第3話 泉のほとり2
ガキィン!
静かな森の奥深く、金属同士がぶつかったような重い衝撃音が響いた。
「あら、仕留めたと思ったのに。お利口なワンちゃんね」
女の容赦ない一撃を弾いたのは、他ならぬ鳴狼だった。
鳴狼はいつの間にか宙に浮いている女と、その周辺を漂う布に油断のない目を向けながら、中角と女の間に割って入る。
「この野郎、無害な振りをしておいて、とんでもなく鋭い一撃だぜ……」
「お主、わしを助けたのか!?」
中角が驚いたように声を上げる。
「……ああ、悪い予感がして体が動いちまった。
本当は助けたくなかったんだがなあ。
念のため聞いておくが……貴様、まさかとは思うが俺に『一蓮托生の術』を掛けてないよな?」
中角はニヤリと笑って答える。
「おっ、さすが鳴狼。勘がいいのう。腐っても鯛とはまさにこの事。
お主の予想通り、術師の命と式神の命を直結させる『一蓮托生の術』、見事に掛けておるぞ!安心せい!」
悪い予感が現実となり、鳴狼は思わず叫んだ。
「やっぱりか!全く安心じゃねーぜ!何でそんなことするんだよ!」
「ワハハハハ、出力が上がるんじゃよ!わしの霊力が丸々式神に上乗せできるんじゃ。これを使わん手はあるまい!」
中角の答えを聞いた鳴狼はどっと体の力が抜けていくのを感じた。
「多少出力が上がっても、弱点が二倍みてーなもんだぜ!?危ねえだけだ!!」
「確かにそれはそうじゃがな、浪漫じゃよ浪漫!男は浪漫じゃ!」
中角は悪びれもせず、豪快に笑っている。
「こいつ……、いけしゃあしゃあと……。
それと女!さっきスルーしかけたが、俺は犬じゃなくて狼だからな!!」
「あらあら、仲のいいお二人だこと。男の友情っていいものねえ。
でも、それももうすぐ見られなくなるなんて悲しいわ」
女も悪びれもなくのたまう。
その間も、宙に浮いた布は、まるで蛇のようにシュルシュルとうごめいていた。
再び布が襲い掛かる。
鳴狼は鋭い爪でそれを弾き飛ばすと同時に、固めた霊力を女に向けて放った。鳴狼得意の遠距離攻撃、飛来刃である。
しかし、女の布は瞬時に大きな網へと変化し、刃の形をした霊力はいとも簡単に絡めとられて霧散してしまった。
それを見た鳴狼は、不敵にニヤリと笑う。
「その変形……。どうやら、貴様は形を持たぬ水の精霊らしいな。
先程の手合わせと、今の動きで確信が持てたぞ」
女は全く意に介せず鼻で笑った。
「フーン、それで?それでこのアクア・ウィップをどう凌ぐというの?」
不意に女の背後から無数の水の触手が現れ、一気に襲い掛かってきた。
「なめるなっ!!」
激しい攻防の末、アクア・ウィップと鳴狼の攻撃は互角に渡り合う。
しかし、次第にしびれを切らした水の精霊は、次の攻撃を繰り出してきた。
精霊の周りの水の触手が一点に集まり、巨大な砲へを形を変える。
女はおもむろにその砲身に腰かけた。
大砲のような見た目になった水に、精霊とは言え若い裸婦が腰かけている様は、恐ろしくも美しかった。
「アクア・ジェット」
そう一言呟くと、女の動きが止まった。
大砲もぴたりと動きを止め、何やらわずかに震えているだけだ。
その姿を目にした鳴狼は、好機とばかりに突っ込んでいこうとした――
「待て鳴狼、退けい!」
中角が動いた。
水の大砲はその砲身の長さと太さに対し、先端の射出孔は極端に小さい。
その異様な形状を見た瞬間、中角はただならぬやばさを察知したのだ。
中角はとっさに、鳴狼を自分の型紙へと強制的に戻した。
次の瞬間、轟音と共に放たれた超高圧の水流による一撃は、鳴狼がいた空間、そしてその背後の山脈までを地平線まで一直線に切り裂いた。
「なっ……!?」
懐に戻った鳴狼と中角は、アクア・ジェットの恐ろしい威力に我が目を疑い、肝を冷やした。まともに食らえば一溜まりもない。
*
正面からやり合うのを避けるため、二人は森の木々に身を隠しながら戦う作戦に切り替えた。
鳴狼が飛来刃による遠距離攻撃で削っていく戦法だ。
だが宙を舞う精霊は、襲い来る刃を軽々と避けてしまう。
逆に精霊も飛来刃の飛んできた方へアクア・ジェットを放とうとする。
が、あの圧倒的な威力を生み出すには事前の「溜め」が必要だった。
発射する頃には、鳴狼はすでに木々の中を素早く移動しており、全く狙いを定めることができない。
「くっ、小賢しいガキども……!」
イラついた精霊は適当に周囲へ攻撃を放つが、見当違いの場所を削るだけだ。そのわずかな隙を見逃さず、中角が投げた小刀が鋭く女の顔面を貫いた。
「やったか!?」
期待とは裏腹に、小刀は頬をかすめただけだった。
だが、美しい顔に浅い傷をつけられた女は、怒りのあまり全身を震わせる。
「……よくも、私のお顔を傷つけてくれたわね。
許さない……!『アクア・アーマー』!!」
叫び声と同時に、アクア・ジェットの砲身の土台部分がぐわっと広がり、女の体全体をすっぽりと包み込む。
まるで巨大な水の要塞の中心に、彼女が浮遊しているかのような最終形態だ。
中角が再び小刀を投げ、鳴狼が飛来刃を飛ばすが、厚い水壁に阻まれて中の女にはかすり傷一つ届かない。
「精霊力を大量に消費するけど、この最終形態なら、二度と傷などつけさせないわ!どんなにしょぼい攻撃だとしてもね!」
怒りに燃える精霊が、不意に地上一メートルほどの低空へと降りてきた。
次の瞬間、彼女の体が不自然に真横へと倒れ込む。
「いかん、飛べ鳴狼!」
中角の叫びと同時に、中角を抱えた鳴狼が地面を蹴って高く飛び上がる。
その直後、アクア・ジェットの砲身は超高圧水流を放ちながら、凄まじい勢いで360度水平回転した。
ゴゴゴゴ……!
地上一メートルの地点を基準にして、水平線まで見渡す限りの森の木々が一刀両断に薙ぎ払われる。まるで、恋人にフラれてやけを起こした女のような、見境のない暴力的な一撃であった。
「ふう、危ねえ危ねえ……。あんなのまともに食らったら真っ二つだぜ」
上空で冷や汗をかく鳴狼に向かって、水の精霊が冷ややかに言い放つ。
「ふん、思った通り上空に逃げたわね。だけど、いくら精霊のあなたでも、人間であるそのオジサマを抱えていれば満足に動けまい!
これで終わりよ、『アクア・ジェット・キャノン』!!」
空中の中角めがけ、水の精霊は最大出力のアクア・ジェット・キャノンを発射すべく、再び凄まじい魔力の溜めに入った。
「くっ、ならこれじゃ!」
中角は懐から一枚の紙型を取り出し、水の精霊に向けて力いっぱい投げつけた。
投げられた紙型は、今にも発射されようとするキャノンの砲身にペタリと張り付く。
「今更そんな紙切れ一枚、最後の悪あがきかしら?」
「いや、そこまでだお嬢ちゃん」
紙型から爆発的な霊気が巻き起こり、鳴狼が本来の姿で顕現する。
精霊の目の前、文字通りのゼロ距離だった。
鳴狼の姿を一瞥すると、精霊は再び鼻で笑った。
「フン、私のアクア・アーマーは無敵よ!お前らの攻撃など、一生かかっても届かないわよ!」
だが、今度は鳴狼がニヤリと表情を歪める。
「ああ、確かに貴様の水の鎧に俺たちの攻撃は通じねえよ。
だが、物理的な『衝撃』はどうかな……?
特に、あの化け物みてーな攻撃をする、その直前の『溜め』の時はよォ!!」
「なっ……!?」
アクア・ジェット・キャノンの表面に張り付いた鳴狼は、砲身そのものに容赦なく鉄拳を叩き込み、闇雲に殴りつけた。
発射直前で極限まで圧縮された超高圧の水は、鳴狼の拳の衝撃を直接内部へと浸透させる。外側から殴った衝撃は、そのまま内側の精霊へとダイレクトに叩きこまれた。
「ぎゃあああっ!?」
内部から崩壊した水の精霊の力が一気に霧散した。
その姿を維持できなくなったアクア・ジェット・キャノンは、ただの生ぬるい水の塊へと変わり、地面に落下する。
文字通り、大きな水風船が弾けた様な音がした。
着地した中角が、辺りを警戒しながら素早く鳴狼の元へ駆け寄る。
二人はガシッと力強く手を組んだ。中角がニヤリと笑いながら言う。
「説明なしで、よくわしの考えが分かったのう」
「あんな派手な攻撃を見りゃ、いやでもわかるぜ」
(……俺の転生術の反動と同じ理屈だ。超高圧をぶっ放す以上、溜めの時は砲身全体が極限まで加圧されていると踏むのは、わけなかったぜ)
「……それにしても、恐ろしい相手だったな。
あの女、見た目通りのとんだメギツネだぜ」
「あら、失礼しちゃうわね。狐はあんたでしょ、ワンコ君?」
すっかりボロボロになった服をまとい、しかしケロッとした様子で女が姿を現す。
「ッッきさまッ!生きていやがったのか!……って、俺は犬でも狐でもねーって言ってるだろうが!」
女は呆れたように答えた。
「『生きていやがったのか』ですって?
本気で殺すつもりだったなんて、ひどい人たちね。
私は『戦いになる』とは言ったけど、『殺し合いになる』とは言ってないわよ。
結果として命を落とすものもいるのは事実だけどね」
女が淡々と話すのをみて、中角が訪ねた。
「ところで、一体何のための戦いだったんじゃ?
わしらを試しておったのか?」
「まあ、そんなところね。
私の力を貸すに値する相手かどうかの試験みたいなものよ。一応、合格にしておいてあげるわ。
それにしても顔に傷をつけるなんて、女性の扱いがなってないわよ。
まあ、着いた傷は精霊力の回復で消えるからいいけど、ね」
それを聞いた中角は頭を掻きながらばつが悪そうに答える。
「それはすまんかった。
じゃがお主のあの攻撃、あんなものが当たったらわしらもひとたまりもなかったぞ」
「それが精霊の力だもの、しょうがないでしょ。手加減し過ぎたら意味がないし……。
それで、私の力を貸してほしいのかしら?」
「それは有り難い申し出じゃが、その前に、まずはこの世界について知っていることを教えて欲しい。
色々聞きたいことがあったんじゃが、いきなり戦いになってしまったからのう」
女精霊は、改めて宙に浮かぶと、リラックスした感じで続ける。
「別にいいけど、私も大したことは知らないわよ。
私は水の精霊ウンディーネ。
私が認めた相手に、精霊としての力を貸しているわ。
他に知ってるのは、私と同じ程度の精霊が、私以外にあと3体いるってことくらいよ。火、風、土の3体ね」
「なるほど。そなたの名は『うんでいねい』というのか。
ふむ、そなたの力を借りるとなると、どうすればいいんじゃ?
この鳴狼のように、式神として顕現させればよいのか?」
「さあね、私はこの世界の召喚士のことしか知らないわ。
でも、見た所、多分そう違わないんじゃない?
試しにやってみなよ。イメージしながら名前を呼ぶ感じね」
ウンディーネのあっけらかんとした態度に、鳴狼が思わず聞き返した。
「軽いなあ……まあ、俺には直接関係ないからいいけどよ。
だが『いめえじ』とやらは何だ?」
「イメージが分からないの?うーん、頭の中で想像するってことかな?
私の姿を思い浮かべながら、私の名前を呼べば、あなたの持っている精霊力に見合った姿で召喚できるわよ」
「了解した。それではさっそく……」
中角はビシッと指を突き出し、自信満々に詠唱を開始した。
「顕現せよ、『雲泥濘』!!」
ドォン!
眩い光とともに現れたのは、優雅な水の精霊ウンディーネとは似ても似つかない、地面を這うドロドロの不定形なスライムのような生物であった。
「なぁにこれ……? まさかのスライムじゃない。
あなたの中の私のイメージってこれなの?」
ウンディーネは信じられないものを見る目で、ぷるぷる震える不定形の塊を見下ろした。
「そうはいっても、雲と泥濘じゃろ?どうしてもこうなるわい」
中角は悪びれもせず、しれっと答える。
それを聞いた鳴狼はガバッと身を乗り出すと、中角の肩を激しく揺さぶりながらまくし立てた。
「……おいまて、お前今絶対漢字で考えたろ!
こいつらの言葉に無理やり漢字を当てはめるんじゃない!
聞いた音のまま発音すりゃいいんだよ!
……あ、そうだ、お前ら人間の得意なカナを使え、カナを!」
中角はきょとんとして尋ねる。
「カナとはなんじゃ?」
その言葉に、鳴狼はギクリと動きを止める。
「あっ、そうか、仮名はまだ発明されてねーのか!
……ってなんで俺が知ってるかというとだな、それはあれだ、俺は悪霊だからだ!!時代考証なんて関係ないぜ!何しろ悪だからな!!」
「……元から変な奴じゃが、ますます変になったのう」
バタバタと騒がしいやり取りをよそに、雲泥濘はひらりと手(に見えた体の一部)を振る。
「じゃあ、私は帰るわね。久々に楽しかったわよ。また遊びにおいでなさいな。
それと、私の力が必要になったら、いつでも呼んでね、異国のオジサンと狼さん!」
「おい、だから俺は犬じゃ……って、そう、俺は狼なんだよ、やっとわかったか!」
鳴狼が慌てて振り返った時には、すでにウンディーネの姿は綺麗さっぱり消えていた。
「ハハハ、また一本取られたのう」
中角は髭を撫でながら楽しそうに笑っている。
「うるせぇ、たまには間違う事だってあるわ!
……それにしても中角よ、この後はどうするんだ。
ウンディーネの言ってた残りの3体の精霊でも探すのか?」
鳴狼は急にまじめなトーンになると、中角を見た。
「そうじゃな、帰る当てもないし、それを目指すのも良いか。
それに、新しい式神を顕現できるようになるのも楽しみじゃ」
「『精霊を召喚』な!……それに、楽しいから目指すって、全くあの女といいお前といい、軽い奴ばっかりだな」
「そういや他の精霊とやらは、どこにいるんじゃ?」
中角はケロリとした顔で首をかしげる。
「俺が知るか、さっきの女を呼び出して聞けよ」
「それもそうじゃな」
中角は再び手のひらを返し、不敵に笑う。
「――顕現せよ、『雲泥濘』!!」
「だから漢字やめろ!!」
森の木々を揺らしながら、鳴狼の盛大なツッコミの怒鳴り声がどこまでも響き渡った。




