01 影〜異常者〜
「…………………………」
死んだ。目は瞼の裏を見ている。相当それが好きなのだろう。奥行きのない暗闇が広がっている。いや、何かが見える。それだけじゃない。己の鼓膜が揺れている。
「フンフフフフ~ン♪」
(人影…、いや待て、その前に僕は生きているのか?)
自分が生きている可能性があると思った瞬間、一気に己の体が己のものであるという、その実感を得た。僕は恐る恐る目を開け、ゆっくりと顔を上げる。
(……!)
空には無数の線が走っていた。それらは幾重にも交わり、ほどけ、また交差し、神秘を生んでいる。もしかしたらここは、異世界、というもので、僕は転生をしたのかも知れない。これは可能性の話であり、確証はない。ただ、そう考えたとしても訳が分からない。訳も分からぬまま口が勝手につぶやきを生んだ。
「この空、綺麗だ。」
「そうだろう?」
「……………………うわぁぁぁあ!!」
油断した。見とれていた。僕は接近してくる人影に気づけなかった。
ドスッ!
僕は惨めにしりもちをつき、その影から必死に距離を取ろうとした。
「ごきげんよう。申し訳ないけど、ここでは静かにしていて欲しい。」
パチッと其の影は指を鳴らした。
「…………………………!!!」
僕の体のあらゆる器官が使い物にならなくなった。ただ意識だけはあるらしい。まるで金縛りにかかったようだった。ああ、そういえば昔よく金縛りにかかっていたな。その頃はメカニズムもよくわかっていなかったから本気で怖がっていた…。今も怖いけど。
そんな風に昔を回想していたら、急に現実が見えてきた。
(そうか、僕は死んだんだ。)
「死んでなんかいないさ。」
(死んだなら、これは夢だ。大丈夫、何も怖がることはない。)
一気に力の緩みを感じる。もとより僕の中枢神経は、力なんか入れさせる気もないようだが。
「あまり現状を悲観しないで欲しい。君は希望に満ち溢れた子供なんだよ。さぁ、少しビキっと来るけど我慢してね。」
目の前に佇む人影が、腰を下ろし、目線が絡まる。
(…………………………)
もう僕にはどうしようもできないのでスルーする方向性でいたが、この謎の影は執拗に僕に絡んでくる。目的は、分からない。ここが、異世界というところなのか、或いは、これがただの走馬灯の様なものなのか、どちらの方向性で視点を定めればいいのか。僕は、前者を信じたい。なぜなら、まだ、死にたくないし…
「どちらでもない、というのが正しいのかな。そう、君は僕の息子。今ここで生まれ、そしてあの街で育っていく愛しい我が子さ。」
なるほど、今ので状況はある程度把握できた。まぁ、無理やりにでも、自分が納得できるよう解釈したと、そういった方が正しい。どうやら僕は、所謂、「異世界」というところに飛ばされ、現在、精神異常者に絡まれているらしい。
「いいね、じゃあ、入れるよ。」
いつか、僕が然るべき時に口にしたかった言葉を不意に吐かれ、少しばかりドキッとした。
ガリッガリガリガリッ
「ッ…………………………!!!」
僕は再び前髪を捲られて、おでこに一本の線を引かれた。しかもあのやんちゃ坊主、「湯田矢」どころの話ではない。彼は彫刻刀の様なものを使い、僕の額にある横一文字をなぞるようにして、取り返しのつかない傷を刻んでいく。
「ごめんね、痛かったよね。でも、これが僕からの最初のプレゼント、喜んでくれると嬉しいな。」
「…………………………」
言葉にならない絶望が、眠気のような不可避を持って、僕に襲い掛かる。僕のおでこには、タトゥーの様な、痛々しい黒い線が刻まれており、もう人に見せられる状態ではない。モテるため、そんな陳腐な理由ではなく。僕はただ、「センターパート」という髪型を愛していた。それはまたいつか、語ろうと思う。今はそれどころではないのだ。
(絶対にお前だけは、殺してやる……)
「それじゃあ、くれぐれも体には気を付けてくれ。」
僕の脳からの言葉が、あっけなくスルーされたことに少し驚いていると、突然意識が遠のき始めた。少し前に味わったものとは、またベクトルの違う衝撃。それには少しの安心感も内蔵されていた。
「良い旅を。」
「…。」
深山憂は再び、眠るように気を失った。




