第2話 泉のほとり1
鳴狼が目を覚ますと、今までとは全く違う景色が目に飛び込んできた。
その光景を目にした途端、鳴狼は心底安堵した。
「どうやら、奥義『鳴狼転生』は無事に成功したようだな……。
ぶっつけ本番だったからどうなるかと思ったが……ふん、俺の力にかかればこんなもんよ! 失敗なんかするわけがねぇ。
ともかく、これでひとまず安全圏というわけか。
……それにしても、人間の分際であんな化け物がいるとはな。役小角の噂は聞いていたが、まさか他にもあんなヤバいのが隠れてるとは思いもしなかったぜ」
そう呟きながら辺りを見回す。どうやらここは深い森の奥で、近くには泉か何かがあるらしい。時折水音が聞こえる。
「さて、まずは現状把握から……」
そう言いかけた鳴狼の視界に、信じられないものが映った。
何と、そこには気を失って倒れている、あの仇敵となった中角がいたのだ。
「ま、まさか……、何で奴がここにいるんだ……!?」
───実は、奥義『鳴狼転生』にはもう一つ厄介な性質があった。
対象を吹き飛ばした反動は自分自身が受けるのだ。
対象を飛ばした分だけ、自分もどこかへ飛ばされてしまう。
とは言え、妖力コスパはずいぶんと良いので、切り札としては申し分ない。
もっとも、さらに上位の使い手になれば、膨大な霊力を背景に、お互いの飛ぶ先を制御したり、対象だけを飛ばすことも可能らしいが、今の鳴狼には叶わなかった。
「よりによって、一番最悪な懸念が的中しやがった……!
おそらく俺とあの野郎は、偶然同じ場所に飛ばされたんだ。
一難去ってまた一難とはついてねぇ。
……だが、奴がまだこっちに気づいてないなら大チャンスだ。今のうちに不意打ちでぶっ殺してやる!」
鳴狼は残った霊力を集め、それを無防備な中角にぶつけようとした。
だが不思議なことに、霊力を集める事は出来るが、なぜか中角に向かって放つことが出来ない。上手く言えないが、見えない手で全身を掴まれているような感覚になり、どうしても行動が起こせないのだ。
「なっ……なんだこりゃあ、俺の体はどうなっちまったんだ!?
動け、おい、嘘だろ……なんでこんな大事な時に、全く言うことを聞きやがらねぇんだ……。動け、動いてくれ!!」
鳴狼は何度も試したが、どうしても体は言う事を聞かない。余りに焦っていたため、霊力を使わず、物理的に攻撃することは完全に思考の外になってしまっていた。
その時、僅かなうめき声を上げながら、中角が目を開いた。どうやら意識が戻ったようだ。
上半身を起こした中角は周りを見渡しながら、すぐに鳴狼の存在に気付く。
もはやどうしようもない。俎板の鯉となった鳴狼は、開き直って自分から声を掛けた。
「よう、気付いたか。どうやら随分と深い森の奥に来てしまったらしい」
中角は驚きもせず、そのままの姿勢で答える。
「……どうした、わしの寝込みを襲わんとは殊勝な心掛けじゃな。
敵ながら天晴、見上げた根性よ。その心意気があるなら、最初からそうすればよいものを……」
「ええい、気色の悪いことを言うな!
俺とて貴様を殺せるならとっくにやっておるわ。
だが、最早手向かいはせぬ。いや出来んのだ……。
なぜか貴様に攻撃しようとすると、体が動かんのだ……!」
その言葉を聞くと、中角は少し考えた。
そして胡坐をかいて座り直すと、急に印を結びだす。
……いよいよこれまでか。それにしても運が悪かった。
まさか緊急避難先に、災厄までがついてくるとはな。
そう考えていた鳴狼は、不意に体が宙に浮く感覚に襲われた。
と思ったのも束の間、次の瞬間、鳴狼は中角の方に猛烈な勢いで引っ張られた。
いつの間にか、中角の手には小さな紙片が握られている。
鳴狼の体はその人型の紙片の中に吸い込まれてしまった。
鳴狼が気付くと、自分は中角の手の中におり、その顔を見上げている状態であった。
位置関係から察するに、先ほど中角が手にしていた紙片の、目のあたりから見た視点になっているようだ。
どうやら自分は紙片の中に入ってしまったようだ。
鳴狼の背中にいやな汗が流れた……様な気がした。
今の鳴狼は人型の紙片なので発汗作用はない。
だが、鳴狼は大体の予想がついていた。
「もしかして、貴様……俺を……」
「左様。お察しの通り、お主はわしの式神となっておる。
どうやらわしがお主に勝利したらしいのう」
「おいちょっと待て、俺は負けた覚えはないぞ!
そりゃあ切り札を使いはしたが、切り札を使えば負けだなんていう法は無かろう!」
「ワハハハハ、いいぞその見苦しさ。それでこそ悪名高き鳴狼よ。
確かに切り札使用の有無で勝負は決まらん。
だがな、今のお前がわしの式神になっていることが全ての答えよ。
わしの能力は倒した相手を使役することじゃからな」
「チッ、ひどい言われようだぜ。事実だからしょうがないけど……。
仕方ない、しばらくは貴様に従ってやる。
だが覚えておけ、俺は必ず自由になってやるぞ。
その暁には、貴様の身がどうなるか、覚悟しておくことだな」
「フッ、良く吠える犬じゃ。
わしの式神、紀元前鬼・紀元後鬼にも苦戦しておったくせに」
「犬というな!俺は狼だ!
あの不覚は俺の術が封じられていたからだ。
転移さえ出来ればあの程度の攻撃など……って、その二体の鬼はどこにいるんだ?」
「むっ、そう言えばきゃつらの気配がせぬ。
あれほどの鬼たちじゃ、居れば確実にわかる。
何よりわしが自分の式神の存在を見失うわけがない」
中角は再び印を結ぶと、二体の鬼の気配を探り、呼び出そうとした。
だが、全く反応がない。
「……どうやら、きゃつらを呼び出すことが出来ぬようじゃ。
気配すら感じぬと言う事は、よほど遠い場所にいるのか……?」
「ハハハ、俺の切り札の影響だろうな。
憎い貴様に一杯食わせてやれて嬉しいぜ!
だがそうなると、俺たちは式神さえ気軽に呼び出せないほどの場所に飛ばされてしまったようだな。
それなのに貴様と一緒だとは、よっぽどの裏目を引いたようだぜ」
二人が悪態を衝きあっていたその時、森の空気が一気に冷たくなった。
状況の変化に鋭く気付いた中角は、鳴狼が宿る紙型を二本の指で構えると、素早く印を切る。
いつでも鳴狼を顕現させられるように、臨戦態勢をとったのだ。
「随分と賑やかな事ね。そこにいるのは誰かしら?」
しっとりした声が滑らかに響く。
木々の間からぬるりと姿を現したのは、目にも麗しい青い服を身にまとった若い女であった。
美しくしなやかなスタイル。
そのスタイルをそのまま体現したかのような美貌。
風になびく長い髪は水のしぶきをそのまま空中に縫い止めたようであり、その目もまた同じように冷たい青さを湛えていた。
女は二人を一瞥すると口を開いた。
「あら、見慣れない旅人さんね。珍しいお召し物だけど、異国の方かしら?
それに、その手にいるのは何?かわいいワンコちゃんに見えるけど、紙の人形……なのかしら。
よく分からないけど、変な所に住んでいるのね」
紙型に宿った(宿らされた)鳴狼は思わず聞き返した。
「小娘、俺の姿が見えるのか!?」
「あら、小娘だなんて失礼しちゃうわ。
こう見えても私、あなた達より、少なくとも人間のオジサマより長く生きていることは間違いないわよ」
「ええい、貴様の年のことなどどうでもよいわ。俺の姿が見えるのかと聞いてるんだ!」
「全くせっかちなワンコちゃんね。躾のなってない犬ってあなたの事を言うのよ」
そう言うと女は口に手を当ててころころと笑った。つられて中角も噴き出してしまう。
「ワハハハハ、こいつは一本取られたわい。のう鳴狼よ、やはりお主は犬じゃ」
「うるせぇ!俺を犬と呼ぶんじゃねえ!
いや、そんなことより、何であの女には俺の姿が見えているんだ?
俺は今お前の式神として具現化しているのか?」
「いや、顕現はしておらんが……」
「なあに、そんなの当り前じゃない。
あなたも私と同じ、精霊なんでしょう?
犬の形をした精霊なんて初めて見るけど、同じ精霊の気配がするもの。
オジサマ、それはあなたの故郷の精霊なのかしら?」
「精霊だと?馬鹿を言うな、俺は誇り高き自然霊、鳴狼様だぜ!
神域にまで足を踏み入れた俺を、こやつら人間は悪霊だのなんだのと呼んでいるが、心外甚だしい。
まあ俺の偉大さがそう呼ばせてしまうのもわからんではないが……」
鳴狼のさりげない自慢をスルーして中角は一人納得していた。
「なるほど、そう言う事であったか。
どうやら、お嬢さんは人の世のものではなく、八百万の神の一人じゃな。
それで、なぜこのような深い森に若い娘がたった一人でいるのか、そしてなぜ空気が変わったかがわかったわい」
それを聞いた精霊の女は首をかしげて尋ねた。
「見た所、あなた召喚士なんでしょう?それなのに精霊を知らなかったの?」
「む、召喚士というものではないぞ。わしは陰陽師じゃ。
このように、式神を使役して日常生活全般に役立てておる。
出でよ鳴狼!」
そう言うと、中角は紙型に宿った鳴狼を顕現させた。
霊的な煙が巻き起こり、その中から鳴狼本来の姿が現れる。
「くそっ、やっぱり外の方が広くていいぜ……!
貴様、さっさと俺を解放しろ!」
ぶつくさ言いながら現れた鳴狼の姿を見た精霊の女は、急にトーンダウンすると冷ややかな笑みを浮かべた。
「……精霊の領域で、他の精霊を召喚することの意味、わかっているのね?」
女の身にまとっていた服がシュルシュルと音を立てながら足元に落ちて行く。元々申し訳程度にかかっていた服であったが、それでもその体を隠すには役立っていた。
うら若き女の裸体が惜しげもなく晒される。
一度地面に落ちた服は一枚の布と化すと、今度は空中に浮かび上がる。
そして女の周りをフワフワと漂い始めた。
「これ、若い婦女子がはしたない。いくら人目がない所であろうと、服は身に着けているものじゃ。ほれ、わしの羽織を貸してやろう」
羽織を手に持った中角は、女に無造作に近づく。
「あら、奇天烈な衣装に似合わず、紳士なオジサマね。本当に惚れちゃいそう。
……でもお気遣いなく。
この姿を見るものがいなくなれば、その心配も無用になるわ!
『同じ領域に二体の精霊が同時に召喚されること』……。
それは、戦いの合図なのよ!!」
その途端、宙を舞っていた布は一陣の光を煌めかせると、すさまじい勢いで中角に襲い掛かった。




