〔彼-hi〕⑤ 心の内
「まずは上司を呼べ。然るべきところへ訴える前に、お前の言う〈天界送迎センター〉とやらが真っ当な会社かどうか判断させてもらう」
ミチヒデは舌の滑りが異様に悪い関西弁少女からハリセンを取り上げると、彼女を正座させてそうまくし立てていた。
対する少女はオーバーな身振り手振りで、「ひゃぁー怖いわぁ」と悪びれもしない。
「これが今の〈顕界〉社会に蔓延っとると噂のモンスタークレーマーかいな。かぁー、世知辛い世の中になったもんやでホンマ」
「は? けんかい? 現代だろうが、また噛んでんのか」
少女はにやりと口角を上げると、「これやからご新規さんは」と肩をすくめた。
「何だその態度は。っていうか早く上司呼べ」
「自分こそ、そないな態度取れんのも今の内やで。〈死界〉のルール上、ご新規さんには優しく接するよう定められとるけど、そのうち私に足向けて寝られへんようになるから、その辺考えて喋ったほうがエエで」
「しかいって何だ。さっきからお前、ワケの分からん……!?」
ミチヒデは気付いてしまった。途端、空中の見えない足場で足を引いて、彼女から目を逸らした。
何事かと少女が小首をかしげると、彼はまた一歩退いた。立ち上がり距離を縮めるも、さらに後退された。
「何よ」
「いや……」
最初からおかしいと思ったんだ。ミチヒデは遠慮がちに彼女を一瞥してから独白した。
自分と歳も変わらないような女の子がバスガイドのコスプレをして現れた時点で違和感はあった。さらに手にはハリセンを持ち、意味不明な単語を並べ立てているから尚更だ。ここが死後の世界だということに疑いの余地はないが、彼女の言動はあまりに常軌を逸している。
マズい。かなりマズい女に引っかかってしまった。死後の世界、ハンパなく怖い。
「何や心外なこと言われた気がするんやけど」
ギクリと肩を震わせたミチヒデはろくに目を合わせず、ハリセンを彼女に抛り返した。ここから逃げ出したい気持ちを目一杯押さえ込んで、平静を装いながら彼女に言った。決して彼女の、いや彼女達の逆鱗に触れないように。
「お、お節介はありがたいんだが、オレには今から行くところがあるんだ。勧誘ならまた今度にしてくれ」
「勧誘?」
「いやいやっ、アナタ方の信仰心を侮辱しているんじゃないんですよ。そういうのはさ、ほら、人それぞれだし。つまるところ、その人それぞれはオレにも適用されるわけで、何よりこの国の法律上、信仰の自由が認められているからさ……」
「自分、関西弁ちゃうんやねぇ? 関東の子? シティーボォーイ?」
少年の過剰な警戒心をよそに、珍妙なアクセントをつけて彼女は問う。少年は変化球に釣られて、バットを振ってしまった。
「え、いや、オレは、うん。中一まで東京に住んでたから、今更関西弁なんて使えない」
「苦労したんちゃうの?」
「苦労って、まぁ。でも、今は全く……」
少女は少年の瞳をじっと見つめた。生固いそれは揺れもせず、対照的に泳ぎ続ける彼の双眸のさらに奥に潜む何かを穿っているようだった。
「何だよ……?」
「誤解があるみたいやから言うとくで。私は別に勧誘してんちゃうねん。ただアンタを、〈天界〉に連れて行きたいだけやねん。ココは、危険やから」
「だからその単語が分からないんだよ。何言ってんだ、っていうかオレにはもう関わらないでくれ!」
逃げるように踵を返す彼の手を取り、少女は言った。
「分かった。一つずつ説明したるから待ちぃ。その代わり、郷には郷のルールっちゅうのがあることも理解してや」
ミチヒデは彼女と正対し、視線を交わらせた。彼女は彼から離した手をそのまま自分の胸に当てた。
「私は神野ハナ。天界……つまり天国、彼岸とも言うな、そこにある会社〈天界送迎センター〉のガイドやってます。ふぁっちゅあねいむ?」
「……オレは古城ミチヒデ。高二。昨日、死んだ」
フムフムと彼女は胸ポケットに入れていたらしいメモ帳に何やら記入した。
「まずはアンタが昨日まで生きとった世界のことからにしよか」
ミチヒデの表情に影が差したが、ハナは構わず続けた。死を突きつけられた者はこうして暗い顔をするのがほとんどで、それを一々気にかけるのは時間の無駄だった。
「足元に見える世界は〈顕界〉。現世、うつしよ、この世、下界、此岸、顕世なんて言われとる世界。生きとし生けるものの世界やね」
「生きとし、生ける……」
「そしてここは、〈天顕疆界〉。その名のとおり、天界と顕界の狭間の世界、空間やね。傍から見れば顕界におるようやけど、視覚的に重複しているだけの別次元、同一時間軸上に存在する平行世界」
「よく分からないんだが……」
「んー」
白手袋をはめた人差し指を下唇に押し当て、彼女は少しばかり思案した。視線を巡らすと、天を仰いで太陽を指差した。
「ねぇ、暑い?」
「いいや」
「んじゃあね」と次はテニスコートの周囲に植えられた木々を指し、「風、感じる?」ミチヒデはもう一度首を横に振った。しかし木の葉は揺らめいている。
「それはな、生物から死物になったからやない。肉体を失って、魂だけの存在になったからともちゃう。肉体から魂が離れたことで、魂が別次元の空間に移動したからやねん」
「死んだ瞬間に、タイムトラベルでもしたってことか」
「時間移動やない、どちらかと言えばワープとかテレポーテーションとか言う空間移動や。そもそもこんな問答が起きてまうのは、こうして見える風景に問題があるからやね。だってそうやろ、この天顕疆界がこんな透明な空間で、顕界の様子を映してさえなかったら、ミチヒデ君も悩んだりはせんかったやろうし」
「透明って、どういうことだ」
ハナは歩き出した。一段一段、階段を下りるようにして高度を下げ、あの渡り廊下に足をかけた。だが、彼女は着地せず、爪先から順に廊下の中へそのか細い身体を溶け込ませていった。目を瞠るミチヒデを嘲笑うかのように、ハナは廊下に生首だけを残して呼びかけた。
「こんなことができるんは、見えてるもんがここに存在せぇへんからや。この天顕疆界に障害物が無くて、私らが顕界とちゃう場所におるからや。その証拠に、私はアンタの手を取ることもできたし、ハリセンでド突くこともできたやろ?」
「確かにそうかもしれなけど、じゃあ皆はどうしてオレが見えないんだ。オレ達はこうして見えているのに、向こうは何で……」
「生きているとき、何で世界を見ることができるか知ってる?」
物理的な質問を返されたミチヒデは戸惑いつつも、「目が、光を感じているから?」と答えた。正解やと彼女は頷くと、「じゃあその光って何?」
「えっと、粒子か」
「それと波、波動や。加えて人が感知できる光を可視光て言う」
顔を擡げるミチヒデの唇が動く前に、ハナは続けた。
「詳しい話は後にするけど、アンタの質問に答えるとすれば、私らは可視光以外の生物の目には見えない電磁波を放っとる。そんで私らは、生きてたときとは異なった波動を感受して周囲を認識しとる。死んだもんはみんなそうや」
「つまり音は聞こえるけど熱は感じないとかってのは……」
「簡単に言えば、互いに感じ取れるもんが違うってこっちゃな」
ミチヒデは立ち尽くしてしまった。彼女が言っている意味はギリギリだが分かる。しかしあまりに現実離れしていて、意識が追いついてこない。
とどのつまり、死んだことで全てが変わったのだ。人間でも、生物でさえもなくなったことで、感覚器官が変わってしまったのだ。いや肉体がないのだから感覚器官などないのだろう。常識が根底から崩され、新たに全く別のものへと変異したということなのだろう。
自分はもう、人の目で感じ取れる存在ではなくなった。顕界の誰も自分を認識できず、同じ死人であるらしいこの少女だけがその姿を認識してくれている。
沈黙の間、ミチヒデは妙なざわめきを胸に覚えた。何かが引っかかっているのだ。とても重要な情報を見落としている気がした。
ふと俯けていた顔を戻すとハナが渡り廊下から戻ってきていた。彼女はミチヒデの瞳を覗くと、一つ瞬きしてから問う。
「ここまで、大丈夫?」
「あ、あぁ」
「正直な話な、こういう説明もこんなところでしたくないんが本音やねん」
ハナは先程から本当に嫌がっているような顔をしている。溜め息さえも漏らし、この場に長居したくないような素振りを隠そうともしない。
「どうして?」
「天顕疆界は危険やって話、したやんな?」
「あぁ。でも、何が危険なんだ。夜通しココにいたけど、何もなかったぞ」
空中の歩き方が分からず、身動きを取れなかったとはおくびにも出さなかった。
「死界では、この天顕疆界を“最後の試練場”て言うてる」
「試練?」
「私や、他のガイドが一番恐れとるのは、アンタみたいにココに出現した魂が未練を覚えてまうことや」
ハナの強い視線に、ミチヒデは背筋を粟立たせた。もはや肉体は失っているというのに、どうしても全身が嫌な汗を掻いたような感覚に襲われる。
「未練を覚える原因は見てのとおり、顕界の様子をこうして目の当たりにできてまうからや。事故や事件、病気、そういったもんで突然死んだ人は大抵自分の死を受け入れられへんから、生への執着を捨て切れへん」
「当然だ。余命宣告されたとしても、本心から死を受け入れらる人間なんてほとんどいないだろ」
「まぁ、当然かもやねんけど、それがこの死界では厄介やねん」
首を傾げる彼から距離を取り、ハナは足元の顕界に目を向けた。渡り廊下に用務員のオジサンが現れて、ミチヒデの死亡現場に花束を供えていた。膝をつき、手を合わせる彼の姿を眼下に見るミチヒデに、「未練は、私ら魂の在り方を変えるんや」と呟くように言った。この空間に障害物がないからか、二人きりだからか、その声ははっきりと届いていた。
「その状態を私らは、〈霊〉て言うてる。幽霊、お化け、ゴースト。淳二さんが大好きな、アレや」
「幽霊……って、はぁ? それって、今のオレ達のことだろう」
「ちゃうよ。私らはただの魂、ただの死物。アンタは生前に善良やったから天顕疆界におる普通の魂で、死物。そして私は天界に身を置いたただの魂で、死物や」
「未練で変わった魂が、霊……?」
「顕界で得た常識は捨ててな。ついでにこれからする話で未練も捨ててくれたら嬉しいんやけど」
出逢った当初の彼女の様子とは一転し、ひどく真面目に思えた。きっと、勘違いではないのだろう。ミチヒデを見る目が酷く冷たいのだ、まるで汚いものに向ける軽蔑の眼差しのように。
「生への未練、顕界への執着、そういったもんが積もりに積もると、私ら魂はその姿を変えてまう。さらに、次元まで飛び越えて、顕界に舞い戻ってまう。それが、霊や」
「怪談話のあの霊って、そういう連中だったってことか……!?」
「そう。霊は顕界に悪影響しか与えへん難儀な存在や。分かりやすく言えば祟り、ポルターガイスト、霊障やね」
「誰もいないのに物が勝手に動いたり、声が聞こえたりする、アレか」
「あとは憑依。アレは生物の精神を狂わせる、最も卑劣な行為や」
ミチヒデはテレビ番組の心霊特集を思い浮かべていた。とりわけ信心深いというわけでもないのだが、父が面白がってよく観ていたのだ。
霊能力者と自称する人が、霊に悩まされているという人から除霊すると言って、祈祷や祝詞を上げ、その反作用なのか憑かれているらしい人が絶叫し、悶え苦しむのだ。霊能力者は憑かれた人の中にいるらしい霊に、出ていけだなんだと命令する。霊なるものは憑かれた人の口を借りてそれを断る。霊能力者は再び祝詞やら道具を使って霊を苦しめ、見事霊を追い出すか成仏させるのだ。全てが終わると憑かれた人は肩の荷やら胸の痞えやらがとれたような清々しい顔で霊能力者にお礼を告げ、一件落着となる。
「あんなもん、全部狂言だと思ってた」とミチヒデは今でも信じられないといった顔で正直に言った。
「その認識は正しいで。私も色々見てきたけど、ホンマにとり憑かれて人なんてそうそうおらんし、それを除霊できる人なんてもっとおらん。まぁ、昔アン〇リーバ〇ーに出てた人にはホンマもんがチラホラおったけど」
「マジでか」
TさんとかSさんとかIさんとか。淳二はそこそこやね。
ハナは楽しそうに話したのも束の間、またあの刺々しい雰囲気に戻った。
「魂が霊になることを、〈霊落〉って言う。一度霊落した魂は二度と元に戻れへん。そして霊落の最大のリスクは、見つけ次第〈獄界〉送りにされることや」
「地獄のことか?」
「そうや。獄界は酷いって話や、痛みと苦しみだけが延々と魂を蝕む言うてな」
ミチヒデの喉が上下した。肉体を失っても尚、そのような生理的反応がなされるのは、彼の魂に生前のあらゆる記憶が刻み込まれているからだ。
「地球の外側に宇宙があるように、天顕疆界の外側には天界がある。そして地球に重力があるように、天界にも重力がある。天顕疆界におる魂は普通、その重力に従って上へ上へ向かうもんや。でもな、顕界を視覚的に認識できてまうから、重力に反発して顕界にしがみつこうとする。その未練が魂を霊落させるんや。つまり、このままここにおって、生きてる人らを眺めとったら、死んだことを認められずに落魄れてまう」
せやから、行こう。天界へ。
ハナは手を差し伸べた。それはきっと、救いの手だ。彼女は仕事を通して、本心からミチヒデを助けようとしているのだ。昨日、来宮が咄嗟に差し出してくれた、あの優しい手と同じだ。
彼にもその程度のことは解った。
「またここに戻って来られるのか」
「まぁ、できんことはないで。私みたいに試験パスして天界送迎センターのガイドになればいつでも来られる」
「倍率は低いのか、誰にでもなれるのか」
「ゲキ高、チョー難関やね。そうやなくても〈守護イベント〉言うてお盆の時期や命日なんかには、私らの付き添いで戻って来られるで。結構な大金と覚悟が必要やけど」
「その金を稼ぐのにどれだけ時間がかかる」
「顕界と同じで職種によって年収ちゃうけど、少なくとも一年はかかるんちゃ――」
「だったら行かない。そんなに待てるか」
言葉をさえぎるミチヒデの目を見て、ハナは首を縦に振った。
「解ってる、最初から。それでも私は連れてくで」
「オレにはやることがあるんだ」
「復讐はアカン。それだけは絶対にさせへん」
ハナは看破していた。この少年が従順な死人ではないことは、面と向かって出逢う前から把握できていた。
心の内を見透かされた少年は、もはや仮面を取り繕うことはなかった。
凄烈で、酷薄たる残虐な形相が露になっていた。




