〔怖-fu〕② 無常
天界と天顕疆界をつなぐ巨大な門を管理する会社がある。天界送迎センターだ。
社の大きな役目は、天顕疆界に出現したあらゆる魂――生物に対して〈死物〉――を天界に連れていくことだ。しかし霊落した死物は該当しない。霊は天界ではなく、獄界に連れて行かれる取り決めがあるからだ。
死界には死後歴という、死んでから経過した年数がある。天界送迎センターに入社して二〇年目の節目にある日吉ヒヨコは死後歴を同じくしている。彼女は亡くなって間もなくして入社面接を受けている。顕界では管理職になれるような歳だが、死界ではまだまだ若輩の域を出ない。社には死後歴一〇〇年を越える死人がザラにいて、社長は一四七七年――応仁の乱の終息間際――に亡くなったので死後歴五〇〇年超、会長に至ってはさらに三〇〇年以上も前、あの平清盛が政権を握っていた時代に亡くなったとされている。
今や天界送迎センターは天界の権力を牛耳っていると言っても過言ではない。しかしそれを咎められることも疎まれることもないのは、天界送迎センターが私腹を肥やすどころか真っ当に善意を尽くしているからだ。天界が世俗の欲から脱した涅槃の状態にあることも要因の一つだ。そして何よりヒヨコをはじめとしたガイドが危険を顧みず天顕疆界で働いていることを、天界にいる全ての死物が知っていることも大きな要因だろう。
天顕疆界は、“最後の試練場”と呼ばれている。善良な魂が未練の鎖を断ち切れるかどうかを試されるのだ。ガイドはそれを手助けするのである。そんな姿を見て、多くの死人はガイドを天使と称する。ガイドのほとんどが女性だからだろう。
今でさえヒヨコもその一人に数えられるほどの実績を積んでいるが、入社直後の彼女には志と呼べるようなものが何一つなかった。社員として、ガイドとして採用されるための方便か、真面目な者達は口を揃えて、『より多くの魂をお救いし、天界にお連れしたいのです』と面接官に答える中、彼女は、『どうせやることないから暇だし、肝試しだ』と据わった目で答えたのだ。
当然、面接官は何しに来たのという顔をしていたがそれも一瞬、次にはまたこの手合いかとうんざりした本音を押し隠した如才ない笑みを取り繕っていた。彼らは日本という国の気風の変化をすでに感じ取っていた。戦後、|連合国軍最高司令官総司令部《GHQ》によって法が書き換えられ、軍が撤廃されると、教育が変わり、社会のシステムも変わり、生活そのものも変わった。急速に変容、進化を重ねる昨今、若者達の意識もすっかり変わってしまっていた。
自由、権利、愛と平和。そんな抽象的なものを掲げながらも愛国心は皆無で、束縛を毛嫌いしては辛酸を舐めるほどの努力を馬鹿らしいと押し退け、楽をして楽しみだけを追及するような自己愛に溺れるばかりの者が増えてきた。それが半ば通用してしまうほど、日本があらゆる面で豊かになっている証拠とも言えたが、死んでさらに自由を得たと思い上がった若者達がこうして遊び半分に面接に来るのは厄介極まりなかった。
面接官としては、書類審査で落としてしまいたかっただろう。履歴書の証明写真欄にプリクラを貼るような、おふざけが過ぎる連中と面と向かって言葉を交わす苦労を思えばそれこそ楽というものだ。しかし会長がそれを許さなかった。“見た目ではなく魂を重視せよ”という会長の厳命が、彼らに無為な苦労を余儀なくさせていた。
さらに現実的な問題が彼らに二重苦を強いていた。危険がともなうこの仕事は、年間およそ五〇人の行方不明者、同数程度の依願退職者を出す。加えて定年により毎年一〇〇人近くが前線を離れてしまう。対して年間の採用者数は三〇人足らず。優秀な人材を求めるガイドの採用試験の難易度の高さが、生産と消費のバランスを崩壊させていた。
事情を知らないヒヨコ達に現場は憤懣に満ちていた。面接の進行役である人事部長は、天界にも学歴さえあればと唇を噛み続けていた。
コイツも不採用だ。いくら時代が変わり、かつての日本人のひたむきで真面目な気質が見られなくなったとしても、こうもやる気のない死物にかける手間も時間もありはしない。次の希望者のほうがいくらか見た目だけはいい。この女には早急にお引取り願おう……。
人事部長が欺瞞という名の笑顔の仮面をかぶり退出を促そうとすると、『いいんじゃない、正直な子じゃないか』という軽々しい会長の鶴の一声で現場は凍てついてしまった。かくして呆気なくヒヨコの面接試験合格が決まった。
次に実技試験があった。これが本当の難関で、面接合格者の九割がここで脱落するのである。試験内容は、七二時間以上天顕疆界に滞在するというものだ。
ヒヨコが受験した当初も、多くの者が一日足らずで脱落した。つまり、霊落しかけたのである。正規雇用のガイドがそんな受験者達を救い、天界へ連れ帰る中、ヒヨコは天顕疆界に三四〇時間――二週間以上も滞在するという大記録を樹立した。
彼女は未練を覚えなかったのである。
さらに当時の彼女にはまだ余力があったが、記録をあえて伸ばさなかった。死人は飲まず食わずでいられるので、そういった理由ではない。では何故か。会長が問いただすと、『飽きたから』と彼女は答えた。
面白がった会長の肝いりで彼女の入社は確実なものとなった。会社の理念も何のその、無気力で暇を持て余しているだけの彼女をよく思わない者もいた。ヒヨコはそうした面倒な人間関係に嫌気が差し、辞職を考えたのは一度や二度ではなかった。
そんな矢先、一つの魂を救った。それが彼女の在り方を一変させた。
出社して更衣室に向かう道中、彼女は先程情報屋のアカネに聞かされた話を反芻していた。結局言いくるめられて奢らされた喫茶店で、彼女は顕界で起きているある出来事について聞かされたのだ。それが死界にどれほどの影響を齎すかは現在調査中とのことだが、天顕疆界で活動するのなら注意が必要かもしれないとのことだった。
ヒヨコは同居人のことを思い浮かべた。“彼女”のことだから霊落の虞はないが、もうひと月も天顕疆界から帰っていないのは気がかりにならないわけではない。
そうなのだ、同居人の少女はヒヨコが打ち立てた記録を一〇年前に塗り替えたのだ。その記録、一二四八時間――五二日間。少女は四六時中休みなく日本各地を巡り、本州を一周してきたらしい。その間、彼女に随行していた試験官が二〇人近くも交代したという。プロのガイドでも、試験の合格ラインとも言える三日を少し越えるのが限界なのだ。
社の更衣室に入ると、夜勤明けの同僚達が私服に着替えているところだった。
「アラ、日吉ちゃん。寝坊でもした?」
先輩に当たる女性が声をかけてきた。苗字呼びでもちゃん付けをしているのは、日吉ヒヨコがかつて“無頼の鳳凰”と恐れられていた生粋の不良だったということを知らないからだろう。
「はよッス。ちょっくら野暮用で遅くなりました、サーセン」
「私達は構わないけど、アサコさんはちょっとお冠かな」
「うげぇ」
ヒヨコは自分のロッカーに手を置きつつうな垂れた。それを同僚達が笑っている。
御重永アサコは地区長の女性だ。天界送迎センターは日本国内一七〇〇超の市町村総数をさらに細かく分けた一万超もの支部を持つ。ヒヨコ達は大阪府の北部に属する地区の所属で、アサコはその地区の責任者だ。
「にしてもアサコさんって遅刻にウルサイですよね。天界じゃあ、出勤時刻なんてただの目安なのに」
「アンタ知らないの?」
「何がですかぁ」
「あの人は遅刻が原因で亡くなったのよ。朝、彼氏のワガママに付き合って電車を一本遅らせたの。そのせいで普段通らないような道を使ったら交通事故に遭ったんだって」
「あぁ、それでかぁ~」
皆、得心がいったようだった。生前の人生だけでなく、死の原因さえもが、魂のその後を変えてしまうことを彼女らは知っているのだ。
だが、ヒヨコはあまりいい気がしなかった。死の原因を本人のいないところでペラペラと漏らすデリカシーのなさが気に食わなかった。
いくら皆死人と言えども、他人には敬意を払うべきなのだ。特に一分一秒でも生前に人であったのなら、仁義は通すべきなのだ。
「そんじゃあまたね、日吉ちゃん。“あの子”みたいに頑張り過ぎちゃダメよ」
「うッス。つかれッス」
一人になった更衣室で、ヒヨコは制服に着替えた。鏡に自分の首筋が映り、目を逸らした。死んでも髪が伸びてくれたら。それはこの世の無常で、無理な願いだ。魂は記憶を蓄積するばかりで外見の成長を齎してくれない。生前にロングヘアーだった頃があればよかったが、生憎そんな女性的な行為をした覚えがない。興味本位で年下の男に手を出してみたこともあったが、自分には似合わないと思うと以降快楽らしいものを感じなくなって止めてしまった。
腰のベルトに木刀を差したヒヨコは、お気に入りの白いスカジャンを羽織った制服姿で、天界と天顕疆界とをつなぐ巨大な穴倉――〈至天門〉の前までやってきていた。アカネの忠告が頭を過った。
「魄を喰らう異物か。そんなモン、ホントにいるのか?」




