第7羽 報い
「――変身ッ!」
変わる。剣を扱えない己ではなくなる。母を奪われる無力な自分ではなくなる。
ライガーの確信は裏切られる。
炎が吹き上がる。
火の大蛇が剣を喰らい、炎の津波で溺死した。鋼の魔王は血を鉄に化え、白く煮えたぎる鉄が、血管を焦がしながら全身を駆け巡る。
熱いという言葉では到底足りぬ地獄。ライガーは何よりも早く死を意識した。死んだ、これが終わり。並々ならぬ覚悟のある者ならば、奇跡的に地獄に逆らうという発想が生まれたかもしれない。しかしライガーはそうではない。易々と死を受け入れた。脳が何か意味のあることを考えることはしなかった。そんなことをすればたちまち発狂する。死を受け入れることだけが、人間としての尊厳。
次に出来たのは、熱と痛みを知覚すること。
もう形のない声帯が自我を押し殺そうと叫ぶ。
まだ死んでない、何故か生きている。そんなことを考えることが出来たのは、永久に感じるほどの苦しみの先。
溶けた剣と俺の区別がつかない。もう死んでいる。俺は死んでいる。なのに熱い。痛い、苦しい。重い。痛い。熱い。たすけて。誰か助けてくれ。こんなのは聞いてない、なんだこれは。俺はどうなっているんだ? 殺してくれ。誰か早く止めてくれ。みんなひどいよ、どうして俺がこんなめに遭わなけりゃいけないだ。やめてくれ。痛い。苦しい。呼吸が、理不尽。どうして? 母さん。
……変身? 変身ってなんだ? 俺はなにになったというんだ? これじゃ何も持てない、ああ剣。あのバカ剣はどうなった? ああそうだ、溶けたんだったな、どこだ? 膝のあたりの黒いのがそうか? いや違う、これは俺の腕か。
……炎に包まれた影がもがき苦しんでいる。断末魔の悲鳴を上げながら踊り狂った影は、うずくまり動かなくなった。フクオカが悲鳴をあげる。ガーベラがバニラに詰め寄ったあと、里の皆に助けを呼びにいった。
バニラは夢を見ていた――。
ないはずの道が開けた夢を。人々と、あのころの自分を救う夢を。誰かと夢を分かち合う喜びを、夢見ていた。
失った希望を、取り戻す夢を、見ていた――。
「そんな、あたし、そんなつもりじゃ……」
逃げ出した。
後ろも見ずに逃げ出した。
騎士も慌てて後を追いかけた。
ライガーが鎮火したのは、それからしばらくして。目覚めたのは三日後の夜中。不思議と火傷のあとはなく、それどころか衣類すら元のままだ。
布団で寝かされていた。上体を起こして床の間を見る。無愛想な甲冑の横に剣がおいてある。その柄尻には宝玉。
「うわああああああーーーーーー」
「おちつけ、ライガー。もう大丈夫だ」
「そうよ、あの悪女はもう帰ったわ。ほらもう大丈夫よ」
家に居た、父と妹が声をきいて起きた。妹から抱きしめられ、頭を撫でられる。
「ほら、いいこいいこ。もう大丈夫よ」
妹が帰宅し、すぐに兄を連れて戻ってきた。ライガーが落ち着きを取り戻したのはさらに半刻後のことだった。
……――場所は応接室。
黒い革のソファにだらしなくもたれている。
重い着物は床に脱ぎ捨てたままだ。
髪は緑がかった白。どうせなら天然パーマもストレートになったらよかったのに。こっちに来たときはそんなことを考えていた。今は来たことを後悔している。
「はぁ」
何度目かわからないため息をつく。テーブルの上に置かれたグラスを呷る。酒は呑めないので水だ。こんなことだったらティナの勧めるようにお酒をもらっておくんだった。バニラの思考はループしている。それは自身でも自覚していた。こんなことをしている場合じゃない、満足に仕事をしない他の大名達に変わって私が働きゃなきゃいけない、違う。それより先に謝りに行かなきゃいけない。
どんな顔して行けばいいの?
なんでこんなことになってしまったの。どうすればよかったの。どうしたらいいの? これから。
繰り返される思考の中でバニラは思い返していた――。
死んだ。訳もわからず死んだと思った。でも続きがあった。
木造っぽい広い部屋。部屋の色は木の色以外は赤や金が目立つ。建築物に詳しいわけではないけど、多分豪華な装飾なのだろう。
こちらを無遠慮にジロジロみてはニヤニヤしたり、しきりに周囲と話す人達。怖いのは死んだことでも、知らない場所にいることでも、人々の見慣れぬ服装でもなく、言葉がわからないこと。
最初は、早口すぎて聞き取れないだけかと思った。でも違う。耳をそばだてるほどわかる、言語が違う。日本語でも英語でもない、イントネーションの雰囲気からして中国語やロシア語でもない、まったく知らない。これまでの人生で一度も聞いたことのない言語だ。
遠い、遠すぎる場所、きっとあの世だ。天国か地獄かはわからないけど、ここは怖いところだ。
そうして震えてていると一人の女の人が部屋に入ってきて、まっすぐ私の前まできた。
「誰が来たかと思えば、石井さんか」
「え? 誰?」
本当は日本語話せるの? って聞きたかった。
でも誰? って尋ねてしまった。
「少し色は変わったかもしれないけど、骨格やつくりは変わってないはずよ、石井さんと同じでね」
そういう彼女の顔は確かにみたことがある。しかし彼女の表情は初めて見るものだった、髪の色が赤だなんてささいなこと、彼女のはにかんだような、自信に満ちた表情は以前との印象を一変させていた。
「勢力さん?」
「あーごめん、今はで汀菜通してるの、変な名前で恥ずかしいかもしれないけど、ティナって呼んでくれる?」
「そんな! 恥ずかしくなんてないよ。私は可愛いと思うよティナって。なんだかお姫様っぽいっていうか。私の、羽虹良のほうがよっぽど変だよ」
私がそう言うとティナはまた笑った。あちら側で向けられてきた笑いじゃない。包み込むような、照れたような、暖かい笑顔で。
「たぶんね、大丈夫だと思うよ。バニラで」
確かにバニラは全く問題じゃなかった。むしろイシイの方が奇妙らしく、私もティナ同様に下の名前で通すことにした。
二週間ほど彼女との共同生活を行った。
ティナは私にこちら側のことを、あらかた教えると御役御免になったそうで“国”に帰った。
今年召喚された私も来年は同じ役回りという訳だ。
平安? 江戸時代? よく解らないけど中世の日本みたいな文明なのはわかった。文明というか家とか服が。あーそういえば、起きた部屋に居た人達が陰陽師っぽかった。昔流行ったんだよね、陰陽師。
ティナはなんであんな顔が出来たのだろう。そりゃ名前でイジられることがないのは嬉しいけど、こっちはあいつらも来ているのに。凄い異能でも授かったのかな? 私の変化はどうなんだろう? こっちの言葉はヴァジネーターの『言語理解』で勉強せずともなんとかなった。便利だけど本業の方はどうなんだろう。テレビのヴァジネーターのように強いのかな? でも、それ以上にアヤカシが強かったらどうしよう?
不安の中で出来ることをしてきたつもり、やりたくもない役目を与えられて大変だったけど、あちら側にいた時より真っ当に生きてきたつもり、それこそ姿を借りた正義のヒーローに対して、恥ずかしくないように頑張ってきた。
彼に、ライガーに出会えたのは本当に嬉しかった。救世主かもしないって思った。イジメられて、たいした青春も送れなくて、わけのわからぬまま死んで、それでも頑張ってる私に、ようやく救いの手が現れたと思った。
でも違った。彼はゴルラシフ帝国の犠牲者で、私はそこの悪の科学者だった。
わたしのせいで彼を死なせてしまった。
次回予告
男は自らを鍛え上げ、自らを試す。
憧れに手を伸ばしたことは卑怯な選択だったのだろうか?
思考はループし、自らを罰し牢に閉じ込める。
炎の恐怖は心まで焼き尽くし、残ったものは白い灰のみ。
白い灰は白い思考で思い立つ。
第8羽「兜割り」
力が己を弱くする。