第9羽 とっておかなくちゃ
過ごしやすい平地に位置し、都にも近い里。都の周囲に出来る衛星のような里のひとつであり、都への通り道。人々の往来で賑わう大通りも、今日は閑散としていて人の姿がほぼない。
動いている人の姿が。
通りには食い散らかされた残骸。白黒のアヤカシの死骸もある。
風は何事も無いかのように優しく吹く、穏やかな陽気の午後。
「はぁ……はぁ……」
穴のあいた屋根にカビの匂い、バニラは掘っ建て小屋に隠れていた。
整わない呼吸を落ち着かせようと静かに、そして深く息をする。左腕の装甲は半壊。切り傷がからだの至る所にできた。傷はまだいい、この身体になってから傷の治りが早い。
死が迫っている。死んだらオシマイだ。心のどこかで死んでもいいと思っていたあちら側でも、死の瞬間は怖かった。もう二度とあの闇を経験したくない。
じゃーどうするの? 逃げる?
弱い自分と対話する。逃げられない。論理的にも、なにより心情的に。
逃げたら、逃げたらヒーローが廃る。
剣風で、倒壊する小屋から飛び出す。まだ足が動く、足が動くうちは、かわすことが出来る。しかし時間の問題。こっちに来たときに肉体に起きた変化と『変身』による影響で体力が増しているとはいえ、元々は運動音痴な自分。むしろここまでよく頑張ったほうだ。
「ほらこっちこいよ」
アヤカシが何度目かの言葉を発した。どうやら幻聴ではないらしい。
あの、里で見たのと瓜二つのアヤカシが人を食っていた。なんとか斃したのも束の間、襲ってきたアヤカシはまたも同じ姿形。
こんなことは初めてだった。資料でみせてもらったアヤカシはそれぞれ違う姿をしていた。複数で同じ姿をしているアヤカシなど聞いたことも無い。
バニラは思い切って声をかけた。
「なんなのよアンタ」
アヤカシが腕を組むような仕草をするが、腕が長すぎて重ねる形になる。何かを考えているのか、考えるような知性がこの個体にはあるのか、少しの間があく。
「なんなんだろーな」
ふざけているのか、おどけているのか、刃のような腕を左右に広げてアヤカシは言う。
「オマエの運命は決まった、エサだ。オレサマが食べてやる」
『逃げてるだけじゃ解決しないこともある』信じたヒーローの言葉。姿と力を模倣した英雄の台詞を、意識の底から浮上させる。家の中に隠れた人もいるだろう。逃げ遅れた人もいるだろう。自分が勝たなければ犠牲になってしまう。それはヒーローとして認められない。
「ライトニングブレードッ!」
突進から、逆袈裟に振りぬこうとする腕を、手甲から発生させた稲妻の剣で押さえつける。防ぎはしたが、勢いは止めきれず後方に飛ばされる。
もし彼女等の闘いを安全なところから見ていた者が居たとしたら、同じ攻防が繰り返されることに飽きる頃合だろう。怪物が少女をすり減らし、少女が距離をとり、怪物がつめる。
攻守が入れ替わることはない。“起こり”を制せられている。
少女がいくら精神を律っしようと、埋められない実力差があった。このまま削りきれば怪物、アヤカシの勝利は間違いなかった。
「――あきた」
アヤカシの言葉をバニラはいまいち飲み込めなかった。秋田? アキタ? 人の名前だろうか、あの里の少女も地名じみた名前をしていた。
アカヤシは動きを止めている。それを見て「飽きた」のだと理解することができた。しかしどうする。安堵より混乱が勝る。これ以上闘いたくはなかったが野放しには出来ない。かといってエネルギーは残り少なく、勝機は薄い。
防衛を続けるという安定は失われた。
さっきまで考えずにすんでいたことが、まるで幸福であったかのように不安が押し寄せる。
ヒーローとしての矜持は闘えと云っている。しかし理性の皮をかぶった恐怖が、いったん引いてチャンスを待つべきだと進言する。
板ばさみになったバニラは結論を出せずにいた。
アヤカシのほうから逃げてくれればいい。そのときは仕方なく見過ごす。追い掛けたいけど、追いかけられなかったというポーズだけはする。
おぼろげながらそういう計算を始めた、その時。
「ふーしゅるるるるる」
それまでの言葉とは違い、言語的意味の無い音がアヤカシの口から漏れ出す。
もしアヤカシが攻撃を再開するのならば、今こそが最後のチャンスかもしれない。そう理解しながらもバニラは動けないでいた。
アヤカシが左腕で、自身の右腕を切断する。肘からさきが、ぼてっと落下した。
「――――?!」
え? 何? どういう事?
直後、混乱は恐怖で押しつぶされる。
斬りおとされた腕は脈をうち、ひとりでに暴れだす。うちあげられた魚がびちびち跳ねるような異様。高く跳ねたあと地面に突き刺さると、切断面から血と肉が噴出。
腕から身体が生えていた。腕を切断した“本体”も再生を完了している。
その光景に――ああそうか、それで。と瓜二つの姿だったアヤカシの謎が氷解する。
分身は何が気に入らないのか、それともそういう性質の持ち主なのか、いきなり壁を切り刻む。すぐわきにある民家の壁だ。
「キシュアアアアアアア」
いつかきいた声だ。そう思おうとした。
心の声は真実を少しだけ捻じ曲げた。いつかと呼べる程過去ではない、遠い昔のことのように想いたがっているが最近のことだ。
自分の能力が人を殺し、そして逃げ出した。その罪の意識はバニラの心の中で見えないしこりのようになっていた。
分身の攻撃に驚いたのだろうか、付近の住民が家から飛び出した。まだ幼い兄妹。
兄が妹の手を引きながら走る。妹も涙を浮かべながら兄の手をしっかり握って、まだ長くない足を回した。
「キシュアァァァ」
分身が笑う。
本体が嗤う。
人を遥かに上回る速度で分身が、兄妹の前方に躍り出る。
驚き、反転した先には本体が回りこむ。
「まって!」
本体は腕を振るう。
――アヤカシは見ている。
妹をかばって前に出た兄の、首が落ちる。
絶望にうちひしがれた女の顔。闘うために動き出した足は再び、止まってしまう。
「ははっ、あはははははっはっーはっはっ」
声をあげて激しく泣き出す残された妹。その慟哭を聞いて本体は笑い出す。分身はよだれをたらしている。
「くそ」
「おっと、お前はそのまま動くな、そうだ、やっといい顔になったな。動いたら残り一匹も死ぬぞ」
そうだ、このあとはもう一匹も殺して、さらに惨めになった女を、分身と二人がかりでいたぶって殺そう。そうだ。出来る、見えるぞ未来が。やっぱりこっちにして正解だったな。
戦意喪失した腕を切り取ろう、足を裂こう。最後はどんな顔をしているのだろう。あーだめだめ、そこまで見たら。
おたのしみはとっておかなくちゃ。
次回予告
心は砕けた。白い灰となり、黒い炭となっていた。
無限の熱量が灰と炭を溶かしたとき、
剣と羽が出会うとき。
今がその時、その時が今。
第10羽「狼煙火」
天を切り裂き。世界を燃やせ。お前の名は