第68話『過去と未来を繋ぐ、七番目の席』
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「アプステラ魔術学院特別生――『親愛なる光輝』。
学院に唯一無二の利益をもたらすと判断された生徒にのみ提示される契約を交わすことにより、その称号を授与された者は、学院内およびその価値を認めた外部組織においても、例外的な権力を持つことを認められる。
たとえば通常授業の免除、学食や研究所といった施設の無償優先使用権などは、月並みだが魅力的に映るのではないかな?
いや……ふっ、規格外の生徒たちにとってそれらの特権は形骸化している。同じように、君には先の『転生者狩り』事件において、一学生でありながら騎士団の捜査に介入してみせたキリスキリエと同じ地位が与えられる――と言ったほうが、この称号の威力を実感できるとみた。
生徒、大人、社会、時には世界に対しても大きな影響力を持つ肩書きだ。自らが『親愛なる光輝』であることを公言しない者もいる。だが、それを承知で君は契約書にサインし、叙任式の開催を望む。覚悟はあるんだね? ――マリモジュナ」
「はい。クオン学院長」
――アプステラ魔術学院には、ある同一の文言を記したルームプレートを打ち付けた扉が、複数存在している。
扉の数は全部で四つ。それぞれ初等部、中等部、高等部、大学部に設置されており、それらすべては魔的法則によって、ある一室に辿り着くよう設計されている。
部屋の名前は――学院長室。そう、ここのことだ。
放課後を迎えた私は、今朝と同じように、高等部四階にある扉を使って学院長室を再訪していた。
「よろしい。ではサインを」
向かいの席に座る女性――クオンハルカ学院長から差し出された羊皮紙に目を通しながら、用意された羽根ペンを手に取る。
む……この、ぼうと熱っぽい感じ。
紙とペン、それにインク自体にも魔力が籠められているみたい。
なるほど。この一筆によって成される契約は、法的だけでなく、魔的な効力をも生じさせるというわけだ。
……今さらながら、この学院長室はわりと現代的な内装をしている。
以前通っていた学校の校長室を二回りほど広くしたような執務室で、少なくとも魔術学院の看板を掲げているとは思えない様相を呈している、と言っていい。
そしてそれはおそらく、元からそうだったというより、今から十六年ほど前に学院長の座に就いたされるクオンさんによって、今の形に模様替えされたのだ。
自分が最も慣れ親しみ、効率よく運用できる形にね。
と、他の教員と違い、ローブでもロングコートでもドレスでもなく、凄腕の諜報員のようなブラックスーツを着こなしている学院長の――杖ではなく拳銃を抜いてきそうなその雰囲気から、推察してみる。
「…………」
ゆえにこそ、用意されたこの古風な羊皮紙や羽根ペンといった道具たちが、逆に異質で。
おそらくは形式を保つからこそより効果を発揮する、という儀式的な意図があってのことだとは思うのだけど……しかしそうなるとだ。
敢えてそのような手段を用いることで、魔的な拘束力が生み出されるのだとすると、懸念事項が一つ。
私は羅列された文章を、ある観点から読み進めてみる。
具体的には私自身、もしくは他者を害する危険性がないかどうかを、注意して。
「何か不明点があれば遠慮なく尋ねなさい。どんなに細かなことでも構わない」
知らず眉根を寄せていたのか、私の様子を窺うように言う学院長。
お言葉に甘えて、私は胸中に湧いた疑問をそのまま口にする。
「ええと、万が一にも私の結界に引っかかってしまう部分はないかな、と……契約自体が無効化されてしまう可能性がありますので」
「……ああ、それなら問題ない。確かに君なら、契約書がもたらす魔術など容易く無効化できてしまうだろう。そしてそうなった場合、学院が君やその周囲に対して危害を与えようとした、と判断されたことになる――この解釈に間違いはないな?」
頷く。『絶対無血領域』内ではあらゆる傷や病の進行が一時停滞するのと共に、結界内の者に危害を加えると判断された魔的法則が無効化される。
学院長の言葉を繰り返すようだけれど。
仮に契約が無効化された場合、それは学院が私に課した魔的拘束力が、何かを害する方向に使われたことを意味する。
例えば……精神干渉によって指向性の付与と増幅を行われたラルエットたちが、『テアトルム』の爆破を試みたように。
それと似たことが契約魔術によって私にも引き起こされ、結果無効化される……というパターンが一番想像し易いだろう。
「であればそのような契約、破棄されて然るべきだ。生徒を害する学院に、そこまで義理立てする必要はないと思うがね?」
「それは……時と場合によりますが……」
てっきり特権を与える以上、多少は己を曲げることも覚悟しろとでも言われるのかと身構えたものの、学院長の言葉はまるで反対だった。
理事会という『上』がいるとはいえ、曲がりなりにも学院側――どころか学院を代表する長の言っていいことなのだろうか。
セールスパーソンが自社の利益を追求することなく、むしろ先方に、自社との手の切りどころを教示してるような感じだ。
そんな姿勢に抱く怪訝さが、顔に出てしまったのだろう。
学院長は自嘲するように片方の口端を釣り上げて、それから言うのだ。
教師として、大人として。
生徒に対するように、子供に対するように。
「『親愛なる光輝』の称号が、学院にとっての権益であることは否定しない。君の結界を学院のために使ってもらうこともあるだろう。
だがね。この契約の本質は、規格外の力を持つ子供にもきちんと学院という庇護下を提供することであると私は考えている。
ゆえに選択権は、学院と君自身の両者に存在することを、どうか憶えておいてほしい。我々が大人としての責務を果たしていないと判断したとき、君は自らに優しくかけた首輪を、外してもいいんだ」
「……はい」
「ま、細かいことを抜きに再契約が可能かどうかだけを答えるなら、もちろんイエスだ。一度契約が白紙に戻ったからといって、もう『親愛なる光輝』には戻れない、なんてことはない。
……何せ先達が多数の前例を作っているからな。むしろ君の場合、『契約を交わしたという記録まで無かったことになる』わけではないのだろう? ならこちらとしても幾分気が楽だよ」
こうすれば、その先達の察しは付くだろう、とでも言うように、ひらひらと右手を振ってみせるクオン学院長。
……学院長、キリエの能力のこと、知っているんだ。
いえまあ、よくよく考えなくても、能力審査を経て『親愛なる光輝』になる以上、知っていて当然なのだろうけれど……普段からそれが露呈しないよう気を張っている身としては、いまいち反応に困るほのめかしだった。
ともあれ、これで懸念事項はなくなった。
私は改めて羽根ペンを手に取る。
リラックスした状態で指先に力を込め、一筆を加える。
「……できました」
マリモジュナ。
自らの名前を書き終えた私は、羊皮紙を提出する。
それを受け取った学院長は席を立ち、部屋の奥――よく見ると空しか映っていない不自然な窓だ――まで歩いていき、窓の手前に鎮座する執務用の長テーブルからハンコを手に取って。
そして次の瞬間。
「これで契約は完了だ」
どん、とやたら鈍い音が響いた。
それにより契約書の完成および契約魔術が成立したからだろう。
「――、――――」
ほんの一瞬、右目を魔力で覆われる感覚があった。
視界に異常はなく、痛みも特にない。
感覚的には丁度よく温まったホットアイマスクを一瞬乗せられた、みたいな。そんな感じ。
私はコンパクトミラーを取り出し、魔術式の見え方や、外見の異常が出ていないかをチェックする。
すると右目には、星と十字架をモチーフにしたような、航海者を導く灯台の光のような、そんな魔術式がうっすらと浮かんでいた。
「…………ん?」
あれ、この魔術式、どこかで見た覚えがあるような……気がする。
……ああ、そうだ。
前にキリエと一緒にお風呂に入ったときに見たんだ。
確か彼女の場合、魔術式は右の二の腕に刻まれていたのよね。
おそらくは術者である学院長が、右手の届かない位置に気を配った、のかな?
でも、だとすると私は……?
学院長はどのような意図で、私の右目をチョイスしたのだろうか。
――特に意味はない。
そう答えられる予感がしながらも、尋ねてみようと顔を上げる。
すると。
「受け取りなさい」
短く言って、学院長が何かを投げた。
放物線を描くのは、鈍く光を跳ね返す小さい物体。
飛んできたそれを、私は片手でキャッチする。
以前より身体能力が向上しているというのもあるが、こういうのは昔から得意なのだ。
握った拳を開いて、やたら軽いその物体の正体を確認する。
それはどうも、どこかの部屋の鍵のようだった。
「ふむ、視覚に問題はなさそうだな。――それは『形而上調和課』の鍵だ。今日の今日だから、まだ設備は整っていないがね」
「刑事場超和歌……?」
初めて聞く単語ゆえに脳内での変換がバグり、意味不明な言葉を口にすると、学院長は続けて言う。
「生徒たちの悩みや不和といった、学院内で起こる形而下の問題に寄り添い、理想を以て解決、あるいはそのまま受け入れられるよう合意点を見つける場所――君が立ち上げを申請した組織の名だよ。
名前が決まらないと言っていたから私が考えたが、不服かな?」
「いえ、良い名称だと思います。こういった名付けは慣れていないので……ありがとうございます」
「よろしい。では改めて」
かつかつと優美に響く足音。
私はソファーから立ち上がり、学院長と再び向かい合う。
「君は己の存在を示した。キリスキリエの友人ではなく、ベルナデット・M・ロードナイトの使用人でもなく、魔法使い――マリモジュナとしてアプステラにその名を刻んだ。おめでとう」
差し出される右手。
「恐縮です」
そう言って私も手を差し出し、握手に応じようとすると。
ふ、と軽やかに一蹴するような、あるいは私を鼓舞するような、そんな勝気な笑みを学院長は浮かべた。
「恐縮するな。胸を張れ。そして生徒たちの輝かしき隣人であれ。過去と未来を繋ぐ、比類なき現在の創造者――『さざ波の止まり木』マリモジュナ。それが明日からの君であり、君が選択した航路なのだから」
「……はい」
学院長の手を握る。
自分を誇らしく思うことは、まだできない。
後ろめたい気持ちは多分、一生消えることはない。
けれどそれでも――この選択を。
この選択に至る私を形作ってくれた、関わってくれたすべての人を、誇りに思っているから。
その想いの分だけ、手に力を込めた。
すると、ぎゅっと――強く、優しく、包み込むように握り返してくれた。
文句のない握手ができたと、満足そうに手を離した学院長は……なんだろう。
懐から名刺入れのような物を取り出して。
さらにそこから、一枚のカードを引き抜いた。
「では早速、君には『親愛なる光輝』の最初の仕事を果たしてもらう」
「最初の仕事、ですか?」
私が首を傾げるのと同時に、さっとカードを華麗に投げる学院長。
まるで手裏剣のように真っすぐ飛んでいったそれは、部屋の角に置かれたポールハンガーにかかった、高級そうな真珠色のコートに張り付いて、同時に魔術式が展開される。
ふわりと宙に浮くコート。続く帽子や手袋、靴や仮面。
それらはまるで、見えない着用者が居るかのように形を成して、そして。
「やあ、フォルマ」
組み上がった人型に向けて学院長が言うと、その声に反応し、頭部の位置に浮いている仮面がこちらを一瞥する。
「――ごきげんよう、ハルカ」
淑女の、声がした。
自分のものでも学院長のものでもない。
それがゆえに何よりも私の意識を釘付けにする、まるで微睡みへと誘うような、穏やかで流麗な響きだった。
衣服で形成された……人型。
透明な人間が衣服を着ているのではなく、衣服が人の形を作り、そこに人格が宿ったような……見えているのに見えない存在。
フォルマ――と、学院長は呼んだけれど、この方は一体……。
使い魔のようなモノ、なのだろうか?
「随分お早いお呼び出しですね。前回からまだ三か月しか経っていませんが、もう次の『親愛なる光輝』が?」
「ああ、紹介しよう。私の後ろに居るのが新たな『親愛なる光輝』――マリモジュナだ」
一歩、学院長が横にズレる。
体躯の関係で今まで隠れていた私の姿が露わになり、一瞥が注がれる。
仮面と目が合う。その下の見えない瞳と、確かに視線が交わる。
「おや――――白い髪と、紫色の瞳。ふふ、なるほど」
吐息交じりの控えめな笑い声が漏れて、足音が近づいてくる。
「お初にお目にかかります、マリモジュナさん。ワタクシはフォルマ。学院と提携関係にある精霊でして、端的にご説明いたしますと、『親愛なる光輝』が着用する特別な制服の仕立て人をしております」
精霊で、服の仕立て人。
そう名乗ったフォルマさんは、そのすらりとした身体を静かに折った。
まるでここがあのお屋敷なのかと錯覚するほどに、瀟洒なお辞儀だ。
私はその礼節に応えるように、慌てて声を取り戻す。
「初めまして、マリモジュナです。ええと……『親愛なる光輝』が着用する特別な制服、ですか?」
「おや、ご存知ではありませんか?」
「え、ええ……」
一応、記憶を探ってみる。けれど結論は変わらなかった。
キリエは一度も特別な制服、言い換えれば今私が着ているモノと異なる制服を着ていたことはないし、彼女の家にもそのような衣装は無かったはずだ。
いえ、クローゼットの中を全部漁ったわけでもないので、確実に無かったとまでは言えないけれど……少なくとも彼女がいつも制服を置いていた場所には無かった。それは確かだ。
と、そんな私の答えに。
「――それは不自然ですね。もしや」
……なんだろう。
妙な圧を感じる、不安になる声が返ってきたのだけど。
どうも何かまずいことを言ってしまったらしい、と肌で感じた、束の間。
「彼女は先週入学したばかりなんだ。知らなくても無理はない」
すかさず学院長からフォローが入る。
何となく、私も同意するようにこくこくと頷く。
「…………」
それにより生まれた一拍の沈黙。
その後、フォルマさんは安心したように胸元で手を重ねて。
「……そうでしたか。ワタクシはてっきり、特別に仕立てた礼装がその役割を果たせていないのかと。ですがそれは早とちりだったようですね。申し訳ございません。お役に立てているのでしたら、よいのです……」
「当然だろう。君の礼装は一級品だ。使わない理由が無い」
「ええ、ええ。その通りですよね。そうでないなら宝の持ち腐れ……可哀想ですが、真価を発揮できないオーダーメイド品は、それを輝かせる責任を放棄した所有者と共に、焼き払われる定めですから」
「…………焼く……?」
も、もしかしなくても、仕立ててもらった服を着てないことがバレたら、服ごと一緒に燃やされる――ということ……?
私は横目でちらりと学院長に視線を送る。
学院長は微笑を絶やさぬまま、キリエの命が惜しければ余計なことは言うなと、瞳の奥で訴えていた。
「…………」
……あいつ。授業のサボり癖があるのは察していたけれど、普通の制服どころか仕立ててもらった服まで寝かしっぱなしにしていたとはね……。
そりゃまあ、礼装が魔的なモノなら相当に気を付けないと使えないだろうし、目立つことを苦手とする彼女が一目で特別生だと分かる恰好を避ける理由も、分からなくはないけどさ。
「それにしても、ふふ。そのような短期間で『親愛なる光輝』就任とは、一つ前の彼女と同様、面白い航路を往く生徒のようですね。それでハルカ、納期はいかほどでしょうか?」
「ざっと二十時間以内に仕上げてもらえると助かる」
「お任せください。そちらのスペースをお借りしても?」
「問題ない。学院内でここほど秘匿性が高い場所はそうはないからな。ネタバレ防止にはうってつけだ」
とんとん拍子に進んでいく話。
途中、なんだかすごいブラック労働としか思えない要望が、流れてはあっさりと引き受けられていたが、そこは精霊……人間の常識では測れない稼働ができるのだろう。
なんて考えている間に、フォルマさんが魔術式を展開した。
学院長室の一角。そこにフォルマさんの身体の中から出てきた無数の生地が押し寄せ、ものの一分で、布製のフィッティングルームが出来上がる。
ちゃんと天井も塞がれていて、ドアまで付いている。完全な個室だ。
「では……こちらへどうぞ、マリモさん」
「はい。よろしくお願いします」
礼儀正しく案内してくれるフォルマさんに、私もお辞儀を返す。
それから顔を上げると、なぜか。
私をじっと見つめていたらしいフォルマさんと、黙ったまま見つめ合う。
なんだ、また迂闊なことを口にしてしまったのだろうか……?
「あ、あの……?」
若干の不安を覚えて声をかけた私に、しかしフォルマさんは、変わらず落ち着いた態度のまま言うのだ。
「失礼――その所作、位高き者へと捧げるための礼節に見惚れてしまいました。奉仕のご経験がおありですか? とても興味深いですね」
「――ぁ、……ええ。まさしく、礼節と共に道を往く方々に教わった作法です」
声が弾んでいるのが、自分で分かった。
それが作法にそぐわないことだと自覚しながらも、感情を抑えきれなかった。
あの八日間での経験が、きちんと私の中に息づいていることが、本当に嬉しかったのだ。
――永遠に、祈りを籠めた。
けれど時の流れは容赦なく、いつか、今は想像もできないほどの遠い彼方、思い出はゆっくりと着実に攫われていってしまうかもしれない。
大切な記憶は褪せて、風化してしまうかもしれない。
だけどそれでも……経験は血肉となって、私の中に生き続ける。残り続ける。
きっと今、その証明の一歩目が行われたのだ。
何も恐れることはない。そう理解したからこそ、心が躍っているのだ。
「あぁ、いいですね……。よろしければ採寸の間、お聞かせください。あなたにまつわる物語を。それらもまた、糸と同じように編み上げられ、あなたの纏う鎧となります」
「ええ、喜んで――」
かくして採寸が始まった。
最初に紙の上に書き込まれたのは、141という数字。
どうやらまた少し――身長が伸びたみたいだ。




