〔怖-fu〕① 滅裂
母親失格だ。息子の死に、二日も気付かなかったのだから。
“彼”は大学を卒業して社会に出たが、三年後には徐々に無断欠勤が多くなり、ついには仕事を辞め、部屋に引き篭もってしまった。
単なる一過性のもの。勤めた会社があの子の肌に合わなかっただけ。そのうち新しい仕事が見つかるだろうから、今は彼の気が済むまで休養を取らせてみよう。
そんな楽観を今では悔いてならない。もっと親らしく彼の尻を叩き、罵声を浴びせられようとも、邪魔に思われようとも、煙たがられ恨まれようとも、彼を再就職の道に追い立てておくべきだった。
夫もまた悔いているようだった。父として、大人として、何十年も生きてきた先人として、彼に何らかの言葉を贈るべきだったのだと嘆いていた。口下手で優しい夫には酷なことだと私は思わざるを得なかった。
息子は自室で亡くなった。死因は高脂血症による心不全と診断された。仕事を辞め、引き篭もっていた四年の間に、あんなに華奢だった彼は見る影もないほど肥え太ってしまっていたのだ。
一年、いやそれ以上も見ていなかった彼の部屋は異臭が立ち込めていた。彼の死臭に紛れて、それまでの怠惰な生活臭が染みついていた。何より目を瞠ったのは、その内装だった。まるで彼の頭の中に迷い込んでしまったような異空間と化していた。
これは息子じゃない。息子の部屋じゃない。彼はもっと真面目で、物事を誠実に汲み取れる現実主義者だ。否定の言葉が無造作に頭の中に浮かび上がるが、しばらくして心を落ち着かせてみると自らの無知について思い知らされた。
これが息子。これこそが本当の息子の姿で、彼の頭の中。私は、私達夫婦は、彼のことをまるで何一つ知らない大マヌケだったのである。
こんな私達を憎むように、もしくは嘲けるように、昨日から彼の部屋で物音が聞こえる。彼がその巨体を揺り動かして狭い部屋をのそのそと歩き回るような衣擦れの音、PCのキーボードを忙しなく乱暴に叩くような音、そして終いには、呻き声。
あれはきっと嘆きだ。この世への未練を捨て切れない、息子の魂の嘆きだ。
もう葬儀は済ませたというのに、あの子は未だに成仏できないでいる。
私は彼の部屋に座り込むと、床に額を擦りつけて詫びた。
ごめんなさい、アナタを支えられなかったダメな母親で申し訳ないと。
彼の嘆きで揺さぶられる部屋の鼓動が絶えるまで、何度も、何度も……。
「ちっげーよ! そんなんどーでもいいから、さっさとそこ退けよ! リィーノちゃんが見えねぇだろうがっ!!」
俺の叫びにババアは耳を貸さず、ヒステリックに、あるいは子供のように泣きじゃくっては、愛しのリィーノちゃんのフィギュア(八分の一スケール)の前から退こうとしない。
マジふざけやがって。俺がどんだけ苦労してその限定フィギュアを手に入れたと思ってんだ。どんだけ大金叩いたと思ってんだ。つーかフィギュアじゃねぇし、もはや御神体だし。リィーノちゃんが顕現した姿だし。
リィーノちゃんを知らないお前らにリィーノちゃんの素晴らしさを語ってやる。リィーノちゃんはトラディウス帝国の馬丁だ。馬丁というのは今で言う厩務員、つまり馬の世話をしたり、馬を引いたりする人のことだ。優秀でカワイイ彼女は広大な領土を保有するトラディウス帝国にも一頭しかいないユニコーンの世話を任されている。ユニコーンは気性が荒く人を選ぶ。しかしリィーノちゃんには懐いているんだ。それがどれだけ凄いことかお前らには分からないだろうな。俺は分かるけど。
そう、俺の女神で嫁のリィーノちゃんは他の女共とは一線を画している。三次元のクソ女共とは特にだ。そんな連中の顔色を伺って、つきもしない格好をつけて無様にも自ら望んでATMになる男共の馬鹿さ加減には辟易するってもんだ。
特に会社のクズ共。アイツらはダメだ。死神のノートが手元にあったらまとめてあの世送りにしているところだ。何せ連中はリィーノちゃんを愚弄した。たまたまデスクに放置していた俺のスマートフォンを勝手に触って、リィーノちゃんの画像を見つけると馬鹿にしやがったんだ。俺だけじゃなく、リィーノちゃんまでも。許せねぇ、ぶっ殺してやろうかと思ったぜ、マ・ジ・で。
でもそうしなかったのは、俺が利口だからだ。何よりリィーノちゃんを悲しませるような真似は絶対にしない。俺は紳士でもあるからな。
だから仕事を辞めて、部屋でずっと彼女と一緒にいると決めたんだ。彼女をすぐ傍で守ると決めたんだ。
でも、俺は彼女を守りきれなかったらしい。これはきっと、帝国を襲ったアレスの仕業に違いない。リィーノちゃんの騎士たる俺の存在が邪魔だったんだ。
くそっ。ババア、早くそこを退け! 俺はリィーノちゃんをアレスの魔の手から救い出さなくちゃならないんだ。それともババア、お前も俺からリィーノちゃんを取り上げようってのか? 貴様もアレスの回し者か、あの会社のクソ上司のように。
野郎は言った。俺のスマホを覗き見た悪魔共を窘めつつ、『お前もそんなものに現を抜かしているから成績が伸びないんじゃないのか』なんてほざきやがる。
許せねぇ。許せねぇ。許せねぇ。
連中は必ず俺がブチ殺してやる。生き返って、呪い殺してやる。
リィーノちゃんは、俺が守るんだ。俺しか、彼女を守れないんだから。




