呼ばれる地産勇者で……」
「お黙りなさい」
聖王の一瞥に神官たちが押し黙る。
「ロシュ・ベイジは聖人のひとりです」
『は……?』
神官たちが固まる。
「どう言うこと?先生って一体……」
リディアの呟きにコーデリアがニコリと笑む。
「何だ、お前は言っておらなんだか。ロシュ」
「俺は師範として彼女たちを導く立場だ。いらんだろう、コーデリア」
「はっはっはっ。相変わらずの男だ」
コーデリアは愉快そうに笑いつつも神官たちを鋭い目で見つめる。
「ロシュは……この方は」
「この方とか言うなって」
明後日の方向を見つめていれば聖王が微笑んでいる。
「聖位神官だ」
コーデリアの言葉に神官たちが『何故』と唖然と口を開く。
「元々東国で神官の資格も取ったんだよ」
長く滞在した東国。神殿に立ち寄る用があって趣神殿育ちであることを告げれば、条件は満たしてるから神官の資格でも取るかと誘われた。
その後聖女と旅をし、聖女の生涯を見届けた。
「聖女を導き看取った神官に与えられる聖職だ」
コーデリアが告げる。さすがは聖騎士の名門だな。彼女は近衛騎士だったが。
「その通り、ロシュはアンジェを見守り、看取ったのです。その神官ロシュにその称号を授けるのは当然のこと」
「しかしこの男のせいで先代聖女は……っ」
「最期に女神の神子に戻ることが出来ました」
女神への背信は永劫の追放ではない。
道を誤ったとしても神官に懺悔をし誓うことで許される。最期に立ち会ったのが俺だったからアンジェは『先代聖女』として名を刻まれた。
「ですから彼には再び聖女が女神より遣わされた時、善き導きをと望みます」
「はい、聖王陛下」
俺の答えに聖王は頷き、牽制するように神官たちを見る。
「大神殿は掃除をしたつもりでしたが……大掃除が必要なようですね」
『……』
神官たちが押し黙る。
「追って処分を待つように」
その言葉に彼らは絶望の表情を浮かべる。
その一方で。
「聖女サナ」
「は、はい、聖王さま!」
サナは緊張しながらも聖王に向かい合う。
「今はどのようなことをしているのですか?」
「ええとその、毎日、お掃除をして、お食事のお手伝いをして……その、えと、たくあんが美味しいんです!」
その、テンパってないか?何故そこにたくあん。
「おやおや。私もロシュからお土産にもらったのですよ。あれはご飯によく合います」
何の話をしているんだ全く。しかしその姿は祖父と孫娘のようで。
「その、弓も習うことにしたんです!」
「それはそれは。上達したら見せてくださいね」
「はい!」
いやその……まさか道場に来るつもりじゃあるまいな!?いやしかし……そんな平和な訪問があったっていいのかもしれない。
帰りの馬車ではリディアとサナが聖王さまの話で盛り上がってる。相変わらず、人心を集めるのが上手いじいさんだ。
しかし……連日疲れたな。
「ふあぁ……」
「少し寝ますか?先生。着いたら起こしますよ」
「わぁった、リディア」
昨日とは一転楽しそうな忘れ形見を見守りながら、うとうととうたた寝を打つ。
※※※
――――あれは、あの時の。
元凶を絶つんだ。
この手にあったのはただの剣と己の血脈のみ。
「魔王、遂にこの時まで来た」
この手に聖剣はない。
ただの剣をグサリと突き立てる。
ぶしゃりと弾けたのはかつての祖先たちが残した最後の悪あがき。
「こんなものはいらない」
こんなもののせいで、トーリは、シンディアは……アンジェは。
「俺は俺の大事なものを守れりゃそれでいい」
そうだよな、アンジェ。
吹きさらしの城、青空の下、玉座の跡だけが虚しく残ってる。
決着をつけ、ただの人間に戻った彼女を抱き締める。もう瀕死だ。今にも事切れそうな彼女は最期の力で喉を震わせた。
『もしも次の生があるのなら、聖女でもない、ただひとりの少女としてあなたと出会いたい』
その手が差し出したのは捨てたはずの信仰だ。
いや、違う。
「お前が求めていたのは」
魔王国が滅んだ境界の物語。
「あぁ……あぁ、そうだな」
その時は絶対に迎えに行くから。
――――お前の願いは叶ったか?
……アンジェ。




