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婚約解消裏事情  作者: 梶原さくら
断罪は計画的に
7/11

前  編

「君との婚約を破棄する」


 定番のその台詞を高らかに宣言したのは、お約束どおりにピンク髪の美少女を侍らせた王子だ。ただし、自国ではなくサフラ王国の第三王子である。


 サフラは重要な貿易国のため、彼の周囲には常に大勢の取り巻きがいる。婚約破棄を言い渡されたルドヴィカは、当然ながら注目を浴びた。浴びまくった。


 ルドヴィカは居たたまれない気持ちになった。この日この場でこうなるものと承知していたとはいえ、どちらかといえば地味で自己顕示欲もない彼女には、衆目を集めるなど負担でしかない。それまで取り繕っていた笑みがすっと抜け落ちてしまい、表情が引き攣りそうになるのを堪えるので精一杯だった。


 卒業式に続いて催された園遊会の場だった。会場のラインフェルデン学院高等部の中庭は、華やかな雰囲気に包まれていた。中央の広場では卒業生たちがグラスを片手に談笑に興じ、立食形式のパーティが賑わいをみせた。生徒たちは学院の制服姿ではあったが、アフタヌーンドレスとモーニングコートに身を包んだ保護者や来賓が立ち交じるからか、場の醸し出す雰囲気が普段とはまるで違う。


 中庭は、特に飾り付けを施す必要もないほど、色とりどりの花に溢れていた。早咲きの桜がピンクの濃淡で目を和ませ、木蓮の紫紅色や純白が彩りを添える。木々の手前に配された花壇には、菜の花、クロッカス、スミレ、ヒヤシンス、スイセンが咲き乱れている。


 その中心で、花々に負けないほど美麗な顔立ちをした他国の王子が、唐突に婚約破棄を宣言する、というシーンである。居合わせた者が皆、驚いて静まりかえるのも当然だろう。


 三年生のルドヴィカは見送る側で、本来は中央にいるべきではないのだが、卒業生の一人に呼び出されたのだ。その卒業生というのが、ハリール・ラーイー王子だった。


 堂々とした態度で、朗々と声を張る様子は、人気俳優も斯くやと思わせる。しかもイケボだ。まあ、王族ですもの、話し方の訓練は受けてますよね、とルドヴィカは内心でツッコんだ。


 ハリールは、褐色の肌に黒い瞳、彫りの深い顔立ちをしている。サフラ国で出会った頃は下ろしていた長い黒髪を、ローゼンシュタイン国の風習に合わせて首の後ろで一つに結わえ、伸ばしていた顎髭もきれいに剃り落としていた。留学先の風習に合わせるくらいには、良識もあったわけだ。本質は善良なのだろうと、かつてルドヴィカは思ったものだ。


 けれどもその素直さに付け入る隙があり、このような芝居じみた演出を好むドロテアの言にたやすく乗ってしまったのだろう。


 ルドヴィカは、目の前に立つハリールを真っ直ぐと見つめる。


「理由をお聞かせいただけますか?」

「ドロテア嬢に魅力を感じたからだ」


 ハリールがどこか気まずそうに視線を逸らした。少しは後ろめたいのだなと、ルドヴィカは思った。


「明るく元気なところ、甘えてわがままを言うところ、サフラ国では決して出会うことのないタイプだ。君も知っているとおり、サフラでは女性は自分の意見を言わないのが美徳とされている。だが、ドロテアはまるで違う。そこに惹かれたのだ」


 ルドヴィカの目の前で、キラキラ王子様の傍らに寄り添う、というかしがみ付いている少女こそドロテアである。小柄で華奢な愛らしい容姿といい、甘い声音と話し方といい、庇護欲をそそるタイプだ。そして今や誰からもハリールの恋人と目されるのは、このドロテアだった。


 そのピンク髪美少女は、ルドヴィカに対しては勝ち誇ったドヤ顔をしていたが、ハリールに顔を覗き込まれた途端に表情を変え、涙ながらに訴えかける。


「ルドヴィカ様が婚約者であるのは承知しておりましたが、どうしてもこの恋心を抑えられませんでした。すべてはハリール様に恋をしてしまった私が悪いのです。どうぞ、ハリール様を責めないでください」


 王子に付き従うように控えていたテオバルト・ヴィッテルスバッハが、一歩進み出た。緩く波打つ明るい茶髪が微かな風に揺れ、琥珀色の瞳が冷ややかな光を帯びている。ドロテアの兄である彼は、さらに無情な言葉を続ける。


「ルドヴィカ嬢、ハリール殿下の婚約者という立場は、どうかドロテアに譲っていただきたい。殿下と君は正式な婚約を済ませていたわけではないので、今なら外交的な問題もない。そもそも子爵家の君が王室に嫁いでも苦労するだけだろう。ヴィッテルスバッハ侯爵家のドロテアが嫁ぐほうが、我がローゼンシュタイン国としても望ましい。その点も考慮していただけないだろうか」


 そこでハリールが、厳しい顔つきに変わった。


「いや、それだけではない。ルドヴィカ、君はドロテアにひどい嫌がらせをしてきたというではないか。君がドロテアに精神的な苦痛を与え続けたことは、侯爵家も貴国の王太子殿下もご存知だ」

「私は嫌がらせなどいたしておりません」


 ルドヴィカは、ハリールの言葉に愕然とした表情を浮かべて言い募った。そこへ当のドロテアがまたも声を上げる。


「私は、ルドヴィカ様から毎日のように陰湿ないじめを受けていたのです。ハリール様からの贈り物を隠されたり、悪口を広められたり……。本当に辛くて辛くて……」


 よよよと泣き崩れそうになるドロテアを、ハリールが支え、優しげに笑いかける。それからルドヴィカに向き直ったときには、彼の顔が冷たい表情に戻る。


「アルノルト殿ともよくよく協議してみた。その上で、我が婚約者はドロテアに変更していい、という言質をいただいている」


 ハリールの言葉に大きく頷いたテオバルトが、ルドヴィカに告げた。


「心配せずとも、君には新しい縁談を我が家で用意しよう」


 周囲の生徒たちが、ひそひそと囁き始めた。口にしている言葉は耳に届いてこないが、ルドヴィカは打ちひしがれた表情で黙って立ち尽くした。


 ローゼンシュタイン国では心変わりは正当な理由とは認められないが、文化圏の異なるサフラ国では女性の発言権が弱く、多くの場合に男性側の主張が通ってしまう。ハリールの言い分は、彼の基準では正当なのだ。


 そういった文化や認識の違いを、ルドヴィカはよく知っていた。サフラ王国は遠方の異国だが、その文化に以前から興味をもっており、半年だけとはいえ実際に留学までしたのである。


 ルドヴィカがサフラ王国に留学した際に、ハリールに見初められたのは、まさに運命の悪戯だった。教育は完全に男女別で行う国であり、本来であれば出会う機会などなかったはずだが、留学先の女学校で行われた創立記念式典を王族が視察に訪れた際、その一行にハリールがいたのだ。


 当初は、閉鎖的な国柄のため異国の少女という物珍しさが目に留まっただけと周囲にも思われた。それが、外国の意見を聞きたいという名目で頻繁に呼び出されるようになる。ルドヴィカとしては、自国がサフラ王国との関係を良好に保ちたいと希望しているのを知っていたこともあり、断りきれずに何度か面会を重ねた。そうこうする内に、ハリールの寵愛を受けている少女として周囲には認識されていった。


 そして語学留学を終えてルドヴィカが帰国すると、彼女を追って今度は王子がこちらに留学してきたのだ。しかも初登校日に、ルドヴィカを自分の婚約者として遇するようにと大声で宣言した。そのため周囲は二人を婚約者同士として扱い始めたわけだ。


 ルドヴィカが自国の学院に復学し、ハリールが留学してきた数日後、ルドヴィカは彼をテオバルト・ヴィッテルスバッハに引き合わせた。サフラ国との貿易拡大のため、アルノルト殿下から案内役を頼まれた人物なのだと事情を説明して。


 王太子の側近として優秀であり、サフラの国情にも精通するテオバルトを気に入ったハリールは、すぐに親しげに接するようになった。そして、テオバルトがハリールに同行する際には、必ず妹であるドロテアも同席していた。


 愛らしいドロテアが、ハリールとの距離を詰め、親しくなっていくのにさほど時間はかからなかった。そのうちに、傍から見れば二人が恋仲であるとしか思えない振る舞いが目立つようになる。


 やがて、学院内のみならず、学外においても、ハリールの恋人はドロテアである、という認識に変わった。


 もちろんルドヴィカも状況をきちんと理解していた。そのため、今まさに婚約破棄を告げられてもなにも動揺することなく、静かに短く答えた。


「かしこまりました」


 それ以上は何も言うことなく、ルドヴィカは一礼してからその場を後にした。政治的なあれやこれやは、ルドヴィカが考慮すべき事柄ではなかった。


 広場を出るときに、ルドヴィカは伏せた顔のまま、ちらっと背後を振り返る。残されたハリールとドロテアが二人だけの世界に入り込んで、いちゃいちゃしている姿が目の端に映った。

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