第67話『1-1-1-1⇒2-1⇒?』
☆
お互いに話したいことを話し終えた頃、私たちは学院に到着した。
高等部の校舎に入り、階段を上がる。
並ぶ二人と靴底の連弾。それは、ほどなくしてソロへと移ろう。
立ち止まったのは私のほう。
躓いたとか、何かアクシデントがあったわけではない。
ただ、学年が違うプランとは、ここでお別れというだけだ。
――じゃあ、また。
肩越しにこちらを見て、短く告げるプラン。
約束せずとも再び会えることを疑わない、何の未練も憂いもなく去り行く彼女を、私は手を振って見送った。
同じように、またね、と返して。
それから私も、教室へと向かうために歩み出す。
――時刻は午前七時半頃。
始業までまだ時間があるのに加えて、生徒の大半が寮で生活しているためだろう、他の生徒の姿はほとんどない。
射し込む陽射し。描き出される影の模様。
熱がこもった空気に肌を撫でられながら歩いていると、正面。
眩しい光の中に、コバルトグリーンの煌めきが見えた。
「――ハイネ……!」
教室から出てきた、彼の名前を呼ぶ。
「おはよう、マリモ。怪我は平気そうだな」
「そっちも無事みたいで本当に良かったわ。昨日は結局、あのまま合流できなかったから――」
と、お互いの無事を確認し合ったところで、私の声を遮るように。
「すまない」
ハイネが私を制するように軽く右手を挙げて、言う。
「ゆっくり話したいところだが、やらなければならないことがあってな」
やらなければならないこと……新しい依頼でも入ったのだろうか。
「なら、手短にこれだけ伝えさせて。実は――」
ここしかタイミングがないと思い、私はこの先の展望を矢継ぎ早に話した。
それを聞いたハイネは、控えめに笑って言う。
「――いい考えだと思う。マリモが表舞台に立つなら、オレは裏方に専念できる。それは理想的な形だ」
「……そう言ってもらえてよかった」
「別に専売特許にしたつもりはない。律儀なのは悪いことではないが、もっと好きにしてもいいんじゃないか?」
「充分好きにしているわ、多分。ええと……あと今回の報酬のことも話したいのだけど、これ以上は良くないわよね。引き留めてしまってごめんなさい」
私はそう言って、階段のほうを示すジェスチャーをした。
するとハイネは小さく首を振って。
「気にするな。報酬なら初回サービスということで、無償で構わない」
穏やかにそう言って背を向けるハイネ。
この場を去ろうと、颯爽と踏み出された一歩。
だが、その一秒にも満たない時間の後。
「と――――思ったんだが」
「思ったんだが?」
途中で何かを思いついたのか。
二の足を踏んだ彼が、再び私を振り返る。
その眼差しは、あの晩餐会の夜での会話を想起させた。
何か、冷徹な思索の上で成り立っているような、見透かしているような。
だけど……なんだろう。
「ひとつだけ……副委員長に注意を払っておいてくれるか」
「副委員長? ルカがどうかしたの?」
「今はまだ分からない。だが、それが巡り巡ってオレへの報酬になる、気がする」
ハイネの声は以前ほど明確でない、それこそ祈るような感じがある。
高い視座を感じさせながらも、思いのほか自信なさげ……というか。
ルカに注意を払う、か。
果たしてそれは、ルカの行動に気を配るということなのか。
反対に、ルカに対する周囲の行動に気を配るということなのか。
……分からない。
きっとそれは、彼自身にもまだ、定かではないのだろう。
ただそれでも、個人的な所感として。
ハイネはルカ――あるいはルカにまつわる何かを守るために、私を頼ってくれた……気がする。
であるならば。
「……分かったわ。憶えておく」
真剣に、その願いを、確かに引き受けた。
「感謝する」
安心したように頷いたハイネは、緩慢に踵を返す。
流麗な足運び。その歩き姿は上品さを宿しながらも、武道の達人のように隙の無い、洗練された雰囲気を漂わせていて。
やらなければならないことがある――彼に舞い込んだ新たな依頼が、一体どのようなモノかは分からない。
けれど少なくとも、何の覚悟も伴わないモノではないと、そう予感して。
またね、と。
言い忘れてしまったことに今さら気が付いた。
気が付いただけで、特に何も無いけれど。
……そう言えば。
学院では何も無いことのほうが特別だって、クロヴィスが言っていたっけ。
束の間の、心地の良い、停滞。
それが終わりを迎え、これから先、また何かが起こるというのなら。
……ええ、そうね。ここで立ち止まっている暇はない。
私もまた、やらなければならないことを成すため、歩き出す。
鞄をロッカーに預けて、それから会いに行こう――アプステラの学院長に。
☆
時刻は八時三十五分。
話し込んでいるうちに、すっかり始業時間ぎりぎりになってしまった。
学院長室から小走りで一年の教室まで戻ってくる。
幸いなことにまだレイヴン先生は来ていないようだ。急いだ甲斐があった。
気温も相まってすっかり熱が籠ってしまったローブを脱いで、小脇に抱えながら室内を縦断する。
数人のクラスメイトたちから相変わらずの一瞥をもらいつつ。
それでも以前より態度が軟化してきたことで、何人かと挨拶を交わしつつ。
そして、ルカの姿も確認もする。
隣の席の子と談笑中のようなので、声をかけるのは遠慮しておくが……ひとまずのところ、普段と何も変わりないように思えた。
昨日のことでお礼も言いたいし、次の休み時間にでも話せたらって感じね。
「おはよう、クロヴィス」
そうこうしながら最後列の席に辿り着いた私は、隣人に挨拶をする。
「どうも。珍しくギリギリっすね」
「ちょっと学院長室に行っていたの。……元気そうで何よりだわ」
「いやこっちの台詞ですぜ、マリモさん」
ほっと一息つく私に、クロヴィスは頬杖をついて言う。
同時にじっと私の身体を、特に腹部を凝視して、怪訝そうな顔を浮かべて。
「なんかナイフで刺されたってハイネのヤツが言ってましたけど、マジっすか」
「ええ。けど傷はルカが治療してくれたし、問題ないわ」
「いや……まあ、それだけで済んでるならいいんですけど」
「…………」
私は表情を変えず、無言を通した。
クロヴィスの言わんとしていることは分かる。
ナイフで刺された場合に負う傷は、何も外的なモノだけとは限らない。
ナイフそのもの、あるいはペンとかハサミ、針のような鋭利な道具への恐怖心。
刺された時を想起する場所や状況、刺した者と似た身体的特徴を持つ人物への苦手意識など。
心的な形で外傷を受け、そういった傷が残る場合もある。
彼はそういうところまで含めて、私の身を案じているのだろう。
だけど少なくとも、ナイフで刺されることに対しては。
私の心はタフというか。もう慣れてしまっている部分があるというか。
ゆえに私は……何も言わなかった。
説明はできないけれど、大丈夫なことは確かだから。
そしてクロヴィスもまた、追及することはしなかった。
もしかしたら、彼の負傷にも、似通った部分があったのかもしれない。
まるで寄り添うように、もう慣れ親しんでしまった傷。
拒絶ほど強固な感情ではではないけれど、他者が踏み入る必要のない部分。
その心境について、類推できるほど重なる部分があったからか。
とりあえずお互いの怪我については、元気ならまあそれでいいかという、丁度いいドライさに落ち着いた私とクロヴィスだった。
「ところで、クロヴィス」
一段落したところで、私は前もって話そうとしていたことを切り出そうとする――が。
私が一呼吸置いた、その僅かな間隙を縫うようにして。
先手を打つかのようにクロヴィスの口が開かれる。
「昨日協力してくれたお返しをしたい――って言うつもりなら、特に無いんでいいですよ」
「…………見事な先読みね」
「マリモさんが分かりやすいだけですよ。ま、これでようやく色々とチャラってことで」
「なら……そういうことで。ただ、お礼だけは改めて言わせてもらうわ。昨日は本当にありがとう」
「いえいえ」
なんだか得意げに口角を吊り上げてみせるクロヴィス。
貸し借り云々のやり取りも、思えば長く続いてきたことだし、ここらで終止符を打ちたいと、昨夜あたりから画策していたのかもしれない。
そんな作戦成功の余韻に浸るクロヴィスに、しかし私は。
「それから」
と、続ける。
「まだなんかあるんすか」
「もう一つ、話しておかなければならないことがあるのよ」
「はぁ……なんです?」
「あの、白い桜のこと――」
私は事の始まりから今後のこと、そして現在の選択についてを語った。
空想具現によって生み出された白桜の群れを、書き換えられてしまったあの森を、元に戻すために入学したこと。
昨日の一件で期せずしてその力を手にしたこと。
変えた責任を果たしたい気持ちがあること。
起きたことを無かったことにしない責任もあるはずと、助言を受けたこと。
できるだけ多くの生徒が納得できる形にしたいこと。
そしてそれは、今の私が成したいことにも繋がってくること。
そのために。
「――そのために、私は『親愛なる光輝』になるわ」
学院に六人しか存在しない特別生。
そこに七番目の席を作ることを、宣言したのだった。




