中 編
婚約破棄騒動から四ヶ月後のこと。
王宮の大広間で、誓約の儀が盛大に執り行われた。サフラ王国の第三王子と、ローゼンシュタイン王国の侯爵令嬢の婚約を、正式に宣言する場である。両国の法務官と外交書記官といった面々はもちろんのこと、サフラ王国の代表としてハリールの長兄である王太子、ローゼンシュタイン国側の代表としても同格の王太子アルノルトが臨席した。
ハリールとドロテアが誓約書に署名を済ませると、両国の王太子が並び立って二人の婚約を宣言する。祝福の拍手の中、ハリールとドロテアは幸福に満ちた表情を浮かべていた。結婚式はサフラ国で来年執り行う予定であること、またそれまでの間ドロテアはサフラに滞在し、王族としての教育と準備を進めることなどが法務官から説明される。
こうして、二人の婚約が成立した。
ドロテアの両親として当然ながらヴィッテルスバッハ侯爵夫妻も参列し、侯爵が上機嫌で娘を言祝ぐ様子や、侯爵夫人が感涙にむせぶ様子は、オブザーバーとして立ち会う貴族たちに見守られていた。ローゼンシュタイン側の臨席者は皆、すべての事情を承知していたので、尚のこと夫妻に喜ばしいことだと温かい言葉をかける。
一堂はそのまま転移魔方陣が設置されている部屋へと移動した。ハリールとドロテアの出国を見送るためだ。誓約式直後に転移という進行は通常は行われないが、今回は特別である。二人がそう強く望んだからという建前だが、可能な限り早く二人に出国して欲しいというローゼンシュタイン側関係者からの本音を受けて、裏でアルノルトがそう仕向けていた。先方にも特に異論はなかったらしく、トントン拍子に事は進んで現在に至る。
移動しながらも、ハリールとドロテアはいちゃいちゃし続けていた。
「ハリール様、これでずっと一緒にいられますのね」
「ああ、ドロテア。君を誰にも渡しはしない」
誰に憚ることもなく熱烈な愛を囁き交わす二人の様子を、皆がにこやかに見守っていた。
やがて転移陣の部屋の前に立つ。部屋の性質上、さほど広く設けられていないため、室内には最低限の人数しか入れない。まずはサフラ国王太子が転移し、続いてハリールとドロテアが入室した。魔方陣の上に浮遊する光の粒子の中に、二人は手を取り合ったまま入っていく。
恍惚とした表情で互いを見つめ合っているカップルの姿が消えた瞬間、ヴィッテルスバッハ侯爵は明らかにほっとした様子を見せ、夫人は小さく安堵の息を漏らした。常に言動を律している夫妻が見せたそのような姿を、法務官も書記官も見て見ぬふりをする。
程なくしてサフラ王国の法務官と外交書記官も出国していった。
彼らの姿が跡形もなく消え失せると、間もなく魔方陣の色が淡く変化した。それは、サフラ国側の一行が先方に無事到着したことを示す合図だ。その場にいた者たちは、次々と部屋を後にしていく。
アルノルトが部屋を出ると、廊下で待っていたテオバルトが丁寧に頭を下げた。
「お疲れ様です、殿下。このたびは本当にありがとうございました」
「この貸しはもちろんきっちり返してもらうから気にするな。それよりも君に敬語を使われるのはどうも落ち着かない」
嫌そうな顔をするアルノルトに、テオバルトは苦笑する。
「ははは、そう言うな……。さて、行こうか」
二人はそのまま連れ立って、アルノルトの執務室へと足を向けた。
開け放したままの扉から室内に入ると、奥の応接セットには一人の少女が待っている。
「お帰りなさいませ、アルノルト殿下、テオバルト様」
立ち上がって出迎えたのはルドヴィカだ。
「待たせたな、ルドヴィカ嬢。無事に二人は出国したぞ」
「ああ。手を取り合ってサフラへ飛んでいったよ」
アルノルトが告げ、テオバルトも同意する。途端にルドヴィカの肩から目に見えて力が抜け、「……よかった……」と声が漏れた。
「二人とも座るといい」
アルノルトはそう言って、自分は執務机の椅子に腰を下ろす。
ルドヴィカがソファに腰掛けると、そのすぐ隣にテオバルトも腰を下ろした。しかも、ズブズブと沈み込むように背もたれに大きくもたれかかる。まるで自分の部屋にでもいるかのような気の抜けようだった。
「テオバルト様。そのようにだらしない格好は……」
ルドヴィカは慌ててテオバルトの袖を引く。だが彼はといえば、改める様子もなく、ニヤッと悪戯っぽく笑い返した。
「いや、さすがに今日は緊張したから、その分、気が抜けた」
「ですが殿下がいらっしゃるのですから」
「気にする必要はない。こいつはいつもそんなものだ」
アルノルトが肩をすくめる。子供の頃からの付き合いであるから、側近というよりは友人なのだろうとルドヴィカは納得した。
そこへ、「失礼いたします」と声がかかり、モーリッツとディートリヒが連れ立って入室してきた。
モーリッツは持参した書類をアルノルトに手渡した。つい先月、不本意にも侍従から秘書官に昇格したばかりのモーリッツだが、業務内容に変化はないらしい。同い年の従姉弟として親しくしているルドヴィカは、「相変わらず使いっ走りをさせられている」と零していたのも聞いている。
置かれた書類を手に取ると、アルノルトは内容を素早くチェックし、満足げに頷いて処理済みの箱に放り込んだ。
「誓約の書面を、先方の国王が承認したとの報告だ。ディートリヒ、そちらはどうだった?」
「はい。同じ書面を、陛下が問題なく承認いたしました」
ディートリヒが恭しく頭を下げて報告すると、アルノルトの口元に笑みが浮かんだ。
「よし、これでサフラ国との間のやり取りはすべて確認した。ハリール殿下とドロテア嬢の婚約に関する手続きは、完全に終了したと見做していい」
アルノルトの宣言に、ルドヴィカとテオバルトは揃って大きく息を吐き出した。
「ようやく終わりましたね……」
ルドヴィカが呟くと、テオバルトも深く頷く。
「ああ。これで二度と、あの二人に煩わせられることはないな」
法的に、ハリールとドロテアの婚姻は後戻りできないものとして確定した。サフラ国では婚約が結婚とほぼ同義であり、婚約した時点で事実上の結婚と同じ扱いなのだ。しかも先方の宗教では離婚はできず、既婚女性は常に伴侶同伴でなくては行動できない。
また、国家間の取り決めにより、出入国にも厳格な決まりがある。サフラ国の王族となった以上、今後はほいほいと里帰りするわけにもいかなくなっということだ。
テオバルトとルドヴィカの目的は、ドロテアをハリールと結婚させてサフラ国に送り出すことだった。二人を二度と自分たちと関わりのない立場に置くために、この一年を費やしてきたのだ。
そもそもの始まりは、数年前にドロテアがヴィッテルスバッハ侯爵家の養女となったことだ。
彼女は元は遠縁にあたる家系の出で、両親を事故で亡くした。彼女の身近な親族に引き取り手がいなかったために、話がヴィッテルスバッハ侯爵にまで持ち込まれ、憐れんだ夫妻が養女とした経緯がある。
だが侯爵家は、すぐにそれを強く後悔する羽目となった。ドロテアの言動に問題がありすぎたからだ。
十二歳で親と死別となれば、誰もが同情する。会う人会う人から優しい言葉を掛けられ、慰めのために花や菓子や人形などを与えられた。元々、両親からひどく甘やかされて育ったドロテアは、我が儘という単語を具現化したような少女だった。なまじ愛らしい容姿をしていたため、余計に周囲の注目を浴びやすい。
ちやほやされる日々が数ヶ月続いた後、侯爵令嬢という立場が加わったためにそれは助長された。結果、手に負えないほどの美少女モンスターに進化してしまったのである。
まず、ことあるごとに悲劇のヒロインを演じるようになった。
外出先では、あたかもヴィッテルスバッハ家で虐待されているかのように振る舞う。学校では、男子生徒に人気のある自分を妬んで、女子生徒からいじめられるのだと泣いて訴える。そのような行状のせいで、事情を知らない者から疑いの目を向けられたり、他の貴族家から抗議が来たり、その他諸々、ヴィッテルスバッハ侯爵夫妻にとって頭痛の種でしかなかった。
さらに厄介になったのは、高等部に入学してからの彼女の妄言だ。
自分とテオバルトは相思相愛だというのに、家同士の繋がりで決められた婚約者がすでにいるため、愛し合っている恋人たちが無理矢理に引き離されたのだと、涙ながらに言って回ったのである。そのうちには、テオバルトの婚約者であるルドヴィカから嫌がらせを受けていると主張するようになると、ライヒェルト子爵家にも謂れのない噂が立つようになった。
ルドヴィカとテオバルトは、長年の婚約者同士だ。それこそ年齢が一桁の頃に、両家の取り決めで内々に婚約した。本来であれば、とっくに正式な誓約の儀が行われていてもおかしくなかったが、ドロテアを養女に迎えたことで侯爵家では色々と問題が起こり、先延ばしにされていた。それをようやく進めようとした矢先、ドロテアが騒ぎ立てて、ルドヴィカへの嫌がらせを繰り返すようになったという経緯がある。
当初は、当てこすりの発言をしたり、擦れ違いざまに派手にすっ転んで見せたり、自分の持ち物を自分で壊したり、といった定番の嫌がらせだったため、二人はさほど気に留めてはいなかった。しかし効果が薄いと見るや、今度はルドヴィカに対して、バルコニーから植木鉢を落とし、階段で突き飛ばそうとし、終いには花と水が入った花瓶を直接投げつけるに至って、これはヤバいと皆が思い始めた。
ルドヴィカが隣国への留学という形で、その場を避難せざるを得なくなったのはそれが理由だ。
しかし、ルドヴィカが姿を消すと、今度は別の女性が標的になった。学校の廊下でテオバルトが親しげに話していたからとヒステリーを起こす。学校を卒業したテオバルトが王太子の側近として働き始めると、同僚女性一人一人に脅しをかける。そういった有様だったため、他家に迷惑をかけるわけにはいかない、ドロテアと結婚するしかないのだろうか、とテオバルトは思い詰めていた時期もあったほどだ。
一方、その頃のルドヴィカは留学先で、うんざりするような出来事に直面していた。サフラ国第三王子ハリールが、しつこく言い寄ってきたのだ。
自分には婚約者がいること、学院卒業後には結婚するとすでに決まっていること、国元に戻るのでサフラ国に留まるつもりはないこと、などなど再三伝えても、王子は聞く耳を持たなかった。
なにより困ったのは、ハリールから大袈裟に賞賛されることだった。ルドヴィカの栗色の髪と焦げ茶の瞳は、自国では平凡そのものだ。白い肌にしても、褐色の肌のサフラ人の中にいると目立つだけであり、絹のように美しいというわけでもない。目立つのがなにより苦手なルドヴィカは、先方の頭からすっぽりとかぶるような民族衣装を貸してほしいと頼む始末だった。だがそれが却って奥ゆかしいと受け取られてしまい、ガックリとしたものだ。
留学期間を当初予定していた一年間から半年に短縮したのはこのためだった。だが、そのルドヴィカを追って、ハリールがこちらにやってきたため、頭痛の種が二つになってしまったのである。ハリールは、母国では女遊びが過ぎるとして有名な存在だった。ルドヴィカの帰国後すぐにこちらにやってこられたのは、自国では様々な問題を起こし、学校から放逐寸前という事情もあったと聞く。
そんなこんなで進退窮まったルドヴィカとテオバルトは、アルノルトに相談することにした。そして計画されたのが、今回の二人をまとめて追い出してしまおうというものだった。
策略と工作に明け暮れた苦節の末、あの園遊会での婚約破棄劇へと繋がったのだ。そして今日、その計画は見事に成功を収めた。
「存外に上手くいきましたね。殿下の計画ではあともう二ヶ月程かかる見通しでしたが」
ディートリヒの言葉に、腕を組んだアルノルトは生真面目に答えた。
「この計画は最長期間で想定して立てたからな。対象の誘導がどう出るかは予測しきれない部分があるしね」
「そうですね。って、えっ! ルイーゼ? 泣いてるの?」
モーリッツが不意に驚きの声を上げた。見れば、ルドヴィカがハンカチで目元を拭っていた。
「安心したのかも。なんだか気が抜けたら、自然と涙が出てきちゃって。これでようやく、元通りだと思って……」
「よかったな、ルイーゼ」
モーリッツはルドヴィカの顔を覗き込むようにして、気安く笑いかけた。
「おい、きちんとルドヴィカ嬢と呼ぶように言っているだろうが」
愛称で呼ぶ様子にすかさずテオバルトが釘を刺すと、モーリッツは「そうですね」と棒読みの返事をする。
「もうテオバルト様ったら。私とモリィは姉弟みたいなものですから、そこまで礼儀にこだわらなくてもいいではありませんか」
ルドヴィカは自分の涙を拭いながら、可笑しそうに苦笑して宥める。
「それよりも、やっと、やっと、やぁぁぁっと! あの子ともあちらの殿下とも縁が切れたのだから、そちらを喜んでくださいな」
ルドヴィカが心底嬉しそうな笑顔を見せると、テオバルトも何度も頷いて同意を示した。




