自分発見 前
(あ。絆創膏とれちゃいそう……)
花屋の仕事は水を扱う事が多いから、午前中のそれらの仕事で水を含み、乱暴に摺れたのだろう。昨日柏木が貼ってくれた絆創膏はゆるゆると頼りなく薬指に辛うじて絡まっていた。こんな状態になったのなら、とってしまうか新しい絆創膏に貼りなおすのが絶対良い。
(……まだ、いっか)
ちょっと伸ばしかけた指を閉じて、小春は仕事を続けた。今はランチタイム後の休憩時間があけたばかりのセットの時間だ。小春と入れ替わりに翔人がまかないの豚肉と茄子の味噌炒めを食べに行っている。
セットが終わって裏に戻って、グラスと拭こうと思っていたら「三崎」と低い声で声をかけられた。
「あれ? 翔人さん。お昼では?」
「今から行くところだ。……ところでお前、夜のまかないの時間、俺に合わせられるか?」
「はあ? 別に大丈夫ですけど」
ちょっといつもより遅くなってお腹が減るだけだ。
「じゃあ、そうしてくれ。話したい事がある」
翔人はどこか苦々しい、真剣な口調で言って休憩室へと去っていった。
(……盗み聞き、バレたかな?)
翔人の背を見送りながら、小春は内心で小さく舌をぺろりと出した。
「お前、常連の女に今日が俺の誕生日だって言ったんだってな?」
夜のまかないである筑前煮と味噌汁を持って翔人と二人、休憩室に落ち着くと、翔人は早速そう言った。
(そっちか!)
茉莉香との事ですっかり忘れていたけれど、そうだ。綾音だ。
(拙い。あの子に茉莉香さんの事、なんて説明しよう! あんだけ一生懸命だったから、ショック受けるだろうなあ)
あれだけ一途で健気だと、なんだか本当に応援したくなってきていたのに。困ったなあ、などと考えながら、小春は「すいません」と素直に謝った。
「話のついでに言っちゃったかもしれないです」
「つーかお前は何故それを知っている」
「なんかの時に聞いたんだと思います」
全然回答になっていないけれど、こういう誤魔化しは自信を持って言い切ればなんとかなるものだ。
「……まあ、別にそれはいいんだけどな。どうでも。そしてお前がいつの間にかあの女と仲良くなってるのもまあ、どうでもいい。だがな、友人は選べ三崎」
言いながら、翔人は自分の鞄をごそごそと漁って、中から長方形の箱を取り出す。
「プレゼントをな、貰ったんだ」
「は!?」
(プレゼントは、止めなかったっけ? 私)
疑問に思いながら、翔人が目の前で一度綺麗に戻したであろう包装紙をまた広げて見せるのを眺めて、その中身を知るにあたって、小春は驚いた拍子に咽せて咳き込んだ。食事中にこういうショック映像はやめて欲しい。
それは、腕時計だった。ただの腕時計ではない。箱に書いてあるブランド名は腕時計ブランドとしては有名も有名。高級腕時計ブランドと言ったら一番に名前に上がるところだ。扱っているものは、安くても数十万円するだろう。
「知らない女にこれをプレゼントされた恐ろしさがお前にわかるか? 三崎」
「……すさまじいですね。断らなかったんですか?」
「渡された時は包装紙で中は見えなかったし。大したもんじゃないっていうから大方菓子かなんかだと思って。お前らが食うかなって……」
はああ、と翔人が深い深いため息をつく。
「三崎、頼みがあるんだが」
「返品は自分でやってください! 私これ預かるのとか恐いので無理です」
「察しがいいなお前……」
「私でも頼みたくなりますから」
「……だよな」
翔人は本気で困惑した様子だ。小春としても、綾音の相談にのっていただけに罪悪感は拭えない。なんとか綾音を説得しなくては。
(事実を突きつけるのが、一番かな?)
結局そういう結論に落ち着く。その為には、事実確認しなくては。
「翔人さんって、茉莉香さんの事好きなんですよね?」
小春が聞いたら、ガツンと結構重い拳が小春の脳天を打った。手加減は勿論してくれているのだろうけれど、結構痛い。
「痛いです翔人さん」
「誰から聞いた? 柏木か?」
低い翔人の声は何かを必死に耐えてる声だ。ちらりと顔を盗み見したら赤くなっていて年上の男性なのにちょっと可愛い。
「違いますよ。ぶっちゃけちゃうとですね、昨日休憩室に来たとき、ちょっと聞こえちゃったんです。茉莉香さんに告白してるの」
本当はもっと前から知っているけれど。さすがにキスシーンを目撃したのはナイショにしておこうと思った。
「……告白?」
「あんたの事が好きだからー、とか大声で怒鳴ってましたよ?」
言ったらぶわっと、翔人の顔がもっと真っ赤になる。
「嘘だろ!? マジで俺そんな風に言ったか?」
「自分で言ってて嘘もなにも」
「頭に血が上っててよく覚えてねえ……うおぉ、もう三崎の話聞きたくねえ」
翔人は両耳を押さえてしまう。普段無愛想で落ち着いている人が嘘みたいだ。
「翔人さんって、可愛いですね……」
味噌汁を啜りながら小春がしみじみと言うと、翔人は強く小春を睨んだ。
「お前、また殴られたいのか?」
「まさか」
にっこりと笑って。
「でも、続き聞きたかったです。翔人さんと茉莉香さんってもうお付合いされてるんですか?」
言ったら、翔人はちょっと黙って、まだ赤みは残るものの、真面目な顔で小春の顔を見た。
「お前、本当にそこだけしか聞いてなかったんだな」
「え?」
「いや。……付き合えないよ。あの人には、ずっと好きなヤツがいるんだ」
「嘘っ!?」
(でも、茉莉香さん、翔人さんが好きって……)
小春が困惑した顔をするのに、翔人はちょっと苦笑した。
「ホントに意外って顔だな。だけど本当に。俺、もうあの人に告白すんのなんて5回目くらいだし。ずっとフられてるし。店長とか柏木とかも多分知ってる」
小春は感嘆の声を上げる。
「すっごい好きなんですね。茉莉香さんの事」
「そうだな。放っておけないしな。もう3年くらいだから、そろそろ見切ろうと思ってるのに、いつも駄目だ。あの人が好きなヤツ以外の事なんてまったく興味ないの分かってんのに、傷つくだけって分かってんのに、止められないんだ。側にいると嬉しくなる。こっちを向いて欲しくなる。もっと話したいし、他のヤツを想って欲しくない……言えないけどな。言う権利ないし」
小春の心は何故かみしりと痛む。ずきずきずきずき。この痛みには覚えがある。
「同じだ」
思わず、声に出して呟いていた。同じような気持ちを、自分も感じる事がある。呆然としてしまう。そうか、これは。最近感じていたこの胸の痛みは。そうだったのか。自分は……。
怪訝な顔で翔人は小春を見る。
「何言ってんだ? お前、柏木と上手くやってんだろ」
言われて、小春は首を振る。
「違います」
「は?」
「私、フェイクなんです。彼女じゃない。清には他に好きな人がいて……でも、私はきっと……」
(清の事が、好きになっちゃったんだ)
どうしよう。どうしようもないのに。こんな不毛な。始めから相手に想い人がいるなんて。どんな可愛い子に告白されようが、美人に誘われようがその人が好きだからと言う理由だけで断ってしまえるくらい好きな人がいるのに。
「……そうか。お前も変な苦労してんな」
翔人は静かに言って、小春の頭をぽんぽんと叩くから、小春は何故だか急に喉が詰まった。さすが翔人だ。女の子の扱いをよく分かっている。
少し泣きそうになってしまった小春が唇を噛み締めて、落ち着くまで、翔人は手を小春の頭に乗せたままだった。そろそろ落ち着いたかな、自覚して翔人に礼を言おうとした丁度その時、唐突に休憩室のドアが開いた。翔人と小春は同時にそちらを振り返る。そこに立っていた柏木は、本当に驚いた顔をしていた。小春と、そのすぐ間近の正面に座って小春の頭に手を置く翔人とを見て。驚きはすぐに引っ込んで、柏木はにっこりと笑う。
「翔人さん、それ、一応俺の彼女なんですけど?」
(あれ? 猫被りバージョン、だよね?)
言葉にちょっと不穏な音を感じて小春は内心首をかしげる。
「そりゃ悪いな。今の彼氏に不満はないかどうか聞いてた所だ」
「そうですか。それはどうも」
言いながら、柏木がつかつかと休憩室に入ってきて小春の腕をぐい、と掴んで立ち上がらせる。掴まれた腕が痛くて小春は顔をしかめた。
「三崎さん。ちょっと手伝って欲しい事あるんだけど」
にっこりと、有無を言わせないような柏木の笑顔。
「私、休憩ちゅ……」
「お願い」
ごり押しする柏木の声は、いつもの猫被り声だと思うのだけど、何故か底冷えするような恐ろしさがあった。
「……わかった」
あまり気分的には柏木とは一緒にいたくないのだけど。
小春がしぶしぶ頷くと、柏木は「よかった」と言った。でも、腕の力は緩まない。乱暴に引っ張られる手の薬指から、絆創膏が剥がれて床に落ちた……。




