後 編
「そういえば、ドロテアはハリール殿下の『第五夫人』になるのだそうだ」
テオバルトがふと思い出したように言うと、ルドヴィカは目を丸くした。
「あらまあ。私があちらの国を出てから、お一人増えていましたのね」
「そ、そうか……」
その事実を前に、室内にいた男性陣は一様に複雑な表情を見せた。正直なところ、一夫多妻という響きにまったく羨ましさを感じないと言えば嘘になる。だが、それはそれで色々と面倒なことが増えるのは容易に想像できた。特にテオバルトは、ドロテアが五人いる状況を思い浮かべてしまい、思わず身震いする。
「ドロテア殿下は一夫多妻制度について承知しておられるのですか?」
ディートリヒの問いに、テオバルトは肩をすくめた。
「さて、どうだろう。外国の風習などには、興味がなかったように思うが」
「サフラ国ではそれが普通ですので、わざわざ説明するまでもないと思ってました」
ルドヴィカがあっけらかんと言うと、男性陣は微妙な表情になった。
とにもかくにも、これで長年の懸案は一段落した。ルドヴィカとテオバルトは、改めてアルノルトに礼を言う。
「本当に殿下のおかげです」
「ああ、殿下がこの計画を作ってくれなければ、今頃どうなっていたことか」
「いや、私としても実に有意義な一件だったよ」
アルノルトは山積みになった書類にサインをしていた手を止め、ふと顔を上げた。
「この騒動を通して、私は学院内、ヴィッテルスバッハ家とライヒェルト家に関わりがある者、そして君たちの周辺にいる者全員の反応を観察できた。おかげでいろいろとわかったよ」
テオバルトとルドヴィカだけでなく、ディートリヒとモーリッツの視線もアルノルトに集まる。
アルノルトは最後の書類を「処理済」の箱へ落としたかと思うと、それまでの穏やかそうな表情から一転して、悪い笑みを浮かべた。組んだ両手を顎の下に当て、楽しげに口角を吊り上げる。
「そもそも、王室からも両家からも、婚約の変更に関する公式な通達など一切出されていなかった。それにも関わらず、サフラ国の王子が動いたというだけの不確かな情報で、ライヒェルト家とヴィッテルスバッハ家の間をフラフラしていた風見鶏の貴族たちがかなりいたわけだ」
「つまり、家と家との関係を正確に把握していない者、少し調べれば裏が取れる情報すら精査できない者、目先の利益に踊らされる者が、炙り出されたというわけですね」
ディートリヒが静かに相槌を打つと、アルノルトは深く頷いた。
「ああ。その他に、サフラ国へ不自然な接触を図ろうとした類までいたな。今回の騒動は、やる気のある無能と不穏分子を洗い出すために、極めて有益だった」
ルドヴィカとテオバルトが個人的な平穏を取り戻す裏側で、王太子はちゃっかり国にとっての不要品を暴いていたのである。
「まさか、あれだけの茶番でこれほど大漁とはな」
アルノルトはくつくつと、心の底から楽しげな笑い声をこぼす。
「ルドヴィカ嬢が集めてくれた情報も、大いに役に立った」
アルノルトがちらりと視線を向けると、ルドヴィカは恐縮したように少しだけ頭を下げた。
情報を得るのは、なにも男たちからだけではない。女たちはまた別の種類の情報を持っているものだ。特に各貴族家の本音が如実に現れるのは、女性たちのお茶会だったりもする。また、学校という閉鎖空間には大人とは別個のコミュニティが築かれているのだが、子供というものはなんだかんだと親の価値観を引き継ぐものであり、そこからも貴族家の内情を知ることができる。
まだ学生のルドヴィカは、その二種類の場に出入りできる立場だった。今回のような騒動が起きれば、女性たちの間でも校内でも、様々な憶測が飛び交うだろうと踏んだアルノルトは、動向を探るよう依頼していた。
ルドヴィカは、生来の平凡さと地味さでどこにいても目立たず、集団に埋没してしまう。その特性を最大限に活かして、女性たちのコミュニティに溶け込み、学生として校内にも溶け込み、各家の内情を提供し続けていた。今回に限っては主演女優の立ち位置だったというのに、どういうわけかさほど注目を浴びることもなく、問題なくこなせてしまったのだ。
ハリールに目を付けられたのは、たった一人の外国人女学生という立場と、サフラ国とローゼンシュタイン国との人種の違いにより、容姿が目立っていたせいだろう、とはアルノルトの推測だ。
「さて、今回の件でルドヴィカ嬢の有用性もよく把握できたよ」
アルノルトがふと口元を緩めると、ルドヴィカは小首を傾げた。
「はい? あの、どのような意味でしょう?」
「君のその平凡で地味な容姿は、非常に役に立つということだ」
「あのぉ、それって褒めてるんですか?」
「どのような場でも周囲に溶け込んでしまえるというのは、諜報員としての立派な資質だよ」
「……諜報員……ですか?」
物騒な単語の登場に、ルドヴィカは困惑の声を漏らした。すかさずテオバルトが割って入る。
「殿下!」
「今回、私たちだけでは女性側の情報を集めるのは難しかっただろうからな」
アルノルトはテオバルトの制止を意に介さず、朗らかに続けた。
「テオバルトは情報収集能力が高いが、やはりどうしても男性側に偏りがちだ。今後は君にも手伝ってもらうことにしよう」
「あの、いえ、私は……」
後ずさりそうになるルドヴィカに、アルノルトは事もなげに畳み掛ける。
「助かるよ。君はテオバルト同様に裏工作もできるとわかったしな」
「勘違いしないでください。自分の進退がかかっていたからですよ!」
「殿下、私たちはこれでようやく婚姻できる状況になったわけでして……」
露骨に嫌がるルドヴィカを、テオバルトが庇う。
「ああ、そうだな。おめでとう。だが、結婚するのはルドヴィカ嬢が卒業した後だろう? 早速だが、卒業までの間にやってもらいたいことがある。学院内にいなければできない案件がいくつかあってね」
「殿下、私は賛成できかねると言って──」
「貸しはきっちり返してもらうと何度も言ったはずだが?」
「いや、これは……」
アルノルトの有無を言わせぬ圧に、テオバルトは言葉を詰まらせた。
ルドヴィカとテオバルトにとっては苦肉の策だった追い出し作戦だが、王太子は問題人物の炙り出しをすませた上に、新たな手駒まで確保していたというわけだ。
「見事な働きだった。大いに利用させてもらった対価として、あの二人が二度と現れないようにする手配は引き受けよう」
「は、はあ……。ありがとうござい、ます?」
王太子の確約に、この人にはなるべく逆らわないでおこうと思いながら、ルドヴィカは愛想笑いを浮かべるしかなかった。ふと隣を見ると、テオバルトも同じように顔を引き攣らせている。二人の目が合い、互いの気持ちを察した。
「なにはともあれ、とりあえずは一件落着ですね。それでは私はこの辺で失礼します」
ルドヴィカが立ち上がる。すぐにテオバルトも立ち上がり、手を差し出した。
「馬車寄せまでお送りしよう。長きにわたる我らの戦いもようやく終わった。今宵はゆるりと休まれるがよい」
流行りの婚約破棄もの小説にあった台詞を口にするテオバルトに、ルドヴィカは小さく吹き出した。差し出されたその手を取る。
「ええ、そういたします。テオバルト様は明日はお休みですよね? ピクニックに行きませんか?」
テオバルトが満面の笑みを返した。
「それはいいな。ちょうど睡蓮が見事な公園が──」
「おい、テオバルト」
まさに二人が甘い雰囲気に包まれようとしたその瞬間、唐突にアルノルトの冷ややかな声が割って入った。
「明日から再開されるサフラ国との貿易交渉、君が責任者代理として担え」
「……はい?」
「まずはサフラ側の役人と徹底的に条件を詰めろ。しばらく泊まり込みになるぞ。それから、今回リストアップした風見鶏たちの身辺調査と綱紀粛正の準備だ。休んでいる暇はないぞ」
デートの約束に水を差す激務の宣告に、テオバルトは耳を疑った。
「で、殿下? 私たちはようやく長年の心労から解放されたばかりなんだが……。少しくらい、その、二人で過ごす時間を──」
「却下だ」
アルノルトは、ペンを書類に走らせながら、顔も上げずにバッサリと切り捨てた。
「私はまだエルフリーデとお茶をすることすらままならないというのに、君らだけがすんなり甘い恋人生活を満喫するなど、到底容認できない」
「アルノルト、それ完全に私怨だろ!?」
理不尽な八つ当たりにテオバルトが抗議の声を上げるが、アルノルトは「うるさい、働け」と取り付く島もない。
傍らで書類を捌いていたモーリッツが「また始まった」とばかりに目を逸らす。ディートリヒは思わず乾いた笑い声を漏らした。
ようやく厄介事が解決して平穏な毎日が手に入ると思いきや、テオバルトとルドヴィカには、別の種類の戦いが続くのだった。
了




