中 編
執務室の入口にヴィルヘルムが姿を現した。
「失礼します」
そう言って入室した第二王子は、ドレスシャツの立襟は喉元までボタンが留められ、上着も着崩していない。アルノルトの前まで進む足取りも、いつもの気怠げなものではなく、きびきびとしている。明るい金色の長い髪は整えられ、首の後ろできちんと結われている。
テオバルトとディートリヒはそれぞれの執務机で作業をしていた手を止め、立ち上がって第二王子を迎え入れた。
部屋の一番奥にある執務机に座るアルノルトの前で足を止めると、ヴィルヘルムは直立して姿勢を正した。
「兄上、ご無沙汰しております」
礼にかなった穏やかな声音だった。このような挨拶を弟の口から聞いた記憶が、アルノルトにはほとんどない。
「久しぶりだな」
「はい。子供が生まれましたので、兄上にもご報告いたしたく参りました」
ヴィルヘルムは笑みを浮かべながら告げた。碧い瞳がいつになく和やかで、アルノルトは目を見張る。
「すでに父上と母上にはご報告を済ませましたのでご存じかと思われますが、カミラが男児を出産いたしました。母子ともに健康です」
「ああ、聞いている。壮健でなによりだ」
「ありがとうございます」
アルノルトは簡潔に応じた。ここまでは王太子と第二王子としての儀礼的なやりとりだ。
執務机の脇に控えていたモーリッツが、祝辞の意を込めて深く頭を下げた。テオバルトとディートリヒも、揃って一礼する。するとヴィルヘルムが小さく「ありがとう」と言ったため、三人は顔にこそ出さないものの、内心ではかなり驚いていた。ヴィルヘルムが感謝の言葉を口にするのを初めて聞いたのだ。
「話がある。掛けてくれ」
アルノルトが目線で応接セットを示し、自身も立ち上がった。
ヴィルヘルムはそちらに移動したものの、アルノルトがソファに辿り着くまで椅子の脇で待ち、兄が腰を下ろしてから向かいの椅子に掛けた。礼儀を知らないというこれまでの評価が嘘のようで、正直なところはアルノルトですら驚きを感じた。
兄弟は少しの間、無言だった。ヴィルヘルムはなんとはなしに居心地悪そうな様子で、伏し目がちである。
モーリッツが茶器を用意してローテーブルにそっと置いたところで、アルノルトは口を開いた。
「先月、ヒルデガルト嬢とフロレンティーネ嬢が、そちらまで足を運んだそうだな」
ヴィルヘルムの肩が、ほんの少しだけ跳ねた。
「……ええ、まあ」
「カミラ嬢を訪ねたとか」
「はあ。……そうですね」
ヴィルヘルムはカップに手を伸ばした。ただし飲むつもりはなさそうで、湯気を眺めているだけだった。
「兄上のお耳にも入っていましたか」
アルノルトは軽く肩をすくめた。
「別邸への出入りは記録が残る。伯爵令嬢が二人で連れ立って王家直轄地に赴いたとなれば、記録を確認する係もそれなりに気を利かせる」
「……そうですか」
ヴィルヘルムは相変わらず、湯気を眺めていた。はっきりと答えるつもりがないと見受けられたが、アルノルトはそれを咎めるでもなく、淡々と続けた。
実を言えば少女たちの証言を聞いてから、記録を取り寄せたのだが、わざわざ説明するまでもないと判断した。証拠があると言いたかっただけだ。
「記録だけではないぞ。ヒルデガルト嬢とフロレンティーネ嬢が揃ってそう明言した。二人ともカミラ嬢と親しくしているそうだな。そろってカミラ嬢を『大好き』だとも話していたな」
湯気を眺めていた視線が、ようやくアルノルトへと向いた。
「話した、というと」
アルノルトは、一ヶ月前の出来事を掻い摘んで説明した。
「二人の主張によると、カミラ嬢は誤解を受けているだけで、実はとても親切で優しい性格なのだそうだな。自分と親しくすると悪く見られるようになるからとカミラ嬢が配慮して、周囲に知られないようにしていたと聞いたぞ」
落ち着かない様子で、ヴィルヘルムはカップを置いた。
「兄上、あの、それは、ええと」
「加えて、ヴィルヘルム、君についてもだ。二人が言うには、幼い頃から君はカミラ嬢を気にかけていたし、カミラ嬢のほうも君を信頼していたとのことだ」
ヴィルヘルムは、露骨に視線を宙に泳がせた。
「女の子は恋バナが好きですから、こう想像力豊かに話を作るというか──」
「ヴィルヘルム、きちんと回答するように」
「…………」
アルノルトの声は決して大きくはなかったが、ヴィルヘルムの背筋が自然と伸びる。
傍らで何も言わずに会話を聞いている三人は、いずれも表情を消しているが、その視線はまっすぐヴィルヘルムに向けられていた。
ヴィルヘルムが黙り込んでしまったため、アルノルトが静かに口を開いた。
「まず、私の認識を述べようか」
そう前置きしてから列挙した。
ヴィルヘルムは学業を疎かにし、女性関係は軽薄であるため、第二王子としての素行に問題がある。婚約者候補を集めた茶会でエルフリーデを妃にしたいと王妃に告げ、その結果、彼女との婚約が決まった。
カミラ嬢も同様で、筆頭公爵家の令嬢でありながら学院内で問題ばかり起こしてきた。茶会でアルノルトとの婚約を望み、ノイエンドルフ公爵夫人と王妃の強制で婚約が決まった。それにも拘わらずヴィルヘルムとカミラは恋人同士となった。
「おそらくは、皆がそのように思っているだろう。実際はどうなんだ?」
ヴィルヘルムは、しばらく口を開けたり閉じたりしていたが、やがて兄を見据えてはっきりと答えた。
「ほとんど、間違っています」
「ほとんど、か」
「全部が違うとは申しません。私に関する部分には事実も含まれます。というか、そう思われるように行動していました。けれど、カミラについてはまったくと言って良いほど誤りです」
「ほう? ではどう違うのかを述べてみろ」
ヴィルヘルムは渋面になっていたが、ふて腐れたわけではなく、腹をくくったという顔である。
「正直に申し上げますが、ただ、たぶん兄上は呆れるのではないかと思います。私は、そこそこバカなことをやらかしたので」
「知っている」
「即答しないでいただきたい」
しっかりツッコミを返してから、ヴィルヘルムは困り顔になった。
「それで、君とカミラが元から恋仲だったというのは本当なのか?」
「……はい、そうです」
少しの沈黙の後、ヴィルヘルムはぽつぽつと話し始めた。
彼にとってカミラは、物心つく前から自分の身近にいた女の子だった。それというのも、王妃と公爵夫人が互いを訪問し合っていたからである。ヴィルヘルムは王妃に連れられ、カミラは公爵夫人に連れられて、どちらかの館で幼い頃から何度となく一緒に遊んだのだ。
アルノルトとディートリヒは二人とも、自分たちが知らない情報に訝しげな様子を見せたが、ヴィルヘルムは訪問し合ったのは保養での滞在先だけだと補足した。
王妃は季節ごとに王家直轄地へ療養に出かけるのだが、その場所はノイエンドルフ公爵領と隣接している。そこで公爵夫人も時期を合わせて領地を訪れ、現地で落ち合ったわけだ。王妃と公爵夫人は学生の頃に親しくなったのだが、二人の実家が派閥の違いやら過去のいざこざやらで仲が良くないため、双方の実家に知られないように表立った付き合いはしていなかったという。
「兄上が行くことは、ほぼありませんでしたよね」
「確かに行かなかったな。保養になど行く暇があるなら実務を学べと、祖母上に言われていたからな」
母や弟と共に過ごす時間よりも、祖母と過ごす時間のほうが圧倒的に長かった。そう思い返し、アルノルトはなぜだか妙に後ろめたく感じた。
「ディートリヒ様も、領地には来られなかった。勉強のほうがいいと言っておられたとか」
「確かにそのとおりです。カミラから聞いたのですか?」
「ええ」
「そうですか」
ディートリヒは、わずかに視線を下げた。領地へは、たいていの場合に経営を学ぶために父に同行するときだけだったと思い返す。
「ですから、私たちは幼い頃から親しく、謂わば幼なじみなんです。とても気が合いました。……それに……境遇が似ているということで、相哀れむところもありました」
「境遇? なんのことだ?」
「……できのいい兄がいて、自分はまったく敵わず、比べられては引け目を感じていた、ということです」
その場の全員に兄弟姉妹や従兄弟姉妹がいるため、家族親族間にも人間関係が存在するのは理解できた。特に当事者であるアルノルトは口の端をわずかに硬くし、ディートリヒは目を逸らした。
「カミラも、頭が悪いわけではありません。ただ、文章を追うのが苦手なんです。読むのが遅くて時間がかかり、板書を書き写しているうちに授業が進んでしまう。試験も筆記だと読み書きが遅いせいで、まともに回答がしきれない。だから成績はひどく悪かった。けれども、口頭での説明や実技であれば、飲み込みは実に早いんです。特に興味のある内容であれば一度で覚えられるし、工房で見た図面などは絶対に忘れない。……そういう性質なんです」
ディートリヒが目を見開く。何か言おうと口を開け、だが何も言わないまま口を閉じた。その様子から、まったく知らなかったのだろうと、他の三人は察した。ヴィルヘルムも気づいたが、指摘はしなかった。
「その、私たちは昔からずっと、将来は結婚するのだと思い込んでいました。私たちにとっては、なんというか、それが当然だと思っていたんです。好き合った男女は結婚するものだからと……。物語や芝居の内容を鵜呑みにしていたわけですね。政治的な駆け引きや、家と家の釣り合いや派閥の違い、家業での取り引き、そういった事柄をなにも知らなかった。ですから、中等部に入ってすぐ、私のところに縁談の打診が来たときは、心底驚きました」
アルノルトが弟に視線を戻した。
「聞いてないぞ」
ヴィルヘルムは生真面目な様子で頷く。
「ええ、わずかな者しか知らないはずです。母上が窓口になったので、頼み込んで内々に断り、表面的には何もなかったことにされています。……ですが、王家の第二王子である以上、この先も縁談は持ち上がるだろうから、今後は断るにも正当な理由がいると母上に言われました」
ヴィルヘルムは、少しばかり気まずそうに、髪をかき上げた。
「ですから、私は私なりに考えたわけです。どうすれば、貴族のご令嬢方が私のところに寄って来なくなるかを」
「嫌な予感がしてきたな」
「予感、当たると思います」
アルノルトの呟きに、ヴィルヘルムは開き直った顔になる。
「どう対策したんだ」
「はい。その、ですね、学業成績が悪く、女にだらしなくて、素行が悪い。そういう男なら、ご令嬢方は自分から私のことを候補に挙げないだろうと、そう考えたんです。ですから、授業をさぼり、成績を落とし、規則を破り、女性に必要以上に愛想を振りまいて、噂されるままにしました」
執務室がしんと静まり返った。しばらくして、アルノルトが淡々とした声で言う。
「それは、戦略としても戦術としても失敗の類だな」
「知っています、今は」
「今は、か」
「……はい。大失敗でした」
テオバルトとモーリッツが、笑いを堪えるために口元を軽く押さえる。ディートリヒですら、微かに肩が揺れていた。
「いつ作戦失敗だと理解した?」
「私を王太子にすべく持ち上げる一派が現れてしまったときです」
ヴィルヘルムは、居直った顔のまま続けた。
「貴族のご令嬢方からの縁談は減りました。そこは狙い通りでした。けれども、狙いから外れたところに刺さってしまったわけです」
「一部の派閥に、な」
アルノルトが弟の目をまっすぐに見つめ直し、さらに続ける。
「君は、その派閥の思惑がなんだったのか理解しているのか?」
ヴィルヘルムはきちんと兄の視線を受け止めて、生真面目な表情で頷いた。
「はい。有能な王太子より、無能で軽薄な第二王子のほうが、傀儡として担ぎやすいと考えた。そういうことですよね」
第二王子が状況をきちんと理解していると知り、皆は少しばかり意外に思った。ただ、それが却って場の空気を重くした。
「確かにバカなことをしたものだな」
「そうですね。考えがまったく足りませんでした」
「まあ、かなり反省しているようだな」
「はい。……兄上、それからもう一件、申し上げることがあります。その、エルフリーデ嬢の件です」
ヴィルヘルムが姿勢を正した。アルノルトは、彼女の話題を弟が持ち出すのは思ってもいなかったため、かなり驚きを感じた。
「……聞こう」
「三年前のお茶会の後、兄上が珍しく令嬢のお名前を口にされたことがありました。それがエルフリーデ嬢でした」
「そうだな」
「あの時、私は嬉しかったんです。兄上が令嬢に関心を持たれるなど初めてだったので。エルフリーデ嬢をお好きになったのであれば、私がカミラを好きな気持ちもわかっていただけるかも、とも思いました。それですぐに母上にお話ししたんです。兄上が気にしておられる令嬢がおられます、と」
アルノルトの眉がぴくりと跳ねた。
「……なぜ、そこで母上に話す」
「兄上が、ご自身で望まれた方と婚約できるなら、母上も後押ししてくださるかもしれないと、そう思って」
「本気でそう思ったのか」
「はい、あの時は……。まだ、家と家のバランスを取る必要性などわかっておらず……」
現王妃はシュトライヒ一族の出であるから、次代王妃は別の一族からの選出が望ましいのだが、そのような事情などヴィルヘルムの念頭にはなかった。また、仮にエルフリーデを王太子妃に据えるとあれば、事前にかなりの根回しをしておかなくてはならないだろうに、いきなり他家の奥方が揃っている場で言ってしまったというのも落ち度だった。
「結果、母上とノイエンドルフ家が動いて、兄上とカミラ、私とエルフリーデ嬢という組み合わせで婚約することで落ち着きました。……迅速に状況を収めるにはそうするしかなかったのだと、今であればわかります」
「なるほどな。悪意はなかった、ということか」
「ただただ、考えなしでした。申し訳ありません」
アルノルトの声に怒りはなく、だがかなりの呆れが混じっている。ヴィルヘルムは、深々と頭を下げた。顔をあげてからも、視線を下げたまま俯く。
アルノルトは額に手を当て、しばらく沈黙した。そこでディートリヒがようやく口を開く。
「一つだけ、確認させていただきたいのですが」
「はい」
「三年前の、王宮のお茶会で、ご令嬢が何人か倉庫に閉じ込められた件についてです」
その言葉に、ヴィルヘルムの顔つきが、少しだけ変わった。
「はい、どういったことでしょう」
「あれをテオバルトにお知らせしたのは、殿下だと聞き及んでいます」
「ええ、そうです」
「なぜ、直接アルノルト殿下に知らせなかったのでしょう?」
「カミラが嫌がりました」
「え?」
「カミラが、私のところに走ってきたんです。倉庫に女生徒たちが閉じ込められて、しかもその中にエルフリーデ嬢がいる、と」
ヴィルヘルムは、少しばかり気まずそうに続けた。
「カミラは自分ではどうしていいかわからなかったんだそうです。彼女は魔法が苦手ですし、解錠方法など知らない。かといって、あの状況で自分が誰かに知らせに行ったところで、自作自演だとしか思われないだろう、と」
「そう、ですか。そんなふうに考える子だったんですね」
「ええ、ですから私を頼って来たんです。私も、自分が出しゃばると余計にこじれる自覚はありました。ですから、知り合いのバイトスタッフに話して、テオバルト様経由で兄上に届くようにした、というわけです」
テーブルの上のカップの湯気が、静かに立ち上っていた。ディートリヒは、微かに眉を寄せたが、小さく「妹のことを、だいぶ誤解していたようです」と呟く。また皆が黙りこむ。
その沈黙が気まずいのか、ヴィルヘルムはカップを持ち上げ、ようやく一口だけ飲んだ。紅茶はすっかり冷めている。
「さて、ヴィルヘルム。最後にもう一つ」
アルノルトが弟に視線を戻す。ヴィルヘルムは、慌てた様子でカップをソーサーに戻した。
「はい、なんでしょう」
「君がカミラ嬢を好いていたのはわかった。だが、まだエルフリーデ嬢と婚約中だったにも拘わらず、カミラ嬢と一線を越えたのは非常にまずい判断だったと思う。これについてはどう釈明する?」
ヴィルヘルムは素直に頷いて、静かに言った。
「釈明のしようがありません。良くないことであるのは承知していましたが、その、カミラがこのままでは本当に兄上と結婚することになると泣いて……」
王太子の婚約者。それだけでも、カミラにとってはかなりのプレッシャーだった。しかもその婚約者は、彼女が非常に苦手とする相手だ。メンタルが強いとは言えないカミラは、逃げてしまいたいと縋ってきたため、ヴィルヘルムとしても進退窮まってしまった。
「それに、このままでは私たち四人全員が不幸になると思ったのです」
「不幸になる、か」
「はい。それならば、いっそ私とカミラで既成事実を作ってしまえば、王家も婚約を白紙に戻さざるを得ないのではないかと考えてしまいました」
「君たちは本当に極端だな」
「申し訳ありません」
「それでも一応は、自分たちで対処しようとしたわけか」
「浅はか極まりない考えでしたが」
「たしかにな」
アルノルトはひとつ息を吐いた。
「まあ、なんだな、私もいろいろと思い違いをしていたようだ。それについては済まなかったと思う」
「兄上?」
「ところで、カミラ嬢は、私のことが苦手だったのか」
「あ、はい。ええと、その、ディートリヒ様とよく似ていて怖いのだと言ってました」
「え?」
思わず漏れたらしいディートリヒの声に、ヴィルヘルムがしまったという顔をする。
「あ、いえ、その、ですね」
「カミラは、私が怖かったということですか」
「その、あー、はい、いえ、カミラにとって怖い存在だったということでして。その怖いというのも、ディートリヒ様に何かされたというわけではなく、あくまでカミラの勝手なイメージということでして……」
「……いえ、殿下が謝られるようなことではありません」
ヴィルヘルムが上手に言語化できないながらも代弁しようとするカミラの感情を、ディートリヒは感じ取っていたようだった。アルノルトも苦笑交じりに聞いていたが、無理に言葉を重ねようとはしなかった。
「事情はだいたい把握した。これ以上の追及はしないし、今後君たちを責めるつもりはない。報告はすべて受けたのだから、早く向こうに戻るといい。妻子が待っているのだからな」
穏やかな声音でアルノルトが言う。いつになく優しげな表情をする兄に、ヴィルヘルムが目を見開いた。するとアルノルトは、いつもの淡々とした表情に戻り、手元の書類に視線を落とした。
「さて、私たちは議会に提出するための書類を整えなくてはならない。君に臣籍降下を命じる、という方向で具体案を考えているところだ」
「え?」
「公爵位は憚られるので、侯爵位を考えている。だが現在滞在している直轄地を、領地として下賜できるように話をつけるつもりだ」
「兄上……」
王族が臣籍降下する際は、通常は公爵位を与えるが、今回の不祥事を考えると侯爵位は妥当な処遇だろう。ヴィルヘルムもそれを理解した。
「……ありがとうございます。過分な待遇だと思います」
ヴィルヘルムは泣き顔混じりの笑顔を浮かべる。そして深く一礼し、執務室を後にした。
しばらく室内は静まりかえっていたが、やがてアルノルトがディートリヒに視線を向けた。
「私は、ずいぶんと見方が偏っていたようだな。二人に対しての考えを、完全に改めなくてはならないようだ」
「はい、そのようです。といっても、気持ちの整理はまったくできていないのですが」
「それは私も同様だ。存外に自分は凝り固まった考えをしていたようだ」
兄二人は、それぞれの弟妹を思い浮かべて苦笑する。
一区切りついたと判断したのか、テオバルトが人の悪そうな笑みを浮かべた。
「ところで殿下。殿下の命で、私はヴィルヘルム殿下とカミラ嬢が親密になるように図っていたわけだが、なんとも無駄だったようだな」
「そうだったな」
アルノルトはそっぽを向く。すると茶器を回収していたモーリッツが、ぽろっと口を滑らせた。
「仕方ないですよ。殿下は色恋沙汰が苦手ですから」
「なんだと」
「あ、いえ、私もぜんっぜんお二方については気付いていませんでした、はい」
睨まれたモーリッツは、慌てて片付け作業に熱中した。
「私もまったく気がついてませんでしたよ。妹に関心がなかったというのは言い訳にしかなりませんが」
ぼそりとディートリヒが自嘲気味に言うと、アルノルトがふっと息を吐いた。空気がまた重くなりかける様子に、テオバルトが明るい声で割って入る。
「そういえば、先ほどのヴィルヘルム殿下への説明で、ディートリヒとフロレンティーネ嬢との見合いの経緯を、詳しく話す必要はあったのかなあ?」
ディートリヒが「確かに」と小さく零す。いくらでも省略のしようがあったというのに、妙に詳しく話していたと気づいたらしい。モーリッツは視線を書類に落として笑いを誤魔化した。
「いや、そこは重要だろ」
アルノルトは妙に生真面目な表情を作る。それから、にやりと口の端をあげたのだった。




