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ビニース・ザ・ウィール -反逆少女と宝石令嬢-  作者: 悠葵のんの
第三章《fly me to the sky blue sky》
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第64話『誓い』

     ☆


 裏口から階下に戻り、大部屋へと続く通路を歩く。

 キッチンから響いてくる、まな板に包丁を立てる音。

 道すがら、調理場に立つクーペさんとプランシュの後ろ姿を一瞥する。

 まだ仕込み中のようだけど、もう少しすればクーペさんは休憩に入るはずだ。


 ……壁掛けの時計に目をやる。

 この時間なら手すきなはず、と私は先に大部屋へと足を向けた。


「おはようございます、グットレットさん」


「おはよう、マリモ」


 奥の席に座っていた執事が、肩越しにこちらを見る。

 すると、長テーブルに広げられた銀器が目に入った。

 どうやら銀器を磨いていたようだ。上で使う物はラフィーネさんが手入れしているから、下で使われる物だろう。


「あ……お邪魔してしまいましたか?」


「なに、ただの手慰みだよ。磨き用のクリームも使ってない。……随分と早いが、もう朝食の時間だろうか」


 手慰みといえどそこそこ集中していたらしく、グットレットさんは時間を確認するため、持っていた布とナイフを置いて懐に手を入れた……のだが。


「おっと……」


 はて。いつもなら懐中時計が出てくるはずの手には、何も握られていなかった。


「……恥ずかしいところを見せたな。時計は今、ライナに預けていたのだった。すまないが時間を教えてもらっても?」


「ピッタリ、五時半です」


「ふむ、最後まで拭き切る時間はあるか。どうもありがとう」


 言ってグットレットさんは、再び布とナイフを手に取り、作業を再開した。


「私も知らなかったのだが……彼には時計の知識があるそうだ。最近調子が悪いとぼやいていたら、それを見かねて、修理を引き受けてくれてね」


「ライナさんが時計の修理を、ですか」


「ふ。そう意外そうな声を出すものじゃない。確かに彼は軽薄を身に纏っているが、ああいう男は得てして、腹に一物あるものだ。それを理解していれば、彼がいかなる秘密を抱えていようと、何も不思議に思うことはないよ」


「…………」


 確かに、と内心で深く頷く。

 大学生、庭師、ミリエルに居た孤児、そして――例の組織との関わり。

 知れば知るほど底が見えない、ともすればこのお屋敷で()()()()()()()()

 それが、使用人生活を終えて総括した、ライナさんの人物評だ。


 ならばグットレットさんの言う通り、取り立てて驚く必要も、もはやないのかもしれない。

 でなければこの先もずっと、意外なところで後ろから刺されかねないというか。

 いっそのこと常に何かあると身構えておいたほうが楽、みたいな。


「しかし、こう言っては何だが。別に直らなくとも構わないのだ」


「そう、なのですか? 大事にされている時計のように思えましたが……」


「無論、長く使えるに越したことはないがね。だが、何事にも終わりは来る。そして終わりがあるからこそ価値を与えることができる。この歳になると、受け入れがたい別れのほうが少ない」


 万物は終わりから逃れられない。

 ゆえに、終わるモノはきちんと終わらせてあげる。そうして価値を与える。

 それが、歳月を重ねる中でグットレットさんが身に付けた別れの作法、か。


「その点、幸いなことに――お嬢様は再び走り出すことができた」


 とん、と磨き終えたナイフを置いて、グットレットさんは安心したように呟く。

 己にとって数少ない――受け入れがたい別れ。

 それを回避できた確かな現在を、噛み締めるように。


 僅かに椅子を引いて、私のほうを向くグットレットさん。

 向かい合った執事の表情には、年季の入った厳かさの中に、幼子を見守る父性らしきものが滲んでいる……ように思える。


「マリモ。よければこれからも、あの方の良き友人であってほしい。もう悟っているかもしれないが、実のところ……ベルナデット様は誰よりも寂しがり屋なのだ」


 困ったように眉を下げ、優しい眼差しを浮かべるグットレットさん。

 長年、本邸で旦那様――現ロードナイト当主に仕えてきたということは、そのご息女のことを、それこそ生まれる前からずっと見守り続けてきたということだ。


 そこに芽生えるのは、育まれたのは、どのような類いの感情なのだろう。

 父が娘に向けるそれに似ているようで、もっと清廉されたモノのようで。

 何にしてもそれは、私がその存在を祈ってやまない、紛れもない愛そのものだ。


「――――、」


 ……胸を打たれるとは、きっとこういうことを言うのだろう。


 私はグットレットさんのその想いに、応えなければと思った。

 真摯に、誠実に、全身全霊を懸けて、真実を以て応えたいと。


 だから精一杯……真っすぐに、その目を見て。


「どのような時であっても、私の心の中にあの方はいらっしゃいます――この言葉、決して嘘にはいたしません」


 誓いを口にする。

 するとグットレットさんは緩慢に立ち上がり、一歩足を引いた。

 それから胸に手を当て、静かに。


「――――――」


 お辞儀が成される。

 それはまるで、一枚の絵画のように美しい所作だった。


 言葉は要らず。

 一呼吸分の静寂と、その中に籠められた、身分も年齢差も超越した礼節。

 これは、一個人が一個人へと送る最大限の敬意なのだと、心で理解する。


 そうして、五秒ほど。

 過不足のない時が経ち、顔を上げたグットレットさんと視線が交差する。

 それで、何かを求められたわけではない。

 けれど私は――――私も、お辞儀をした。


 たとえ滑稽な背伸びだとしても。

 先ほど見た美しさに、少しでも届くようにと。


「――――――」


 一瞬の静寂が再び大部屋を満ちた後、顔を上げる。

 それから私たちは、お互いに一度だけ頷き合った。


 やはりそこに言葉はなく。

 けれど別れの挨拶は、必要なことはすべてこれで済んだと納得し合ったように。

 グットレットさんは銀器の片付けに戻り、私は踵を返して大部屋をあとにした。


「…………ん」


 通路に出ると、キッチン前の小さな椅子に、クーペさんが座っていた。

 読み通り、仕込みが一段落し、助手に階下の朝食を任せて休憩している。


「おはようございます、クーペさん」


「おう、嬢ちゃん。見たところ、別れの挨拶回り中って感じかい?」


「はい、そんな感じです」


「そっかそっか。……じゃまあ、お疲れさん。俺の番はこれで充分だぜ」


「え」


 さらりと告げられて、目が点になる。

 ……これで充分。

 それはつまり、もうこれで挨拶は終わりでいい、ということ……よね、多分。


「……ええと……」


 強引とまでは言わずとも、かなり一方的な区切りの通告。

 それに対し、言葉に迷う程度には戸惑う私。

 その様子を見て、クーペさんは自嘲気味な笑みを浮かべて言った。


「嬢ちゃんとは話す機会もそう多くなかった。変に言葉を探し合うのは面倒だろ、お互い。前菜とメインじゃあどうしたって掛ける時間は変わる。嫌いなものがあるからこそ、好きなものがより特別になるってことさ。

 ……つーことで気ぃ遣わず、次に行ってくれ。時間は待っちゃくれないぜ、若者さんよ」


 ……ああ、そうか。これはクーペさんなりの気遣いなのか。


 律儀に何一つ取りこぼさないよう、無理に言葉を探す必要なんてない。

 これはこれ、それはそれ、でいいから。

 一貫していなくても、扱いに差が出てもいいから。

 自分よりもほかの人のために、大切な別れの時間を使ってくれ――と。


 言われてしまった通り、確かに私とクーペさんが会話した回数は、片手で数えられるくらいだった。

 けれど、ライナさんやプランと話す中で、クーペさんの不器用ながらも優しい人柄は充分伝わってきたし、それに。


 ……私は小さく首を振って、言葉を手に取った。

 無理に探したわけではない、自然と心に浮かんだ言葉を。


「クーペさんはこのお屋敷のすべてを支えています。この八日間、私もその一人でした。そのことをとても感謝していますし、それを伝えたいと思って、来ました」


「へえ? 屋敷のすべてとか、んな大層なことをした覚えはねえけどな?」


「主人も使用人も等しく、お屋敷に居る人は全員――クーペさんとその弟子であるプランの料理を頂きます。そして食事は命を形作る。料理人とはまさしく、お屋敷の命を支える職人だと私は思います」


「はっ……物は言いようだな」


 軽く笑い飛ばすように鼻を鳴らして、クーペさんは顔を逸らした。

 本当におかしく思っているようにも、照れ隠しをしているようにも聞こえる声色だった。


 それから少しの間、プランが調理をする音だけが響く瞬間が続いて。


「……ま、他人からの感謝を受け取れないほど捻くれちゃいないつもりだ、礼は言っておくぜ、嬢ちゃん」


 観念したように、苦笑しながら言うクーペさん。


「また会う日が来るかは、正直分からねえ。けど……俺はいつだって料理に本気出してるつもりだ。だからこれだけは約束できるぜ。嬢ちゃんが次に賓客として招かれたときは、必ず最高のフルコースをご馳走してやる――ってな」


「――――――」


 ああ……そういえば、一度だけ。

 階上の賓客として、クーペさんの料理を食べる機会があったことを思い出した。


 それはまだ、私が使用人ではなかった、お屋敷を初めて訪れた夜のこと。

 だが、そのルートは……選ばれなかった。私が選ばなかった。

 無論そのことに対して後悔はない。間違いだとも思っていない。

 ただ何事も、逃した機会に再び巡り合うことは難しい。


 母への叶わぬ贖罪。父への叶わぬ懺悔。埋め合わせのできない現実。


 それらを想起して、どう言葉を返すか逡巡した。

 届かない夢に捧げられるモノ……それは、そう。

 ただ行けるところまで行くことだけだと、もう知っているから。


 私は、クーペさんの祈りにも似た約束に対して。


「はい。いつか必ず、お願いします」


 短く、けれど確かな熱を込めて返事をした。

 これもまた、私が虚無に抗うための誓いだ。


 だって料理を食べるには、生きていないといけない。

 だから、たとえ果たされる時が来ずとも、私はその時を目指して生き続ける。


 けれどもしも、奇跡的に、また巡り合えたのならば。

 そのときは、最高のフルコースで新たな命を形作り。

 やはり再び、人生という旅路を歩き出すことだろう。


 きっと……今と同じように、温かく背中を押されてね。


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