痛い! 後
「お前、絆創膏巻くの下手だな」
休憩室に鞄を取りに来た柏木が呆れたように小春の手を見て言った。小春はちょっと誤魔化すように笑う。
「利き手使えないと難しいんだよね」
「ん? そういえば左利きだっけ?」
「うん。いつも見てんじゃん」
「そこまで注視してないからなあ」
ちょっと傷つく。
柏木はやれやれとため息をついて立ち上がると、棚を開けて絆創膏を取り出した。
「出してみ」
「……すいませんねえ」
小春は言って大人しく左手を差し出す。
「うわ。これ結構深く切ってんじゃん。何やったんだよ」
「や。なんか水の中にガラス片が混じってて」
「ガラス片?」
柏木が眉を潜めるので、小春は慌てて言った。
「大丈夫。他にもないか食洗器の中全部確認してきたよ」
「……そうか」
柏木は少し何かを考えるようしながらも、手先は器用に消毒液で小春の傷口を洗って綺麗に絆創膏を巻く。
「そらできた」
「おおキレエだ。ありがとう」
「どういたしまして」
じゃあ行くか、と促されて小春も鞄を持ち上げて何の疑いもなくそのあとに続いたら、店を出た瞬間聞かれた。
「で? 休憩室で翔人さんが何してるトコ見たって?」
「え?」
本当に、油断していた。すっかりその件は片付いたものだと……。
「ヨガだって」
ヨの音がちょっと裏返ってしまった。
「猫のポーズ?」
「そう」
「そっかー。じゃあ、翔人さんに聞いてみようかなあ」
(じ、自分で紺ちゃん止めてくれたくせに!)
小春が非難を込めて睨むと、柏木はにやりと小春を見下ろした。
「俺、隠し事されるの嫌いなんだよね」
「へー……」
「で?」
重ねて問われても言いづらいものは言いづらい。
大体、失恋を小春の口から告げてしまうのもどうかと思うし。目の前で泣かれても困るし。いや泣かれるところなんて想像できないけど。
曖昧な笑みを浮かべてその場を乗り切ろうとしたら、にっこりと素敵に無邪気な微笑み。猫被りスマイルで再度柏木は言う。
「君が隠し事をしていた事なんて戻ってきた時点でバレバレなんだよ? 三崎さん」
「か、隠し事とかじゃ……」
「じゃあ、休憩室では何があったの?」
微笑んでいる柏木の顔が逆に恐い。
(もういいや!)
少々の気まずい思いは我慢しよう。泣かれたら泣かれたで考える。
「翔人さんが、茉莉香さんに告白してた」
「へえ~。で?」
「で、って?」
「……それだけ?」
「私が聞いたのは」
「それで、逃げ戻ってきたのか?」
「だって。人の告白だし。やっぱこう、悪いかなあ? と」
言ったら柏木は肩を竦めた。
「なんでそれをあんなひた隠しにすんのかが分からん」
「だって。茉莉香さんと翔人さん付き合っちゃうじゃん」
「……そう? まあ、それならそれでいいんじゃない? いいと思うよ?」
そのあまりにさらりとしたドライな言い方に、小春は違和感を感じる。
「本当に、そう思う?」
「俺? 別にどうでもいいけど。いいんじゃない?」
「……茉莉香さん、とられちゃうじゃん?」
柏木が不可解そうな顔で小春の顔を見る。
「何が言いたいのか本気でわからん」
「私の予測ですと、清は茉莉香さんの事が好きだということになっているのですが」
「!?」
柏木のちょっと本気で驚いた顔を見た。珍しい。
「なんでだよ」
「えーだって清好きな人いるっていってたし、茉莉香さんと私に対する態度はまったく逆で優しいし、好きな人にはすごく好きな人がいるって言ったし、茉莉香さんは翔人さんが好きって言うし……」
「え? 茉莉香さん、翔人さん好きって言ったの?」
「あ。言っちゃった。……でもどーせすぐ明らかになるからいっか」
「へえー。そうなんだ。翔人さんやったな」
「ねー。でもそれと同時に清は残念だなあって思って」
「予想だけで何故そこまで決め付けられるのかその思考回路がよくわからん」
「あ。やっぱり違ったの?」
「当然だ」
柏木は心底呆れたように小春を見下ろした。
「俺は好きなやつ相手には猫被んねー」
それに、と柏木は続ける。
「茉莉香さんに優しいのは単なる同情だ。同病相哀れむってやつだな」
「同病?」
「茉莉香さんも、色々あるから」
なんだかその言い方が、これ以上は茉莉香さんについて聞くなと言っているようで。だから、小春はその話をそれ以上聞けなかった。
代わりに、柏木に話題のスポットを当ててみる。
「でも、じゃあ清の好きな人ってどんな人なのさー? 茉莉香さんなら、美人で気立てが良いから清が好きになるのもわかるなーって思ったんだよ? そんじょそこらの女の子じゃ敵わないもん」
「でたな小春の茉莉香信仰」
「本当の事だもん。で? 好きな人は? いるんだよね?」
「何の話?」
「前言ってたもん」
「……あー。言ったかもね。忘れたまえ」
「何それー。ずるい。教えてよ」
「何でキミにそんなことを言わなきゃいけないんだね?」
清が正直に白状しないから、なんだか小春の方も意地になってくる。
ちょっと睨みつけたのだけど、柏木はどこ吹く風だ。
「なにそのむくれ顔」
「むくれてないし」
「機嫌悪いの?」
「清が教えてくれたら良くなるよー」
「……お前がそんな駄々捏ねるの珍しいね。まあ、今、いるっちゃあいるけど」
「何その煮え切らない返事―。前はすごい好きとか言ってたじゃん。まあいいや、で、どんな人?」
聞いたら柏木は困ったように小春を見た。
「難しい。難問だそれは」
「なぜ」
「一言で言い表せない」
ずきずきずきずき。
気づくと小春の胸はずっと痛んでいた。何故だかわからないけど、この話題は苦しい。でも、それでも知りたい。続けて質問しようとしたら、柏木の手が小春の顔を覆った。
「うっせーなぴーちくぱーちく。これ以上詮索すると息の根止めるぞ」
大きな右手で口を覆われている。ついでに鼻も。本当に息ができない。
小春が苦しくなってもがくと、数秒後にようやく柏木の手は外れた。ぜえぜえと肩で息をしながら、小春は恨めしげに柏木を睨み上げる。
「本当に息止まったんですけど」
絶対にSだこいつ。だって小春がもうギブギブと腕を圧し戻そうとしてもがっしりと口を覆って、放してくれなかったし。本当にやばくなるまで。
「こんくらいお仕置きしときゃあもう黙んだろ?」
「なにこの物理攻撃」
何とか息を整えて小春が言うと、柏木はにやりと意地の悪い笑いを口元に浮かべた。
「口で塞がないでやっただけでもありがたく思えよ」
「は!?」
口で? それってつまり……?
小春が思わず赤くなったのに気づいてか気づかずか、柏木は楽しそうに笑った。
「本気にしてやんのー」
「ちょっ……。なにこのタラシめ!」
「お褒めに頂き。まさか小春がタラされてくれるとは」
「うわ。なにこの自信過剰男」
「過剰ではないな。丁度自分に見合った程度の自信かと」
小春が冷えた視線を送っても堂々としたものだ。
(それにしても、あんな話逸らしたがったってコトは、禁断の愛系かな?)
別の話題に移りながら、小春は頭の中で考える。
(禁断……人妻、教師、同性)
そこまで考えてハッとなる。同性! そして茉莉香への「同病」発言。これだ!
「清! わかった!! 清の好きな人、翔人さんだ!?」
唐突に小春が言うと、柏木は一瞬面食らった顔をして、それからとても邪悪な不機嫌顔になった。
「お前これ以上その話題について喋ったら女子として屈辱的な鼻フックの刑な」
「む、無理っ」
「ヤだったら無駄に馬鹿なことばっか考えるな。ほんっと、びっくりするわ。女子の妄想力……」
柏木は本当にうんざりしたように大きくため息をついた。




